表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

セールスマン世界を救う

作者: 薫ポプリ

 大通りから一本奥に入った路地裏の雑居ビルである。そのビルのレンガ壁と古びた木で出来たらせん状の階段を、壁に鞄が擦らない様に気を付けながら下りる。都会によくあるタイプの、地下一階にある喫茶店である。

 落ち着いたブラックのスーツに身を包んだ男女は、この喫茶店の一階に置かれていた看板メニュー『あんかけスパゲティ』に惹かれ入店した。間もなく夏本番の7月初旬、営業に回るには暑く、体力を消耗する。短時間で提供されるスパゲティは、時間がない二人のライフスタイルに合うランチで、尚且つあんかけスパゲティは熱量があり満足感があった。

「私これにします、白身魚フライと目玉焼きがのってるあんかけスパゲティ!美味しそう!」

 女性は間宮梨華(りか)、目を輝かせながらメニューに見入る食いしん坊で、小柄な痩せの大食いタイプである。今年入社したばかりの新人で、まだ座学研修を終え実地研修に移ったばかりだ。茶色い長い髪を後ろで一つに留め、前髪をガラス細工の付いたお洒落なピンで横に流して留めている。額の汗をハンカチで押さえながら、アイスコーヒーとチーズケーキの注文も忘れない。

「僕はこれかな、ミラカン。野菜がたっぷりだから。もう30も半ばだから健康に気を遣っている訳だよ。」

 男性は大脇健太、大柄で一見ラガーマンの様な、がっちりした体格である。洗うのが楽だし、見た目に爽やかという理由で、櫛を通す余地もない程短髪にしていた。彼は入社13年の中堅社員で、梨華の指導係でもある。梨華につられプリンアラモードを選ぶ。暑くてもホットコーヒーを選択する辺りに年齢が出てきたところだ。

 店員の『無料で麺を大盛に出来ますがいかがなさいますか?』という問いに、二人は二つ返事で同時に大盛りを選択し、既に良い上司部下のテンポが滲み出る。

 あんかけスパゲティは、野菜などを炒めたものとスパイシーなソースを合わせ、フライや目玉焼きをトッピング出来る名古屋名物だ。目の前に提供された皿に釘付けになりながら、梨華は時計とも睨めっこする。

 「大脇さん、今日は相談があって。営業に同行させてもらっても、私は別部屋になってしまうことがほとんどじゃないですか?だから、大脇さんがどういう営業トークをしているのか全然分かってないというか。詳しく教えて欲しいなぁと思う訳です。」

 「ふむ。そも、君は僕が10回その顧客の元を訪れているとして、そのうちの一回か二回しか見ていない訳で、その氷山の一角で身に付けるのは難しいだろうなぁ。」

 頷きながら、二人前は盛られたスパゲティーにフォークを通し、小さな溜息をつく。

 「本当は、こんなに食べてる場合じゃないのだよな。」

 「え?体重気にしてるのですか?太ってないですよ?」

 健太は右手を顔の前で振り、『違う』というジェスチャーをした。梨華が困った顔をする。

 「うん、いいよ、今日はそんなに急いでないし、僕の仕事の根底にある想いから詳しく話してみよう。」

 「理念?」

 「そうそう。間宮さんはどうしてこの、『太陽光発電設置のセールスマン』になったの?」

 梨華は目を左右に動かしながら、首をひねる。

 「人と話すのが好きだからですかね。志望動機には、クリーンエネルギー普及への貢献を挙げました。」

 健太は大きく頷く。

 「そう、それだよね。僕らの目指すところは。今って、ホームセンターでもソーラー発電の小さな物はは手に入るじゃない?太陽って、地球上の、極夜地域とかを除くほとんどの場所に注ぐ、天からの、平等で安定的な、手に入りやすい、クリーンなものって、俺は思えたんだ。きっかけはお袋の『夏は暑いけど洗濯物が秒で乾くわ!』っていう台詞かな。」と微笑む。

 「確かに秒で乾きます、え?もう?みたいな。夏が暑すぎますからね、最近。あの…大丈夫ですか?食欲なくなっちゃった?」と、梨華は健太の食があまり進まないことを気にしながら表情を見遣った。

 「うん、大盛りじゃなく一人前にしとかないといけないと思う理由ね…。日々ニュースを見ていると、戦争であったり、飢餓や貧困であったり、空の鍋を持って叫ぶ子供達に、瓦礫に、ただひたすら何も出来ない自分が悲しくなるっていうか。募金はするけれど、この、地球上で衣食住健康、教育が整備され、ちゃんと暮らせている約20%に入っている幸運を、当たり前に思っちゃいけないというか。何か出来ないか、俺にも出来る事って何?って、結構日々思う。ほんとは、もっと丁度良い量を食べなきゃいけないかなってさ。」

