第3章 真実 ~Truth~
葉子
~眠らず姫~
五月三日、昼前。羽月本家。
如月家からの電話で姉妹に緊張が走った。
「姉さん、姫が逃眠状態に陥ったわ」
「そう、すぐに行くわ。車の準備と姫の搬送手続きを大至急お願い」
「了解」
同日、午後三時。羽月家私設病院。
「お久しぶりです、如月さん」
「こ、こちらこそ、お久しぶりです。…それで娘は、雪花は大丈夫なのでしょうか?」
淡々と話す葉子と狼狽える雪花の母。
「単刀直入に言います。彼女は先日お話したように逃眠病に罹っている可能性が非常に高いです。私たちの技術でも解明できていない奇病ですので、確実なことは言えませんが、これが一番高い確率の話です」
「そう、ですか」
雪花の母は諦めとも落胆ともとれる息を吐いた。
「はい、そこでですが、彼女をこの私設病院に本格的に入院させてもよろしいでしょうか?無論、費用は全てこちらで持ちます」
「それは、披見体という意味ですか?」
酷く沈んだ雰囲気でありながら、子を思う親の意地なのか、目には強い意志が宿っていた。
「違います。とハッキリ言えないところが後ろ暗いですが、現在、彼女を治せる可能性がある人物を三人知っています。しかし、彼らはまだ高校生で、医師免許を持っていません。彼らが免許を持つまで、ここで、彼女の生命の維持をしていきたいのです」
「…わかりました。雪花を…お願いします」
「責任を持ってお預かりいたします」
雪花の母の悲痛な願いを受けた葉子は頭を下げながら血がにじむほど唇をかみしめ、両の手を握りしめていた。
同日、午後五時。車内。
「蛍、三人に連絡を取って。真実を話すときが来たわ」
「はい、姉さん」
葉子の意を決した言葉に蛍は四方に電話を掛けた。
これから語られるは、葉子の真実である。
同日、朝。四方宅。
今日は雪花が起きていたら、四人で遊ぶ約束をしている。何故か僕が朝、雪花に連絡を入れて起きているか確認することになっていた。
――おはようさん、今日は平気?連絡待ってるな。
送信。
それから僕はいつもの朝と変わらない事をしながら雪花からのメールを待った。洗濯物が終わる頃に美月からメールが来た。
――雪花から返事待つついでにこれから二人で行っていい?
僕は良いと言う旨を書いたメールを送り、部屋の片づけを始めた。三十分もしない内に二人が部屋にやってきて、そのまま、昼食をとった。その時間は楽しかったけど、物足りない時間だった。三人でゲームをやって時間をつぶしているうちに、もう遊びにいける時間ではなくなっていた。
ただ、誰もそれを言い出そうとはしなかった。
午後五時過ぎに僕の電話が鳴った。着信は蛍さんからだった。
『もしもし、蛍だけど四方君?』
「はいそうです。どうしたんですか?」
急な電話に僕は質問をした。
『雪花ちゃんの事で話があるの。ハジメ君と美月ちゃんにはすぐ連絡できる?』
雪花の事…。嫌な予感がした。けれど、この話は決して逃げられるものじゃない。僕は決心して話を続けた。
「二人ともこの場に居ます」
『わかった、今からそこに行くわ。長い話になると思うから飲み物でも用意して置いてくれる?』
「わ…かりました、待っています」
『じゃあ、また後で』
ガチャ。ツーツーツー。
ドクドクドクッドックドクッドクドックドク――。
心臓が早鐘を打っている。落ち着けない。
「なあ、どうした?」
心配そうなハジメの問いに僕はやっと意識が戻った。
「羽月さんたちが雪花のことで話があるって。だから、三人で居てくれって。長い話だから飲みのも用意しておいて欲しいって言ってたから準備してくる」
僕は、ぼそぼそとそう告げて飲み物を準備してきた。
準備が終わりコップを並べているときに二人は部屋に入ってきた。
「みんな、こんばんは」
葉子さんの挨拶に各々が挨拶をして、それを見計らい、葉子さんが話を切り出した。
「これから話す事は真実です。どんな話でも信じて欲しい。それが出来ないなら、聞いても無駄だからここから居なくなってください」
始めて見るほどの鬼気迫る口調に僕らは黙ってうなずくしかなかった。
「私が話してる間はしゃべらずに聴いてください。思い出しながら話す部分が多いので、集中したいのです。では、話しましょう。私が知っている事を」
――――。
まずは、私の正体を話すわね。私は未来から来たの。
