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学校はそういうところに敏感で、それ故に鈍感だ

 歩行を再開しつつ、思考を巡らせる。彩香という名前こそ把握していなかったが、毎日見かけていればある程度顔は覚える。改めて考えてみると彼女は一年生の頃はあんな風に萎縮した子ではなかったように思えた。もしこれが、誰かに意図的に切られたものなら……。『いじめ』という単語が頭をよぎって振り払う。考えすぎだ。学校はそういうところに敏感で、それ故に鈍感だ。SOSを見逃したくないとは思うが、同時にやたらと疑うのも良くない。

 秀一が思った通り、彩香は教室に戻っていた。放課後ということもあり、もう教室には彩香一人しかいない。ごそごそと鞄の中身を確認している。ストラップを探しているのかもしれなかった。声をかけようと思って、下の名前しか知らないことに気がつく。迷った末に「君」と声をかける。


「職員室に落ちていたんだ。君のじゃないかと思って」


 果たして、振り返った彩香はホッとした顔をした。


「っ……ありがとうございます! 私のです」

「そうか、良かった……大事なものなのか?」

「……はい」


 惜しそうに切れた紐を撫でる。


「その紐、どうして切れちゃったんだろうな?」


 何気なさを装って尋ねたが、彩香ははっきりと困惑する様子を見せた。


「……い、いつの間にか、切れてて……どっかに引っかかったんじゃないですかね……」

「……そうか。じゃあ、気をつけて帰れよ」


 軽く会釈する彩香と別れて、秀一は眉を顰めた。


(これは……本当にあるかもしれないな)


 妙な切れ方もだが、彩香の様子は原因に心当たりがあるようにも見えた。それでいて、誤魔化そうとしているようにも。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 翌日の金曜日。

 彩香は朝から昇降口で佐野と鉢合わせていた。明るい茶色に染めた髪を緩くカールさせた佐野は、絵に描いたような女子高生だ。今日に限って信号のタイミングが良く、早く着いてしまったのは不運としか言いようがない。


「彩香ちゃん、おはよう。今日は早いね」


 にっこりと親しげに笑うが、彩香には裏があるとしか思えない。普段は挨拶などしてこない。稀にされることがあるとすれば、すれ違いざまにどつかれる時くらいだ。


「佐野さん、東雲さん。おはよう」

「先生、おはようございます!」


 振り返ると斎藤先生がいた。ああ、だからかと納得する。言葉を発するタイミングを逸した彩香は軽く会釈をした。


「あっ、和泉先生! おはようございます!」


 ワントーン上がった佐野の声に、ちょうどこちらも通りかかった和泉先生が振り返る。それを見遣って斎藤先生も声を発した。


「おはようございます。和泉先生」


 和泉先生はにこやかに微笑んで答える。


「おはようございます、斎藤先生。佐野さんも、おはよう」


 ラッキーパーソンの登場に、彩香は今度も軽く会釈すると足早にその場を立ち去る。昨日といい、今朝といい、やはりついているのかもしれないと思い直す。

 和泉先生は、苦手だ。常に堂々とした態度を崩さず、いかにも自信に満ち溢れていそうな爽やかな教師。そんな存在といると、自分のことが余計に矮小な存在に思えてしまう。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 またもや逃げるように立ち去る彩香の後ろ姿を秀一はチラリと見やる。佐野という生徒とも授業の上での接点はないが、やたらと話しかけてくるから覚えてしまった。明るく溌剌とした生徒だ。


「先生、また数学で教えて欲しいところがあるんですけど」


 佐野の言い分に苦笑する。言い訳だということはわかっていたが、かといって教師である以上無碍にはできない。


「教科担任の先生はどうした?」

「だって、先生のがわかりやすいんだもん」

「……なら、このまま職員室に行くか」


 秀一としては早くこの場から離れたかった。ここは昇降口だ。ぼんやりしているとあっという間に登校してきた女生徒に囲まれてしまう。


「私はここでもいいですけど」

「俺が良くないんだよ。斎藤先生も行きましょう。ここにいたら邪魔になります」


 連れ立って歩きながら、秀一はやはりあの彩香という子ともう一度話してみたい、と思う。後になって、あの時きちんと話をしていればと思うのは、もう嫌だった。何もなければ、それでいいのだから。

 数学より個人的な話に花を咲かせた佐野を見送って、秀一は自分のパソコンに向き直った。そろそろ朝礼の時刻であり、クラス担任と生徒の姿が消えた職員室は閑散としている。生徒名簿にアクセスして、斎藤先生のクラスを探す。


(三組の……アヤカ……)


 基本的に生徒名簿には教科担任とクラス担任しかアクセスできないが、一応は一組の副担任である秀一にはアクセス権限がある。今のところは三組との接点はないが、一組というのも書類上の話で、実質的には学年全体の補佐が仕事だ。

 東雲彩香、という生徒はすぐに見つかった。部活は無所属。母子家庭。成績は入学時に比べれば低下傾向にあるが、そこまで悪くもない。


(やはりこれだけでは、何もわからないか……)


 同日、放課後になるのを待って秀一は斎藤先生に声をかけた。席が近いから、軽く椅子をスライドさせるだけでいい。


「斎藤先生」

「えっ、はい。何ですか?」

「すみません、少し気になりまして。最近よく呼び出されている生徒がいるでしょう?」


 秀一の言葉に斎藤先生は表情を曇らせた。


「ああ……彩香さんですか……」

「どうかしたんですか? 俺で良ければ、気にしてみますが」


 秀一の申し出に、斎藤先生は少し躊躇ったようだが、結局「実は……」と話し始めた。


「最近、まるで授業に集中していなくて……他の教科でも同じみたいですし。去年は気になるほどではなかったんですが……。何度注意しても反省の色が見られないんです。悪い人たちと付き合ってるみたいな話もあって」

「悪い人?」

「あぁ、すみません。噂ですよ、他の子たちが話してるのを聞いてしまって。ただ、その可能性も考えてはいます」


 考えている、という割に、その表情には確信が見られた。証拠こそないが、間違いないと思っているらしい。ストラップを返した時の態度からはそんな様子は見られなかったが、あれだけの会話ではわからないことの方が多い。


「クラスに馴染めていないんですか?」

「そうですね……私の授業ではそんな風には見えないのですが、グループ学習のある授業ではいつも溢れてしまうみたいで……」

「そうですか……ありがとうございます。じゃあ、俺はこれで。お先に失礼します」

「はい、お疲れ様です」


 会釈をして、自分の荷物を取り上げて立ち上がった。副担任の仕事は担任が捌けているうちはさほど多くない。せいぜいが掃除の時間や放課後の見回り程度だが、それも別に必ずやらなければいけないということもない。クラス担任が体調不良だとかで休んだ時に穴を埋めるための役職だ。

 帰る前に教室を見に行くべく廊下を歩く。


(東雲は、まだいるだろうか……)


 まさか秀一の立場で生徒を呼び出すわけにもいかないし、そうなると二人で話すのは難しい。放課後、人がいなくなった時が理想だが、斎藤先生と話した感じでは今日は呼び出されなかったようだからさっさと帰ってしまったかもしれなかった。

 教室が見えてきた時。その音は唐突に聞こえてきた。ガン! と、物がぶつかるような音。それが断続的に響く。

 教室から出てきた生徒が、秀一を見とめて逃げるように去っていった。残りの距離を走って、教室の引き戸をガラリと開ける。


「おい、何の音だ!」


 詰問するように叫んだのと同時に、ガシャン! と、今度は何かが割れるような音が響いた。

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