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6.底辺配信者①

職場のパソコンに向かい、ぼんやりとキーボードを叩きながら、あおいの頭には昨夜の配信のことが何度も浮かんでいた。何年もかけて準備を重ね、ついに踏み出した配信者としての第一歩。しかし、実際に始めてみると、画面の向こうにはたった3人の視聴者がいるだけだった。ずっと磨いてきたはずのトークも、空回りしてしまい、盛り上がるどころか静まり返ったままだった。話しかけても反応がなく、静かなチャット欄がどこまでも続く。その静けさに耐えきれず、気づけば独り言を呟くようになってしまっていた。


ーこんなに頑張って準備してきたのに、どうしてうまくいかないんだろう…ー


心の中で、そんなつぶやきが何度も繰り返された。これまで積み重ねてきた努力が報われないように感じられ、胸の奥に重苦しいものが広がっていく。高校生の頃からコツコツと機材を揃え、ボイストレーニングやトークの練習もしてきた。そのたびに、いつか画面の向こうでファンが楽しそうに反応してくれる光景を夢見ていたのだ。でも、現実はそんな理想とは程遠いものだった。たった3人の視聴者。たとえ自分なりに頑張って話しかけても、返ってくるのは静まり返ったチャット欄だけ。見えない壁に阻まれているようで、胸の中に「無力」という言葉が貼り付いたように感じられた。


ー自分なりに、準備はしてきたつもりだったんだけどな…ー


自分の声でつぶやいたその言葉は、他の誰にも届くことなく、自分だけに響いてくる。小さなため息が漏れると、視界がぼんやりと霞むような気がした。自分があこがれていたのは、SO∀RAのような存在だ。彼が画面越しに笑顔を見せ、何気なく言葉をかけるだけで、ファンたちが次々に反応し、まるで一つの舞台のように配信が盛り上がっていく。彼の配信を何度も見てきたからこそ、その夢が自分の中で大きくなり、いずれ自分もそんな存在になれると信じていた。SO∀RAや、他の人気配信者たちが持つその特別な空気を、いつか自分も手に入れたいと願っていたのだ。


だからこそ、昨夜の初配信は、あおいにとって初めての挫折のように感じられた。大勢のファンに囲まれ、応援や感想が途切れることなく流れ続ける配信を目指して、あおいは一人で何度もリハーサルを重ねてきた。トークの練習をして、ファンを楽しませるために表情や身振り手振りも鏡の前で繰り返し確認した。けれど、その努力がまるで報われることなく終わってしまったかのように感じられ、次第に自分の内側から何かが剥がれ落ちていくような気がした。


パソコンの画面を見つめるあおいの視線がふと上がり、職場を見渡すと、今日も変わらず静かな空気が流れていた。職場は、誰もが淡々と作業を続けているだけで、まるで時間が止まっているかのようだ。規則的なエアコンの音、同僚が書類をめくる微かな音、それが自分の周囲を取り囲み、どこか冷たい響きに感じられた。あおいは、この静かな空気が昨夜の配信と重なって見え、胸の奥にじわじわと無力感が広がっていくのを感じた。


SO∀RAの姿がふと頭に浮かぶ。彼が配信で笑顔を見せながら話すだけで、たくさんのファンが次々とコメントを送る。応援の言葉、冗談、感謝の声。すべてが彼の存在を中心に渦を巻き、まるで一つの世界が作り出されるように、その場が盛り上がっていく。あおいは、そんな彼の姿を何度も画面越しに見てきた。自分も、いつかあのようになれるかもしれないと信じていた。だからこそ、昨夜のたった3人の視聴者、何も返ってこないチャット欄、そして静まり返った画面の向こうの光景に、夢が遠ざかっていくような思いがした。


「自分にできるのだろうか…」


その問いが、静かな職場の空気と共に、あおいの胸に重くのしかかる。あれほど大きな夢を抱き、周りの理解を得られなくても一人で頑張ってきたのに、たった一回の失敗で心が折れそうになっている自分に気づき、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。SO∀RAが築き上げたあの世界、あの熱気の渦のような配信の空間を、果たして自分が手に入れられるのか。あおいは、憧れと現実の狭間で揺れていた。


