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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

箱庭の楽園は閉じられた

作者: やしろ慧

油田小説大賞参加作品です

ボーイズラブ風味


「お前にはもう、何も残ってないんだろう?なら、私のものになればいい」


からからに渇いた灼熱の砂の上。

痛みを感じるほど突き刺す凶悪な太陽の光を背にして青年は少年を見下ろす。

彼は、朗らかにかつ傲慢に言い放った。

左頬から口元をべたりと砂につけていた少年は、砂をじゃりと噛みながら薄目を開けていた。

熱でぐにゃぐにゃと歪んだ視界に近づいてくるのは革のブーツだ。上等の。

少年は今までの経験から蹴られるのを予測して体に力をこめる。

痛みを瞬間的に覚悟した背中に触れたのは痛みではなかった。

青年は自分の頭巾(クーフィーヤ)をひらりと外すと少年の赤くなったうなじから腕を守るようにかけた。

視線だけで見上げた青年の表情は驚くほど、優しい――



ずっと?


唇の形だけで聞く。

青年はくしゃりと顔を歪めた。


「――ずっとだ」


笑った瞳が砂の色と同じで、それだけで泣きたくなった。



◆◆◆


「カミル!!どこいるんだよ、カミル!!」


とある砂漠の国の。


さりとて、おとぎ話の千夜一夜を語るには似つかわしくない白いビル群が立ち並ぶ首都からやや郊外に位置する閑静な住宅街の一角に、少年――サーシャの家はあった。

少年は家の主の名を呼びながら白壁の家にたどり着くと、門扉横に行儀よく立つ守衛に元気よく挨拶をしてカバンを乱暴にリビングのソファに投げる。

その勢いのまま息せき切って中庭にまろび出た。

所狭しと植えられた緑あふれる中庭を見渡せる位置に配置されたチェアには、いるはずの人物がいない。

サーシャはぷう、と頬を膨らませた。

主の代わりに椅子の上でにょーんと伸びている不届き者を抱き上げて尋ねる。


「くろ、カミルどこに行ったかしらない?」

『ナォン』


どこかの国で夜の色は「くろ」というらしい。

その名を付けられた仔猫はもう一度なぉんと鳴くばかりで、答えもしない。

書斎だろうかと思って中庭を抜けて奥の部屋にたどり着いて覗くと、背の高い男が立ったまま机の上のPCで作業している最中だった。


「カミル!」

『はーい』


名を呼ぶと彼ではなく、彼の肩に乗って画面を眺めていた七色の尾羽を持つ鳥が返事をする。


「お前のことは呼んでないよ、ピッパ!」

『サーシャ!サーシャ!カミル!カミル!』


言葉を操る鳥はバタバタと羽ばたいて青年にサーシャの帰宅を知らせる。

カミル青年は鳥にもサーシャにも「しーっ」と指を口元に当てて沈黙を促し、液晶に意識をうつす。

カミルがキーボードを叩く音はとても静かだ。

流れるような静謐な指の動きは規則正しく秒を細やかに刻んでいく。

彼は数字とパスワードをいくつか打ち込んで、いくつかの画面をチェックする。


「サーシャ、少し待って。ーーうん、これでいい」


タンっ、と軽い音が響いて、カミルは視線をあげた。

黒髪の隙間から優しい砂色の目がのぞく。

ただいまと抱きつこうと試みたサーシャは、横から割り込んだ不届きなけむくじゃらに邪魔された。


『わふ!』

「ラド!くすぐったいよ」


前足一つしかない金色の毛並みの大型犬はカミルの仕事が終わるのを待っていたのか、彼に飛びかかると、ペロペロと顔を舐めた。


「俺の方が先なのに!」


腹を立てたサーシャの頭に七色の鳥が舞い降りて少年に苦言を呈した。


『サーシャ!サーシャ!ウルサイヨウルサイヨ!』