ふふふ、この話をするとみんな唖然としますね。でも、これは真実よ。今から三十四年後の二〇四二年から、今より十六年前の一九九二年にやってきたの。
どうやって時代を越えたの?と聞かれても、そのときは全てに絶望していた酷い精神状況だったから何も覚えてないの。いえ、何も思い出したくないの。
確かに、いきなりこんな話を信じろと言われても無理があるわね。私がもしあなたたちの立場だったらこの証拠の無い状況では絶対といって良いほど信じてないと思う。現に私もこの時代に来たときは自分の妄想だと疑ってたわ。本当はこの時代で生まれて何かの拍子でそう思っているだけなんじゃないかって。
でも、真実だった。
私は一九九二年には実現できうるはずのない技術を持っていたの。それは、人工筋肉、人工心肺、人工眼球などの超高性能な偽体技術。それのおかげで、羽月夫妻とその娘の信頼を得られたわ。
そして、私の体はそれらで出来ていて食事、睡眠が必要なく、生殖機能も持っていない。そのかわり、人工心臓を壊さない限り死なないし、年もとらない。私は人として不完全な完成品なのよ。
そんな私を作ったのが義理の父親である未来の四方君です。ややこしいので、未来の四方君のことはお父様と呼びますね。
なんで、こんな私が生まれたのか、それは、私がこの時代に来た目的に大きく関係します。
未来では逃眠病と言われる奇病が全世界に蔓延しており、それの母体となっているのが[眠り姫]である雪花さんだといわれています。
予断ですが、私は逃眠病に抵抗できた唯一の生物[眠らず姫]と呼ばれてたわ。なんで、私が抵抗できたかと言うのは、この人工心臓が一定に動き、人工脳が一定の脳波を出し続けているからなの。そして、それに耐えるために普通の体を捨て、人工筋肉、人工血管などの壊れない部品を使っているのよ。
話を戻しますね。
つまり、私がこの時代に来た目的は、逃眠病を治す可能性のある人物たちに道標を示す事です。私の技術では治せず、お父様の方法は世論が許しません。だから、まだ、可能性のあるあなた方三人に託したいのよ。
―――。
「ふう、ここまでで質問はありますか?」
僕たちは唖然としていた。いきなり信じられない話だったし、信じたくない話だった。僕が必死に落ち着こうとしているのとは裏腹に、ハジメが
「今の話でわからないのは、何故俺たちなのか?逃眠病とは何か?」
「今現在で未来との相互点は何なんですか?」
僕と違い二人は冷静に問題点を挙げている。もっと冷静に。
一つだけ気になる箇所があった。
「なんで、未来の僕は[眠り姫]を起こさないで[眠らず姫]を作ったのか?」
一瞬葉子さんは悲しそうな顔をし、また、さっきの顔に戻った。
「わかりました、次は逃眠病について話しましょう」
―――。
正直な事を話すと、未来でも逃眠病についてほとんど分かってないわ。
だから、これから話す事は推測の域を出ない。もし、今後あなた達が違う推測に達したらそれも信じなさい。
では説明しますね。
まず、逃眠病には二種類の説があります。
まずは精神疾患説。逃眠病とは読んで字の如く眠りに逃げる病気よ。こう言うと分かり辛いかもしれないけど、簡単な事だわ。現実に絶望し、生きる事を諦めるの。そうね、自殺するのと同じね。自殺をして命を絶つか、眠りに逃げるか。どちらも褒められない逃避手段だわ。厄介なのが、心と脳、つまり、精神と体の二つからなる病気なの。精神は現実で弱まり、脳で「ここから逃げたい」と考える。そして、考えはいつしか命令に変わっていくらしいわ。そんな状況に耐えられると思う?現に未来では誰も耐えられなかった。人だけじゃないわ。犬や猫、蟻や魚も。生物はみんな寝てしまったのよ。
次に、ウィルス感染説。症状は同じ。これのウィルスの母体は雪花さんだと言われているわ。けれど、何の確証も無いの。
そして、ここに居る人達もみんな逃眠病だったらしいわ。未来では四方君以外にはあってないから聞いただけだけどね。
けどね、寝てお終いだったわけじゃないのよ。未来のある画家とある精神科医の二人が何度か、一度は眠りに陥った人を起こしていたの。一時的なものだし、確立はものすごく低かったけど、それが出来るとわかるだけで、私は希望が持てたわ。
次は何であなたたちか?と言う質問に答えるわ。
何であなたたちか?それは、さっきの説明でもう分かってるでしょう?
