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短編

一休VS屏風の虎

作者: 相浦アキラ

 殿の住まう御殿に佇む一隻の金屏風。

 そこに描かれた、実物と見紛う程の威風を持つ虎が、夜な夜な屏風を抜け出しては城内を荒らし回るという。

 そんな噂を聞きつけた一休は、得意のトンチで褒美をせしめようと、殿へとお目通りを願い出たのだった。


「よく来たな、一休とやら」


「ご拝謁に授かり、恐悦至極に存じます。このご恩に報いる為にも、必ずや、殿の息災を脅かすかの悪逆無道なる虎めを、しかと退治して御覧に入れましょう」


「ふむ。良きかな。良きかな」


 緋色の紐をたすき掛けに、純白のねじり鉢巻きを固く縛り、正に臨戦態勢の一休。

 屏風に描かれた虎の眼光に負けじと、円らな瞳を鋭く尖らせる。

 そして、一休は口元を不敵に吊り上げる。


「殿……では早速、この屏風から虎を出して頂きたい」


「そこは俺の左右出来得る所では無い」


「…………!」


 一休にとって、殿の冷淡な言葉は予想の範疇を超えていた。


『ほう。童め、言うではないか。これは一本取られたようじゃ。褒美を取らせよう。ホレ、そこのお前、褒美を持て』


 一休が期待していた殿の返答は、そういった類の物であった。

 しかし……


「虎は夜に出る。それまで英気を養うがいい」


 追い打ちを掛けるように、殿が淡々と呟いた。


 ……おかしい。何かがおかしい。どこで道を見誤った。

 少年の勝ち誇った表情は動揺に揺れていた。


  ◇


 一休は、眠れなかった。

 眠れるはずも無かった。

 やがて、ふすまの開く乾いた音がその時を告げる。

 一睡もできないでいた一休は、不安と興奮に目を見開く。

 月明りの怪しい、丑三つ時であった。


「一休様。先ほど、虎が現れました」


 一休は腑に落ちた。

 かねてより鳴り響く、荒道を行く牛車のような、彼方の霹靂のような、そんな小さく重い響は、やはり屏風から抜け出した虎の発する物であったか。

 一休の背筋に、鉛のような恐怖が滲んで行く。


「ご案内いたします」


 若い女中の声に、その伏し目に、微かな同情の色が滲むのを見出してしまった事も、一休の不安にいよいよもって拍車を掛けた。


「お任せください」


 それでも一休は気丈に振舞う。

 まだ、何かの間違いであるやも知れない。

 そうだ。殿が苦し紛れに、自分をからかっているだけやも知れない

 一休はそんな一縷の望みに縋るしかなかった。


「一休様……」


「すぐに向かいましょう」


 脚の震えるままに、腰が抜けそうになるのを耐えながら、一休は空元気を絞り出し、布団を跳ねのける勢いのままに立ち上がった。


 しかし……一休が渡り廊下を進む間も、不気味な唸り声はいよいよもって明白に、時に大きく、時に小さく、緩急を持って迫りくるのであった。

 そんな地獄の底から響き渡るような声が、鬼胎を煽る様に、怯える一休の鼓膜を震わせ続ける。

 廊下が垂れ落ちる水飴のように歪む。


 一休は、歩みの度に死を見つめつつあった。

 すべて何もかもが、一休をからかう為の嘘である。かつて抱いていたそんな希望を哂う事すらした。


 しかし、実際に御殿へのふすまを抜け、響く唸り声の中、すっかり虎の抜け落ちた金屏風を目の当たりににした一休は、自分の心を支えていた筈の覚悟の虚実を、その瓦解を知った。


 それでも一休の胆力は腐っても並外れていた。一休は泣き叫ぶ事も、逃げ出す事もしなかった。

 少しでも弱みを見せれば、虎の鋭い牙が飛び掛かり、自らの背後を掻き砕くであろう事も一休は理解していたし、それを許す程一休の意志は死んでいなかった。


 一休は、ただひたすらに、唸りの響く中、生存へのか細い糸を手繰り寄せる。

 同時に虎の姿を見極めんと、部屋の隅々へと目線を動かす。

 虎の姿は、見えない。

 続いて屏風の中に虎がいないか、念入りに確認する。

 やはり、屏風から虎の姿は抜け落ちている。それは分かっている。それはいい。


 ふと、一休は思い起こす。

 胸元にお守り換わりにしまい込んだ、鬼道呪式が黒く染みついた、しなやかな椿紙こうぞしのお札。

 出立の折に和尚が持たせてくれた、見送りの品であった。

 和尚は神仏習合の鬼道、その使い手である。


 ――虎を斃すには、神鬼の力を借りる他無い。

 この札により、虎を成敗するのが、無二の筋だ。


 道を見出してからの一休は、唸り声の中でも不思議と落ち着いていた。

 お札を強く握りしめる。


 そして……


「――阿ッ!」


 一休の一喝。


 屏風の陰から驚き覗いた虎が青白い牙を光らせる。


 虎が小さく屈む。後ろ足を踏み込む。


 一休はお札を中空に放り出し、背面に倒れ込む。想定で何度も繰り返した美しい規定動作。

 一休はこの動作だけに神経の全てを集中した。前後の虎の所作を確かめる事は一切しなかった。因果の確定を無視する事で、その分の意識を動作の精錬に向けたのだ。

 分の悪い賭けの勝率を、一厘でも引き上げる為に。


 そして、ばねの様な跳躍。

 迫りくる虎。

 その鼻面に、お札がピシリと貼りつく。


 氷の割れるような音。踏まれた猫のような叫び。虎は、手の平に乗せられる程度に、小さく縮んで行く。

 それでも虎は勢いのままに、一休の頭蓋に前足を叩きつけ、首筋にも牙を立てる。


 ……しかし、間一髪。一休は生きていた。

 虎の大きさは、一休の命を奪うには至らない大きさにまで縮んでいたのだ。


 頭蓋の鈍痛と、首の出血こそあったが、一休の命に別状は無かった。

 やがて、にわかに一休が巨大化したと勘違いしたのか、虎は怯え逃げていく。


 ――助かった。


 灼けるような痛みの中で、生の実感と幸福を初めてのように感じる一休。


「和尚様……ありがとうございます」


 灰になったお札から、鬼道の力が発揮されたのだと一休は今更に思い至った。

 過信し、お札を固辞しようとした自分の傲慢を恥じた。


 一休は仰向けに寝そべったまま、心地よい胸の鼓動をひとしきり楽しむ。


 やがて一休は、壁際に追い詰め捕まえた子虎と、和尚への感謝を胸に抱きしめたまま、夢心地のまま夜明けを待った。



  ◇



 ……夜が明けた。

 茜に輝く曙が、蔀の影を作る中で一休は治療を受ける。

 さらに翌日。万全になった一休は、再びの殿への御目通りが叶う。

 虎を入れ込んだ木籠を傍らに、一休は深々と坊主頭を下げる。


「童め、本当に捕まえるとは夢にも思わなかったぞ。大した勇猛さではないか。うむ。良きかな。良きかな」


「勿体ないお言葉で」


 死線を潜り、見違えた一休の佇まいを認め、殿は小さく唸った。


「……小僧。俺の下で働く気は無いか」


「ははっ。命を賭してお供させて頂きます」


 こうして一休は、足利家の家来として召し抱えられ、度重なる武功によりその名を上げていく事となる。


 彼の勇猛果敢な戦いぶりと、頓智を利かせた権謀の巧みさは、広く東西に轟き渡り、一騎当千の無双としてその名を馳せたと言う。



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