転章・狂人じゃなく…
転章・狂人じゃなく…
~一人の少女~
インタビュー終了後。
「…、では、個人的な興味でもう少し突っ込ませていただきましょうか。[眠り姫]の調子はどうですか?」
ダン。ガタン。
この男は何者だ?さっきまでのタカシさんと雰囲気が全然違う。
タカシさんは手を前に出し、
「まあ、落ち着いて座ってください。先ほど私はあなたに一つ嘘をつきました。本当の事を言いますと、あなたの事はほぼ全て調べてあります。無論、画家と精神科医の事もね」
僕ら全員の事を調べている。
それはつまり、[眠り姫]の事も筒抜けだろう。
「…何が目的ですか?」
精一杯の虚勢を張りたずねる。
「一人の逃眠病患者を救っていただきたい」
返ってきたのは予想外の答えだった。
「………」
何も答えられなかった。
まだ、僕は絶対に治せる保障なんて無い方法を人に使う気にはなれない。
「む…無理です。今の状況で治療をするのは、人体実験と変わりません。そんな非人道的な事はできるわけがないです」
ガチャ。バタン。
「彼は納得済みよ」
後ろからの声に振り返る。
「姉さん。…納得って、どういう意味ですか?」
「彼は自らの大事な人をあなたに託したのよ」
「な…」
何も言えなかった。
「もし失敗しても彼は他言しない。逆に成功したら世界的に取り上げるわ」
こんな事って…。
「それじゃ非公式の人体実験じゃないか。葉子さんを作った僕とどう違うんだ」
肺の空気がなくなるほど叫んだ。
「じゃあ、あなたは一生くすぶっているつもりなの?そろそろ、転機を迎えるべきじゃないの?少なからず自信はあるんでしょ?」
ただの――雪花以外の――逃眠病患者に対してなら自信はある。理論的には何も問題は無い。
けれど、
「怖いんだ。万が一の事を考えると怖いんだ」
「…ふぅ、…来て。取り合えず患者を診てみなさい。治療じゃなくても出来る事は見つかるでしょう」
そう言って特別病棟の一室――[眠り姫]雪花が眠る病室の隣の病室――に三人でやってきた。
ベッドで眠っていたのは、
「葉子さん…」
「似ているでしょう?アタシも驚いたよ。彼女の名前はケイ、彼の大事な人よ」
ケイと言う女性は僕の恩師によく似ていた。
「アタシも最初は人体実験みたいだから乗り気じゃなかった。でも、姉さんによく似た人がまた、逃眠病で苦しんでると思うと、どうしても助けたくなっちゃって…」
姉さんは俯いて言った。
僕は…僕は。
………。
「分かりました。治療をやりましょう。姉さん、あの二人を呼んでください。治療内容を説明します」
「分かったわ」
「それと、タカシさんは別室で待ってていただけますか?治療はあまりお見せしたくないので」
正直、どうなるか分からない治療は見せたくないし、この治療法は見せられるものではない。
「分かりました」
それから五分もしない内に美月とハジメが来た。
「そろったね。これから逃眠病の治療の説明をする。ここにある薬が逃眠病を直せる可能性を持つ薬だ」
僕は液体の入った小瓶を出した。三人は驚きの顔を見せながら、いつの間に作ったのか、材料、効能を訊ねてきた。
「これが出来てもう一年近く経つかな。でも、雪花に使う事はできなかった。いや、誰にも使いたくない」
「どういうこと?」
姉さんが訝しげに訊ねる。
「これのベースになった薬は、大麻、覚醒剤、コカイン、ヘロイン、LSD、アヘン、MDMA、THCなどのいわゆる麻薬と呼ばれる薬物だ」
三人は無言でこっちを見ている。
「別に、これらの薬品を使ってるわけじゃない。ただ、現存の麻薬にある幻覚作用、これが一番必要だった。この薬の効能を分かりやすく言うと、幻覚作用を用いて悪夢を見せる事で、夢が幸せだという事を覆す薬だ。そうすれば、今度は夢から逃げ、こちらに戻る。つまり起きるんだ。あくまで、理論的にだけどね。自分でも極少量で試したけど、暫く睡眠が恐怖になったし、悪夢が暫く続いた。まったく、葉子さんにあんなにでかい事言ったのに、結局、人を不幸にしてるんだな。それが四方の名の業なのかな?」
苦笑する僕に三人は、
「あ、ははは、四方、お前凄いよ」
「そうだよ」
「よくやったわね」
予想と相反した言葉。
「…え?責めないのか?」
三人の褒め殺しに僕は驚いてた。
「責める必要は無いわ。私は精神科医よ。効率は悪いけど、悪夢で起きた人のケアなら出来るわ」