「うるさくない!ピッパの方がうるさいよ!」


(ピッパ)と少年のやりとりにカミルが微笑む。


「おかえり、サーシャ。ずいぶん早かったな、学校はどうした?」

「今日で前期は終わりだから、午前だけだよ!カミルのお仕事は終わり?」

「大体は。ランチにするか?ホットサンドならすぐ作れる」


返事をする代わりにサーシャはカミルの腰にだきついた。

白シャツにジーンズという簡素な服装の青年は、この小さな、けれどオイルマネーで潤う国の王の息子だ。


彼と同じ家に暮らすサーシャは隣国にある国境の村の出身の孤児で、二年ほど前にカミルに拾われた。


貧しい村はある日、ロクデモナイ奴らに襲撃されて、サーシャは村の子供達とともにタチの悪いブローカーに攫われて売り飛ばされそうになった。

サーシャは砂漠には珍しい金色の髪と明るい瞳をしていたから、変態相手の金になると喜ばれたが、わざと薬品を飲んで下痢と嘔吐を繰り返し風土病のフリをしたサーシャは、酒瓶を投げるみたいに砂漠に捨てられた。

隣国との国境を気ままに旅していたカミルは砂に埋もれた少年を見つけてつれ帰ると、医師に治療させて、そのまま彼の屋敷で養って……今にいたり……

拾った犬や猫や鳥や多くの動物にそうしたように、餌と寝床と気まぐれな愛情を用意して甘やかしている。


青年にまとわりついたまま少年は尋ねた。


「俺が作ろうか、ランチ」

「できるのか?サーシャ」

「すごい得意!になる予定!なあ、パンケーキの上にクリームのせていい?甘いやつ」

「いいよ」

「蜂蜜も!あ!あとさ、学校でせんせいから手紙をもらったんだ。みてくれる?」

「先生はなんだって?」


受け取った手紙に視線を落とし、青年は笑ってサーシャの髪をぐしゃぐしゃにかき乱した。


「先生がサーシャをとても褒めている。とても十二歳には思えないほど賢いって。もっと勉強がしたいか?上の学校に飛び級して寄宿舎のある……」

「そんなの行かない!学校の奴らよりカミルと遊んでる方が楽しい。それよりパンケーキ食べようよ」


すぐに作るから、と部屋を出ようとした時ーー


「カミル。私はもう帰るぞ」

「そう?ゆっくりしていけばいいのに」


扉の前にスーツ姿の青年が立っているのに気づき、サーシャは慌ててカミルの背後に控えていた(ラド)の、さらに背中側に隠れた。

スーツ姿の青年は腕時計の位置を確認してからサーシャにも一瞥をくれる。

砂色の瞳からはカミルと違って湿度がない。

ただ、さらさらと音もなく落ちていく。


「いや、帰る。無駄な時間はないんだ」

「サーシャがパンケーキを焼いてくれるんだ。一緒にどう?」

「素人の作ったものは口にしない」


吐き捨てた青年の容貌は、カミルとひどく似ていた。

スーツを脱いで髪を少し伸ばし、整えられた髭を剃り落とせば鏡写しと思ったかもしれない。

彼はカミルと一つ違いの兄でサイードといい、次代の王だ。


カミルと同じ顔をしたサイードは冷めたい声で弟に忠告した。


「狭い庭で家族ごっこも結講だが、本物の家族への忠誠と愛情も忘れるな、弟よ。……お前が何のためにいるのかもな」

「わかっているよ兄さん。僕は貴方を愛する忠実な弟で、影だ」


ふん、と鼻を鳴らしたサイードは玄関から足音も高く去っていき、しばしのち遠ざかるエンジン音にサーシャは肩の力を抜く。


「サーシャ、怖がらせた?」

「……別に。全然こわくない」


カミルに引き寄せられたので、サーシャは強がって口を尖らせる。

くぅん、とラドが耳を垂れて哀れな鳴き声をあげて二人に寄り添い、ピッパは珍しく無言でバタバタと羽を揺らしてラドの頭の上に乗り、いつのまにか現れたくろが抱き上げろとばかりに前脚でカミルのジーンズで爪を研ぐ。

