星の瞬き
菜の花畑
山手線は遅々として進まない。駅と駅の間がこんなにも長かったのだろうか。柳井は何度も腕時計を見るが、時計の針も進んでいない。気持ちだけが焦る。
梅が香り、ようやく冬から抜け出せそうなころだった。
「病院から、意識が遠のいているのでなるべく早く来てほしいと電話がありました。いま病院へ向かっています」
美海からのEメールに気がついて、椅子からずり落ちらんばかりに驚いた柳井は、取るものもとりあえず事務所を飛び出し、最寄の私鉄駅から渋谷へ出、山手線へと駆け込んだのであった。Eメールの発信時間は午後三時少し過ぎで、仕事に没頭していた柳井がそのEメールを読んだのは四時半を回っていた。
電車がゆっくりと走っていく。山手線はこんなに遅かったのかともどかしく思う。駅での停車時間も、勿体をつけたように長く感じられる。タクシーよりは着実に早く病院へ到着できると思って選んだ電車であったが、これではタクシーのほうが早かったのかもしれない。
電車は渋谷駅に表示してあった所要時間で田端駅に滑り込んだ。駅から病院までは徒歩で十五分弱である。柳井の生活感覚からすれば当然、タクシーではなく徒歩なのだが、その日は迷わずタクシーに転がり込んだ。
急ぎ足で病室に向かった。病室に入る。
酸素マスクをつけ苦しそうにあえいでいる、昨日とは打って変わった有紀がひとり娘の美海に見守られている。美海は柳井の姿をみて、ああ、というように軽く頭を下げた。
まぶたは腫れ、瞳が赤い。ベッドの上に涙のしずくがたくさん滲んでいる。
「お母さん、柳井さんが来てくれたわよ、お母さん! ほら、昨日一緒にお食事したでしょ」
美海は、ずっと握り締めていた有紀の手を、両手で揺するようにして柳井の来院を知らせる。ぼんやりした意識の中でも、それがわかるのか、酸素吸入のマスクからもれる空気の音に混じって、微かに、ああ、とか、うう、とかいった声が聞こえた。
「手を握り返してくるの」
美海が涙声で柳井を見上げる。
「有紀ちゃん、柳井だよ。どうしたの。昨日、あんなに元気だったじゃないの」
柳井は、有紀の手を美海の手の上から握り締め、左右に振る。
「有紀ちゃん、有紀ちゃん、わかる? 柳井だよ」
有紀が、空ろな目をこちらへ向け、微かながら握り返すのがわかる。酸素吸入の音だけではなく、有紀の喉に痰でも絡んでいるような気配があり、それがうがいのような音で呼吸に連動している。目は開けてはいるが、何も見えていないに違いない。
有紀は昔から肝臓を病んでいた。新橋に小料理割烹と銀座にスナックを持っている。小柄で華奢な身体に、いつも和服を装い、細く目張りを入れたきりりとした美貌で客を魅了していた。客に媚びることもなく、特定の客との艶聞も聞かず、そこが人を寄せ付けるところでもあった。話しぶりにはきついところもあったが、酒場の盛り上げ役として、それはそれでは客から不満が出るほどではなかった。
「柳さん、柳さぁん」
一面に黄色い菜の花畑の中で、有紀が柳井に向かってゆっくり手を振っている。花畑から着物姿の上半身が見え、片手でもう一方の袖下をつまむようにして、盛んに手を振っている。顔いっぱいに微笑んでいる。有紀の一番いい笑顔だ。ほかに誰も見えない。白いもやがかかったような黄色い花畑の中に、鶯色のような着物姿の有紀が一人いるだけだ。絵葉書を見ているようで幻想的でもあった。風が少し冷たい。
ぶるぶるっとして、柳井は寝具を掻き揚げた。肩のあたりがはだけていたのかもしれない。そのまま、再び寝入ってしまった。
明けて日曜日の朝、歯を磨いている柳井の頭に、ふと黄色い花畑に座っているような和服姿の有紀の姿がよぎった。
あれっ?