「そうそう、俺もサポートくらいは出来るしな」
「四方一人で抱え込まなくてもいいんだよ。親友に頼りなよ。ね?」
二人は任せろと言わんばかりにこっちを見ている。
「アタシはね、姉さんが絶対的な不幸だとは思ってないし、姉さんもそうだったと思う。人は何かしら不幸だし、幸せなんだよ。姉さんはただ、一人ぼっちの新人類を作って欲しくなかっただけだよ。だから、この結果にあんたは胸を張っていいんだ」
姉さんも、少し涙が浮かんでいる。
「ありがとう、みんな。じゃあ、これからケイさん起こしにいこう」
僕らはケイさんの病室に入った。
「よし、念のために身体の固定、猿ぐつわを頼む。姉さんは心電図と脳波の測定に専念してくれ」
暴れる可能性、脳波と心電図が異常値を取る可能性は十二分にある。そのために万全の状態にする。
準備が出来上がり、僕は三人の前で、ケイさんの右腕の血管に注射をさす。
ピク。
「うううううううう、ああああああううううあううううううあううううううううううああああああうううううううううううううううううああああああうううううううあうあうあううあ」
獣の様な咆哮が病室にこだまする。ケイさんは体が固定されているにもかかわらず暴れ、布で肌をすっているにもかかわらず、やめようとしない。いや、恐怖で混乱、錯乱している。
「ゥ、ぁ、ぁ、ううううううううあああああああああああ、うあああああああああああああ」
「四方、動悸が激しすぎる。脳波もメチャクチャよ」
「っく、最悪だ」
どうしたらいい?どうすればいい?
もしかしたら。
いや、やるしかない。
「ハジメ、タカシさんを連れてきてくれ」
現実に呼ぶ最後の一ピースが親しき人かもしれない。これこそ奇跡の可能性だ。さっきのインタビューで聞いた、話した『自分たちの愛は自分たちを救う』それにかけてみる。
タカシさんは入室して部屋の異常さに圧倒された。
「な、何なんだこれは…」
当然の反応だった。大事な人が暴れている。しかもそれが治療の一環だからだ。
「苦情、文句は後で聞きます。精一杯ケイさんの事を呼んでください」
「なっ」
「早くしろ!あんたが最後の鍵なんだ」
「っく、ケイ!」
それから、数十分後、病室は静けさを取り戻し、僕はタカシさんに治療の事を全て話した。
「これが、僕が治療に進みたがらなかった理由です。納得いただけましたか?」
「理解できませんね」
タカシさんはハッキリと言う。
「あなたは逃眠病を治せる最高の手助けが出来る薬を開発したんですよ、それなのに、どんな理由があろうと出し惜しみするのは手を貸さないのと同じです。そんなのは納得できない」
「なら、あなたは僕に夢を奪う人間になれと言ってるんですか?」
「その覚悟が無いなら、さっさとその薬は棄てた方がいいですよ」
覚悟。…十年ぐらい前にその言葉を聞いた。
葉子さんの遺言――ここで、人一人殺せないようじゃ、あなたの覚悟は半端ね。[眠り姫]を起こすために何人もの犠牲を乗り越える事になるかも知れないのよ?私の最後にあなたの覚悟を見せなさい――を聞いたとき覚悟はしてきた。僕はただ甘えてただけだ。
「覚悟は十年前にしてきました。何人殺してでも、汚名をかぶってでも、逃眠病を治して見せましょう」
タカシさんは満足そうに、
「さっきまでとは全然違ういい顔つきですよ」
と言った。
「姉さん、羽月グループの全宣伝力を使って、逃眠病を治す手段を正確に伝えてください」
「了解」
「タカシさん、先ほどの手術の映像は流して平気ですか?」
「どうぞ」
「これで、いくつかの逃眠病は治る。とりあえずの未来変革には成功だ」
この治療の賛否両論の反響は凄かった。僕の事を夢を奪う悪魔と罵る人、奇病の治療法を見つけた天才と称える人。否定派の人もいたが、賛成派の沢山の逃眠病患者が逃眠病専門病院を訪れた。それから一週間の間、僕らはほぼ不眠不休で働いたにもかかわらず、治せた人数は百人足らずだったが、世界中のメディアは大きく注目していた。
タカシさんとケイさんは、
「ええ、術後の経過も順調ですし退院できますね。取り合えず鎮静剤は出しておきますので、いざとなったら使ってください」
と、僕のお墨付きを貰って退院していった。
最後にタカシさんが言った、
「あなたに、いえ、あなた達に僅かばかりの奇跡が訪れる事を」
と言う言葉が妙に心に残った。
それから、一年。
奇跡は未だに起こらない。