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プライド

 そう自分で話しながらも、ノギノはどこか納得はしかねている様子に見えた。中途半端に途切れた言葉の先を、ルキが待っていると、ノギノはやがて思い切ったように言葉を紡いだ。


「これらは、『言い出せない理由』にはなると思う。だが、察せられたことを否定するほどのこととは思えない。助けてくれ、と言えなくとも、何をされたか……いや、何があったのかは、話してもいいと思うんだ。敢えて口を閉ざすほどの理由になるとは思えない」


 その言葉選びは、一層ルキの昨日の記憶を呼び起こした。今から、月曜日が怖い。和泉先生のことだからきっと既に斎藤先生の耳に入っている。もしかしてノギノは、その話をどこからか聞きつけてこんな話をしてるんじゃないだろうか、とさえ思えてきた。そんなはずはない。あまりにでき過ぎている。日本中から人がログインしているはずのこのサーバーで、間接的であれ彩香のことを知る人物と知り合うなどあり得ない。

 だからきっと、偶然だ。いじめ…………なんて、ありふれた話なのだから。

 そう結論づけて、ノギノが話し終えてからもしばらく閉ざしていた口を開いた。


「……間違って、ないと思う」

「……なら、君もそう思うのか?」


 思いがけず問い返されて、ルキは言葉を詰まらせた。

 明るく元気なルキ。それがルキが自分自身に課したキャラクターだ。けれど今、ルキの中に眠る彩香が目を覚ましつつあった。あの時の感情を、言葉にしたかった。誰かに聞いて欲しかった。昨日、逃げ出した理由を一晩考えていた。目立ちたくない、騒がれたくない、心配をかけたくない、数多出てきた理由はしかし、まるで言い訳のように思えた。その根底にある理由に思い至った瞬間、彩香は目を逸らした。それは、一人で抱えるにはあまりに惨めで、くだらないものだったから。


「私、は……それだけじゃ、なくて」


 喉が詰まった。ここは仮想空間で、肉体のしがらみなどないはずなのに、ひどく息苦しい心地がした。それを言葉にしてしまえば、認めなくてはならない。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



「…………」


 ノギノは凝然とルキを見つめる。そこにいるのは、もうノギノの知る快活なルキではなかった。不安に怯え、微かに肩を震わせるその様は、ノギノのよく知る思春期ただ中の少女の姿にぴたりと重なる。未だ希望を捨てきれぬ幼さと、現実を知り始めた絶望と、やがては誰もが折り合いをつけていくそれらの間で葛藤する孤独な少女。

 ルキは、何かを話そうとしている。ひとつ間違えればきっともう、二度と話してはくれないことを。

 ノギノが黙ったまま続く言葉を待っていると、ルキはやがてゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



「プライド、だと思う。大人に助けを求めたら、自分の惨めさを、認めないといけないから」


 言葉にしてしまえば、それは思った以上にくだらないものだった。たかがプライドだ。そんなもののために、苦しい現状に甘んじている自分は酷く滑稽だった。


「プライド……」

「認め、たく……ないんじゃないかな。自分が……っ、いじめられてるんだって」


 微かに震えて、湿った自分の声に自己嫌悪を覚えた。理解してしまった。認めてしまった。


(私はきっと……いじめられている。そして。それを…………許容、している)


 逃げる方法など幾らもあるのだ。親に言う。先生に頼る。転校する。登校拒否。そのどれもをせず、唯々諾々と佐野に従い、「いじめじゃない」と自らに言い聞かせて、教室に行っていたのは……彩香自身の意志なのだ。


「ルキ……すまない」

「…………なんで、ノギノが謝るの」

「……言わせてしまった。君も、そうなんだろう? だが、こんなことは間違っている。周囲の大人に、助けを求めるべきだ。そのプライドは、そうまでして守らなければならないものなのか?」


 ノギノの言葉は至極正しい。真っ当であり、正論だ。救われるべきだと、そう信じている言葉だ。それが、ルキには腹立たしかった。頼れるものならとっくにそうしているという憤りと、たったそれだけができない、しようとしない自分への腹立たしさが、胸の内を掻き乱した。


「お前に……あたしの、何がわかる!!︎」


 彩香の言葉にし難い激情に、ルキの行動力が力を貸した。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 感情のまま掴み掛かってきたルキの力の強さに、ノギノは抵抗する間もなく押し倒されていた。ぎしっとベッドが悲鳴を上げる。


「っ……ルキ!?︎」


 体格的に明らかに劣る少女に、なす術なく押し倒されている事実は実に奇妙なものだった。執拗に筋力値を上げた、その理由こそこれなのだとノギノは悟る。力とは、強さだ。それはまるで、現実の弱さを押し隠しているようだった。


「その目……。偉そうなんだよ! 俺が救ってやるみたいな顔して……!」


 責めるように叩きつけられた言葉に反して、その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。威嚇する猫みたいに折り畳まれた猫耳の先が微かに震えている。


(……偉そう、か。そうなのかもしれない。俺は……)


 ここはオンラインゲームの中だ。ルキは単なるフレンドに過ぎない。それを、高校生の少女だからと。いつの間にか、自分が導かなければ、と。

 腕を掴まれていた手が離れた。ルキが指を振り、ウィンドウを出現させる。それが、ログアウトの操作をしているのだと直感すると同時にノギノは動いていた。


「っ……待ってくれ!」


 咄嗟に腕を掴まれたルキが、虚をつかれた顔をして止まる。


「…………」


 無言で見返す瞳に、しかし。

 ノギノは他に、かけられる言葉を持っていなかった。


「……すまない。だが、それでも俺は……!」


 知ってしまった以上、見ぬふりなどできない。例え現実には何もできない。ただのシステム上のフレンド以上の関係ではないとしても。ここで、一人で帰すわけにはいかない。

 切羽詰まるようなノギノの顔に何を思ったか、ルキはくしゃりと顔を歪めて、呟いた。


「ジゴクニオチロ」

「え」


 瞬間、ルキの姿がかき消えた。

 ノギノはその瞬間、何が起きたのか測り兼ねた。ジゴクニオチロ……地獄に落ちろ、と。そう言って……。そこまで考えて、事態を把握して頭を抱えた。


「緊急脱出コード……」


 好きな語句を設定できる、即時ログアウトのキーワード。逃げられた。おそらくはもう二度と、会うことはない。フレンドも切られるだろう。

 危険な賭けではあったのだ。けれど、こればかりは仕方がない。彼女の話を聞いてしまった時点で詰みだった。例え恨まれようと、それでも救わなければならない。教師として、大人として、何より、妹をむざむざ被害にあわせた兄として。


「…………プライド、か」


 それは、たしかにノギノにはできない発想だった。自分がいじめられているという事実を認め難い、という感覚。理解し難い感覚だ。けれど今しがたのルキを見れば、認めざるを得ない。『いじめではない』というただ一点において、ルキは……いや、きっと彩香も、自身のプライドを守ってきたのだろう。

 部屋の扉は、いつの間にか開いていた。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 急激な変化に頭が揺さぶられる感覚と共に彩香は目を覚ました。緊急脱出は脳への信号が一気に切り替わるため負担がかかるのだ。とはいっても、せいぜい軽い目眩を覚える程度で、それが収まるのを待ってからぐるりと寝返りを打つようにうつ伏せになった。


「……ううううう」


 泣き声とも喘ぎ声ともつかない唸りを枕にぶつける。目頭が熱かった。いや、顔全体が。こんなつもりではなかったのだ。客観的に、冷静に、話せるつもりでいた。

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