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あたしの匂い嗅いでいいよ……?

「それで?」


 戻ってきた街。いつもの宿部屋で、ルキはどさりとベッドに腰を下ろす。それに続いてノギノもその隣に腰掛けて、口を開いた。


「……妹、シンシアは、現実世界で隣の部屋にいると話したろう」

「うん」


 静かに答えたルキに、ノギノは続ける。


「妹は、引きこもっている。いわゆる、ニートと言うんだろうな。高校二年の頃からだ。俺はちょうど、働き始めた頃だった」


 そこで言葉を切ったノギノは、複雑そうに顔を歪めた。

 高校二年であれば今のルキと同い年だ。十七……いや、十六だろうか。その頃に兄が働き始めるとなると、それなりに歳が離れていそうだとルキは思いつつ先を促した。


「それで?」


 なんとなく、展開が読めていた。ノギノが話したいと言ったのも、おそらくはそのためだ。果たして、その予想は半分だけ当たった。


「妹はいじめられていた……俺のせいなんだ。俺が、エスカレートさせた」


 いじめられていたところまでは予想通り。しかし、まるで告解するかのように、溢れたノギノの言葉は想定外だった。


「…………」


 黙って、隣に座るノギノを見つめるルキの姿など、もうノギノの眼中にはなかった。その視線は食い入るように床に注がれている。


「……偶然、その場に行き合ったんだ。いじめられているようだと、両親に話してしまった。学校に連絡が行って……俺はそれで、終わったと思っていたんだ。だが……」


 そんな単純に、簡単にいくはずがない。


「酷くなってたんだ?」

「……あぁ。俺も、問題の難しさはわかっているつもりだった。だが、教師が介入したのなら、大丈夫だろうと……」

「……だから、何が言いたいの?」


 分かり切った結論を導くように、ルキが尋ねる。


「…………エスカレートした結果、妹は……致命的なキズを受けた。だからルキ、君もそうなる前に」

「ムリ」

「っ……本当にわかっているのか!?︎ このまま増長させれば」

「そっちこそわかってるの? たった今教師が役立たずって話をしてたでしょ。あいつらにはどうせ何もできない……!」

「違う!!︎ 妹は……何も言わなかったんだ。誰も、妹が壊れるその日まで、いじめがエスカレートしていたことなど知らなかった。きちんと頼れば、声を上げれば」

「っ……それがムリって言ってるの! ノギノに……何がわかるって言うの!?︎」


 ずるい言葉だ、とルキは思った。当事者でない彼に、わかるはずがない。理解できなければ言ってはいけない、なんてことはないのに。「何がわかるのか?」という問いは、無知を責める言葉だ。これで終わりだ。一度振り払った手は二度と伸ばされない。今この瞬間、決定的に何かを失ったことを、ルキは直感した。


「…………すまない。君に、救われて欲しいのは、俺のエゴだ。だが、それでも……俺は君に、幸せで、笑っていて欲しいと思う」


 まるで愛の告白みたいな言葉を、ノギノは臆面もなく口にする。そこにはRPGらしいロールプレイも、色恋のような浮ついた感情さえ、疑う余地すらなかった。ただの実直な男の、誠実で、素直な言葉。


「その、気持ちだけで、充分だよ」


 例え、もうすぐ終わる関係だとしても。何もしては貰えなくとも。成り行きからの同行者に、しかし嫌われてはいなかったというだけで、ルキはどうしようもなく嬉しかった。


 翌日の月曜日からの一週間。ルキは今度こそ約束を守り、ノギノのレベリングに付き合い、ノギノもまた表向きは楽しげに、時間いっぱい付き合わせた。

 日曜の一幕以来、二人の間でいじめの話題は出ていない。それどころか、リアルに関わる話も禁句だ。どちらが決めたわけでもない、ただ暗黙の了解としてそうなった。仮想世界で、仮想の話で盛り上がる。それはシンプルに楽しい時間であり、健全なフレンド関係だった。


 日々増えるルキの苦しげな投稿を、ノギノは見なくなった。


 日々悪質さを増すいじめに、彩香は考えることをやめた。


 お手本のようにルキは笑い、教師然と秀一は振る舞った。


 表向きだけは日常を取り戻した二人の影で、しかし事態は確実に進行していた。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