カミルは微かに笑って黒猫を抱き抱え柔らかな胸に顔を埋めてゴロゴロとなる喉の音に耳を澄ます。


「……怖くない。けど、ただ、ちょっとサイードが苦手なだけ」

「兄も悪い人じゃない。けど、僕を心配して、ものの言い方がきついだけさ」

「心配?」

「一族の仕事もせず、架空の金を稼いで庭に引きこもっている弟の行く末を心配している。兄の事業を手伝いもせずいつまで遊んでいるのかと」

「事業って?」

「あとで教えてあげるよ。パンケーキでも食べながら、ね」


促されたサーシャは厨房に駆けていき、ラドが尻尾をちぎれんばかりにふって追いかける。

青年は一人と一匹の背中を微笑ましく見送って……、


—―結論から言えば、パンケーキは大失敗だった。


焦げ付いて、しかもぺしゃんこになり、まるでクレープの出来損ないのようになる。

二人は苦いパンケーキに無理やり蜂蜜と生クリームをつけて胃の中に流し込む。全く酷い食事だとカミルは大笑いして、パンケーキをつつく。


「パンケーキを作るのは得意なんじゃなかったのか、サーシャ?」

「そうなる予定、なんだよ。あと十年くらい経てば上手に焼けるもん」


カミルは微笑み、約束通りに色々な話をしてくれた。

この国の成り立ち、カミル一族がこの国を治めるに至った伝説。

人種、言語、宗教、特産品、それから、いま何がこの国の経済を支えているのか。


「知ってる。石油だろ?隣の国にはなくて、この国にはある。だから隣国とここは天国と地獄みたいに生活が違うんだ」


カミルの一族が治める小国は石油のおかげでこの百年あまりは豊かな生活を送ってきた。

しかし隣国の地下には何も埋まっていなかった。

だから彼らは貧困に喘ぎ、事あるごとにこの国に諍いをしかけてくる。


「だが石油はいずれなくなる」

「無くなるの?」

「近いうちに枯渇する。そうすればこの国も隣国と同じだ……皆、路頭に迷うだろうな。兄もその家族も私も、一族も皆、いまさら貧しい暮らしを許容できるとは思わない」

「ふうん」


焦げのついたパンケーキにフォークを刺してサーシャは首を傾げた。


「いいじゃん。路頭に迷ったって。カミルは石油なんかなくても自分でお金を稼いでるし。俺と一緒にどっかに行こうよ。ラドとピッパとクロを連れて」

「そういうわけにはいかないよ、私はこの国の一族の者だから」


カミルは珈琲カップを片手にディスプレイに映像を映し出した。

政府が作った広報動画とかで作成にカミルが関わっていたのを知っているサーシャは「俺この動画好き」と液晶を眺めて笑顔になる。


「空と砂と、白い美しいビル群の中で働く裕福で勤勉な人たち。王は国民を愛して国民は王を愛す。餓えも貧困もない、楽園の、おとぎ話みたいだろう?」

「うん」


カミルは養い子の柔らかな猫っ毛に指を潜らせた。


「この国の幸せがずっと続けばいいが……」


カミルの横顔に浮かぶ表情は祈りというより、諦めに近い。

カミルは折に触れサイードに石油以外で国を運営する方法を提案してはうるさいと拒否されているようだった。癇癪持ちのカミルの兄が、サーシャの大好きなカミルを冷たい目で見下すのをサーシャはもやもやとした気持ちで眺めたことが何度もある。


