婚約破棄物の世界に転生したようです。
リミエ視点
私が前世を思いだし、ここが前世ハマっていた漫画『婚約破棄された王女は、初恋の騎士に溺愛される』の世界だと気付いたのは、婚約者である王子マリスに婚約破棄の言葉を向けられたその時だった。
『婚約破棄された王女は、初恋の騎士に溺愛される』略してコンハツはいわゆる悪役令嬢もの(令嬢ではなく王女だが)で、ハイファンタジーではなくローファンタジーだ。
前世OLだった私は転生を果たし、どうやらそのコンハツのヒロイン、リミエ・セイラキャステエルに生まれ変わったらしい。
コンハツの物語の始まりは、やはりこのバカ王子マリスに婚約破棄されるところから始まる。王子は聖女と寄り添い、二人の愛を邪魔する悪役であると主人公を罵り、追い出してしまう。王子を愛してはいなかったものの、国同士の同盟を憂い国に帰る主人公リミエ。父王と兄である皇太子はリミエを慰めてくれた。そんな折、隣国に邪竜が到来。マリス王子と聖女コレッタは竜を倒しに向かうが、返り討ちにあい殺されてしまう。
隣国だけではなく自国にも被害が及ぶかもしれないと、父王は邪竜を倒した者には望みの褒美を取らせるとお告げを出し、そこで名乗りを挙げたのがリミエの初恋の人であった騎士シャーロン様。
彼は見事邪竜を倒し凱旋。彼が望んだのは身分違いのリミエとの結婚だった。
リミエは喜んで嫁入りしようとするが、兄が待ったをかける。兄のファルミナは学生時代からシャーロン様の親友で、シャーロン様の真面目で誠実な人柄をわかっており、シャーロン様こそ次期国王にふさわしいと押すのだ。
実は番外編で明らかになるのだが、ファルミナが惚れ込み、周りの反対を押し切って強引に婚約者にしてしまったネフェルが、かなり身分違いの女性なので(どうやらこの世界で蔑まれている種族らしい)、彼女に苦労かけたくないという思惑もあったらしい。
こうしてシャーロン様は王家に入り次期国王となり、リミエは愛する人と幸せに国を収めていく。
これがコンハツのあらすじ。
前世を思い出した時はパニクったが、その後は嬉しかった。大好きだった漫画の、しかも大好きだったヒーローの恋人になれるヒロインに生まれる事が出来たのだから。
だが、すぐに考え直す。
いや待て。ローファンタジーはともかく、ハイファンタジーのヒロインは物語の悪役の方に生まれるのが定番。コンハツの場合は聖女だろうか。
で、前世の記憶を持ってヒロインに生まれ変わった転生者が「ここは●●の世界なんだから私がヒロイン!」と暴れて逆に断罪されるのまでがお約束。
ならば私はどうすべきか………悪役令嬢転生のように、「これが断罪の決め手!」のような指針が何もないのだ。
悩んだ末、下手に動かないのが吉だと考えて、私は流され流されて生きようと心に決めた。
マリスからの婚約破棄の後の流れは大体コンハツと一緒だった。大体、というのは微妙な差異もあったからだ。マリス王子と聖女様は死なず、命からがらシャーロン様に助けられた。
シャーロン様が私との結婚を求めるシーンも、コンハツでは私の目の前で父王に告げていたが、私が好奇心に駆られてついつい晒された邪竜の首を見に行って、あまりのグロさに気絶してしまった為に、私不在で話が進んでしまった(あれは原作でも屈指の名シーンだから悔しかったが、ファンタジー定番の竜を生で見てみたかったのだ)。
しかもシャーロン様は、この婚約の後すぐに再び国を出て同じように世界を震わせているキマイラとクラーケンを退治に行ってしまった。
コンハツではここで、シャーロン様とリミエ(私)との思いを交わすイチャイチャが入るはずなのに!
