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セックスしないと出られない部屋

 二人の間の空気はすっかり元に戻る……どころか、先週よりは確実に距離を縮めて、探索は順調に進んだ。といっても、幸運値皆無の二人ではその大半は外れである。五割はハズレアイテム、二割はトラップ、二割はミミック、残り一割が有用なアイテムや武器といったところだ。しかし、鍵を出すためには片端から空けてまわるしかない以上は仕方がない。

 地下洞穴ということもあって上へ下へ右へ左へと歩きながら宝探しを続けることおよそ二時間。

 それは、百何十個目かの宝箱を開けた瞬間に起きた。


「あ」


 と、呟いたのはルキかノギノか。あるいは同時だったかもしれない。ここまでにいくつも引いたトラップ。その多くは矢や礫が飛んでくるとか、モンスターが飛び出してくるとか、そんなものだったが。

 唐突に、床が消えた。


「ル」


 キ、まで言う間もなく、ルキが支えるものを失って落下した。ノギノが咄嗟に伸ばした手が辛うじてルキの手を掴むが、次いでノギノの真下の床も消える。


「ちょ……っ」


 珍しくもルキが本気で焦った声を上げる。

 ルキの防御力は無に等しい。落下ダメージに耐えられない。


「っ……来い!」


 瞬間、そう判断したものの今更落下を止める手立てなどなく。思わず、庇うように抱き寄せていた。浮遊感が体を襲う。実際に落下していた時間は数秒にも満たなかっただろう。けれど引き伸ばされた感覚では長く感じる程度の距離。

 どっ……! と、強かに背中を打って落下が止まった。幸いなことに、仮想空間に痛みはないが、視界の端でHPバーがグンと減る。


「だ、大丈夫!?」

「あ、あぁ……君こそ」


 言いかけて、今の体勢を意識する。クッションになるように落ちたノギノの上に、ちょうど馬乗りになる姿勢でルキが座っている。慌てて飛び退ったのは言うまでもない。


「わっ!? どうしたの急に」


 驚いて、こちらは立ち上がったルキが怪訝そうに首を傾げる。


「い、いや。すまない……。思わず、その……」

「え? いやいや、ありがとう。庇ってくれなきゃHP全損してたよ」


 言いながら、ルキが周囲を見まわす。そこは小部屋だった。広さ的には六畳程度といったところか。なぜかベッドが一つと、そのサイドに光源と思しきランプ。床も壁も真っ白で、ベッドとランプ以外特にこれといったものは置いていない。


「そうか……」


 自分の行為が正当化されたことにノギノはほっと息をついて、そんな現金さに自己嫌悪していると、扉の様子を確認していたルキがノギノに背を壁向けたままで言った。


「それよりさぁ」


 楽しげな笑いを滲ませた声に、ノギノは嫌な予感を覚える。


「……なんだ?」

「そう警戒しないでよー。悪い話じゃないんだから」


 ルキが楽しげな時には碌なことがない。その経験則に基づいて、慌てて立ち上がったノギノの視界に、これまでルキの体に阻まれて見えなかった文字が飛び込んで来た。


「……ぐ」


 そこには、ど定番でありながら、大変に困る文字列が並んでいた。すなわち。

『セックスしないと出られない部屋』

 と。


「やー、面白いトラップにかかっちゃったよね〜。でもあたし、ノギノなら全然アリだよ」

「……だろうな」


 何しろ初対面から誘ってきた女である。

 当然だが、扉はその一つだけだ。男女が狭い密室に二人きり。おあつらえ向きにベッドが一つ。おそらく光源がランプなのも、これを消せばいい具合に暗くなるからだろう。


(いや……さすがにこれは……)


