囚われの王子様
「……はぁ」
誓いの広場を指定したからには詩織はこれを抜けたわけで、なおのことなぜこのゲームを指定されたのかわからない。やはりただの嫌がらせなのでは……。そんなことを考えて目の前の光景から視線を逸らしているとルキが叫んだ。
「……っぶない! ちょっと何ぼんやりしてんの!」
気がつけばイケメンゾンビが目の前まで迫っていた。
「っあ、あぁ……悪い」
「最ッ高……っかよ!」
心なしか性格が変わった様子のルキが目を爛々と光らせて容赦なくゾンビを切り伏せると、勢いよく駆け出して行った。慌ててノギノも後を追う。
「……ルキ! そこを右だ」
「右ね!」
横なぎに剣を一閃。ゾンビが腰から真っ二つになり、これでもかと鮮血が迸る。返り血で真っ赤に染まったルキはなおも止まるところを知らず、突き当たりを右に曲がると次のゾンビ目指して駆け出す。縦横無尽に剣を振るう姿は随分とサマになっていた。
「そこの左の壁が壊せるはずだ!」
「オッケー! ここだ!」
どっ、とルキが肘打ちを喰らわせると脆い壁がガラガラと音を立てて崩れ去った。音を聞きつけてやってきたゾンビをなおも切って捨てたルキの後を追ってノギノも走る。
本来であれば、ここは崩壊した城の瓦礫に足止めされながら、崩れた壁の穴を通って入り組んだマップを進んでいくダンジョンだ。脆い壁を壊すためにも専用の爆弾アイテムがいる。けれど、筋力値が一定以上あるプレイヤーであれば、爆弾なしでも壁を壊して進める。
そのままノギノがガイドをして、ルキが敵も壁もまとめて薙ぎ倒すという役割分担の元、攻略はハイペースで進んだ。テンションの上がったルキが走るのをやめないものだから、必然的にノギノも走り通しだ。
「そこを左だ」
「りょーかいっ!」
ドカン! と派手な音と共に、もう何枚目か数えるのも嫌になった壁が吹き飛ばされ、ここまで走り通しだったルキが立ち止まった。
「そこに……」
瓦礫がある、と言い終わらないうちに。
「……ッセイ!!︎」
気合い一発。見事な空手のフォームでルキが右ストレートを繰り出す。どがん! と、先ほどよりも大きな音が響き、次いでガラガラと崩れ去る音。
「……君、なんでこのゲームやってるんだ?」
いささか呆れ気味でノギノが呟く。
「え? んー、ストレス解消? それよりここだよね。宝物庫! そんなに難しくなかったね」
「そうだな……」
仕事でストレスを溜め込むのはノギノにも覚えがあることだった。アバターのせいで幼く見えてしまうし、明るく振る舞ってもいるが、これで意外と苦労しているのかもしれない。思えばこの世界では人の年齢は愚か性別すらもわからないのだな、と今更ながら気がつく。
「っ……ノギノ下がって!」
「っ……!?︎」
咄嗟に飛び退ったのは、先に宝物庫を開けていたルキが目の前まで下がって来たからだ。ルキが宝物庫の扉を開けたと同時、鋭く叫んで飛び退った理由がゆらりと姿を現す。豪奢なドレスを身に纏った髪の長い女。その身は薄く透け、膝から上だけが宙に浮いている。姫か妃の幽霊、とでも言ったところか。
——キエェェェ……!!︎
ビリビリと城内を震わす甲高い奇声が上がる。
「やっぱ、そうでなくっちゃね……!」
ルキが剣を構える後ろ、ノギノは大急ぎで攻略サイトを開いたウィンドウをスクロールする。
「……ボスがいたのか……!」
RPGなのだから当然とも言えるが、そこまで読んでいなかった自分に歯噛みする。
「……やっ!」
「っ……待ったルキ! そいつには」
「っへ。わ、嘘!?︎」
ノギノの声は一歩遅く、斬りかかったルキが勢いそのまま女の体を突き抜ける。宝物庫のうちに転がり込んだルキの眼前、バタンと宝物庫の扉が閉まった。
「……くそ、伝え損ねた」
背丈はさほどでもないが、宙に浮いている分ノギノよりも目線が高い幽霊を見上げる。攻略サイトによると、これに物理攻撃は効かないらしい。ただ……RSOには魔法などという概念は存在しない。霊薬アイテムを武器に塗布することで攻撃が効くようになるらしいが、それはボスと邂逅してから入手できるアイテム。だからこそ、宝物庫に到達するまでしか読んでいなかったノギノが把握していなかった。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
