14.見失う道①
夜、あおいは配信の準備をしながらふとため息をついた。いつもなら配信の内容を楽しげに考え、リスナーが喜ぶ話題や面白い展開を作ろうと工夫するのだが、今夜はそんな余裕がまったくなかった。職場での大きなミスが頭から離れず、心の中は重く、沈んでいた。
椅子に座って画面を見つめると、いつもは感じるワクワクや期待感がまるで湧いてこない。むしろ、自分の心にたまった鬱憤を吐き出す場にしたい──そんな思いが頭をもたげてきた。少しでも気持ちを軽くするために、リスナーに愚痴を聞いてもらおう。そう考えて、あおいは配信開始のボタンを押した。
「皆さん、こんばんは…」
彼の声にはいつも感じられる明るさがなかった。リスナーもすぐにそれを察したのか、画面には「大丈夫?」といった心配のコメントがいくつか流れてきた。あおいはため息をつきながら、重い口調で言葉を続けた。
「今日はちょっと…仕事で大変なことがあって…」
いつもならここで配信が盛り上がるような話題に切り替えるが、今夜のあおいは止まらなかった。まるで心の中の不満が止めどなくあふれ出すように、職場での出来事を語り始めた。
「今日は職場でミスしてしまって、上司にも厳しく怒られちゃってさ…あの瞬間、ほんとに頭が真っ白になって…なんで僕がこんなミスをしちゃったのか、自分でもよくわからないんだ…」
あおいの声には、自分に対する失望と情けなさが混じっていた。するとリスナーからはすぐに「大変だったね」「お疲れ様」と励ましのコメントが次々に流れてきたが、あおいはその優しい言葉を受け入れる余裕もなく、続けて愚痴をこぼし始めた。
「ほんと、職場ってさ、たった一つのミスで全部台無しになっちゃうじゃない?一生懸命やってきたのに、なんか全部ダメみたいに思えちゃうんだよね…もう、嫌になっちゃう」
視聴者からは「わかる」「辛いよね」と共感の声が届くが、あおいはそんな反応すらどこか空虚に感じていた。心の中の不満がどんどん膨らんでいき、自分が思っていることをただひたすら吐き出していた。
「何で僕がこんなに頑張ってるのに、こういう時に限ってミスしちゃうんだろう。職場ってさ、いつもピリピリしてて、ちょっとしたミスも許されないんだよね。こんなに頑張ってるのに、全然報われないって感じがするよ…」
彼の愚痴は尽きることがなく、次から次へと職場で感じた苦しさや不安、不満が溢れ出していた。いつもなら視聴者のコメントに気を配りながら話をするが、今夜はそうした意識すら薄れていた。ただ、自分の気持ちを吐き出すことに集中していた。
時間が経つにつれ、画面に流れるコメントの頻度が少しずつ減っていくのに気づいた。最初は応援や慰めの言葉でいっぱいだったコメント欄も、彼が鬱憤を吐き続けるにつれて、徐々に静かになっていった。あおいも薄々それに気づいてはいたが、自分を止めることができなかった。
視聴者数の表示に目をやると、開始時に50人ほどいたリスナーが、今では40人に減り、それでもまだ減少傾向にあるようだった。画面を見つめたまま、「なんで視聴者が減っていくんだ…」と頭の中で疑問がよぎるが、すぐにまた愚痴をこぼし始める。
「ほんとにさ…なんで職場ってあんなに厳しいんだろう。頑張っても、どうせまたミスするんじゃないかって思っちゃうしさ、上司も全然理解してくれないし、あんな環境で一生働くなんて無理だよ」
あおいの口調はいつの間にか苛立ちが混じり始め、声にもその苦しさがにじみ出ていた。それまで彼を応援していたリスナーたちも、その感情のあまりの重さに困惑しているかのようだった。
「あおい君、頑張って!」というコメントが流れてきたが、彼はそれに対してもどこか反発したように返してしまう。
「うん、ありがとう。でもさ、頑張るだけじゃダメなんだよね…僕がどれだけ努力しても、結局こうやって失敗しちゃうんだから」
ふと、あおいは画面に映る自分の顔が疲れ切っているのに気がついた。画面の向こうのリスナーたちも、自分の不満ばかりを聞かされて、どこか戸惑っているように見えた。だが、一度始めた愚痴が止まらない。
配信が終わり、あおいはいつものように機材を片付けながら深いため息をついた。なんだか心が重い。ふとスマホを見ると、SOARAから珍しく連絡が来ていた。いつもはあおいの方から報告をすることが多いが、今日は違った。画面をスクロールしていくと、そこにはたくさんのチャットが届いていた。
「今すぐ配信をやめるんだ」「その話題はよくない」「それはダメだ」と、否定的なメッセージが並んでいた。その言葉をひとつひとつ読み進めるたび、胸の中に冷たいものが広がっていく。まるで、自分がやっていたことすべてが否定されているかのようで、急に心が乱されていくのがわかった。
しばらく画面を見つめていたが、突然スマホが鳴り、SOARAからの通話のリクエストが表示された。躊躇しつつも受けると、画面の向こうからいつもとは違う、冷たく張り詰めた声が聞こえてきた。
「がっかりだよ」
その一言に、あおいは言葉を失った。思いのほか重く響くその言葉が、心の奥に突き刺さるように感じた。どうして?がっかりだなんて…たくさん話題を準備して、視聴者のコメントも途切れないように配信を続けたのに。まさかこんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。
「SOARAさん…」
言い返そうとしたが、喉が詰まり、言葉が出てこなかった。そして次の瞬間、あおいは何かの糸がプツリと切れたように通話を切ってしまった。もうSOARAの声を聞くのも辛い。やっと自分が変われた気がして、配信の手応えを感じられるようになってきたのに、すべてが否定されたように思えて、胸が苦しくなる。
スマホを机の上に放り出し、あおいはぼんやりと部屋の壁を見つめた。「なんで?どうして?」と、心の中で何度も問いかけていた。今日は話題もたくさん用意していたし、トークも途切れることなく進んだはずだ。それなのに、どうしてこんな結果になったんだろう。考えれば考えるほど、胸の中にどんどん嫌な気持ちがたまっていく。
「もうやだ…疲れた…」
ついに、その言葉が口をついて出た。配信が楽しいと思っていたのに、今はまるで重荷のように感じられる。SOARAの期待に応えようと必死に頑張ってきたのに、それが今夜の配信ですべて否定されたように思えた。
「僕に配信なんて向いてなかったんだ…」
あおいは自嘲気味にそうつぶやくと、スマホの画面を伏せ、椅子にもたれかかった。配信の画面を見る気力もなく、ただ呆然としたまま、自分が何をしたらいいのかもわからなくなっていた。
それから、あおいは配信に触れなくなった。毎晩21時に定期配信をしていた日々が嘘のように、画面に向かうことができなくなってしまった。スマホの通知が鳴っても、それを見る気力も湧かず、ただ日々の仕事を淡々とこなすだけの生活に戻っていった。
昼休み、あおいは一人で食事をとりながらぼんやりと外を眺めていた。食べ終わった後、ふとため息をつきながらつぶやく。
「大学に行っとけばよかったな…」
配信に夢中になり、好きなことを仕事にするために選んだ道だったが、今の自分にはその選択が正しかったのかもわからなくなっていた。仕事も配信もすべてがうまくいかないように思え、あおいの心はただ虚ろなまま、昼休みの時間が過ぎていった。