サイードよりカミルの方が優しい、賢い、きっと強い。


だけどサイードに蔑ろにされてもカイルは逆らわないし、この国から出ようともしない。

同じ顔だから代わりに行け、と。

サイードからまるで身代わりのように退屈な行事や危険な場所での交渉ごとに駆り出されて兄の振りをさせられても嫌な顔一つせずその役目をこなしていた。

食後の雑談を楽しんでいたカミルの携帯端末が、軽薄で明るいメロディを奏でる。

一呼吸おいてコールに応えた養い親の青年の背中を、サーシャはじっとみつめた。

端末から漏れる苛立ち紛れの声はきっとサイードだろう。


「俺といた方が、カミルだって絶対楽しいのに」


子供の無邪気さを削ぎ落とした表情で、サーシャはぼやく。


「こんな国、捨てちゃえばいいんだ……」


その呟きもまた、祈りというよりかは、何かの決意に近かった。






ある涼しい朝、サイードとカミルの父王が死んだ。


荘厳な葬儀と即位式を行ってサイードは玉座に座り、カミルはサイードと同じ髪の長さと同じ形の髭を蓄えた。

カミルは頻繁に呼び出されるようになり、即位から一年も経つと、サーシャは家よりも学校併設のカフェにある無音のディスプレイでカミルを確認することが多くなった。


『あ、国王陛下だ』

『今日は王妃様も王子様たちも一緒なんだね』


同級生が無邪気にディスプレイを確認してはしゃぐ。

国王陛下サイードじゃない。あれはどうみてもカミルだ。王妃と憎たらしい馬鹿王子は本人のようだが。

それに気づかないこの国の奴ら目は、皆節穴だ。

サーシャがノートPCから視線をあげて小さく舌打ちすると、許可もしていないのに隣席に居座るクラスメイトがカフェラテを片手に面白そうに笑う。

王族に連なる家柄の、珍しい()()()目をした少年で、この国では明らかに人種の違うサーシャにも珍しく絡んでくる鬱陶しい奴。


「若く美しい国王夫妻の映像見ながら舌打ちなんて、不敬罪だな」

「うるさい、お前に関係ないだろ」

「……君の義父君は最近は家に帰ってくるの?」

「黙ってろ、て言っただろ」


サーシャは同級生言葉を遮りノートPCを操作した。

不機嫌に端末を閉じたのが合図とばかりに、カフェテリアのディスプレイからいきなり呻くような女性の声が聞こえ、映像が一糸まとわぬ男女のソレに切り替わる。

異変に気付いた生徒たちが騒ぎ始め広間は悲鳴と歓声で阿鼻叫喚に包まれた。

飛んできた職員が慌てて電源を切ろうとするが、何故か、まったく効果がない。

サーシャは鼻で笑って立ち上がり、踵を返す。

灰色の目をした同級生だけがくつくつと笑って椅子に座ったまま斜めにサーシャを仰いだ。


「やり過ぎるなよ。この国ではその手のいたずらは、下手したらマジで首が飛ぶ」

「……何のこと?」


肩をすくめたサーシャに同級生は笑いを収めぬまま、尋ねる。


「君はハイスクールは国外に出ないのか、僕と一緒に欧州のどこかの寄宿舎に行く気は無い?」

「冗談じゃない。俺はずっとここにいる」

「この国が嫌いだろうに」

「そうだな、こんな石油みたいな前時代の資源にしがみつく馬鹿しかいない国、うんざりだ」

「ふぅん。じゃあ、なんで出ていかないのさ?」

「お前に関係ない」

「気が向いたら声をかけてよ」

「ないね」


吐き捨てて歩き始める。




(ずっとだ)




ずっと一緒にいるのだと。

カミルがそう約束したから、サーシャはどこへも、行かない。







幾日かカミルが帰ってこない夜が続いて、サーシャはため息をついた。

見たくもない国営放送のニュース映像をみるために、照明をつけないままだだっ広いリビングのディスプレイの電源をつける。ディスプレイは淡く光って、別世界を四角浮き上がらせた。


『わふ』

「ラド」


人恋しいのか、全体重でしなだれかかってきた犬の金の毛並みを撫でながらサーシャはニュース映像を眺めた。

十数年ぶりに大国の要人が訪問するとかでニュースはライブ配信だった。正装をして迎えるのは、国王のフリをしたカミルではなく、珍しいことにサイード本人だった。

サーシャはクッションを抱え込んでソファに身を倒した。カミルはどこかに控えているだろうか?それとも今日はお役御免で戻ってきてくれるだろうか?