「ちょっと……!?︎ 嘘でしょ……!」
宝物庫の中に取り残されたルキはバン! と扉を叩く。押せども引けども扉はびくともしない。システム的に閉ざされている。耳を押し当ててみるが、特に何も聞こえずに諦めて室内を振り返った。
さして広くもない部屋には金銀財宝と形容するに相応しいものがゴロゴロと転がっている。その中央、腰の高さほどの台座の上に煌々と輝く赤い玉が置いてあった。
「……これか」
一応は周囲を警戒しつつ、玉を手に取るとファーンと音が鳴った。警報のようなものではない。強いて言うのであればファンファーレだ。目の前にボウッと青い光が立ち上る。ワープリングだ。視界の端でクエストログが進むのが見えた。システム的に宝玉の入手が認められたのだ。ルキは怪訝に首を捻る。ならあの幽霊モブはなんだったのか。まだボスを倒していない。
躊躇いつつも、ワープリングの上へ乗ると、目の前に警告ウィンドウが表示された。
『パーティメンバーが幽霊に囚われております。パーティを解散し、クエストをクリアしますか?』
思わずルキの口元に苦笑いが浮かぶ。
「……そういうことね」
クエストはクリアした時点でのパーティメンバーについてクリア扱いとなる。視界の端のログは『古城から脱出しよう』だ。つまり、まだクリアしていない。パーティを解散してルキだけが脱出すれば、ノギノはこのクエストをクリアできないがルキだけは先に進める。なんとも意地の悪いシステムである。
「……っはぁ…………。囚われの王子様を、助けに行きますか!」
『いいえ』を選択して、ウィンドウを閉じたルキは、ワープリングを出て改めて部屋を見回した。見たところ出口らしきものはないが、隠し通路か何かがあるのだろう。
さてどこから探そうかと思っていると、視界の端でメッセージの着信アイコンが点灯した。
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ルキと分断されたノギノは、直後に幽霊の手にかかり死亡……ではなく、どこかの小部屋にワープさせられていた。四方を煉瓦の壁に囲まれた部屋には何もない。ガランと開けた部屋……いや、部屋と言えるのかすら怪しい。なにしろ、扉すらないのだから。マップを確認してもモザイクでもかかったようになっていて現在位置がわからない。
攻略サイトによるとワープさせられる部屋はランダムで、それぞれに脱出ルートが異なるらしい。そして……煉瓦の部屋については『随時更新予定』となっている。そもそもメインクエストを進めている人間がそう多くはない上、一人一度しかできないという回数制限があって情報提供がないのだろう。ひとまず、煉瓦の部屋にいることと、霊薬アイテムがないと攻撃が通用しない旨をメッセージに書いて送信したが……。
「……待つしかないのか……」
独りごちで、壁に背を預けて座り込む。視界の端の時刻は午後三時過ぎ。移動に一時間、探索に一時間といったところか。
思い返せば、不思議な縁だと思う。ヤろうと誘ってきた女性と今こうしてクエスト攻略をしている。三日前の夜が初対面だというのに、天真爛漫とした彼女といるのはなかなかに……楽しい。なおのこと、どうしてこのゲームをやっているのか不思議になる。彼女のような人なら現実での遊び相手か、それでなくとも他に遊ぶゲームがいくらでもありそうなものなのに。
「詩織……」
この状況を少しばかり楽しんでいる自分に罪悪感を覚えて、グッと手を握った時。視界の端にメッセージの着信通知が光った。即座に開封して目を通す。
『霊薬は宝物庫で見つけた! 場所も了解したけど、そっちにも何かあるはずだからまた何かわかったら連絡して』
「こっちにも何かある……?」
どうしてそんなことがわかるのだろう。見た限りこの部屋はガランとしていて何もない。探す余地などなさそうに思えた。けれど、ここでは彼女の方が先輩だ。素直に従っておこうと立ち上がって、壁を撫でながら部屋を一周するように歩く。
たまに軽く叩いてみたりしながら検分していくと、不意に指先に引っ掛かりを覚えた。よくよく確認すると、壁にしまい込まれるように取手がついている。グッと引くと、ギイィッと音を立てて壁が傾いてきた。慌てて飛びすさり、開いた壁の向こう。真っ直ぐに道が伸びていた。