8.底辺配信者③
【もったいないよ。SOR∀君は声がとっても良いんだから、きっといかせる。】
スマホ画面に表示されたそのメッセージを見て、あおいは無意識にため息をついた。「ああ、またか…」と、苛立ちが込み上げるのを感じながら、画面を閉じようとしたが、指が止まってしまった。
「もったいない」だなんて、何も知らないくせに、と心の中でつぶやいた。SOARAはいつもどこか上から目線で、アドバイスという名の指示を送ってくる。毎回のように「もっとこうした方がいい」「その声は活かせる」などと書かれるたびに、「またか…」と苛立ちが募るばかりだった。自分がどれだけ努力しても変わらない現実を彼女は知らない。自分なりに工夫して、話題を考え、視聴者との交流を増やそうと苦心しているのに、彼女の言葉はどこか簡単に「こうすればいい」と指図しているように感じられた。
何よりも、彼女が本当に自分の配信を理解していないような気がしてならなかった。彼女がどれだけ親切心からアドバイスしてくれていたとしても、視聴者が増えず、反応の少ない配信画面に一人向かい続ける自分には、その言葉がむしろプレッシャーに感じられた。
だが、苛立ちを抑え、あおいは少し冷静になる。自分の状況を考えれば、リスナーが少ない今の自分にとって、SOARAは貴重な存在だ。視聴者が一人減るだけでも寂しさと孤独を痛感する状況の中で、少ないながらもコメントをしてくれるSOARAを、簡単にぞんざいに扱う余裕はない。自分が目指す夢を諦めず、少しでも成功に近づくためには、今いるリスナーを大切にすることが重要だと分かっていた。
そしてもう一つ、彼女の言葉には少し心が動かされる部分もあった。「声がいい」と言ってくれたことは、あおいにとって一筋の光だった。自分では特別だと思えなかったが、もし彼女が言うように、この声に魅力があるのだとしたら、それを活かす方法を探してみるべきかもしれないと頭の片隅で思っていた。
けれど、これ以上アドバイスのやり取りを文字で続けても、また同じような気持ちが募るばかりだ。だからこそ、あおいはふと思い立った。こうしてDMで意見を聞くばかりではなく、直接話してみれば、彼女の気持ちや本音がもう少しわかるかもしれない。相手がどんな意図でアドバイスしてくれているのか、また自分の気持ちも、直接話すことで伝えられるかもしれない。
その上、直接の会話なら、自分のトークスキルを彼女にアピールするチャンスにもなる。少しでもSOARAの「指示厨」っぽい態度が和らぐように、また、今後の配信に対しての理解を深めてもらうためにも、ボイスチャットを提案するのが最適ではないかと考えた。
「あの、SOARAさん。よかったら少し話しませんか?ボイスチャットで」
そう書き込むとき、あおいは心臓が少しだけ高鳴っているのを感じた。どんな反応が返ってくるのか、どんな人なのか、どんな声なのか、想像するとほんの少し緊張が走る。だが、同時に少しの期待もしていた。もしかしたら、彼女の言葉がこれまでとは違う新しいきっかけになるかもしれない。
「SOR∀君からボイスチャットの提案? 意外だなぁ、でもいいよ!」と、数分後にすぐ返ってきた返事に、あおいは一瞬だけ驚いた。普段から意見を率直に伝えてくる彼女だが、ボイスチャットにあっさりと応じてくれたことに、少しの親近感が湧いた。
あおいは少し緊張しながら、スマホの通話ボタンを押した。スマホから数回コール音が鳴り、ようやく応答があった。
「もしもし?」
その一言がスマホ越しに響いた瞬間、あおいは思わず息をのんだ。そこに響いたのは、低く落ち着いた声だった。自分のイメージとは全く違っていて、一瞬、SOARAと別人にかけてしまったのかと錯覚するほどだった。驚きつつも、彼女の声に集中すると、どこか耳に残る優雅さと深みがある。それは、まるで夢の中で聞いたことがあるような、そんな不思議な感覚に包まれた。
あおいは戸惑いながらも、声の特徴に意識を集中させた。確かに、どちらかと言えば男性のように響く声だが、完全に男性とも言い切れない。柔らかく、心地よい中性的な声色が、あおいの耳に心地よく染み込んできた。
「あれ、SOARAさんって…もしかして男性ですか?」
思わず口にしてしまった言葉に、電話の向こうの相手は軽く笑った。
「あはは、失礼だなぁ、君は。ちゃんと女性だよ」
そう返されたものの、その言葉にあおいは違和感を覚えた。言葉遣いやトーンはどこか軽やかで、何も気にしていないように聞こえるが、どこか引っかかる感じがする。いや、違和感というだけではなかった。なぜかその声を聞くたびに、心の奥底で「この声を知っている」という思いが強まっていく。
「いや、まさかそんなことは…」と自分に言い聞かせるが、頭の中にある記憶の断片が勝手に浮かんできて、否定しきれない。まるで、耳にすでに刻まれていたかのように、彼女の声が何度も頭の中で反響する。
思わずあおいの脳裏に浮かんだのは、SO∀RAの姿だった。ライブ会場で見た、あの華麗で堂々とした彼の姿と声。彼の低く優雅な声は、ファンを惹きつけ、誰もがその一言一句を逃さないようにして聞き入っていた。画面越しでも、その声の深さや力強さに心が震え、あの瞬間から彼に憧れる気持ちがずっと続いてきた。
ーーこの声…まさか…いや、そんなはずがない…
心の中でそうつぶやきながらも、あおいはますます疑念を拭い去れなくなっていた。もしこの声が本当にSO∀RA本人だとしたら…?あおいは考えないようにしようとするが、耳に残る声の響きが、あの配信で聞いた声とあまりにも重なる。
あおいの記憶の中で蘇るのは、SO∀RAのさりげないトーンでの冗談や、観客に語りかけるあの心地よい低い声。彼はいつも視聴者との距離を感じさせない独特の話し方で、あおいは彼の配信を見ながら、自然と自分もそこにいるような感覚を抱いていた。何度も何度も、SO∀RAの声に励まされ、時に笑わせてもらった。その声はあおいの心にしっかりと刻み込まれていた。
そして今、スマホ越しに聞こえてくる声の響きが、まるでその記憶を蘇らせるかのように、あのSO∀RAの声と重なっている。「いや、まさか…」と思う気持ちと、「もしや…」という期待が交差し、胸が高鳴って止まらなかった。
あおいの心臓が激しく脈打つ。もしかして、SOARAとして接してきたのは、ずっと憧れてきたSO∀RA本人だったのかもしれないという考えが、彼の胸の中で急速に膨らんでいく。「まさか…」と思いながらも、その声の主が誰かを確信したい気持ちがどんどん強まっていく。
「まさか…SO∀RA…さん?」
あおいは震えるようにその言葉を口にした。その瞬間、世界が静まり返ったような気がした。心臓の鼓動が耳に響き、スマホ越しの向こうにいる相手の反応をじっと待つ。胸の奥底で、「答えを知りたい」という強い思いが渦巻き、心の中が熱く燃え上がっていた。