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求婚されたようです

お立ち寄り下さりありがとうございます。

ああ、アンドリュー様…!とうとう、my loveと…!


彼の心を信じきれないヒロインに、彼が見栄も意地も捨て去り、心のままの言葉を尽くして口説いている。

麻里の好きな場面だ。麻里は胸を熱くして、文字を追っていた。


英語力のなさは思いのほか読む上では問題にならなかった。

何しろ日本語を丸覚えしているのだ。どの文がどういう意味になるかは分かっている。

麻里はすっかり18世紀に浸っていた。


「麻里ちゃん」


突如、18世紀の向こうから、深く沁み込む声が入り込んできた。

慌てて顔を上げる。

マスターが目を微かに楽しげに緩ませ、美しい顔に明るさを浮かばせていた。


「麻里ちゃん。そろそろ戻っておいで」


麻里は頬を染めて本を閉じた。

本に浸りこみ、マスターに引き戻してもらうのはいつものことだが、それでも恥ずかしさは抜けない。

マスターの微笑が美しく、包み込まれるような穏やかさがあるせいだろうか、何か子どもに戻った心地がしてしまうのだ。


「すごい。戻った」


呆然とした声が、隣から聞こえた。

――!

慌てて振り向けば、曲を作っていた彼は、もうイヤホンを外し端末も片付けている。

麻里は自分の耳まで熱を持つのが分かった。


「すみません!」


どれだけ待たせてしまったのか、知るのが恐ろしい。

麻里は、一度、本の世界に浸り始めると、すぐ隣で、それこそ耳元で何か言われていても全く気が付かなくなってしまう。

世界から引き戻してくれるマスターの声は、麻里にとって格別に貴重でありがたい存在なのだ。


壁にかかっているアンティークの時計は、麻里が本を読み始めてから2時間が経っているのを教えている。

山田さんたちの姿はもう見えない。

それでも、2時間という、いつもより短い時間でマスターが引き戻してくれたということは、さほど彼を待たせていないのかもしれない。

そんな期待を彼はやや興奮気味に打ち砕いた。


「いや、僕が10分おきぐらいに1時間ほど声をかけていたんですけど、全然、戻ってきてくれなかったのに、マスターだと一声でしたね」

「麻里ちゃんは1時間では戻って来られないだけだよ」


自分の困った癖に激しく落ち込みながら再度謝ると、彼は目を輝かせて麻里を覗き込んだ。


「謝る必要はないです。もし僕が家で曲を作っていたら、僕も2時間ぐらいはいつも戻って来られません」


麻里の没入に理解がある人だけに、なお更、居たたまれない思いがして俯くと、彼は麻里の手を取った。

驚いて顔を上げると、彼の瞳の輝きは一段と増していた。

その輝く瞳は、彼の顔を一段と魅力的にしているけれど、不思議なことに麻里の背中には悪寒が走り抜けた。


「麻里さん。僕は運命を感じました」


――え?


日々の生活で耳に馴染みのない言葉を聞かされ、麻里は理解が追いつかなかった。

運命…?


彼は麻里の手を強く握り、澄んだ声に熱を込めた。


「麻里さん。僕と結婚してください」


―――え?


今度の言葉は、日々の生活で馴染みのある言葉だったけれど、麻里は理解が追いつかなかった。

会ってから2時間あまりの人から発せられた言葉とは思えない。


結婚…?

え?


麻里はゆっくりとマスターの方を見ようとすると、再び熱い声が麻里の動きを封じた。


「麻里さん。僕の相手はあなたしかありえない。どうか僕と結婚してください」


彼の眼差しと、手を握りしめる力は、強さを増した。

どうも冗談で求婚を口にしている雰囲気とは違いそうな気がする。

麻里はつばを飲み込んだ。


そして麻里はその後、マスターが閉店を告げるまで求婚され続け、彼が真剣に求婚の言葉を口にしているらしいと、否が応でも認めることになった。


お読み下さりありがとうございました。

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