「ね、どう? 結構いい出来じゃない?」


 生徒たちが帰宅して、すっかり日の落ちた夕暮れ時の教室。軽やかな笑い声が三つ重なる。


「っふふ。それっぽ〜い」

「先生の下駄箱わかるの?」

「もちろん! 確認済みに決まってんじゃん」


 友人二人の問いに、佐野は自慢げに答えた。面白い遊びを思いついたのだ。


「さすが〜」

「どんな顔するかな、和泉先生」


 何が面白いといって、今度は和泉先生を巻き込める。ちょっと教室を走っていたくらいで目くじらを立てられた。イケメンで優しいところが好きだったが、こうなってはつまらない教師でしかない。


「やば、想像するだけでウケるんだけど」

「月曜日は早く来ないとね。見逃せないよ〜」

「先生どうするかな? 教室まで来たりして」


 きゃあ〜、と少女特有の甲高い笑い声が静かな教室に響く。

 彩香が被害を訴えなかったことで、今や彩香もそうされることを望んでいるのだとさえ佐野は思っていた。これはただの遊びで、イジリで、友達同士のじゃれあいなのだ。だから、これくらいしたって構わない。ただの冗談なのだから。

 これこそ青春だなと思って、もう一度自分の書いたものに目を落とす。授業そっちのけで書いた、彩香から和泉先生へ宛てたラブレターは佐野の力作だ。月曜まで土日を挟むのがもどかしかった。二人の反応とその先の展開を想像するだけで、ワクワクした。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 土曜日。

 ルキとノギノはメインクエスト最後のダンジョンである崩壊の塔の前に来ていた。天高く聳える石造りの塔は、なるほど今にも崩れそう……というより既に崩れかけている。危ういバランスで瓦礫が潰され、覆うように蔓延った蔦がそれを支える。地震でも来ればひとたまりもなく崩れ落ちてしまいそうな様相だ。


「高っ……」


 塔を遥か見上げてふらついたルキの背をノギノが支える。


「じゃあ、行くか」

「うんっ」


 ノギノが先に進み出て、ルキが追随。この一週間で大分親しくなった様子の二人は、しかし入って早々に足を止めることになった。

 それは強いて言うのであれば阿鼻叫喚の様相を呈していた。塔というだけあって、高さはともかく一階あたりの広さはさほどでもない。間仕切りも少なく、見通しの効く空間に、所狭しと転がるのは腐乱死体の山だった。その上何のこだわりか、腐乱臭まで再現している。


「……聞いてはいたが、強烈だな」


 本当に出会い系か疑いたくなる。


「これはサンチェック待ったなし……」


 さしものルキもグロッキーな様子だ。

 無論現実にこの量の死体があれば、腐乱臭はこんなものでは済まないのだろうが、ゲームの中での悪臭としてはかなり気合が入っていると言える。


「……さっさとクリアしてしまおう」

「賛成……っん!」


 先へ進もうとしたノギノの後を追ったルキが何かに気がついたように立ち止まる。


「どうし……っ!?︎ なんだ突然!」


 振り返ったノギノに、ルキが前触れなく抱きついてきたのだ。狼狽するノギノに、ぐりぐりと頭を擦り付けていたルキが顔を上げる。


「やっぱり……こうしてれば臭いが消える……!」

「なに?」

「ノギノの臭いで上書きされる……! このまま行こう!」


 ノギノの腰をホールドしたルキが鼻先を押し付けたまま言う。


「っ……お前ばかり、ずるいぞ」


 体臭の再現などというニッチな機能をよもやこんな場所で活かしてくるとは思わなかったが、だからと言って女子高生の匂いを堪能するというのは背徳感が著しいノギノは悔しげに呟く。それをわかっていて、ルキは上目遣いで言うのだ。


「ノギノもあたしの匂い嗅いでいいよ……?」


 正直なところ悪臭で鼻が曲がりそうではあった。鼻を摘めば多少は緩和されるが……焼け石に水である。この悪臭から逃れられるという欲求は甚だしい。矜持との葛藤の末……ノギノはルキの片手を取って鼻先を近づけた。さすがに手では匂いも薄いが、それでも救済措置のように少しだけ良い香りが薫る。現実であれば匂いと匂いが混ざりそうなものだが、システム的な都合か、あるいは狙ったのか、上書きされるように悪臭が薄らいだ。


「ん。確かにだいぶマシになるな」

「えっ、手だけで?」

「ああ。けど、そうしていれば完全に消えるんだろう」

「う、うん。もう全然臭くない。むしろいい匂い」

「っ……耐えられなくなったら頼む」


 名残惜しくは思いつつも、ルキの手を離す。このゲームが再現している体臭とはおそらくは表面上の匂いである。たまたま昨日のシャンプーの匂いが残っていたとかそんなところだろう。どうかそうであって欲しい……と半ば祈るような思いで、ノギノは今しがた嗅いだ女子高生の香りを頭から追い出した。

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