兄曰く、キマイラとクラーケンも「倒した者の願いを叶える」という褒賞を出していたため、リミエを奪われないように万全を期すためだろうとのことだ。
結局、シャーロン様が帰ってきたのはそこから1年と半月も経った後のことだった。
キマイラの牙とクラーケンの嘴をシャーロン様が献上した時、私も王座の間に居た。前世の記憶を取り戻してから、ようやく初の生シャーロン様だ。私のテンション爆上がりである。
どきどきと見つめる中、金に近い茶色の髪(サラサラ!)と騎士団のマントを靡かせ、彼は献上品の後ろで膝をついた。
父王が笑う。
「よい、そう畏まるな。すぐに我の息子になるのだ」
「そうだぞ、シャーロン。しかし本当に倒したんだな…リミエへの愛の力か?」
兄ファルミナと父の笑い声に、私は思わず赤面してしまう。だが、シャーロン様は無表情なまま、声を上げた。
「キマイラとクラーケンの討伐。それぞれにどんな願いでも叶えるとの褒賞がありました。よろしいですか」
「おお、そうだな。だがお前は既に邪竜を倒した時に我が娘との婚約を成しておる。ファルミナもすでに王位を辞退しているし、この国はすぐにお前のものに…」
「私は国が欲しいと望んではおりません」
シャーロン様の低い声が響いた。ゆっくりと彼は、下げていた頭を上げ立ち上がる。
「本来ならば邪竜のみで事足りたことを、さらに重石をつけて二つにしたのだ。今度こそ、私の望みを叶えていただきたい」
「なにを」
「望みは二つ。私と王女との婚約の破棄。そしてファルミナ王子とネフェルの離縁だけだ」
「な、」
「ふざけるな!俺とネフェルを引き離すつもりか!お前、親友のお前まで、ネフェルが王族にふさわしくないと、そう言うつもりか!」
「ふざけているのは貴方でしょう、ファルミナ王子」
絞り出すような、シャーロン様の声。
「私は貴方を、親友だと思った事はない」
「まぁ、待ちなさい、シャーロン」
王族に対して無礼な態度だが、周りを固める近衛兵達は動かない。王家と英雄のひり付く空気に、判断がつきかねるのかもしれない。
「突然そんなことを言われてもだな。お前は邪竜の時にリミエと婚約したばかりだろう」
「そんなモノ、私は望んでいなかった!」
「シャ、」
「私はあの時から、望みはただ一つ、ネフェルを返して欲しいと言ったはずだ!なのに勝手に私と王女の婚約を進め、国を継げだと!?冗談じゃない!」
1人の近衛兵がさっとシャーロン様の元に駆け寄る。宥めるためか抑えるためか…と思えば、近衛兵は王座の間に入る際に預けた筈のシャーロン様の剣を彼に手渡した。
シャーロン様がゆっくりと、受け取った剣を抜く。
「ネフェルを…私の愛しい婚約者を、返してもらおう。さもなくば、次に首を落とされるのは貴方達だ」
「ね、ネフェルは俺の妻だ!俺とネフェルは愛し合っているんだ!それに、リミエだってお前を愛してる!お前だってリミエを可愛いと言っていただろう?」
「そんな事、言った事は一度もありませんが?貴方が妹可愛いだろう?としつこく聞いてくるのに、そうですかと答えた事はありますが」
そんな緊張の走る王座の間の扉が、先触れもなく音を立てて開いた。入ってきたのはシャーロン様の副官である銀髪のルディと黒髪のクレス。その2人に連れられたネフェル義姉さん。彼女は最初は戸惑ったような表情だったが、シャーロン様を見つけると慌てたように駆け寄った。
「ネフェル」
「シャーロン!無事ですか!?怪我は?貴方がキマイラとクラーケンを倒しに行ったと聞いて、私がどれだけ…」
それまで、何が起こっているのか呆然としていた私は、シャーロン様に擦り寄るネフェル義姉さんにモヤッとする。
あざと過ぎるのではないだろうか?