画家と精神科医。
未来では、ハジメ君は世界中で逃眠病患者の絵を書き続け、その存在は全世界に認知されている放浪画家。
美月さんは世界屈指の逃眠病専門の精神科医。
ハジメ君と美月さんは未来でも一緒にいて、雪花さんを起こそうと努力してたわ。お父様が雪花さんの事を知ったのだって、ハジメ君が書いた[眠り姫]を見たからなのよ。
そして、四方君は超高性能の偽体技術を作り、逃眠病にかからない新人類を作った。
未来の世界をすべて見て来た私が思いを預けれると確信した三人よ。絶対、大丈夫に決まってるわ。
でも、私のような存在は作らないでください。私はこんな体になってもお父様を恨んではいません。けど、やっぱり、普通の人として生きていたかったと言う思いはあるわね。一人きりの人生は、夜はものすごく寂しいから…ね。
―――。
「ふう、一息ついてきていいかしら?」
大きな息使いの後、葉子さんは僕らに言った。
僕らはただうなずくしか出来なかった。
「十分から二十分くらいで戻ってくるわ」
「あ、アタシも行く」
二人は部屋の外へ出て行った。
取り残された僕たちは暫く何も言えずにいた。
「なあ、信じられるか?」
ハジメの問いはシンプルで、難問だった。
「分からないよ。本当でも証拠が無いし、嘘でも疑う理由が無いもの」
美月の言う通りだった。この話は今までコレと言った決定的なものが無い。あえて言うなら、原因不明の奇病で寝ている雪花の存在くらいだ。
「僕はまだ、信じる信じないの結論を出す気は無い。最後まで聞いてみないと答えられない」
「そうだよな。じゃあ、質問を変えるか。今言われた未来の自分をどう思った?」
「私はそれを目指そうと思うわ。本当は小説家になりたいって思ってたけれど、両親のあとを継ぐのだって選択肢にあったもの。科は違うけどね。それに、雪花を起こしてから小説家になってもよさそうじゃない?小説家は晩成家が多いみたいだしね」
美月は納得している様子だった。
「俺も、放浪画家でいいと思ってる。もとから、将来なんて漠然としか考えてなかったからな。ここで、道標ができたのならそれに乗るのも一興だ。第一、絵は好きだし、俺の絵で人が救えるなら世界中飛び回るのも悪くない。それに、俺の親友を救わないで、自分の将来を楽しめるわけがない」
ハジメも納得していた。
でも僕は。
「僕は将来、葉子さんにひどい事をしてしまうんだね」
僕は未来の自分に納得できなかった。
「みたいだな、でも、そのおかげで未来が変わる可能性が出来たのも事実だぞ。今は悪い事よりも、未来を変える事を考えないといけないんじゃないか?」
ハジメの言うとおりだった。ひどい事でも、そのおかげで僕らがこうして葉子さんと会えたのは事実だった。
「悪かった。もう二度と葉子さんのような悲しい存在は作らない。って、作ったのは僕じゃない僕だけどな」
ガチャ。
二人が戻り、また話を聞く舞台が出来上がった。
同じ時間、四方宅前。
「ふー、もうすぐこの時代ともお別れね」
葉子は煙草を吸いながら少し名残惜しそうにつぶやいた。
「やっぱり、行っちゃうの?」
「ええ、私がここにいたら邪魔になるもの。『知識が、常識がある者はそれに囚われる。だから、無い者の方が新しい発見が出来る可能性が高い』って、昔お父様に言われた事があるの。だから、後は、あなたたちの番よ」
「そっか…」
「ごめんね、最後まで駄目な姉で」
「ううん、アタシはうれしかったよ」