 梨華もフォークを握る右手を止める。

「フードロス問題は大学でも結構学びました。豊かな生活をする部分的な国の大きな消費が、これ以上続けば地球は枯渇する。お店で並ぶ品の値段は10年前からして2倍になっていたりするのに、それでも補充する間もない程売れていく。きっと、豊かな生活に慣れた私達は、徐々に減らしていく術を持たないのかもしれません。負け方を知らないというか。だから…いつか大負けをしちゃうのかな。」

 徐に健太はビジネスバックの内ポケットから、大型客船の模型を取り出した。

「え?何ですか?いつも持ち歩いているのですか?」と梨華が健太の童心に興味を示した。直径10センチほどのミニチュアであったが、精巧で見応えがある。

「お客さんと話す時に、これを持って行くんだよ。まず、太陽光発電には最初の設置費がどんとかかる。そこから元が取れるまでは12年くらいかかる。自治体ごとに助成もあるが、このハードルがとにかく大きい。それで。」

「それで?」梨華はワクワクした。それでこの話のどこが大型客船に繋がるのだろう。

「こんな感じだ。『地球が一つの大型客船だと考えてみて下さい。端の、端の方の船底に小さな穴が開いたとします。そこから浸水して、船はその区画を遮断しました。確かにそれで全体的にはまだ浮かぶので、問題なく浮いています。それからもあちこち、端の、端の方で穴が開き浸水し、その度に遮断しました。センターに近い場所は自身の船底の保全や新しい部品に付け替える為に、有限である、船を補修するための材料を過剰に使い果たしてしまいました。センター以外の場所は劣化の一方です。それで、浸水した部分が、海水を内包した状態で段々増えていき、いつしか浮力とのバランスが取れなくなり、その大型客船は海の底に沈んでしまいました。いよいよ沈みつつあると気付いた時にはもう、海上で修理作業が出来る程浮かんでいなかった。それは、沈むのが一気にではなく、段々と、数センチ、数十センチから始まったからでしょう。』って、ちょっと低めの声でね。」

 梨華は健太の話に惹きつけられた。模型の存在は大きいのかもしれない。

「日本が日本人を大切にすることは大事ですが、地球はこの船のように一つであるから、世界中みんなが協力して共闘しない限り、『勝ち』はあり得ません。どこかが戦争や災害で苦しんでいれば、それを助けるべきです。そうでないと、近い将来、地球は住めない星になり得ます。だから自国を含めた、全体を見据えたワールドファーストの精神が、全世界に必要だと思うのです。」

 梨華は相槌を打ちながら腕を組む。

「世界から戦争がなくなる日は来るのでしょうか?うちの母は、強力な宇宙人が地球を攻めてくれば、地球は一丸となって戦うから人間世界での戦争はなくなるのじゃない?って冗談めかして言ってましたが。」と視線を落とす。

「そこでこれだ。世界地図を広げる。『人口が現代の様に増えたのは、化学肥料の開発が進み、食料の大量生産が可能になったからです。それまでは人口増加は抑制されていました。その化学肥料の原料である窒素、リン、カリウムを資源として持つ国などは、どうしても宝を持つ場所だから欲しい、となってしまいます。人間はとにかく毎日食べないと生きていけないので、各国必死です。その食べ物を輸送する為の海洋ルートや、食べ物を作る為の燃料を運ぶルート、を持つ国も、光輝いて見える訳で、これも戦争の一因となり得ると思います。』と、海洋ルートとかを指でなぞる。」

 小さな世界地図上で健太の人差し指が海を通った。

 『戦争をなくしていく為の発想は、先ほどの船の説明と合わせ、肥料、燃料、食料などを、出来るだけ100%に近づけて国産化することであると私は思います、全世界がそうなって行けば、『自国で満ち足りる』が生まれます。資源国が、欲しい、の対象から解放されることが大事です。なので、我々が船を沈めないためにやっていくべきことは、肥料、燃料、食料を国産化し、その術を持たない国がそうなるように共にしていくこと。船がまだ浮いているうちに、自分たちの区画ではない場所も補修に協力する。それが、唯一、間宮さんが言った『大負け』にならない道。であると思います。』