そういえばそのイメージは今朝方見た夢なのか? 柳井の胸は騒いだ。
柳井はここ六、七年以上も有紀には会っていなかった。新橋の店にも銀座のスナックからもすっかり足が遠のいていた。
柳井が有紀の新橋の店をはじめて訪れたのは、二十五年以上も昔のことになる。先輩に連れて行かれた。新橋の烏森口にほど近いビルの二階にあった。カウンターだけの十人も入ればいっぱいになる店だ。白木の厚い一枚板のカウンターボードが客を和ませる。
何回か行くうちに、有紀の気風と柳井の性格が相和した。有紀は柳井のテンポの速い端折った会話にうまく相槌をはさんだり、途切れた柳井の口から難なく話を引き出したりすることが上手い。柳井もそうした有紀に相伴されることにとても気が和らいだ。
カラオケが流行り始め、その後どんな小さなカウンターだけの酒場でもところ狭しとカラオケセットを持ち込み、具合のよくない雰囲気となった。有紀の店ではそれを入れず、その代わりに昔からの馴染みの流しが回ってきていた。
ギター一本の流しは、小さい居酒屋には誠に相応しいエンターテイナーといえる。若い柳井は有紀の店で、年長の流しから「コモエスタ赤坂」や「夜空の銀狐」など、いかにも酒場に相応しい歌を教えてもらった。音感もよく、高音域も伸びる柳井は流しに好かれ、その店でしばしば一緒に歌うこととなった。
あるとき柳井が「ああ上野駅」を流しの伴奏で歌った。有紀は東京の人間だったが、想い出深い歌であった。地方から集団就職で東京へ多くの「金の卵」と呼ばれる中学校を出たての若者たちが上京してきた。日本経済の急成長を一番下で支えた人たちである。そういう境遇の若い人たちが、東京に慣れ、自分で使える小使いができると有紀の店へもやってくるようになった。
彼らが盆暮れに田舎へ帰る時は必ず有紀の店に来て、そこから上野駅へと向かい夜行列車に乗るのだった。新幹線がないころの話だ。有紀は彼らのために握り飯を作り、ちょっとしたおかずを添えてやったという。有紀は口調にきついところがあり性格もきりっとしているので、冷たそうに見えることもあるが、実はそうした心配りが自然にできる家庭的な女であった。柳井のその歌を聞くとそのころを想い出すのといって、まぶたをそっとエプロンで押さえるのであった。
その反面、酔客の扱いも手馴れていた。また、性質の悪い客への対応には毅然としたものがあり、柳井は、小さいながらも任侠映画の女親分のような小気味のよい啖呵を聞いたりしたこともあった。
やがて有紀の店も好調に伸び、銀座へスナックを開店することとなった。十坪ほどの店だが、女の子も何人か置いて、相応に流行っていった。柳井は新橋の店にも、銀座の店にもよく通った。
店が二つになると、有紀一人では、とてもではないが手が回らない。有紀は昔から馴染みの流しの潤蔵をフルタイムで雇用することにした。カラオケの隆盛で流しの業界は下降線をたどって行ったので、それは自然な流れでもあったといえよう。新橋の店では、有紀は自ら潤蔵に、料理のイロハを叩き込んだ。器用な潤蔵は一つ一つを乾いたスポンジが水を吸うように次から次へと覚えていった。また、教えるだけではなく、潤蔵をしかるべき料理を出す居酒屋割烹などへも連れていき、舌でも料理を覚えさせた。
潤蔵はギターを包丁に持ち替えたのである。
有紀はゴルフが好きであった。潤蔵もゴルフが好きで、変則フォームながらかなり上手かった。
「潤ちゃんは、普通のエッチおじさんだけど、道具を持たせると使えるね」
と柳井が軽口を叩く。
「どういうこと?」
憮然とした潤蔵が、包丁を止めて聞き返す。
「いや、ギターも歌も上手いし、包丁を持たせれば料理も上手い、そしてゴルフクラブを握らせればパープレーもできるっちゅうことよ」
これを聞いて潤蔵もまんざらでもなかったようで、休めていた手を再び動かし始めた。
客の中にもゴルフ好きがいて、有紀も誘われると都合をつけては、いっしょにプレーをする。しかし有紀が気を許して楽しむゴルフのメンバーは決まっていた。静かな遊び上手で、紳士的な大岡という客がいた。柳井もしばしば席を同じくすることがあった。常識的な酔人で、話も理知的で楽しかった。その大岡と潤蔵と柳井、これが有紀のお気に入りのメンバーであった。
大岡がメンバーになっている全国にチェーン展開しているゴルフ場があったので、四人はよくそれを利用していた。いつも前夜泊である。ゴルフ場付属のロッジとか、近辺の小さな旅館やビジネスホテルのときもあった。
いつも客に料理を作り、酒を勧めているので、こんなときくらい「上げ膳、据え膳」を決め込めばいいのに、有紀はいつも手料理を持ってくる。いいお酒があったといっては持ってくる。ゴルフごときに何をそんなに大荷物を、と思っていたのだが、実はそれはお気に入りのつまみやら珍味、手料理やら酒のボトルなのであった。そういう家族旅行を楽しむような家庭的な女が、どうして酒場をしているのか、それは大岡も柳井も抱く疑問であったが、二人ともそんな無粋なことは質さなかったのはいうまでもない。