「ふふふ、じゃあヤりましょうか」

「……楽しそうだな」

「そりゃあもう!」

「断る。その気はない」

「はぁ!? ここまでお膳立てされてるのに……あ、もしかしてそっちの人? なら、仕方ないか……」

「ああ……もうそれでいい」


 不本意であるが、その勘違いで諦めてくれるならいいだろう。


「妹さんのためなら、もうこれは勝ったと思ったんだけど」

「君は何と勝負してるんだ……」


 と、口ではそう言いつつも困ったことになったとノギノは考える。シンシアに会いに行くにはメインクエストのクリアは必須だ。そしてそのためにはここから出なくてはいけない。リタイアして進行状況をリセットすることはできるだろうが、そしたらここまで開けた宝箱が無駄になる。そもそももう一度同じトラップを踏まないとも限らない。


「……ノギノさ、あたしが高校生だからって気にしてるの?」


 ベッドに腰を下ろしたルキが尋ねる。


「……まぁ、そう……なるのかな」


 なら、高校生でなければ、例えば同年代であれば、自分は行為に及ぶのだろうかと考えると、ノギノにもわからなかった。


「ならさ。気にしなくていいよ。高校生って、嘘だから」

「……は?」

「それなら、できるんでしょ?」


 ルキの問いかけに、ノギノはそもそも……と考えた。どうして彼女を高校生と思っていたのか。言うまでもない。彼女がそう自称したからだ。逆に言えば、自称でしかない。

 ログインする時、性別から年齢まで自由に設定できた。ノギノはリアルの情報をそのまま入力したけれど、他の人間もそうとは限らない。当然、四十超えたおっさんがルキのような美少女アバターを纏うことだってできるはずだ。


「いや……でも……」


 もはやノギノ自身にも、自分が何を躊躇っているのかわからなかった。別に童貞というわけではない。女子高生というのが嘘なら、それを躊躇う理由はない。

 けれど、嫌だった。彼女をそういう対象として見たくなかった。だがそれは、ノギノの事情でしかない。詩織に会うためにはどの道この部屋を出なければならない。ノギノが妥協しさえすれば、この状況を飲み込みさえすれば。

 ごくりと生唾を飲んだ。

 ルキはベッドの上、抱きしめてと誘うように、こちらに手を伸ばす。腹立たしいほどに蠱惑的な、とろけそうな笑みを浮かべて。

 ここまでなのだろうか。このまま、自分は……。

 激しい葛藤の末、行為に及ぶ方にノギノがグラついていた、その時。

 ポコンッ、と。この場には場違いとも思える間抜けな効果音が響いた。反射的に音の聞こえた方、すなわち扉の方を見やる。例の『セックスしないと出られない部屋』の文字の右下、小さなプレートが増えていた。

『しなくても二十分待てば出られます』


「…………」

「…………」

「あー、もう! あと少しだったのに……!」


 悔しげに叫んだルキがパシン、と床に何かを叩きつける。拾ってみれば、まったく同じ文字列が書かれたプレートだ。


「……おい」

「プレート復活するとか、ズルいでしょ」


 どうやらノギノが気がつく前にプレートだけ回収していたらしい。というか回収できる、その仕様に悪意を感じる。


「はぁ……。馬鹿馬鹿しい。あと十分くらいか。待つぞ」


 ノギノもまたどさりとベッドに腰を下ろす。


「…………怒らないの?」

「いや、別に」


 怒るのも馬鹿馬鹿しい。

 それきり黙っていると、不意にルキが口を開いた。


「…………さっきの」

「うん?」

「いじめの被害者がどうとかって話」

「あ、ああ……」



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 その話を振られた瞬間、ルキは一瞬だけ、意識が彩香に戻っていた。ノギノがあのことを知っているはずがない。だから、たまたまだ。そう頭ではわかっていても、見透かされた気がした。咄嗟に上手く誤魔化せなくて、気まずい空気を作ってしまった。それを今更答える気になったのは、ルキなりに悪いことをしたと思ったからだ。ノギノはよほど、自分とはシたくないらしい。


「ノギノは、なんでだと思うの?」


 ノギノは戸惑った様子で、慎重に答えた。


「……大人に話すことで事態の悪化を恐れた。それか、家族に心配をかけたくなかった。それを話せるほど、大人を信用していなかった……といったところか。だが……」

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