「サイードの野郎、都合のいい時だけ、自分の手柄にしようとするんだな」


悪態をついて床を睨む。カミルの姿を見れないならサーシャには意味のないニュースだ。

電源を消そうとしたその時。

パンっ、パンっ、と乾いた音が耳に飛び込んでくる。


『キャアアアア』

『陛下!陛下が!』


サーシャが弾かれたように視線をあげると、真っ白な民族衣装の腹部あたりを赤に染めたサイードが崩れ落ちるところだった。アップになっていた彼の顔が苦悶に歪んみ、傷口から抑えきれない朱が滲んで指の隙間を溢れていく。


『神よ、なんという!ああ……』



スタジオからコメンテーターが悲痛な悲鳴をあげて、画面がいきなり年末に開かれていたオペラコンサートの映像に切り替わり不自然に明るい男の歌がリビングになり響く。

慌てて切り替えたのか、演目はもはやクライマックスに近い。


刺された男が舞台に横たわり観客が迫真の演技に拍手喝采を送り。

白塗りの道化師が『これで喜劇は終わりだ』と歌い上げる。



機械を通した無機質な拍手が、薄暗いリビングに響く中で、サーシャは呆然と立ち尽くしていた。






「これが君のパスポートほか新しい身分証明証と、荷物だ」


翌日。

カミルの帰りを待ちわびながらリビングで眠りについていたサーシャには押し入った男たちに無理やり叩き起こされ身支度を整えられた。少ない荷物をまとめられ一方的に突きつけられる。


「カミル様はお亡くなりになられた。遺言により、君は国外退去だ。成人するまでの生活費と、成人してからは少なくない年金が与えられる。感謝しろ」


何度も見たことのあるカミル付の屈強なボディーガードを務める軍人が機械的に言い放つ。

サーシャは唇を噛んで自分より頭一つ半は背の高い軍人を睨みあげた。


「カミルは死んでない。死んだのは……がっ」


砕かれそうなほど強く顎を掴まれサーシャは言葉を踏みにじられる。屈強な軍人は顎で部下達を追い払い、少年を無慈悲に床に突き飛ばした。


「あの方の慈悲を無駄にするな。そして命を惜しめ」

「嫌だ!ずっと一緒にいるって言ったんだ!絶対どこにも行かないっ!嫌だ!」


喚く少年に目線を合わせて軍人は言った。


「……あの方からの伝言だ」

「…………」

()()()()()()()()()()()()()()()、すべて忘れろ」

「カミルの、嘘つき」

「その名も記憶から消せ。そんな名前の男はいなかった。過去も、これからも」

「嘘つきっ、…」

「そうだ、全部が嘘だった。傷が浅いうちに理解できてよかったな」


声を失った少年を、軍人に命じられた男が「引きずるようにして連れて行く。


『サーシャ!サーシャ!おやすみ!おやすみ!』


活気を失った部屋の天井を七色の鳥がせわしなく飛び回る……。







「朝早くの便に搭乗させました。向こうでは新たに用意した養父母が彼の面倒をみるでしょう。新しい名前を確認なさいますか?」

「必要ない。……お前に、嫌な役回りをさせたな」


片足のない犬と飛べない極彩色の鳥を連れて王宮に戻った軍人は、暗く温度のない部屋に静かに佇む主に、少年の出国を報告した。

忠実な下僕はねぎらいに軽く片方の眉を上げた。


「控えめに申し上げて、()()()役回りでした」


忌憚のない意見に、青年はくつくつと笑う。


「あの子は納得した?」

「納得する要素がどこに?しかし、未来ある子供は、すぐに過去を忘れるでしょう……、行先が定まりきった我々とは違います」

「そうだね」

「……ご無礼を承知でお伺いしますが後悔なさいませんか?あのまま養育して将来の側近候補として側におけばよかったのでは?素行に多少問題はあるようですが、極めて優秀な学生だと聞いていましたが……」