夢を思い出した柳井は、歯磨きもそこそこに昔、有紀の店で知り合った佐々木に、年賀状を頼りに連絡をとった。十年も若い彼とは有紀の店で知り合ったが、意気投合してよく同席することがあった。弟のような若者だった。他の客は柳井と佐々木のやり取りを聞いては、会社の上司と部下かと思ったという。それほど打ち解けた言葉使いができる間柄ではあったが、柳井が店から遠のいたので、佐々木とは年賀状だけのやり取りになっていた。
佐々木によると、
「入院したり、退院したりしているみたいですよ」
と、そっけないものだった。
入院したり、退院したり、なんていっている場合じゃない。入院しているに決まっている。柳井は正夢をよく見る。
柳井には、かつて独身のころ雑誌の記者をしており、大変世話になった山口という編集長がいた。
その編集長の柳井へのひそかな期待にうかつにも気がつかず、柳井は転職したことがある。年賀状のやり取りだけで何年かが過ぎたある日、柳井は突然、山口に会わなければならないという強迫観念に捕われた。いてもたってもいられなくなった柳井は、アポを取って彼を訪問した。
山口がいる出版社で彼に久しぶりに再会した柳井は、彼のあまりにも変貌した様子に、一瞬、我が目を疑った。すっかりやせ細り、髪は真っ白で、まるで仙人のようであった。静かに歩く姿にも、昔日の行動的な面影は無い。
四方山話をして、辞去の意を伝えると、
「柳井君、何か話があったんじゃないの?」
と山口は、会議室の出口で柳井に声をかけた。
そこには、かつての山口のやさしい瞳があった。
「いえ別に。お忙しいところをありがとうございました」
柳井が山口に世話になっていたころ、若気の至りで給料を計画的に使う習慣が身についておらず、しばしば世話になったことがある。恐縮して彼の席へ行くと、柳井が何もいわぬうちに、
「いくら要るんだ?」
といつも見透かされた。
それから二ヵ月もしたころ、柳井は山口が勤務する出版社の社長から電話で、彼が癌で急逝したことを知らされ息を呑んだものだ。
そんな経験があったものだから、柳井は取るものもとりあえず、昔、有紀が入院し、潤蔵とともに見舞いに行ったことのある病院へと急いだ。そこは彼女のかかりつけの病院であった。
駅で聞き、交番で聞いて、やっとその病院へたどり着いた。この前、会ったのはいつだったろう。店には、六年も七年も行っていないが、そうだ、二年ほど前、新宿の地下の商店街でばったり会ったことがある。そのときは、長い別れの件には触れず、お互いに健康を確認しただけの立ち話であった。
病院の受付けで有紀の名前を告げると部屋をすぐ教えてくれた。
有紀が入っている部屋は、ナースセンターのまん前である。ナースセンターから常時監視できるようにしてあるためか、ドアは開け放たれている。入り口の名札の上にはオレンジ色の札がかかっている。それだけで、様態が尋常でないことを察した。
恐る恐る病室のなかへ足を運んだ。
――そこには変わり果てた有紀が、顔をこちらに向けて横たわっていた。自分では手入れができなくなったと思われる髪、土色の生気のない顔、黄色くよどんだ目、柳井は一瞬、立ち止まってしまった。これが何年も会わなかった有紀の姿か。
誰がいったい、あの艶やかで粋に着こなした着物姿の有紀と、この病床の有紀を同一人物と認識できるだろう。これが気にしていた有紀との何年ぶりかの再会とは、あまりにも酷であった。
有紀は曇った瞳で、じっと柳井を見つめた。
柳井は有紀に顔を近づける。
「有紀ちゃん、柳井だよ。わかる?」
「・・・や・な・さ・ん? わ・か・る・・・。 会・え・て・・よかっ・た・・・」
そういった。微かに、口に耳を近づけないとわからないほど弱々しい声でやっとそれだけ言って、はぁっと小さな吐息をついた。
会えて良かった? 有紀もそう思っていたのか。柳井は胸に込み上げるものがあった。
「苦しいの?」
柳井は、われながら馬鹿なことを聞いたと、言ってしまってから後悔した。
話すのは大変なようだが、聞くほうは何とか大丈夫らしい。しかし、あれこれ話をして、身体に障ってはいけない。柳井は有紀の手を握ってやった。握ってはっと思った。
有紀の手を握るのはこれが初めてであった。暖かくも冷たくもなく、わずかに握り返す力がいかにも弱々しい小さな手だった。長い入院のためか、いつか見せてくれた水仕事による指の荒れはすっかりなくなって、すべすべしていた。柳井はじっと有紀の目を見た。
何かを言いたそうで、口を動かすが、注意して傾聴しても、意味がなかなか聞き取れない。テーブルの上のメモには〇九〇で始まる携帯電話の番号が大きく書いてある。美海と、ひとり娘の名前が書いてある。美海ちゃんか、もう何年も会っていないなぁ。
有紀がしきりに何かを言おうとしている。やっとのことで、意味があるように彼女の話をつなげると、
