出会い
お立ち寄り下さりありがとうございます。よろしくお願いいたします。
ふふふふふ
心の声が口から漏れ出ないように気を付けているものの、恐らく、顔の筋肉までは抑えきれず、不気味な笑みが満面にあふれ出ているだろう。
けれど、今の麻里には道行く人が自分の顔を見ているかどうかは、目に入らなかった。
そもそも道行く人の存在すら目に入っていない。
麻里の頭は18世紀の英国に埋没していた。
一月前に取り寄せをお願いしていた本が、ようやく届いたのだ。
ふふふふ、後10分歩けば18世紀
ああ、アンドリュー様のあのセリフは、原文では一体どんな文なの?
会社帰りの麻里の足取りは、軽かった。心は軽いどころか浮き立っている。
今の麻里にとって最高にお気に入りの、それこそ寝食を忘れて読み進めた本の原著が手に入ったのだ。
18世紀を舞台とした英国貴族の恋愛物語で、日本語版はほとんど空で言えるほど読み返している。
好きなあまり、原文はどう書かれているのか知りたくて仕方なくなり、買うことを思い立った麻里だったが、彼女の英語力では、電子版より紙の方が目に優しい状況で、一月の間、悶え続ける羽目になったのだ。
ふふふふふ
もう怪しい声が口から出ているかどうかも気にならなくなった時、何も見ずに道を歩き続ける当然の帰結が訪れた。
ゴッ
頭に火花が飛び散るような感覚が起こり、麻里は18世紀から引き戻された。
痛みのあまり、目が開けられない。
ううう、今度は何にぶつかったの…
やっと開くようになった目を開けてみれば、目の前には片手で胸を押さえている男性の姿が現れた。
「ああ、申し訳ございません!」
瞬間、痛みを忘れて、麻里は謝っていた。
――これが、麻里と尚人の出会いだった。
お読みいただきありがとうございました。