青年は肩をすくめた。


「仕方がないよ」


ばたばたと尾を振っているラドを青年はそっと撫で、それから目の前に横たわる自分と同じ顔をした遺体を眺めた。労わるように頬に触れる。

かつてサイードという高貴な名前を手にしていた肉体は今は冷たく硬い。

襲撃を受けた王は奇跡的に軽症で済んだと内外にはアナウンスがなされた。

眼前に眠る、死を契機に名も人格も剥奪された哀れな男は、明日、ひっそりと王宮の墓地に葬られることが決まり、ごく一部の人間以外には墓の存在すらしられずに、やがて塵にかえるだろう。


「……僕は(スペア)だ。兄上(オリジナル)が動かなくなった以上、この国とともに生きて、そして朽ちる義務がある」


弟は、兄の遺体に触れる。


「そのために生まれた(作られた)んだから」


七色の鳥が青年を慰めるようにばたつき、大型犬は何度も気づかわし気に掌を舐めた。


『サーシャ!サーシャ』

『くぅん』

「お前達は僕とくるだろう?……僕と同じで、遠くへはいけないものな」


どこへも とべない。

早くは、走れない。

この国以外には行けない。


「……猫は?」


軍人に尋ねると、彼は肩をすくめた。


「荷物に紛れて、あの子と一緒に国外へ出ましたよ。検疫は無理やり通しました。せめてもの慰めになるでしょう」


青年はそうと笑って踵を返した。

独り言だから、と力のない声で言葉を紡ぐ。


「あの子を拾った時、熱砂に埋もれて死にそうなのに、あの子は……怒ってた。ぼくを睨みつけて、怒ってた。生命力の塊みたいに煌めいて、生きるためにもがいていた。死んだように生きているぼくとは大違いだ。あの砂に埋もれた宝石を手元に置いておきたいと思ったんだ。ずっと……。それは、嘘じゃない。だけど、もう、無理だ。――未来ある若者を僕の小さな箱庭にいつまでもしばりつけてはおけない」


軍人は、礼儀正しく無言で彼の告解を聞き流す。

青年は砂色の瞳を一度瞼の下に閉じ込めて、何かを惜しむように息を吐くとゆっくりとひらいた。


廊下を進む二人を見かけた王宮の使用人達はみな一様に跪いて頭を垂れる。


「サイード陛下」

「神の加護あつき我らが王よ!」

「かすり傷でよろしゅうございました」


—―本気で言っているのか、現実から目を背けたいだけか。


「ご苦労」


醜悪な皺に覆われた人々に尊大に声をかけ、小国の国王は前を向く。

長い廊下。薄橙に照らされた己の影がぼんやりと揺れ、通り過ぎた燭台に灯された蝋燭が、ジュ、と小さな悲鳴をあげてかき消えた。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




『近年、石油に代わる新たな資源が実用化され、我々のエネルギー政策は新たな段階に進みました!石油はいずれ枯渇するでしょう、しかし私達の生活にはさほど影響は……』




空港内で流れるニュースを横目でチェックして、サイード元国王・・・は自嘲する。


王位について瞬く間に時は流れた。


目まぐるしく過ぎていく年月とあっというまに上書きされていく技術の革新に、サイードの国は翻弄された。外資を取り入れ、観光業やそのほか産業に力を入れつつはあるが、石油の枯渇は時間の問題で、あと二十年はもたないだろう。

さらには遠く離れた海洋の底から三年ほど前に次世代エネルギーの実用化がなされた。


急速に。


—―急速にサイードの国を支えて来た石油資源は無価値な過去の遺物になりつつある。

石油で、従来の外貨獲得は困難になった。そのことがいよいいよ現実味を帯びると、貧困を知らない国民達は怒りを怨嗟の声にかえ、王宮に押し寄せた。

生活水準の保証を求めて国民の暴動が起きた年、欧州に財産のある王族達は、革命を恐れてこぞって住居を移した。『サイード』の妻子も例外ではない。


支援に奔走した結果、アジアの複数国や企業の支援もあってここ数年は経済の衰退はゆるやかになっている。なにより、欧州のとある国の新興ファンドからの、国と複数企業からなるコンビナートへの支援が大きかった。

