高校生だと言った方が男ウケが良い
「どこだ……」
血塗れの剣を携えて、イケメンゾンビに時折顔をニヤけさせつつルキは廊下を歩く。見つけた霊薬アイテムには死霊特効があるらしく、ゾンビたちはまるで豆腐のように容易く斬れた。かれこれ三十分は探し歩いているが、煉瓦の壁は一向に見えてこない。『道を見つけた』との連絡はだいぶ前に来たが、その後の音沙汰はなしだ。
前方から現れたゾンビを斬り捨てて、ふぅと息をつく。
胸の奥がどくどくしていた。何とも言えぬ高揚感が胸の内から湧き出てくるのだ。至極久しぶりに感じる充実感とでも言おうか。ノギノに女装させて笑った時、あの瞬間何かが変わった気がした。思えば、あんな風に笑ったのは随分と久しぶりだ。グッと手を握る。自分を戒めるように笑みを抑えた。これはただの期間限定のパーティで、彼はどうでもいい、数多のネットセフレの人たちと何も変わらない、失っても惜しくない人だ。
「……ふふっ、よし。じゃあ次は向こうに……ん」
再び、視界の端でアイコンがメッセージの着信を知らせた。
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「終わった……」
ノギノが力なく呟いてくず折れる。
あの後、ノギノは道の先で入り組んだ迷路のような道を抜け、階段を上って地上に出て初めて、地下にいたことに気がついた。地下に繋がる入り口であれば攻略マップに載っている。地上に出たためかマップも回復し、メッセージで何とか現在位置を伝えて互いを目指して歩くこと数十分。中間に当たるポイントであの幽霊と会敵。防御力が皆無のルキをノギノが庇いながら、苦戦の末にようやく倒したのが今しがただ。
「……はー、意外と強かったね」
大の字に寝転んだルキが楽しげに笑う。
「こんなのが後三戦もあるのか……」
ここは筋力値のアドバンテージがあるステージだったとはいえ、さすがにボスのHPはそこそこ高かった。この分だと他のステージは一層苦戦しそうだ。
「大丈夫だよ。宝物庫で強い装備もゲットできたし!」
ノギノの前にアイテム譲渡のウィンドウが表示される。アイテム名は『茨姫のドレス』『茨姫のステッキ』。
「……いばらき……って読むんだろうな」
茨城出身の人間でも運営にいたのだろうか。
「コメントそれ……?」
少し残念そうなルキは無視して、女物という部分には突っ込まずノギノは素直にそれを受け取る。見た目装備が別にあるため、装備してもステータスにしか反映されない。ステッキについては見た目は完全に魔法が使えるアレだが、種別は斧になっている。武器種と見た目は一致する必要がないらしく、変わらず見かけは片手剣だ。
「この武器種別、意味あるのか?」
「うん、特定の武器種が弱点設定されてる敵がいる」
「…………」
「…………」
武器ごとの性質だとかそういうのはないのか、という沈黙だ。
「……行くか」
クエストクリアのためには城から出なければならない。
「……うん。そうだね」
この時間が終わってしまうことに、一抹の寂しさを感じながらルキも立ち上がる。
「……次のダンジョンはどうする」
ダンジョンを抜けるまでは歩きだ。ボスを倒したせいかポップが控えめになったゾンビを倒しつつワープポイントのある宝物庫を目指す道中、ノギノが尋ねた。
「んー……蠱惑の洞穴とかどう? トレジャーたくさんあるんだって」
「蠱惑……」
「うん。蠱惑」
今回が魅惑で、次が蠱惑。なんとなく嫌な予感がしたのを振り払って、ノギノは頷く。
「わかった。そこでいい。次もよろしく頼む」
と、言ったところで宝物庫に辿り着いた。揃ってワープポイントから外へ出る。
城から出た青空の下。たたっ、と数歩先へ進んだルキが振り返って楽しげに笑う。
「よし! 次も任せて。いついく?」
「あぁ、そうだな……」