「下にクルマを待たせているので、行かなければならない。身体を起こして欲しい」
ということになる。
・・・何を言っているのだろう。重病患者がクルマでどこへ行くというのだろう。柳井は介護の経験もないし、こんな病人を一人で動かすわけにはいかない。看護士を呼ばなくては・・・。有紀は、相変わらず同じことをつぶやくように言っている。
完全看護とはいえ、こんな重病人を病室へ一人放置していいのだろうかと思う。しかし、病院側にしてみれば、目が届くナースセンターのまん前に ベッドを据えてあるし、病室の天井のモニターカメラでチェックしているし、と、すべてが日常茶飯事なのである。
患者側では一族郎党を上げての一大事なのに、である。両者における、この状況受容のギャップが、世間でのいろいろな医療上の問題の発端となる。柳井は自分の母を、高校生のころ肝臓癌でなくしていた。そのときの国立病院の看護婦の母への対応が、あまりにも事務的で、不用意な言葉を言ったりしたものだから、その看護婦に噛み付いたことがあった。
有紀はこのころは、重病ながらもまだ「病に責められている」という感じはなく、病と穏やかに同居しているように見える。我慢強い人だったから、辛いところは見せないのかもしれなかった。このとき柳井は、後刻の彼女の惨状をまったく予想だにできなかった。
足音で人の気配を察した柳井が振り返った。
「!・・・、あら柳井さん?」
「美海ちゃん? 久しぶりだね。こんなところで久しぶりもないけどね。元気?」
「はい。柳井さんは?」
柳井は、すっかり成熟した美海に目を見開いた。物腰の柔らかさは昔のままだが、肌がみずみずしく女の香りが立ち上っているようだった。昔の子供らしさが抜け、見違えるようにきれいになっていた。柳井は、美海がまぶしかった。
美海は、何年も会っていなかった柳井に、こんな時にこんな所で会えることが不思議でもあった。どうして柳井が、突然ここへ来ることができたのだろう。
「お母さん、柳井さんよ。わかる」
「お母さん、喉渇いている?」
「お母さん、これここへ置いておくからね」
美海は、母親が幼子をあやすように、丁寧に、丁寧に面倒を見ている。まるで幼稚園の先生のようだが、実は美海は幼稚園の先生だったころがあった。そんな美海の地に足がついた母への看護の仕草を見ていると、母親が病身であるということもあるが、ここの家庭でも親子の世代交代が済んだことを知る。
どこの家庭でも、子供が未熟のころは家事や子供の将来については、親が決定権を持っているが、息子や娘が成長するにつれ、親は子供の意見を尊重するようになり、やがて「老いては子に従う」という諺のようになる。
柳井が有紀や美海に会っていたころは、三十前の美海は、まだまだ母・有紀の掌の内であった。有紀はしゃきしゃきしていたし、柳井が知っている美海は「泣き虫お嬢」であった。
ひところ、美海や有紀と同居する祖母、つまり有紀の母が精神的な介護が必要になっていたある夜、美海からお店にいる有紀に電話がかかってきた。会社から帰宅した美海は祖母が隣近所の人や警察を煩わせ、自分ひとりでは手に負えなくなって母に応援を求めたのである。
そのような電話を手にしたところで、有紀も店を切り盛りしている最中だし、如何ともしがたい。しばらく話してから、その受話器を柳井に渡した。柳井は電話で話を聞いてやったが、泣いてばかりで、とても要領を得なかった。
そんな話をしたら「今でも泣き虫ですよ」と美海は照れて微笑んだ。美海の昔の笑顔がそこにあった。
しかし、甲斐甲斐しく有紀を介護する美海の背中を見ていると、泣き虫美海が、柳井の知らぬ間にすっかり大人びた女性に変わってきていたことに、柳井は感慨深いものを覚えた。
柳井が美海に最初に会ったのは、美海が保母資格取得の専門学校の卒業を間近に控えたころであった。当時、有紀は店では客からは独身と見られていた。
あるとき有紀が柳井にいった。
「柳さん、若い子を紹介してやろうか?」
「えっ? なんて言った?」
「だから、若い子。嫌い?」
「何を言ってんの? 本気? そんなこともしているの?」
柳井は、声を潜めて問い返した。
それは、有紀の照れであった。柳井もそれまで、店内では有紀と親しい話はしていたが、有紀の私的なことに話が及んだことはなく、他の客と同じように有紀は独り者であると思っていた。
柳井が有紀とともに美海に初めて会うことになったとき、有紀は離婚した相手との間に美海がおり、美海の幼児のころから自分の母親とともに夢中で厳しく育ててきたことを話した。仕事が夜であるだけに、有紀は美海が就寝するころ、抱いてもやれず、添い寝もしてやれず、やりきれない辛い日々に仕事をしながら人知れず涙したと、気丈夫な有紀が目を潤ませて柳井に語ったことがあった。
片親であっても、人前に出ても恥をかかないように、有紀は美海に厳しい躾をしてきた。後になって、美海が話すところによれば、「母親は怖い」というイメージを持っていたころがあったそうだ。物差しで叩かれたこともあったという。「ひとりっ子で女の子」から想像できるような、ちやほやされた育てられ方は、まったくされていなかった。
