逃避的感情に『プライド』と名前をつけた
秀一は検索結果を何度も確認する。詩織が言うより一拍早く、SNSの可能性に気がついた秀一はルキのアカウントを検索していた。バレると気恥ずかしいからフォローしていなかったのだ。何度か検索して、履歴に残っていたユニークなIDの……しかし、検索結果はゼロ。
「…………アカウントが、消えてる」
詩織が画面を見ようとまわり込んで来たのを察して、ウィンドウを公開モードに変える。
「……ゲームやめるだけで、アカウントまで消すかな……」
「やっぱり、そうだよな……」
ゲームはともかくとして、SNSまで制限されるとは考えにくい。友人と使うことだって珍しくないのだ。
これでは、まるで……。
秀一が言葉にするのを躊躇ったそれを、詩織が言った。
「……身辺整理でもしてるみたい」
ひやりと背筋が冷えた。嫌な予感に過ぎない。こんなものは勝手な推測でしかない。けれど、一度頭をもたげたその考えは容易に去ってはくれなかった。無為な焦燥感だけが募り、反証がないか必死で頭を巡らす。ルキの言葉が、態度が、閃くように秀一の脳裏に浮かんでは消えていく。
昨日の妙な態度。
頬を伝ったひと筋の涙。
別れ際に囁かれた「さようなら」。
それらがすべて同じ結論を示しているように思えてならない。
「……お前、さっき『そう遠くない場所にいる』と言ったよな。どういう意味だ?」
唐突な秀一の問いに、詩織はハッとしたような顔をした。
「そっか、お兄ちゃん知らなかったんだ……。RSOって一応出会い系なんだよ」
「あ、あぁ……」
それがどうかしたのか、という視線に応えて詩織は解説する。
「出会い系って、最終的にリアルで会うことが目標なの。だから、ある程度距離的に近い人が同じサーバーに振り分けられる。でなきゃ、私だってお兄ちゃんと会えなかったよ」
確かに言われてみれば、普通はオンラインゲームの中で待ち合わせる場合にはサーバーも指定するものだ。それをしなかったのは同じ家からログインしていれば間違いなく同じサーバーに振り分けられるとわかっていたから、ということか。
「たしかに……そうか。だが別に、サーバー移動はできるだろう」
「できるけど……そんな人滅多にいないよ。振り分けられたサーバーじゃないと宿が借りられないの。だから誰かと約束があるとかでもなければ、振り分けられたとこにいる」
「宿が借りられない? そんなことがあるのか」
秀一の反応に詩織は苦笑する。
「うん……変わってるよね。範囲はユーザー数によっても変わって来るみたいだけど……この辺は都内だし、割と狭いと思う」
「……なるほど。会った時から宿は彼女が借りていた。そうなると、本当に近いかもしれないのか」
「もしかしたら、お兄ちゃんの高校かもね。何か聞いてないの? 学校のイベントとか、休みの日とか」
「そう、言われてもな……」
一応思い返してはみるが、そもそもリアルの話など滅多にするものではない。いじめに言及して以来は避けている話題でもある。第一、そんなに簡単に個人が特定できるとは思えない。
「うーん……その子と会ったのって、いつだったの?」
少しでも手掛かりが欲しい様子で詩織に問われて、秀一は会った日のことを思い出す。
「あの日は確か……GW明けの木曜日だった。翌日が………………あ」
初対面の日はよく覚えている。学校の課題テストの前日だった。秀一はもともと公立高校で働いていたが、多忙を極めた末に私立高校に転職した。だからスケジュールが一部特殊なのだ。GW明け、最初の金曜日には生徒は課題テストで午前中に解放された。そう、ルキはまさにその日に言っていた。午後が休みだった、と。通常の公立高校であれば平日の午後に休みなど、テスト期間中でもなければあり得ない。
「……何か思い出したの!?︎」
「あぁ。これは本当に……うちの高校かもしれない。それに……」
ルキのSNSアカウント。もとはと言えば見つけたきっかけは、東雲彩香がこっそり見ていたことだ。決して多くはないフォロワー数で、たまたま同じ学校の生徒が見ていた、ということがあるだろうか。
(東雲が、ルキのリアルを知っているとしたら……)
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月曜日。
唯一の逃避場所であった仮想空間を失った彩香は暗澹たる気分で足取りも重く登校していた。ひどくゆっくりと、足を引き摺るようにして歩く彩香の横を、楽しげに笑いながら生徒たちが走り抜けていく。
ノギノは、妹に会えたのだろうか。そのことばかり、もう何度考えただろう。
どの道、もうRSOにログインする気はなかった。奪われたのは辞めるいい機会だったと考えて、アカウントごと削除した。ついでに、ルキの名前を使っていたSNSアカウントも。
(ルキは……もういない)
逃げ道はもうない。これから、どうすればいいのか。考えることも億劫で、少しでも問題を先送りにしようと足は更に重くなる。
けれども、歩いているからにはたどり着いてしまうのだ。
学校に着いてまず向かうのは、彩香の教室から見下ろす位置にある生垣である。窓から投げ捨てられたものがちょうどこの位置に落ちてくるのだ。
机の落書きは相変わらずで、毎朝のように机は汚れ、教科書からノートまで水に濡れた。細かい嫌がらせは尽きることなく、減ったことといえば足を引っ掛けられることくらいだろうか。俯いて歩幅小さく歩くようになって引っ掛からなくなったから。
この場所に来るのも最近できた新たな日課の一つだ。案の定落ちていたファイルを拾う。ノートや教科書の類はできるだけ持ち帰っているが、大量に配られたプリントを綴じたファイル等、持ち帰るには嵩張りすぎるものもある。
(……何やってるんだろ)
パラパラと欠落がないか確認する。落書きが酷いが、過去のものを見返すのはテスト前くらいだから別に問題ない。破かれてはいないところに良心を感じるくらいだ。
こうして、何も変わらずに日常は続いていく。あの電子の世界から切り離されても、彩香の日常は何も変わらない。当たり前の事実が、どうしてか寂しかった。
「あたしの何がわかる」と叫んだあの日、カッとしたのは事実を言い当てられたからだと今ならわかる。このプライドにそれほどの価値はない。それどころか、彩香自身にプライドを抱くほどの価値などないのだろう。今現在の惨めさから、目を逸らしたい……ただそれだけの逃避的感情に『プライド』と名前をつけたにすぎない。
教室に着いたのは時間ギリギリで、そのおかげで佐野に絡まれる暇もないまま朝礼が終わり、授業が始まった。
「彩香ちゃーん」
そう、ねっとりと佐野に話しかけられたのは昼食を終えた昼休みのことだった。昼食は佐野たちが教室外に食べに行くため、戻ってくるまでは教室で安全に食べられる。
また来たのか、今日はなんだろう、と知らず体は強ばって顔を俯けた。まるで、判決を待つ罪人のようだ。
「無視しないでよ〜」
「ちょっと付き合って」
両側から腕を掴まれたと思ったら、引きずるようにして立たされる。嫌な予感しかしない。
「……ど、どこに」
精一杯の反抗は黙殺された。
「こっちこっち」
「早くしないと昼休み終わっちゃう」
なおも動くまいと抵抗していると、唐突にガン!!︎ と音が響いた。佐野が机の脚を蹴ったのだ。
「彩香、さっさと動けよ!」
苛立った様子の佐野が高圧的に命令する。たったそれだけで彩香は萎縮してしまう。驚いたのは彩香ばかりではなく、教室中の視線が密やかに向けられた。連行された先は、教室の後ろの、開けた空間。どんと突き飛ばされて背中からロッカーにぶつかる。




