寄り添って欲しかった
無理だった。
頭で理解するのも抵抗があることを言葉にするというのは、思っていた以上に難しかった。その単語を口にした時点で、泣き出しそうになっていた。
ぎゅううっとシワがよるほどに枕を握りしめ、マットレスを蹴るように足を突き出す。体に力を入れていれば、それを意識していれば、考えずに済むから。
耐え切れなくなって、逃げ出してきてしまった。これ以上あの場にいればまず間違いなく泣き出していた。
(…………馬鹿みたい)
勝手に期待して、勝手に裏切られた。言われて初めて、自分の欲しかった言葉がわかった。寄り添って欲しかったのだ。認めて欲しかったのだ。けれど、返ってきたのは正論だった。それがノギノの優しさだとわかっている。だからこそ、あんな反応しかできなかった自分が情けない。
「…………ずるい、よ」
誰もが欲に塗れたあの世界で、ノギノは綺麗すぎる。
ルキがどれだけ誘惑してもまるで靡かない。余裕のある態度を崩さない。素直にルキを頼って必要としてくれる。そのくせ、穴から落ちそうになれば身を挺して庇ってくれる。普通は自分も落ちないように飛び退るところだ。それを自分から落ちに来るような真似をするなんて。
あれらはすべて、罠だろう。パートナーを見捨てるような選択肢を仄めかす。裸の異性を敵対モブに設定する。穴が二人同時に落ちない位置に開いたのもそういうことだ。得恋を促す一方で、それを阻む障害に容赦がない。
けれどノギノは何の打算もなさそうなのに、それらをものともせずに友人の顔をしてそこにいるのだ。
「……そんなの」
(……惹かれるに、決まってる)
とても口には出せない淡い恋慕に、彩香は脚をバタつかせた。
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その日の夜、結局ルキがログインしてくることはなかった。
フレンドはまだ切れていない。
ブロックボタン一つで、簡単に縁が切れてしまう程度の関係でしかない。けれど、そこに渦巻く感情は、現実以上に本物だった。
このまま一人で探索を続けるのは厳しい。ルキが戻らなければ、というかおそらく戻らないだろうが、一度リタイアして別のパートナーを見つけねばならない。
「明日、来なければ……」
明かりを消した部屋で、秀一は独りごちる。
ルキは平日には毎夜ストレス解消をしているはずだ。街に戻るにはクエストをリタイアするしかない。話せるタイミングがあるとすれば、ログインしてきたその瞬間だけだが、秀一がログインするような時間は避けるだろう。
すべてを忘れられるほどには浅からぬ関係であり、しかしアテもなく待ち伏せられるほどに深い関係でもない。
どうするのが、どう答えるのが正解だったのか、と悶々と考えてしまい眠れぬ夜を過ごした翌日の昼。
もう切られているだろうかとログインした十三時。
「……あっ、やっと来た。ノギノ遅い」
別れた時と同じ小部屋。ルキが、待っていた。ノギノは驚きに瞳を丸くする。やっとのことで、喘ぐように口にした。
「…………なんで、いるんだ」
「だってこれクリアしないとアイテムとか経験値リセットされちゃうじゃん」
まるで用意していたかのような淀みない答え。
「それは……、そうかもしれないが……」
「それに……最後まで付き合うって、言ったし………………昨日は、ごめん」
答えるより先に、自然と首が横に振れていた。
「いや。謝るのは俺の方だ。フレンドを切られても、仕方ないと」
「ううん。あたしが……、八つ当たりした。あたしもまだまだだなー、もう少し客観的に話せると思ったんだけど」
軽やかに笑うのが、から元気だということくらいはわかった。ノギノにもまた、何でもないように笑い返すことが求められていることはわかった。けれど。
「……ルキ。その……これからは、平日にも会えないか?」
見過ごせない。知らなかった頃には戻れない。けれど、オンラインのフレンドでしかない以上、できることも限られている。それが、ひどくもどかしかった。