そのお陰か、あるいは美海がもともと持っている資質もあるだろう、美海の行儀作法は完璧と言っていいほど自然に身についている。柳井はよく、若い女性と食事をするが、普段の立ち振る舞いが可愛い娘でも、箸の取り扱いが雑であったり、猫背、犬食い、食べるときのクチャクチャ音と、何かしら気に障ることがあって、もう二度と連れて来まい、と思ったりすることがよくある。
しかし、美海にはすべての所作が自然で、柳井にはお気に入りの娘であった。どこへ連れて行っても恥ずかしくなかった。
その美海が、学校へ行っているころは有紀の意見も従順に聞き入れていた。しかし、おとなしい美海とはいえ、成長し、専門学校へ行っていろいろな知識を得、自我も人並みになってくれば、有紀と意見の相違も出てくる。有紀は、聡明な美海に理屈では負けてしまうことがある。美海が自分の枠を越えて大きく成長したことを悟った。有紀は、美海には「男の意見」が必要だと思った。女の考えが「鼻先三寸」であることが自覚できるほど、有紀は冷静に自分たち母娘を見ていた。
その役を、有紀は柳井に託そうと思ったのだ。店では独身ということになっていたし、いまさら面と向かってそう言い出すわけにはいかず、それが、「いい子を紹介してやろうか」という照れになって表われたのであった。
その後、柳井は機会あるごとに美海に会い、食事をしたりしながら、美海の話を聞いてやった。有紀の店では嫌であろうから、若い女性が好みそうな「かわいい」レストランや酒場を選んだ。柳井には、そのころの若い美海の心の内を窺がい知ることはできなかったが、美海が柳井の仕草に少し驚くようなことが何回かあった。
あるとき、柳井は美海にネクタイを貰った。そのときのスーツにも合いそうなデザインだったので、早速、そこで絞めなおした。それを美海がじっと見ていた。
「そうか、美海ちゃんは男の人がネクタイを絞めるのを見たことがないんだ?」
「はい」
小さいころから祖母、母との三人で暮らしてきたので、男の人がネクタイを絞める機会には巡り合わなかったのである。
学校を出たての美海は、幼稚園という初めての社会生活の中で巡り合うさまざまな「事件」や悩みを柳井に話した。あるときは嬉々として、そしてあるときは愚痴っぽく語った。柳井は娘のような美海のそのような話を聞くのを楽しみにしていた。
考えてみれば美海は、ずっと女性社会で成長してきた。女性だけの家族、女学校、そして幼稚園という、これまた女性社会。幼稚園での「事件」も考えてみれば実に女々しい事件で、男性の一声があれば解決するようなものが多かった。
やがて美海は、自分から選んだ現在の企業へ転職することになる。そこへ入ってからの美海は、社会での男と女とのかかわり方を興味深く学習して行ったことだと思う。世の中には男と女がいて、それぞれの属性感情とエゴの中で社会も企業も動いていることを身を持って体験することは大事なことだ。理性以外のそうした要素が人生模様を編みなしていく。その点で、美海の転職はよかったと柳井は思った。
そのように、すべてに受身でおとなしかった美海が、いま母・有紀の世話を自分が母親のように、十分な自信を持ってしているのを見ると、柳井は自分との空白の数年の間に、美海がすっかり大人になったことを感じた。
柳井は、自分のふとした夢のいたずらで、すでに始まっているドラマに突然飛び込んできたようなことを、美海の話で理解する。
有紀の肝臓が悪化し、通いつけのこの病院へ入院したのは、昨年十二月の中ごろであった。彼女の誕生日であったという。年が明けて松の飾りが取れたころ、有紀は危篤状態に陥る。そのとき美海は、病名が肝硬変から肝臓ガンになっていること、あと余命幾ばくもないことを医師から知らされ愕然とする。父親も兄弟姉妹もいない美海は、まさに奈落の底へと突き落とされた。
驚天動地の美海は、完全看護の病院ながら、有紀の病室に補助ベッドを借りて、唯一の身内の有紀に懸命の看病をした。病院からの通勤もした。女性であるだけに入浴や衣装変えの苦労も並大抵ではなかったという。
その甲斐があってか、有紀の容態は小康状態となり、美海も自宅で寝泊りできるまでに持ち直した。しかし、会社の帰りには必ず病院へ寄り、有紀とのひと時を過ごすのが美海の日課となった。有紀は病院の食事を好まず、美海は何とか食べさせようと、有紀の口に合うものを探しては病院へ持っていった。病院の有紀の夕食は美海が食べるのが常となった。二人の時間を少しでも長く持ちたい、美海はそう思っていた。
「お母さん、それは無理よ。今日はお熱が少しあるから、今夜様子を見て、落ち着いたら、明日、帰りましょう。ね、先生もそれならいいとおっしゃってるから、ね」