「そう。じゃあ、私は最後に二回もあなたにひどい事するのね。今から四方君たちに話す事は蛍にも言ってない事なの。とても残酷で、悲しい真実。伝えないで済むならどれだけ楽か。これで、あなた達が駄目になる可能性もゼロじゃないわ」
しばしの沈黙の後蛍はおもむろに、
「ねえ、タバコ貸して」と言った。
「…え?ええ」
蛍は煙草に火をつけ、吸う。少し前とは比べ物にならないくらいさまになっていた。
「ふー、ね、一ヶ月以内に吸えるようになったでしょ?アタシ達だってここまで成長してるんだ。だから、最後までアタシたちを信じてよ、姉さん」
「そ…うね。ふふふ、私が悪かったわ。あなた達を信じる。包み隠さず全てを語るわ」
「ありがとう、姉さん」
「馬鹿ね、お礼を言うのは私だわ。ありがとう」
「アハハハ」
「ふふふふ」
姉妹は笑いあい、見つめ合い、頷き合う。
「そろそろ行く?」
「ええ、覚悟は決まったわ」
ガチャ。
「では、話を再開しましょう。次は、今と未来の相互点と、私の生まれてきた経緯について話すわね。四方君と蛍には辛い話になるわ」
―――。
まずは、四方君について話すわ。四方君、あなたの本名は羽月四方。つまり、羽月グループトップの息子であり、蛍の弟よ。私がこの時代に来た際に羽月夫妻に未来の事を話し、ある事がおこらないように四方君を分家の詩月家に養子として出してもらったの。
ある事とは、…四方君と蛍が兄妹で愛し合う事。
ここからはお父様に聞いた話と私の体験よ。
お父様は家出をして大学に通い、蛍と離れて暮らしていたの。ある時、蛍は一人でお父様のところへ行き、二人は一日だけ恋人になったらしいわ。
しかし、当時その出来事を快く思っていない羽月会長が二人の仲を引き裂いてしまうの。
それから数ヵ月後、羽月グループは突然自己解体し、その数日後に羽月会長が亡くなられ、お父様の元に葬儀の連絡がきたそうよ。
けれど、その葬儀で出棺されるのは羽月会長だけでなく、蛍も一緒だったの。
親不孝な話だけど、蛍は羽月会長が亡くなりそうなのを知り、お父様と幸せになれると思い再度、お父様の家に向かったそうよ。
けれど、不幸はここで起こるの。蛍はトラックと事故を起こし、他界してしまったわ。この時すでに蛍は逃眠病を発病しており、相手の運転手も逃眠病患者だった。
これがきっかけで、お父様は逃眠病と戦う事を決意したの。
けれど、お父様が目指したのは逃眠病患者を起こす事じゃなくて、新しい蛍を作り、その蛍を逃眠病にかからせない事だったの。
その後、お父様は羽月グループの財産を全て受け継ぎ、医大再入学、そして卒業後、山の中で私と暮らします。私はとある施設で蛍に似てるという事でかなり強引にお父様に引き取られたわ。
その頃のお父様は狂人で、私は十歳くらい。
私は軟禁された状態で十年間過ごすの。その期間お父様は逃眠病についてひたすら学んでいたそうよ。
そして、私が二十歳くらいのとき、お父様は世界で最高レベルであるが、世論に認められない快挙を達成させたわ。それは、人工的に作られた身体。つまり偽の身体、偽体で人工的な人間の外見を完成させてしまったの。私と瓜二つの外見。蛍の偽体を。
私はその偽体に自分の記憶を電気信号で写され、昔の身体を棄てさせられたわ。
それから数ヶ月間は地獄のような日々だった。
お父様は私に蛍の代わりを求め、私のことを蛍と呼ぶの。返事をしないと殴られ、蛍らしくないと蹴られ、僅かでも反抗すると電流を流されたわ。そんな日々が続いて、私は人形のようになったの。その頃の記憶はあまり無いわ。忘れたい出来事だから。
