5.消えない光を胸に、僕は配信者になる⑤
そして、あおいは融通の利く職場を選んで就職し、配信のための資金を稼ぎ始めた。大きな企業ではなかったが、収入が得られ、仕事と配信の準備を両立できる環境だった。最初は不安もあったが、収入を得るたびに「夢のために働いている」という実感が湧き、少しずつ自分の夢が形になっていくように感じられた。
仕事に慣れるまでには時間がかかったが、職場の先輩や同僚の助けもあり、少しずつ責任ある業務も任せてもらえるようになった。新しい仕事を覚えるのは大変だったが、それでもあおいの情熱が失われることはなかった。どれだけ疲れていても、仕事から帰ると夜中まで配信の練習や計画を立てることに時間を費やした。休日にはボイストレーニングに励み、オンラインで配信に関する知識を学び続けた。
自分で稼いだお金で少しずつ機材を揃えていくのも、あおいにとっては大きな達成感だった。マイクやカメラ、パソコンを一つ一つ手に入れるたびに、夢が少しずつ現実に近づいていく感覚があった。部屋の片隅に積み上げられていく機材を眺めるたびに、心の中に小さな自信が芽生えた。「これでいいんだ」「少しずつだけど、着実に進んでいる」という思いが、あおいを支えていた。
月日が流れ、ついにあおいは二十歳を迎えた。高校を卒業してからコツコツと貯めたお金で、必要な機材がすべて揃い、部屋の一角には自分だけの小さなスタジオが完成していた。デスクには高性能なマイク、カメラ、モニターが並び、壁には吸音材が貼られ、ライトも完璧に設置されていた。目の前に整えられた機材に囲まれたその空間は、まさにあおいの夢そのものだった。今、ここから配信を始めることができる。ようやくその瞬間が訪れたのだ。
「配信名は…『SOR∀』にしよう」
あおいはそう呟いた。憧れのSO∀RAに少しでも近づきたい、その一心で決めた名前だった。大好きだった配信者と同じように人を惹きつけ、感動させる存在になりたい。そう願ってきた年月が、今この名前に込められていた。
デスクチェアに腰を下ろし、マイクに手をかけたあおいは、これまでの日々が走馬灯のように浮かんできた。SO∀RAの引退ライブを見て、自分も配信者になると誓った夜。機材を買うために貯金をし、仕事でくたくたに疲れながらも夢に向かって努力を続けた日々。そして、ようやくこうしてスタートラインに立つことができた。緊張で手が少し震えるのを感じながらも、あおいの目には決意が光っていた。
「よし…やるぞ」
深く息を吸い込み、静かに吐き出すと、あおいはモニター越しに視線を向け、配信のスイッチに手を伸ばした。
配信開始ボタンを押してから、あおいの胸の高鳴りは止まらなかった。今、この瞬間が「SOR∀」としての第一歩だ。画面に映る自分の顔、マイク越しに聞こえる自分の声に、緊張と興奮が入り混じった感情が湧き上がってくる。何度もリハーサルを重ねてきたとはいえ、本番はまったく別物だ。指先が少し震え、口が渇いているのを感じる。
「えっと…こんばんは!初配信のSOR∀です!」と明るく挨拶する。「今日は、少しでも楽しんでいってくれると嬉しいです!」できるだけ元気な声を出したが、コメント欄はしんと静まり返ったままだ。
「まあ、最初はこんなものか…」自分にそう言い聞かせ、少しだけ心を落ち着けた。やがて、画面の隅に小さく「初見です」という文字が表示される。それを見た瞬間、あおいの胸に小さな光がともった。「よし、まずは一人でも来てくれてる」。これだけで、どこか心強く感じた。スクリーンに目を凝らし、視聴者リストを確認すると、さらに二人がリストに加わり、視聴者数が「3人」になった。
「ありがとう、見てくれて!」嬉しさを抑えながら、視聴者に向けて感謝の言葉を伝えた。そして、念入りに準備していた最新のゲームを紹介した。「今日はこのゲームをやるよ!」有名配信者たちがこぞってプレイしている話題のゲームだ。これで視聴者が増えれば、もっとたくさんの人に自分を知ってもらえる。期待に胸をふくらませながら、ゲームを開始した。
ゲームが始まっても、あおいの心には興奮と不安が渦巻いていた。目をチラリとコメント欄に向けるが、反応はない。画面に映るのは、静まり返ったチャット欄と視聴者の人数「3」の文字のみ。まるで、無人の劇場で一人芝居をしているような気分だった。
「このシーン、結構難しいって聞いたんだけど…」そう話しかけてみたものの、応答はなく、ただ自分の声だけが虚しく響く。数秒後、ゲームのキャラクターがミスをしてやられてしまった。「うわっ、やっぱり難しい!」少し笑いながら続けるが、反応は相変わらずなく、チャット欄は沈黙したままだ。
その沈黙が重くのしかかり、何度も練習したはずのトークスキルが空回りし始めた。「きっと練習通りにやれば、盛り上がるはずだ」と自分を励ましつつも、視聴者からのリアクションがないことに焦りを感じ、だんだんと何を話していいのかわからなくなっていった。トークのリズムが乱れるたびに、口数が減ってしまう。
「えっと…このゲーム、他にも知ってる人いるかな?結構面白いんだよね…」ぽつりとつぶやくように話してみたが、またしても返事はない。手元のカウンターには相変わらず「3人」と表示されているが、その「3人」がどこか遠くにいるようで、何も反応してくれない視聴者たちの存在が、次第に虚しく思えてきた。
ー配信って、ただゲームしてれば自然と人が増えるんじゃないのか…?ー
あおいは心の中でそうつぶやいた。画面越しに見ていたSO∀RAや他の人気配信者たちは、ゲームをしながらファンと楽しそうに会話し、大勢の視聴者からコメントが飛び交っていた。自分もそうなれるはずだと思っていた。しかし、目の前の現実はあまりにも違う。視聴者数は増えないどころか、話す内容さえもわからなくなり、期待していた「盛り上がり」はどこにもなかった。
ーこんなはずじゃなかったのに…ー
思わず口に出たその言葉が、画面越しの静けさに吸い込まれる。自分のために何年もかけて揃えた機材、夜遅くまで続けたボイストレーニングや準備の日々。すべてが無意味に思えてきた。画面に映る自分の姿が、どこか滑稽で、寂しそうに見えた。あの時のSO∀RAのように、少しでも輝けると思っていたのに、現実はあまりにも冷たかった。
気がつけば、配信時間は予定よりもかなり短くなっていた。もう話すことも思いつかず、テンションも下がる一方で、視聴者に向ける言葉が重く感じられた。ゲームを進める手も止まりがちで、口を開くたびに虚しさが募った。心の中で何度も「やめようか…」という言葉が浮かび、消えていく。
「…今日はこれで終わります。見てくれた皆さん、ありがとうございました」
ようやく言葉を絞り出し、ぎこちなく締めの挨拶をした。終わりのボタンを押すと、画面が真っ暗になり、数秒後、部屋の中には静寂が戻った。あおいは椅子に座り込んだまま、ただぼんやりと暗い画面を見つめていた。
何も聞こえない部屋の中、あおいは静かにため息をついた。心の中で繰り返すのは「これでよかったのか?」という問いだった。このために、どれだけの時間を費やしてきたのか。それでも、たった3人の視聴者さえも楽しませられなかった自分に、失望と無力感がじわじわと押し寄せてきた。
「…自分には、向いてないのかもしれない」
そうつぶやくと、あおいの胸の中に小さな悲しみが広がり、しばらくその場から動けなかった。