出張治療なのじゃ
こんにちは。今日も一話更新です。
よろしくお願いします。
留置房の衛兵も所属隊は違うとは言え隊長と、北面の部隊全体の総司令である支隊長が連なってやって来てはなにも聞かずに道をあけて当然なのじゃ。むしろ威圧されて可哀想ゆえ、職務的にどうなのじゃという疑問はそっと葬っておくのじゃ。
「傷が腐った匂いがするのじゃ……」
地下へ降りる階段を進むとよくない気配なのじゃ。
「朝はここまでじゃなかったんだが」
降りた留置房は長く投獄する牢獄ではないゆえかそこまで荒れた雰囲気ではなく何となくほっとしたのじゃ。
一番手前の独房に雑に布で傷を縛っただけで男が一人放り出されておるのじゃ。
呻り声が洩れておるがその苦痛の音も小さく消えかかっておるのじゃ。
覗き込むと、確かに血で汚れておるのじゃが着ておる服は上質そうで顔つきも誰何されて斬りつけてくるような破落戸には見えぬのじゃ。但し、その上品な顔に死相が濃く現れておるのじゃ。
急いだ方が良さそうなのじゃ。
「魔漿石はあるのかえ」
「ああ、ここにある」
ゲノールも深刻そうな顔で頷くのじゃ。
「では握らせるのじゃ」
ゲノールが魔漿石を握らせるのを確認してわらわは<治癒>の祈祷を行う。<重癒>で間に合うのかどうか、その判断をする経験が足りておらぬゆえゆっくり魔力を注ぎ必要なら陣を強化できるように調整するのじゃ。
<重癒>を越えるようであれば魔漿石の限界がどの程度か分からぬゆえ魔力を多めにこぼして被術者の魔力消費を補うのじゃ。なのじゃが、流石に魔力が厳しくなって来たのじゃ。午前に修得のために魔力を使った分は昼食を挟んでそこそこ回復しておったのじゃがそこから<軽癒>基準とは申せ<治癒>を使いまくっておったからの。
うむ、祈祷治療の会で治癒の権杖を使っておって助かったのじゃ。あれを使っておらぬなら倒れておったかもしれぬのじゃ。
<治癒>の魔力が怪我に打ち勝った手応えを感じ魔力の流れを止めながらわらわは安堵の息をもらしたのじゃ。同時に怪我人の手の中の魔漿石が割れる軽い音が響いたのじゃ。
「ふぅ、なんとかなったのじゃ」
「げっ、割れちまうとはなぁ」
クズ魔漿石はすぐ割れるのじゃが、魔漿石は普通魔力が空になっても何度か再充填して使えるものじゃからな。なかなかの負荷がかかった証拠なのじゃ。
小さな呻き声が安定した呼吸音になっておるのじゃ。一応傷を確かめようと思うのじゃが、うーむ、まあまだ行けるのじゃ。
「<洗浄>」
うむ、服は斬られて破れておるが体の傷は塞がっておるのじゃ。汚れた布と血にまみれた身体では判断できんかったゆえ<洗浄>が必要であったのじゃ。
しかし、生活魔法の軽い魔力でもしんどいのじゃ。ケチらずクズ魔漿石でも使えば良かったのじゃ。普段使わぬと意識に上らぬものなのじゃな。
「ほ、本当に治ったのか」
「ああ、ただ体力が削られておるゆえ目を覚ますのには暫しかかると思うのじゃ」
わらわは座り込みながら驚く支隊長にそう応えるのじゃ。余力があれば<強壮>なぞをかけてやるのじゃが、そんな余力はないのじゃ。
「ふんっ、あとは房の中で殺されぬよう気をかけてやることなのじゃ」
「……。ああ、そうだな。支隊長、頼んだぜ。で、マーティエは立てるのか?」
ゲノールは深く頷いて支隊長を見たのじゃ。支隊長も重く頷いたのじゃ。
「手を貸すのじゃ」
ゲノールの手を借りて立ち上がるのじゃ。まあ本気の魔力枯渇までは行っておらぬゆえ大丈夫なのじゃ。
「思っておったよりかなりひどい怪我だったのじゃが、なんとかなって良かったのじゃ。では帰るとするかの」
「まあ待て」
支隊長がわらわを止めてがちゃがちゃと腰に提げておった物入れからなにやら取り出したのじゃ。小さな金属板に紐に通すための金具の付いたタグのようなものなのじゃ。
「これを見せれば門衛は通してくれるはずだ。何かあったらここに来い。俺の執務室は二階の、丁度入り口の真上の部屋だ」
そのタグをわらわに渡してそう言ったのじゃ。
なるほどなのじゃ。さっき出会ったのは偶然ではなくそこからゲノールがわらわを連れて来たのを見て降りてきたのじゃな。些細な納得が得られたのじゃ。
「ありがたく貰っておくのじゃ。使う機会があるのかどうかは知らぬがの」
早速冒険者登録の鑑札なぞが下がっておる革紐を首から引っ張り出してタグを付けたのじゃ。後でしようと思っておっては忘れるからの。
「ん、マーティエは冒険者なのか」
「うむ、そうなのじゃ」
冒険者鑑札に気づいたらしい支隊長の問いに答え、ふと思い出したゆえゲノールの方を見やるのじゃ。
「この治療の謝礼の寄付なりあるいは報酬なりは寄付なら神殿に持ってくればよいのじゃ。報酬ならば冒険者協会でわらわの名前を出して通してもらうことになるのじゃ」
どっちでもよいのじゃがの。
「マーティエってのは女祈祷師かなんかの職位名だろ」
ああ、確かに名前を名乗っておらぬのじゃな。
「女祝祷師なのじゃ。それは兎も角、ミチカ=アーネヴァルトなのじゃ。冒険者としてならばミチカと呼ぶがよいのじゃ」
「マーティエの方が名前っぽいな。しかしミチカだな、覚えておく」
このあたりでは女性名の最後がエの音で終わるのが一般的じゃからのう。まあわらわに関しては謎の外国人として流して欲しいものなのじゃ。
「そういや俺の方も名乗ってなかったな。警邏隊北面支隊の支隊司令ハンケル=ゼックだ。よろしくたのまあ」
「さっき貰った通行証に書いてあったのじゃ。まあこちらこそよろしく頼むのじゃ」
別れ際になってからの自己紹介なのじゃ。一応握手を交わしてさようならなのじゃ。
わらわにとってはお仕事完了なのじゃが、二人にとってはここからが仕事なのじゃ。まあがんばればよいのじゃ。
「ゲノール、リンゲンに信頼できる奴を何人かここに寄越すよう言っておいてくれ。間違えてもおまえのとこの副官を通すなよ」
「ああ、了解した。ミチカを神殿まで送ってくるから暫くは一人でここを守っておいてくれ」
あの使えない副官は怪しいのかのう。それとも単に使えないからなのかのう。いやいやかかわり合いになる必要はないのじゃ。
魔力が減りすぎた影響も段々薄れてきておるし、一仕事終えた清々しい気持ちで去るのじゃ
お読みいただきありがとうございました。