今日は日曜日だ。明日からは仕事である。今日の探索はルキの筋力値のおかげでショートカットができたが、次はそうはいかないだろう。キリの良いところで一度出ても良いが、どうせなら一気に攻略してしまいたいところではある。
「あたしは夕飯食べた後でもいいけど」
時刻は既に夕刻だ。早い家ならそろそろ夕飯時だろう。
「なら、とりあえず今夜ダンジョン前まで行くのでどうだ?」
「うん。おっけー、明日学校だしね!」
「俺も仕事だ。大学生……なのか?」
ネットゲームは久しぶりのノギノだが、あまりリアルの事情に踏み込むべきでないことは了解している。大学生、まで言ってしまったところで失言だったかと思ったが引っ込みがつかず遠慮がちに尋ねると、ルキはあっさりと答えた。
「え、高校だよ」
それは、ルキとしては自然な答えだった。実際、高校生だと言った方が男ウケが良いから聞かれずとも名乗ることもある。だが、ルキの予想に反してノギノの瞳は厳しい色合いを帯びた。
「高校生……十八歳か?」
「え……あ、うん、そう!」
「……そうか。集合は、八時でいいか」
「うん! じゃあまた後で」
その場でログアウトしていったルキを見送って、ノギノは目を細める。このゲームはそこそこ長いと言っていたが、十八歳であれば高校三年生のはずだ。今はまだ五月の半ばである。どんなに誕生日が早くとも『長い』と言えるほどできないはずだ。
気にはなったが、今十八歳を超えているのであれば責めたところで仕方がない。何よりノギノとしても彼女にいなくなられると困る。だから深く問わずに引いたのだけれど。
「……高校生、か」
それで、こんなゲームでストレス解消をしている。どうにも不健全に思えて、それを看過している一応は大人である自分に対しても嫌悪にも似た感情を催す。
人それぞれに事情があると、わかっていても少し。思うところがなくもない。
とはいえ、たまたまゲームで会っただけの他人だ。自分がとやかく言うことではない、と結論して、もう少しレベルを上げておくべく街へ向かって歩き出した。ダンジョンは街を中心に東西南北の方向にある。どの道次も街からの出発のはずだ。
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ログアウトした彩香は、目覚めてもしばしぼんやりと天井を見つめていた。高校生だと、そう伝えた時のノギノの表情が、胸をざわつかせる。まるで、ルキが高校生であることを咎めるような。思い出すだけでムカムカした。どうせ何も知らないくせに、と思う。ルキにとってあの場所が、どれほど得難いものであるか、ノギノは何も知らない。
苛立ちのままに銀環を叩きつけたい衝動を抑えて、ゆっくりと丁寧に、頭から銀環を外す。そのまま手の甲で目を覆った。
「……どうせ、何もない。まだ大丈夫」
独りごちた言葉が、その実何かを望む裏返しであることに、彼女自身気がつかない。
「大丈夫……明日も」
何の根拠もない『大丈夫』が。けれども唯一、心の支えであるのだった。
月曜日。
彩香が登校すると、いつも通り、机が汚れていた。泥水が滴り落ち、噛んだ後のガムが擦り付けられるように付着している。それに加えて、泥水に浸かるように潰れた虫の死骸。周囲からの冷ややかな視線を感じながら、彩香は今日も廊下から取ってきていた雑巾で無造作にそれを拭う。
「うわ、よく触れるよね」
「私、絶対無理なんだけど」
聞こえる声は嘲弄の響き。
雑巾を動かすと、押し出されるように泥がびちゃびちゃと床に溢れた。
「やだ! ちょっと、かかったんだけど」
隣の席に座っていた子が、気持ち悪そうにガタガタと椅子を鳴らして距離を取る。今日はいつもより量が多い。少し考えて、今日は教室で飼ってる金魚の水槽掃除の日だったことを思い出す。そこから持ってきたのだろう。