そんな人形のような日々が続いたある日、お父様は急に私に謝ってきたの。私はなんだか分からなかったわ。本当に急だったの。
でも、ちゃんと理由があったのよ。
お父様も逃眠病に感染してしまい、自分の罪を見つめなおし、私を葉子として扱うようになったの。
その後の日々は身の濃い毎日だったわ。逃眠病だけにとどまらず、お父様は自分の知識、経験、財産を全て私に与えようとし、私はそれを必死に受け入れたわ。
そして、暫くしてお父様は眠りについた。
私はその後世界中を旅して、誰も起きていない世界に絶望し、彷徨い、倒れ、気付いたらこの時代に来たの。
それで、この時代に来てから羽月グループの力を借りて、あなたたち四人を集められる高校を設立し、雪花さんと四方君を引き合わせた。二人の気持ちを考えてないって言われるかもしれないけど、そうでもないのよ。四方君の方は、お父様が「蛍さえいなければ惚れていた」って言ったし、雪花さんの方は、未来の美月さんがお父様に「あなたは眠り姫の好みに近いですね」って言っていたそうよ。二人が惹かれあうのも一種の運命ね。
―――。
「以上…よ」
「………」
誰も何もいえない空気が流れている。僕は今の話を信じたくなかった。羽月グループの息子でもいい、蛍さんの弟でもいい。でも、葉子さんにひどい事をしていたのは信じたくなかった。
でも、葉子さんが嘘をつくはずが無い。
だから、これは真実なんだ。
「今日はこれで解散しましょうか?あなた達にはまだ、いくらか悩み考える時間はあります」
「そう…します。今日はありがとうございました。…また学校で会いましょう」
僕はそれしか言えなかった。さっきの話を冷静に考えたかったから一人になりたかった。
葉子さんは、
「ええ、さような…あっ、四方君、これを渡しておくわ」
そういって一冊の鍵のついた日記帳を渡してきた。
「これは?」
「お父様が私に渡したものです。逃眠病について誰かが調べたある過程が書いてあるそうです。けれど、読むための条件を与えられました。その条件とは、『逃眠病を調べ、真理の果てにたどり着いたときに読め』です」
「真理の果て?」
「私にもよくわかりませんが、何も調べずに読むんじゃ意味がないという事でしょう。今読めば未来と同じ結末になるのは分かりますね?」
「はい、未来の情報では直せない、だから新しい情報を手に入れるのに先入観は持たないでやる。ですよね?」
「ええ、そういうことよ。鍵は蛍にわたしておきます。じゃあ、今度こそ、…さようなら」
笑顔でそう言い、羽月姉妹は帰ってしまった。
その後二人も二、三言葉を交わして帰ってしまった。
僕は数時間ひたすら考え、そして、覚悟を伝えるために羽月本家に向かった。
羽月姉妹が四方の家を出て数時間後の葉桜学園、屋上。
葉子はフェンスに寄りかかりながら煙草を吸っている。上空の満月に紫煙がゆらゆらと吸い込まれていく。
「ふー、仕事の後の一服は良いわ」
「また吸ってんの?今日は多くない?あっ、アタシにも一本頂戴?」
「たまにはね、そういう日もあるのよ。って、蛍も吸うんじゃない。はい、吸い過ぎには気をつけてね」
「サンキュ。姉さん、働きまくりのOLみたいな事言ってるよ」
「ふふふ、羽月グループの社長ですから」
「仕事はほとんど父さんたちがやってるけどね」
「まあ…ね。この役職も社会的地位のためだけに譲り受けたものだから、仕事は殆ど夫妻がやってくれるわね」
「あっ、ごめん。言い過ぎた」
「ふふ、良いのよ。でも、これで私の役目は終わったわね」
「そうだね。…やっぱり、決心は変わらない?」