美海や、そこへ入ってきたナースの話によれば、今日は一日帰宅のOKが出ていたそうである。ところが、昨日、少し熱が出た。そこで病院側としてはその熱が今日収まれば、明日はよろしい、とのことであった。
それで柳井が病院に着いたころ、有紀が「クルマが下に待っている」といったのだ。闘病により一部幻覚症状が出ているとはいえ、主婦として家庭を長く空けてしまえば、あれこれと気になることがあるのだろう。たくさんある和服のことも気にかけていたという。
しかし、今になって思えば、あの時、有紀は自分の死期を確実に意識していたと思われる。
「美海ちゃん、よかったら私もそれを手伝うから」
柳井は、一日帰宅の手助けを申し出た。車椅子を搭載できるリフトつきのタクシーであっても女手だけでは無理である。
「え、よろしいですか。助かります」
美海は、遠慮もしないで即座にそういって素直に喜んでくれた。柳井もその言葉で、美海とのそれまでの長い空間が一気に埋まったような嬉しさがあった。
有紀にしても、突然現れたとはいえ、かつては身内のように馴染んでいた柳井であれば、何の遠慮も要らない。
「お母さん、柳井さんも一緒に行ってくださるって、よかったね」
柳井は、久しぶりに会えた有紀・美海親子に喜んでもらって、何か役に立てそうでひと安心した。
暖かい鍋料理
「なにもかも便利になったねぇ、ですって!」
車椅子ごと乗り降りが可能なタクシーの後部に、車椅子ごと載せられた有紀の隣に座っている美海が、前の席の柳井に教えた。有紀のやっと話す小さな声を美海が柳井に「通訳」してくれたのだ。
確かに便利なクルマだ。ワンボックスカーの後ろの跳ね上げ式一枚ドアを開ければ、リフトが装着されていて、そのリフトで車椅子の患者を難なく乗降させる仕組みになっている。運転手もリフトや車椅子の取り扱いのコツを体得しているらしく、作業中になるほど、と肯首できることがいくつかあった。
しかし、運転が雑である。貨物トラックでも荷崩れを気にしながら慎重に走るのに、この運転手は車椅子が車両に固定されているからいいと思っているのか、スピードは速いがブレーキを踏むタイミングが遅く、急な減速をし、車線変更も急である。柳井は、これも自分が有紀の容態を思いやる気持ちが強いから、そう思うのかとも思い直してみたが、やはり運転は乱暴といわざるを得なかった。
有紀は、久々の外の景色を嬉しそうに眺めては、何か呟いているようだった。一時は危篤状況にあって、それを抜け出して小康状態にあるとはいえ、これが最期の外出になるかもしれないという予感は、車中の誰もが抱いていただろうが、同時に再び皆で外出できれば、とも熱望していた。
帰宅した有紀は、まず自分の部屋へ行きたがった。柳井と美海が車椅子ごと有紀を彼女が居室にしていた部屋へ入れた。有紀と美海は一時間以上も出てこなかった。有紀も美海も、有紀が二度とこの家には帰れまいということを、すでに十分悟ってはいたであろう。
有紀の部屋から車椅子の有紀とともに出てきた美海は、
「柳井さん、こんな写真があったの。覚えてます?」
といった。
柳井はその写真を手にして、一瞬、息が止まった。
写真には、美海と有紀、柳井、そしてそのころのなじみ客の四人が写っている。千葉県の牧場公園でのひとコマであった。背後には、黄色い菜の花が一面に咲いている。柳井が夢で見たのはこの菜の花畑であったのだ。このように黄色い菜の花が一面に咲き乱れる花園で、有紀が鶯色の和服で柳井を呼んでいた。
写真に写っている有紀はカジュアルな洋装で、美海も真っ白なダウンジャケットとジーンズ姿だ。有紀の表情には、張りもあるし、まだまだ若さが漲っている。美海の表情には天真爛漫な素直さが見て取れる。
「お鍋がいいわね。お母さん、お鍋でいいでしょ。みんなで食べるんだから」
病院では、そういう話になっていたのか、美海はテーブルの上にコンロや鍋、食材などを手馴れた手つきで整えていった。
有紀が好きな牡蠣や、刺身などもあってテーブルは大賑わいである。病院での退屈な食事に比べれば、それこそ盆と正月が一緒に来たようなビッグ・ディナーとなった。
「お母さん、美味しい? みんながいるから余計に楽しいね」
美海も嬉しいのか、手を動かしながら有紀に盛んに話し掛ける。病気加療中とはいえ、柳井は家庭の女たちが嬉々としているところを見るのは久しぶりだったし、嬉しくもあった。
車椅子に座った有紀は、多分、久しぶりの笑顔を見せた。この笑顔だ。闘病で窶れてしまったとはいえ、それは元気で気性が強かったころの有紀の笑顔を髣髴とさせる。柳井も微笑み返した。
ふとしたことから、そして今になってみれば馬鹿なことだと悔やまれるが、あるとき柳井は、お店での有紀の態度に堪忍袋の緒が切れ、意識したわけではないが、有紀の店への足はそれっきりとなってしまった。
それまでにも、差し出がましいことではあったが、お店のやり方とかスナックの女の子の使い方とか、有紀自身の酒の飲み方とか、親しいがゆえにいろいろと言い合うことはあった。時には潤蔵が見かねて仲裁に入ることもあった。姉弟喧嘩のようなものである。しかし、それは次に柳井が暖簾をくぐればすべて解消されるのであった。男女の揉め事は、男が我慢すればだいたい収まるものだ。