ここ数年で瞬く間に頭角を現したファンドの支援の条件には、国内情勢の安定後、速やかな新国王への譲位があった。


『国を衰退させたのは、サイード国王陛下だと国民は誤解しているのでしょう?退位は忍びないと私も思います。ただ、国民を安堵させるためにも、諸外国へ再生をアピールするにも次世代の即位はポジティブなメッセージになるでしょうし……』


幹部の一人だと言う若い男は、声だけでどこか楽し気にそう提案した。


聞けば彼はまだ三十前の青年だと言う。

ファンドの幹部の中でもとびぬけて若く、そしてCEOの気に入りなのだと評判だった。もっとも姿を表せない事情があるとかでいつも声だけで会議に参加するのだが。

青年の語り口は軽妙だが常に抜け目がない。会話をしている間、常に観察されているような圧迫感を感じる、サイードにとってはやりにくい相手だった。


『外国人が内政干渉をするなどと……!』

『コンサルティングですよ』


側近の一部は国内の情勢に口を出すのは極めて無礼だと激高したが、青年はあっさりと繰り返すだけで、サイードは結局、条件をのんだ。

サイードの「正体」を知る側近たちは「正しい」流れに王の地位が戻ることに安堵する風でもあったし、王妃がそれを強く望んだからだ。

元々、儀礼上の妻にすぎない。

私生活ではサイードに近づかず「神に背いた生まれの、夫の地位を奪った悪魔」と忌避する女性だ。この提案は、渡りに船だったのだろう。


「いいだろう、国へ支援をしてくれるなら私に否やはない」


そう告げて即位も全て済ませてしまった。


国中は新しい美しく若い国王の誕生に歓喜して、この国の輝かしい再出発を祝福している。船出が成功する根拠など、何もないと言うのに。

—―あとはサイードが個人的に持つ小さな会社の権利を譲渡してしまえば、「サイード」の役目はそれですべてが終了だった。

空港に併設された王族専用のラウンジでファンドの幹部に会う約束を取り付けると、電話口で彼はどこか感心したかのように言った。



『……潔いんですね、王族の方はもっと……』


若い男の声が適切な単語を探す。

ロシア訛りの英語を話すこの男は、どこで覚えたのか、サイードの国の言葉にも堪能だった。ただ、子供のような無邪気な言葉の選び方をする。


「がめついと思っていた、かな?」

『ああ、陛下。そんな感じです』

「元陛下だよ、生憎と」

『失礼しました。……いいですね、がめつい、か。その表現覚えておきます。――あなたは欲のない方だ。至高の地位にもまるで執着していないように感じていました。全部諦めているみたいだ』


通信ですら音声のみで自分の画像すら出さない若い男の声は無遠慮に告げる。

あまりにもとりつくろわない辛辣な言い草に、サイードは苦笑してしまう。


『あとは会社の権利を譲る必要書類にサインすれば、あなたは全てを失うことになりますが、構いませんか?』


もう一度、確かめるように聞かれてサイードは笑った。


「構わないよ。元々自分のものなど何一つなかった。元に戻るだけだ。さっさと済ませてしまおう」

『そうですか。では、空港でお会いしましょう。お会いできるのを心待ちにしています』


通信はいつものように一方的に途切れ、サイードは……いや、カミルは王族の衣装を脱ぎ捨てた。

サインをしたなら、身一つで国を出ようと最低限の荷物をまとめて十数年ぶりにジーンズとシャツに着替える。

車を運転しようと郊外に借りたままにしていた住居に赴くまで、彼が「サイード国王」だと思う人間はいなかったようで、行き交う人の視線は全てすり抜けていく。


「運転しますよ」

「……おまえ」


駐車場にたどり着くと、いつから待っていたのか車に乗り込んでいた軍人は口の端だけで笑った。


「運転、下手でしょう貴方は。空港まででよろしいですか?」

「あ、ああ。しかし、何故私が来ると分かっていたんだ?」


珍しい灰色の目をした軍人は、くつくつと笑う。


「私の甥は放蕩が過ぎて、大学時代に姉夫婦から勘当をされたんですが……要領のいい甥でしてね。今は件のファンドで働いているようです。我が国の情勢に詳しいからと今回のプロジェクトでも重宝されたようですよ」