ルキはキョトンと首を傾げる。
「なんで?」
「俺もレベルを上げたい。ルキがいれば、効率が上がるだろう……だから、頼む」
それが、ノギノにできる精一杯だった。せめて、ストレス解消の方法を、変えてやりたい。それはノギノのエゴなのかもしれないが、それでも黙って見ていることはできなかった。
「えー……まぁ、いいけど……」
「ありがとう。助かる」
「………………どういたしまして。さ、行こ。たぶんもう少しだから」
ルキの言った通り、当たりの宝箱にたどり着くのにそう時間はかからなかった。
「……これで、二つ目か」
洞窟の最奥。事前情報もあってそう苦労することなくボスは倒すことができた。そこにあった宝玉を手に入れて、ノギノが呟く。
「あと二つ、だね。次はどっち行く?」
「残りは、惨劇の館と……」
「崩壊の塔」
「……俺はどちらでもいい。どうやら残りはホラー系のようだからな」
R18でしかできないもの。一つは局部を出すこと。そしてもう一つが、グロテスクな演出をすることだ。魅惑と蠱惑は前者に重きを置いたステージだった。残り二つは名前からしても後者だろう。
「……なら、惨劇にしよっか。防御力有利みたいだし。ノギノ上げてたよね」
「ああ、火力は君がいるからな」
筋力値にも振ってはいるが、主に防御力に多めに割り振っている。
「また、土曜日?」
「そうだな。次もよろしく頼む」
「任せて!」
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冗談めかして自信満々に答えたルキはしかし、内心不安を覚えていた。ホラーは、苦手なのだ。グロテスクなのは別に問題ないのだが、突然驚かせてくる系は少し……いや、かなり、苦手だ。
ワープポイントを解放するため、日曜のうちに惨劇の館前まで踏破した翌日。
月曜日である。
暗澹たる気分で足取りも重く登校した教室。彩香の机は、金曜に帰宅した時のままだった。泥水に塗れてもいないし、落書きもされていない。佐野たちの姿もなかった。まだ登校していないのだろうか。いつも通り廊下から持ってきていた雑巾はその役目を果たさぬまま廊下に戻り、着席した椅子から見上げた時計は、いつもよりだいぶ早い時刻を示す。
教室の騒めきに耳を傾けた。昨日のドラマの話。部活の話。勉強の話。佐野たちの話は聞こえてこない。誰も彩香のことなど、気にも留めていない。
いつもより少し遅く登校してきた佐野は、結局その日彩香に絡むことはなかった。
「彩香さん。後で職員室に来てくれる?」
そう、担任から声をかけられたのは終礼直前の掃除の時間だった。
「はい……」
恐れに体が強張る。遂に来た。和泉先生が話したのだ。これで終わるかもしれない、という期待よりも、洗いざらい吐かされるという恐れの方が大きかった。
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秀一は斎藤先生と職員室で彩香を待っていた。
花瓶が割れた一件について話して、その上で佐野の言い分が嘘かもしれないという懸念も伝えていた。すると、放課後に本人に話を聞くから同席して欲しいと言われて今に至る。
これが正解だったのかはわからない。ただ、本人が介入を望んでおらずとも、後々恨まれたとしても、本人の意思に関係なく救うのが大人の役目だ。時にそれが行き過ぎると過保護と言われるのだから加減が難しいところではあるが。
「失礼します」
そこで、彩香がやって来た。猫背に丸まった背中、憂鬱そうに瞳を伏せている。
「ああ、彩香さん。向こうで話すから来てくれる?」
斎藤先生が奥の個室に促し、目配せを受けて秀一も席を立つ。
果たして、何と言って聞き出すか、と思っていたのだが。
「……佐野さんは、走ってなかったと思います」
曖昧な物言いながらも、佐野の言い分は間違いないのかと確認した斎藤先生に、彩香はたしかにそう答えた。