いや、だって我が国最強の英雄のシャーロン様だ。天災と呼ばれる竜すらも倒した彼にはキマイラもクラーケンも格下だろう。
そもそも彼はヒーローだ。負けるはずがない。なのに心配するふりをして…。
ネフェル義姉さんの言葉に、シャーロン様も苦笑した。
「私は、キマイラにもクラーケンにも負けたりはしませんよ」
「それでも、無傷では済まないでしょう?負けることはなくても、傷付けば痛みはあります」
兄と結婚したくせに、兄の妻のくせに、どうしてあの女は、シャーロン様に寄り添って、シャーロン様は嬉しそうにあの女を抱き寄せているの。
「シャーロン!ネフェルから離れろ!ネフェルのは俺の、」
「私の婚約者だ」
飛び出そうとした兄は、兵士たちに押さえ込まれている。この場に王家の味方は1人も残ってはいない。
シャーロン様はわかっていたのだろう。自分達の要求のみを押し通す父や兄が、彼の願いを叶えることはないことを。
これは兵士たちにも国民にも絶大な人気を誇る、シャーロン様によるクーデターだ。
「貴様、まさかたかだかクウの民の女1人の為に、国を巻き込みクーデターをするつもりなのか」
「彼女のため、と言うのはふさわしくはないでしょうね」
シャーロン様は冷めた目で、父を見つめる。
「彼女の事が最後の一押しになっただけですよ」
もう1人、見覚えのある兵士が駆け込んでくる。
「シャーロン様、見つけました!」
兵士の手の中の物を見て、兄が暴れて押さえ込まれる。兄の叫びを無視し、シャーロン様はネフェル義姉さんの首元のショールを外すと、その下の首輪に鍵を差し入れた。
音を立てて、“奴隷”の首輪が外れる。
奴隷の首輪。
そこでようやく私は違和感を感じた。
いや、違う。違和感は感じていた。見ないふりを、し続けていただけだ。
私には、リミエとしての記憶がほとんどない。王女として勉強したことや貴族のこと、王女として生活するに困らないレベルの記憶はある。だけど、リミエとしての個人情報は全くと言っていいほど記憶になかった。
だが、ネフェルの首輪を見た時に、脳内をよぎった記憶があった。
「大丈夫よ、お兄様」
記憶の中の私は言った。
「同じ女だもの、見ればわかるわ。ネフェルはお兄様の事が好きなの。素直になれないだけなのよ」
「奴隷の首輪をつけたらどうかしら?お兄様に従う状況にすれば、きっと彼女も素直になれる」
「だってネフェルは蔑むべき、醜いクウの民だわ。首輪をつけて何がいけないの?」
「あんな卑しく醜い種族を、シャーロン様が本気で愛する筈はないでしょう?あんな醜い種族の女を愛せるなんて、心が広くて優しい、お兄様ぐらいだわ」
私は口を抑えた。そうだ、先ほどもおかしかった。コンハツを読んでいた時、私はネフェルは好きなキャラだった。なのに先ほど、胸に沸いた彼女への嫌悪感。
だって彼女は汚れたクウの民だ。
いや、違う。日本人の私は、クウの民への偏見なんて持っていない。
シャーロン様を手に入れるのに、手段なんて選んでいられない。
いいえ、それこそ破滅の道だ。
頭の中を、二つの考えがぐるぐる回る。
兄と父が捕らえられ、シャーロン様の副官が彼らの罪を読み上げる。
どれほど彼らが国民を食い物にし、どれほど彼らが国民の命を蔑ろにしたか。
私も兵に捕らえられ、罪状を読み上げられた。私は、リミエはどうやら幼い頃から残忍で、気に入らない相手を次々拷問死させていたらしい。
冤罪だと言いたいところだったけれど、読み上げられる罪状を耳にした瞬間、リミエの記憶が甦り、それも出来ない。
泣いて許しを乞う美しい少女とその家族、目の前でなぶり殺される貧民の少年、冤罪で処刑した騎士。
それらを眺めるリミエは、笑うことすらしなかった。彼らの死は、憎しみでも怒りでも、快楽ですらなかったのだ。邪魔なゴミを捨てるように、リミエは人を殺してきた。
リミエがネフェルを殺さなかったのは、好きでもない男の性奴隷にされる方が、暴力よりも女性には辛い拷問だと、わかっていたからだ。
前世を思い出してからは、拷問も殺人もしていないが、だからどうしたと言う話だろう。だってそれは人として当然のことで、反省も贖罪もしてこなかったのだから。