「……そうだったのか」


()()の瞳の軍人はカミルを空港まで送って車を止めると、恭しくドアを開いた。


「どうぞ。カミル殿下。……甥の同い年の上司が、あなたをお待ちしているようです」


視線の先に現れた背の高い青年をみとめて、カミルは息を呑んだ。

覚えのある……少年の面影を見付けて言葉を失う。

金色の髪、白い肌。

サングラスの下の瞳の色はなんだろうか—―いいや、自分はすでに知っているはずだ。


軍人はどこか苦笑する風に頭を下げて車に乗り込み、私はこれで失礼します。とキーを回す。軍人が誰か気付いたらしい青年に、片手で合図をしウィンドウを開けて尋ねた。


「ミスター。あの黒猫は貴方の慰めになりましたか?」

「……ええ!今でも私の家で寝ていますよ。老猫だけど元気だ。あなたのお気遣いには感謝していますよ、――突き飛ばされたことも忘れてないけどさ」

「苦情は、私の甥(あなたの部下)に言ってください。では――」



走り去った車を視線で見送ってから、青年はゆっくりとカミルの前で足を止めた。

サングラスの下から現れた瞳は、期待通りの青。

いつか砂に埋もれていた宝石はいまも同じ透明度でカミルを見つめている。


「アレクサンドル・サフィンです。お初にお目にかかります。この名前では」


求められた握手に反射的に応じてしまう。

固い掌をもつ青年の目線はカミルと同じか、いくらか高い――


「カミルは俺のこと、サーシャって呼んでくれていたけど」

「……サーシャ!おまえ、なんでここに……」


それはもちろん、とアレクサンドル……サーシャは悪戯が成功した時と同じ顔でにやっと笑った。


「もちろん、ファンドのお仕事と……それから、カミルを迎えに来たんだよ」


唖然とするカミルに、サーシャは勝ち誇ったように宣言した。

ファンドがサイードの国を支援したのも、アレクサンドル・サフィンの意向が大きくかかわっているとは聞いていたが。呆然としたままのカミルに青年は笑顔のままなおも続ける。


「俺からカミルを奪ったサイードを、俺が壊した」

「おまえ……」

「約束を果たしに来たんだ」

「約束?」

「カミルはこれでようやく、油田も、家族も、一族も、地位も、全部失くしたんだ……これで自由になれるだろ?」


全く悪びれない口調がいっそすがすがしい。サーシャは子供の頃と変わらぬ熱量でカミルを見た。


「ずっと一緒にいるって。約束した。あの日に。だからカミルはそれを守らなきゃいけない。絶対にだ」


太陽の下で、青年はあの日と同じ言葉を口にする。


「全部無くしたんだろ。だったら、俺のものに。なればいい」


あっけにとられていたカミルはくつくつと笑って、笑いの発作が収まると…………真剣な顔をしたままのサーシャの猫毛をかき乱す。

仕方ない。

してはならない約束を先にしてしまったのはほかでもないカミルの方だから。


柔らかな笑みを浮かべて青年に尋ねる。


「ずっとか?」

「ずっとだ」


青年の青い瞳が歓喜にわく。

カミルは小さな箱庭を思い出した……訪れる者の少ない、静謐で寂しい楽園。


そこに戻れるのが幸福なのか不幸なのか、それはわからないが――


隠しきれない喜びを爆発させたサーシャがカミルをぎゅっと抱きしめる。

重大な事を打ち明けるように耳元で囁いた。


「少なくともパンケーキを焼くのは上手くなったよ」

「……それは、楽しみだ……」



この笑顔があるのならば、それで十分ではないだろうか。


目を閉じたカミルの耳元に、確かにどこかで扉が閉まる音が聞こえた気が……した。


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