有紀と板前の潤蔵も、客がいないときには、お互いに言いたいことを言い合ったものだ。どちらにも言い分がありそうで、柳井は聞くとも無くグラスを舐めていると、
「ねえ、柳さん、俺の言うことが正しいだろう」
と潤蔵がいう。
「そりゃぁそうだけど、そういうわけにはいかないわよ、ねぇ、柳さん」
と有紀も味方を求める。
一本気の潤蔵が相手では、結局は、経営者の有紀が折れないと収まらないのだ。
ある時、ひとしきり言い合ったあと、潤蔵が乱暴な言葉を有紀に投げかけた。有紀も我慢が限界、というときに四、五人の馴染み客が折りよくドアを開けた。
有紀は、それまでの泣き出しそうな顔もどこへやら、何事も無かったように客へ挨拶をし、お通しを出し、勺をした。この急変化は何だ。さすがにプロというしかない。何事も無かったような満面の笑みであった。
一段落して、
「それでは、銀座のお店でお待ちしていますから・・」
客にそういって、有紀は店を出た。
柳井も、明日は休みだし銀座にでも行ってみるかと店を出た。
微醺を帯びた頬に夜風を受けながら新橋の街を流していくと、前方に有紀が荷物を持って、重いのか不自然な歩き方をしていた。今頃、こんなところを歩いているということは、どこかに寄っていたのかもしれない。後ろから近づいた柳井は、声をかけずにその荷物をいきなり持ち替えてやった。
有紀は、驚いて見上げたが、それが柳井とわかると、
「あ、柳さんなの、びっくりした」
そういうと有紀は、突然、大きな涙をポロリとこぼした。先ほどの潤蔵との一件で、柳井が潤蔵の味方についてしまったとでも勘違いしていたのだろう。今度は、味方についてくれたとでも思ったのか、ハンカチで涙を押さえながら、小またで柳井に追いつきつつ、潤蔵を攻め立てた。
「有紀ちゃん、こんなとこで止めてくれよ。知らない人が見れば、遊び人が夜の蝶を泣かしているように見えるじゃないか。私はそんなに男前じゃないけどさ」
この時間に和服姿で、髪をアップにまとめていれば、誰が見たって銀座のママの姿である。その有紀が、ハンカチを握り締めて小走りに柳井を追っていれば、誰しも、二人の間のトラブルに思いをいたすだろう。
「あ、ごめん」
有紀は、目を押さえてハンカチを袖にしまった。
鍋の向こうの有紀の微笑みを見て、柳井は彼女に会えて本当によかったと安堵した。有紀が昨日、柳井が初めて見舞いに来たとき最初に「会えてよかった」といったのは、同じ気持ちだったのかもしれない。
有紀は、これが重病人かと思われるほど、美海がきわめて少量に小分けした牡蠣や刺身を口に入れた。美海が食べさせようとすると、それを遮り、自分の箸でつまんで口へと運んだ。すべてが緩慢な動作だった。
しかし、飲み込んだと思った食べ物は、少しかんだだけで、口の中に溜まったままである。それを美海が取り出してあげると、また他のものに箸が伸びる。美海も柳井もその食欲に驚かされたが、実際には何も飲み込まず、噛み汁を飲んだだけであった。もはや身体がそれを受け付けなかったことは誰の目にも明らかであった。。
鍋を見て有紀が何かを言う。
二人は箸を止め、耳を傾ける。
美海がいう。
「味噌を足しなさい、ですって!」
ふたりは顔を見合わせる。次には、
「お砂糖を少し入れなさい、ですって!」
柳井は驚いた。身体も精神状況もこれほど衰弱した、一人では自分の身体もままならぬ重病人が、まだ矍鑠として鍋の味にこだわる、この執念というかプロ意識というか。柳井が有紀を見ると、憔悴し果てた顔の中にも得意そうな気配がチラッと窺われる。有紀ちゃんめ、昔とぜんぜん変わってねぇや、柳井は内心嬉しく思った。このまま回復するのではないか、とさえ思った。
健康な人でも、みんなで食べれば美味しく食べられる。美海の祖母亡き後、有紀も美海も家族とはいえ一人一人別々に食事をすることが多かったろう。このビッグ・ディナーは有紀にとっても美海にとっても近年まれに見る楽しいものであったに違いない。
別 離
翌朝、柳井は美海にEメールを送った。
「動かしたので熱が出るかもしれないよ。大丈夫とは思うけれど様態が急変するようなことがあったら、連絡してください」
そのとき柳井は、何気なく使った「急変」という言葉が、数時間後に、本当の意味を持って自分に覆いかぶさってくるとは夢にも思わなかった。軽い気持ちで使った言葉であった。このEメールに返信として返ってきたのが――、
「病院から、意識が遠のいているのでなるべく早く来てほしいと電話がありました。いま病院へ向かっています」
という美海のEメールであったのだ。
「有紀ちゃん、有紀ちゃん、しっかりしろ。聞こえるか、柳井だよ」
手に微かな反応があるが、注意しなければわからないほど微弱なものだ。
「お母さん、お母さん」