「どうして、今更…」
リミエの所業を思い出してしまったのだろうか。
もっと早くに思い出そうとしていれば、何かが変わったのだろうか。
冷たいシャーロン様の視線を感じながら、私は唇を噛んで俯いた。
×××視点
どうやら私はまた、失敗してしまったらしい。
それに気づいたのは、マリスに婚約破棄される数日前だ。私の祖国グランディスに潜ませていた密偵が、シャーロン様が父に邪竜の討伐と引き換えにネフェルの解放を願い出ていたと教えてくれた。
父がシャーロン様の願いに「どんな願いも叶えてやろう」と言ったらしい。父には私のシャーロン様への思いを知らせていたし、何より父は愚かな兄ファルミナに、国を継がせる事を憂慮していた。
兄は頭が悪く短絡的で傲慢だ。それならば私に国を継がせ、シャーロン様を婿にと考えるのも当然だろう。
ある意味父は、王としての資質が高い。一個人の幸せよりも、国のためにシャーロン様の望みを変えてしまうくらいには。
だが、この流れでは最初の時のようになるのも時間の問題だ。
私は禁呪の時戻りを使って、この時代を繰り返している。初恋のシャーロン様を、どうしても手に入れたかったからだ。
最初はネフェルを捕らえて処刑した。シャーロン様を誑かす悪女を成敗したのだ。なのにシャーロン様は怒り狂い、祖国グランディスを滅ぼしてしまった。
次は彼に気づかれぬようにネフェルを拐い、死体が見つからないように処分した。しかし彼は騎士団を辞して、彼女を探すあてのない旅に出てしまった。
本当は、二人が出会う前にあの女を処分したかったけれど、二人はリミエより年上の為に、リミエが自由に動ける年齢になった時には二人はすでに出会っているので無理だった。
次はネフェルを捕らえ、貴族に下げ渡した。これならば彼女は生きているし、居場所もわかる。だが、今度はその貴族を殺して彼女を奪い、シャーロン様は彼女を連れて逃げた。
だから今度は、そう簡単には奪えないだろう王族であり、シャーロン様と友人だという兄を唆した。本当はあんな女に幸せになる資格はないと思っているが、そうでなければシャーロン様を手に入れられない。今度は奴隷の首輪も使い、連れて逃げることも出来なくした。
なのに。
「手強い人…」
私は笑う。そんなところも愛しいと。
さて、再び時戻りをするのだが。これには一つルールがあった。
時を戻れるのは魂だけ。そしてこちらの己の体を、そのまま放置してはいけない。つまり、この時間軸でこの体を動かす、魂が必要なのだ。
最初の時戻りは、自分が死にかけの時に発動したから良かったものの、次は本当に苦労した。自殺では時戻りは出来ないし、魂移しの技は共感や繋がりのある魂でなければ出来ない。
書物を取り寄せ魔術や薬物、人体実験を繰り返しさまざまな試行錯誤を経て、私はようやく見つけた。
異世界転生や異世界転移という事象に造詣が深く、なおかつ好意的な異世界を。
私は魔術を使い精神だけをその世界に飛ばし、そこの人気の物書きの精神に働きかけ、私とシャーロン様の恋物語を描いてもらった。それを見たものはこの世界との縁が出来る。さらに私への共感などがあれば、その魂を私の体へ入れるのも難しくはない。
そうして私は、無限に時戻りする手段を手に入れた。
今回は異世界人が書いた物語をなぞったのだけれど、また失敗してしまった。私は今回もあの世界から魂を呼び寄せ、私の体に入れる。これで彼女はしばらくは、物語のヒロインになったのだと夢を見れるのだから感謝してほしいくらいだ。
私はいつものように時戻りの術を発動し、それから私の過去の一部の記憶を複製しこっそり体に忍ばせた。
私の代わりに死んでくれる生贄へ、最後の餞だ。
彼女が絶望を感じた時に発動して、私の幸せだった頃の思い出を堪能できるように。
「ありがとう、後はよろしくね」
引き込んだ魂に声をかけ、私は軽やかに時を戻る。
さあ、シャーロン様。今度こそは私の手をとってくださいね。
失敗しても大丈夫。生贄の羊はたくさんいるのだから。