 これは『地政学』の話だ、と梨華は大学の授業を思い起こす。

『この資料を見て下さい、下水汚泥と家畜堆肥の利用が進んでいる。まだ日本はまだ率が低いですが、食物の分野に強いフランスは、下水汚泥の農業普及率が日本が1割なのに対し、約8割です。また、ここで登場の、我々の太陽光発電ですが、アメリカでは2025年の3月までに9.2%に達している。素晴らしい事です。クリーンエネルギーが科学燃料発電を上回り、石炭と石油ガスの重要性が低くなれば、伴って戦争の一因たる『欲しい』がなくなっていきます。だからこそ、太陽光発電はとても重要な、クリーンで、平等で、安定的なエネルギーとしてこれからの世界を救うものだと、私は考えているのです。』

 健太はぬるくなったコーヒーを一口飲んで続ける。

「ここでおもむろに、携帯型ソーラー発電機を取り出す。『これで自分のスマートフォンをフル充電させるだけの電気がソーラー発電出来ます。ホームセンターで普通に手に入るのが現代の日本です。これが、全世界の全員に手に入り、それぞれに平等に降り注ぐ太陽の慈愛を集めたら、きっと地球は救われていく。水をろ過し、読書が出来る灯を作り出し貯めておける。それが一歩目となる。太陽光の力は導く力があるものと私は思っています。』と説明してみる。実は、気候変動対策として寄付をしてもいいという人は結構多いという調査結果がある。50%位だそうだ。だから、その寄付、というか、環境に対するお客さんの心に働きかけてみることが大事だ。もちろん押し切らず、相手の意見をきちんと聞くこと。」

 梨華は小刻みに頭を前後に動かしながら、健太の言葉を咀嚼していた。

「…確かに、このソーラー発電機を持っていたら、防災の面でも大きいかもしれませんね。『日本人はきちんと順番を待てる』って、海外の方が褒めて下さってましたけど、一人一人が持っていたら、力強い電力です。」

 健太は頷く。

「環境…地球という船が沈んでしまうのは自分も困りますけど、地球の裏側で、死ぬまで食べ物がなくて苦しむ人がいる、それも、辛いですよね。うん。自分は痛くなくても、それは、友人や家族が苦しんでほしくないのと同じように、やっぱり苦しんでほしくない。平和でいて欲しい。80%の人ともっとシェアして、全体が多過ぎず少な過ぎない世界になるように。争わなくていいように。」と梨華は納得したように微笑んだ。

「うん。僕は、自然も人も、生きていて全ては繋がってると、子供の頃から思っててさ、そう思うだけで、何か、安心するっていうか、信仰心というより『感謝』みたいな気持ちになるよ、僕は。『人類皆兄弟』仲間だから、一緒に笑顔になりたいよね。で…。」徐に太陽光発電の具体的な資料を取り出す。

「おお!急に営業感!」と失笑する梨華に、健太は「そうそう!営業感!」と微笑む。

「自社の良い物を自信を持って勧める。誇りを持つことだね、大事なのは。それに僕はいつか…独立したいんだ。だから成績もあげないといけないし、貯金もしないとね。」

 梨華が驚きの声をあげる。

「今の会社では出来ないことをしたいのですか?」

「いや。今の会社に不満はないし、独立させてもらっても、のれん分けみたいな良い関係なのだけどさ、僕の権限で、いつか、インフラの整っていない地域に、太陽光発電を普及する手伝いをさせてもらいに行きたい、と思ってる。今の、小さなソーラー発電機を子供達に配ったりさ。」

「奉仕で?」梨華は涙ぐみそうになった。上司のこの真剣な目は、嘘などついていない。

「奉仕で。太陽の慈愛が全世界の人々に届くように。」

 今日は暑い。太陽が照りつく。でもその有り余る力を冷やす力に変えることも、太陽光発電なら可能性が大いにある。

 アイスコーヒーの氷はとっくに溶けてしまい、プリンアラモードも常温になってしまったが、二人は今日のこの何気ない一幕をずっと覚えていることになるのだ。

 健太の届けたソーラー発電機で昼間の太陽を蓄電した少女は、淡い月光と合わせてライトを灯し、医学書を読む。その時の明るさの喜びに、世界の裏側に居る梨華はふと、心地よい風の気配を感じる。そしてあの日の喫茶店を思い出す。

 健太は、テキサス州に立つ。

 新規太陽光パネルをどうしても見せてもらいたかった。日本も凄いがアメリカも凄い。凄いが集まったら、きっと、沈まない様に船を協力して整えていける。

「すっげー!アメリカ!」

 青空に両手を広げて叫ぶと、ワールド、が応えてくれた気がした。

                                       完。


 亡くなった祖父は、当時まだ汲み取り式のトイレであったところから柄杓やバケツを使い、畑に肥料としてまいていたと聞いたことがあります。その方法が唯一の方法なのかと思っていたら、もう世界では施設で下水処理をして再利用する、先進的な取り組みがされていることに驚きました。多くの方の尽力にただ、感謝するばかりです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