美海も必死に呼びかける。私が来るまで一人で有紀を励ましつづけてきていた美海がいとおしい。ここで有紀がいなくなれば、父親も兄弟姉妹もいない美海には家族がなくなる。天涯孤独――。
「お母さん、お母さん、聞こえるの、ねえ、お母さん、返事してよ!」
美海の絞り出すような涙声は柳井の胸を裂く。
ナースの話によれば、午前中は話もできて、医師やナースたちに昨日の帰宅のこと、鍋料理のこと、それらがとても楽しかったと何度も話したそうだ。それを聞いた柳井は、それはそれで自分も良い手伝いができたと思うが、それが彼女の症状を悪化させたことは明らかで、それがなんとも遣る瀬なかった。帰宅許可を出したのは医師だし、柳井にはそれを取りやめる理由も医学的知識もなかった。
有紀の症状は、刻一刻と悪化していくのが解った。人が来世へ旅立つ厳粛な準備が自然がなせるままに進められている。酸素吸入をしていて、その空気音が呼吸に合わせて聞こえる。喉に痰が絡んだような気配があって、呼吸のたびごとにガラガラとうがいのように聞こえることだ。何とかしてあげたいが、素人の柳井や美海には如何ともできなかった。
病室には、美海と柳井しか居らず、ナースはいない。ナースを呼んで吸引してもらったが、またすぐに溜まる。吸引のたびごとに体液には血の色が濃くなり、量も増し、素人目にも、もうどうにもならないことが解る。吸引しているのは肺に浸潤してきて、喉元まで上がってきている体液とのことだった。
一時帰宅した昨日も、すでに体内に水が溜まっており、小さい体躯の有紀の身体が妊婦のようにとっぷりと膨らんでいたし、細かったであろう脛のあたりもむくんで柳井の足より太かった。その体液を抜いてしまうと本人は楽になるかも知れないそうだが、体力が落ちてしまうので抜けない、とのことであった。その体液が、衰弱した肺に浸潤し、気管を登ってのどのあたりまで来ているのだった。
静かな病室に、有紀のガラガラという苦しそうな喉の音が響き渡り、美海や柳井の有紀を励ます声が飛び交う。ガラガラの音がひどくなり、また吸引してもすぐに吸引しなければならない。吸引の間隔が狭くなっていく。有紀はまさに、病にこれでもか、これでもかというように「責められている」ようだった。
日がすっかり暮れたころ、有紀の妹や姉、弟たちが慌しく駆けつけ、美海や柳井に変わって必死に有紀の名を呼び続けたり、手足をさすってやる。有紀にはすでに応える力はなかった。喉の音だけが機械的に鳴っていた。
親族に場を譲って病室を去ったが、柳井の足は重かった。病院の駐車場の水銀灯が、ほのかな霧のようなものの中に淡い光を放っている。
以前に入院したときは、まだ、これほど悪くはなかったので、潤蔵と二人で有紀の病室でこれ見よがしに缶ビールを飲むような、不謹慎なことをしたことを懐かしく想い出した。山手線の駅まで、あれこれ思案しながら歩いた。
山の手線に乗って二つ、三つ駅を過ぎたころだった。柳井は美海から携帯電話を受けた。美海が泣き声で有紀の死を知らせた。
後で美海が柳井に語った。有紀は親族の看病もむなしく、首を横にガクッと折ると、こんなに、といって美海は両手で水をすくうようにして、真っ赤な血を吐いたんです、といった。美海はそれをみて、ああ、もう助からないって、覚悟を決めた。
柳井にとっては、あっという間の三日間であった。
夢を正夢と確信して、あわててて病院へ急行し、有紀と何年ぶりかの再会を果たした一日目。
有紀の一時帰宅を手伝い、有紀にとっては楽しく、誰もが彼女の死を覚悟していた鍋料理をした二日目。
そして、柳井自ら知らずに予知した「急変」で、再び病院に駆けつけ、有紀の臨終間際まで、彼女を励ましたが、結局、他界してしまった三日目。
「事実は小説より奇なり」と言う。美海は、このドラマのような時の流れに最初からかかわっていた。実に忌むべきことではあったが、有紀が死にゆくことに対する覚悟を徐々に固めていくことになった。有紀との時間を、小鳥を両手で育むように大切に丁寧に過ごすことができた。病院への泊り込みの看病もしたし、病床の有紀の言うことをわが子の願いを聞く母のように優しく聞いてやり、慰めてやることができた。しかし、唯一の身内を失った悲しみは誰よりも深い。
柳井は、長く続いていたドラマに途中から飛び込むようなことになって、自分がそのドラマの終幕を無理矢理下ろさせてしまったのではないか、というような複雑な気持ちが残る。
たった三日間のうちに展開された、お互いに自分の口からは先にいえなかったが待ち望んだ久しぶりの再会、過ぎし日を懐かしんだ喜びの食事の日、そして、あれよあれよという間のあっけない別離――。
それは清涼な夜空に輝く星の瞬きのような、瞬時の現象に過ぎないのかも知れない。しかし、柳井にとっては、あまりにも「突然で」「急激で」そして「圧縮した」三日間であった。
その三日間は、何の準備も無かった柳井の胸のうちを嵐のように過ぎ去っていった。
(了)