「ええ、変わらないわ。本当は自分がやればいいんだけど、自分じゃ手加減しちゃいそうだから。蛍にはひどい事を頼んでる自覚はあるわ。ふふ、自覚してるなら頼まなければいいのにね」
「ホントよ。馬鹿姉」
「まったく、姉に馬鹿なんて言っていいと思ってんの?」
呆れながら怒る葉子に対し、蛍は子供脳に泣きじゃくりながら叫んだ。
「ば…馬鹿じゃん!なんで、えぐ、なんで、…ヒグ、死ななきゃならないの!」
『死ななきゃならないの!』
その涙声を含んだ絶叫は羽月本家に向かっている途中、葉桜学園の屋上から聞こえた。僕は屋上に走っていった。
屋上に向かっている間も声が聞こえてきて、あせりだけが溜まっていった。
バン。
満月に照らされた屋上には泣いている蛍さんに、優しい笑顔で銃を渡そうとしている葉子さんがいた。
けれど僕の登場で羽月姉妹の顔は唖然としたものになった。
「し…かた君?」
「よう…こ…さん?何してるんですか?」
あまりに変な光景に僕も唖然とした。
僕の質問にいつもの自分を取り戻しこう言った。
「私がこの時代にとどまるのはよくない。未来を知ってる私がいれば、私に頼るでしょう?だから、私はこの時代から消えるの。自らの命を絶つという方法で」
納得できなかった。
「本当は自殺がよかったんだけど、手加減して苦しむのはイヤだから、蛍に殺してもらおうとしてたわけよ。最初この話を聞いたときは納得してくれたのに、今はイヤみたい」
当然だ。普通に暮らしていれば、『殺してやる』と言う事はあっても本当にやる人なんて極僅かだろう。軽い気持ちなんて言い方は失礼かもしれないけど、蛍さんは冗談かそのうち思い直すと思って納得したんじゃないかと思う。
「だから、四方君、こういう言い方は卑怯かもしれないけど、未来のあなたの罪の塊を消してくれる?」
確かに卑怯な言い方だった。けれど、筋は通っている。
「ここで、人一人殺せないようじゃ、あなたの覚悟は半端ね。[眠り姫]を起こすために何人もの犠牲を乗り越える事になるかも知れないのよ?私の最後にあなたの覚悟を見せなさい」
挑発だ。分かってる。
でも。
「駄目、やめて、四方君、姉さん」
蛍さんの叫び声を背に、
「確かに、葉子さんをこんなにしたのは僕だ。責任は取る。葉子さん、銃を」
「ヤダ。駄目」
蛍さんの叫び声には耳も貸さずに、
「はい、どうぞ」
葉子さんは僕に銃を放り投げた。
小型の銃。デリンジャー。種類は一般的な実弾二発入りのレミントン・デリンジャー。
通称ダブル・デリンジャー。
「弾はこれで全部?」
「ええ、ワザと外したら、包丁とかで刺してもらうわ」
「そっちの方が、嫌ですね」
「でしょう?」
軽口を言っているが僕は足が震えるのを必死で抑えている。同じ月に照らされているはずなのに、蛍さんの声がどんどん遠くになっていく錯覚を覚えた。
そうして、僕は銃身を葉子さんに向けた。
「本当にいいんですね?」
まだ、迷っている。僕は蛍さんが、やっぱり生きたい、と言うことを期待している。でも、返ってきたのは、
「ええ、お願い、お父様」
カチャ。人差し指で銃身を押さえ、葉子さんに照準を合わす。
「葉子さん、僕が必ず逃眠病を治します」
中指を引き金にかける。
「期待してるわ。頑張って」
十キロ以上ある引き金にグッと力を込めうなずいた。
「はい」
思いっきり引き金を引く。
バン。
ドン。
パン。
カチャン。
弾丸は見当違いの方向へ発射され、デリンジャーは葉子さんの足元に転がった。
突然の事に僕は頭がついていかなかった。
僕は突き飛ばされた。
誰に?