それからも、あおいは配信を続けた。どれだけ視聴者が少なくても、毎晩スクリーンの向こうに向かって話しかけ、努力を重ねてきた。しかし、配信を重ねても視聴者は増えず、コメント欄がにぎわうこともほとんどなかった。最初の頃は少ないながらも来てくれる人たちのために張り切っていたが、毎回静かなチャット欄を見つめるたびに、少しずつ心が折れていくのを感じた。熱意を込めて話しても、返事がないということは、まるで無人の部屋に向かって独り言を言っているようで、自分が滑稽に思えてくる。


ー何かが足りないんだろうか…ー


そう思わずにはいられなかった。SO∀RAがあれほどたくさんのファンを集め、熱狂的に応援される姿を目指してきたのに、どうしてもその背中は遠いままだった。自分には何が欠けているのか。どうすればもっと人に見てもらえるのか。考えれば考えるほど、思いつめたように胸が重くなり、ため息ばかりが出た。


どうにか状況を変えたいと思ったあおいは、思い切って他の配信者のアドバイスを求めることにした。検索で「視聴者を増やす方法」や「人気配信者になるには」といった言葉でヒットした配信に入り、悩み相談の場でようやく勇気を出してチャット欄に書き込んでみた。


「配信を始めてしばらく経つんですが、なかなか視聴者が増えません。どうすればもっと見てもらえるようになるでしょうか?」


数分後、その配信者があおいのコメントを読み上げた。


「うーん、底辺配信者ってのは大人しくDMとかで営業するのが早いと思うよ」


そのあまりにも冷たく、簡単に言い放たれた言葉に、あおいは肩を落とした。「底辺配信者」という言葉が突き刺さるように胸に響き、しばらく動けなかった。自分が底辺だと分かっていながらも、こんなふうに言われるとは思っていなかった。SO∀RAのようにかっこよく配信で人を引きつけたいだけなのに、「営業」という現実的な答えに、どこか失望した気持ちになった。


しかし、それでも行動を起こさなければ何も変わらない。あおいは少しの勇気を振り絞り、試しに自分の配信リストを確認してみた。そこで、自分の配信に足を運んでくれている少数のリスナーの名前が目に入った。いつも来てくれる人たちがいる。彼らは自分の配信を見てくれている少数の視聴者だ。もし、この人たちに少しでも楽しんでもらえるならば、それだけでもやってみる価値があるはずだと、自分に言い聞かせた。


そこで、あおいは思い切ってそのリスナーたち一人ひとりにメッセージを送ってみることにした。これまで何度か名前を見かけたことのあるリスナーに向けて、心を込めて言葉を選びながらメッセージを書いた。


「こんばんは!いつも見てくれてありがとうございます。少しでも楽しんでもらえるように頑張っていきたいので、もしよかったらまた遊びに来てくださいね」


メッセージを書き終え、画面に映し出された自分の文章をじっと見つめる。送信ボタンを押すべきか、手が一瞬止まる。「これでいいのだろうか?」と心の中に不安がよぎった。こんなことをして、本当に視聴者が増えるのか疑わしかったが、それでも何かを変えなければ今のままだと思い、意を決して送信ボタンを押した。


「SOR∀です!応援してくれて本当にありがとう。毎日の配信を楽しみにしていてもらえると嬉しいです。またコメントしてくれると励みになります!」


こうして、一人ひとりに丁寧にメッセージを送っていった。リストにいる視聴者全員に、気持ちを込めて「ありがとう」と伝えた。心の中では、営業活動に近いことをしている自分が少し恥ずかしく、情けなくも感じたが、それでも「何も行動しないで悩むよりはいい」と自分に言い聞かせた。


送信ボタンを一通、また一通と押すたびに、心の中に小さな希望が芽生える。たとえ視聴者が少なくても、ひとりひとりを大切にすることで、少しずつ自分の配信が広がるかもしれない。少しでも自分の存在を覚えてもらえれば、それがきっかけで次の視聴者に伝わっていくかもしれない。そう思いながら、彼は地道に営業DMを送り続けた。


「本当にこれでいいのかな…」


ふと、自分を鼓舞しながらも心の中で疑問が浮かんだ。配信者になりたくて夢中で走ってきたのに、いつの間にか画面の前でリスナーに営業をする自分がいる。そのことがどこか虚しく、情けなくも感じられた。


ー自分にもっと魅力があれば、こんなことをしなくても視聴者が増えたはずなのに…ー


それでも、あおいは諦めずにDMを送り続けた。「これが、自分のやり方で少しでも夢に近づく方法なんだ」と信じたかった。

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