ここにはあと一人しかいない。
なら、
「蛍さん」「蛍」
蛍さんは足をガクガク震えさせて、それでも立ってこっちを見ていた。
「駄目だよ、ヤダよ。姉さんも一緒に見届けようよ。ね?」
僕も、もう駄目だった。
「な…んで、何でとめたんだよ。最初で最後の決心だったのに。もう、もう出来ない」
怒鳴り声と、泣き声が響く屋上の中で一人落ち着いていた葉子さんが口を動かした。
「ふぅ。ごめんね。やっぱり、最初から私がやれば良かったんだね」
葉子さんは儚く微笑みながら足元の銃を拾う。
「違う、誰だって、死んじゃ駄目」
「お願いだ、考え直せ」
その言葉に嬉しそうに微笑みながら、
「ふふふ、それは駄目なの。今も結構辛いのよ。私は老いないのに、蛍が、妹が、四方君たちがどんどん老いていくの。そんなの耐え切れない。それに、もう充分生きたわ」
悲しそうな声と顔に、蛍さんも我が儘を押し込めだす。
「後悔は無いの?」
「そうね、後悔が無いといったら嘘だわ。でも、来世、次に生まれてくるときは普通の人生を送りたいわ」
きっと、本心なんだろう。だから僕は、
「分かった。僕と雪花の娘の名前は葉子だ。きっと、生まれ変わりだ」
「ふふふ、ありがとう」
「ぐす、姉さん」
葉子さんは蛍さんの頭を撫で、僕を抱きしめ、嬉しそうに、
「息子も欲しいわね」
と、呟いた。
それから屋上のヘリに立ち、今迄で一番儚い笑顔をうかべ、銃を心臓に押し付け…。
パン。
口と胸から血を流し、蒼白になった顔は笑顔のまま、葉子さんは下へ落ち、地面にぶつかる前に消えた。
文字通り消えてしまった。
僕は、心の中でこう呟いた。
「さよなら、眠らず姫。羽月葉子」と。
葉子さんが消えてちょっとした後、蛍さんは、
「四方君、アタシ姉さんの思い果たすよ」
と言った。僕も、
「僕も、葉子さんの思いを叶えます」
と言った。
「これから大変ね」
そういって、どこかぎこちない会話をして、二人で一夜中泣き明かした。
翌日、美月とハジメには事の顛末を伝え、月曜から学校生活を再開した。
それから、八年間。
ハジメは唯一、三年間を学校で過ごし、卒業後は羽月グループをバックに世界中を飛び回り、世界的に話題になり始めている逃眠病患者の絵を描いている。
美月は、必死の勉強の甲斐もあり、翌年には海外に留学、精神科を学び、様々な精神科医、カウンセラーと対話し机で学べない事を中心に学んでいる。
僕はと言うと、医学全般をひたすら学び、留学、名だたる名医の手術の見学、薬剤関連の実験、など様々の医療技術を学んだ。
そして、僕たちが二十五のとき、羽月グループの全面的な支援の下、世界初で唯一の逃眠病専門病院が完成した。
初めのうちは『若造に何が出来る』と言われていたが、病院設立一年ちょっとで僕たちは逃眠病の権威になっていた。
けれど、雪花は一向に目覚めなかった。
このとき、僕は未来の僕が言っていた『逃眠病を調べ、真理の果てにたどり着いたときに読め』と言われた本の内容が何となくだが予想できていた。
多分それは…。