熊の一族なのじゃ
こんにちは。
台風で何度か停電を食らいましたが、皆さんは大丈夫でしたでしょうか。
今回もよろしくお願いします。
「そいつが中央かぶれの半端な料理を出すって言う小娘か! 本当に餓鬼じゃねえか!」
案内されて扉をくぐるや浴びせられた一声がこれなのじゃ。胴間声、とでも言うのであろうかの。太くしかし濁った声色なのじゃ。美しくあらぬのじゃ。
その声の主はと言うと熊さんに似ておるのじゃ。がっしりとした骨格に年老いたとは言えしっかりと筋肉がついた老熊なのじゃ。少々太り気味であるのは仕事柄仕方あらぬのじゃ。
その横で必死に老熊を抑えようとしておるのが息子でハトコさんの親父さまで熊さんのおじさんと言うことで間違いなかろう。こちらも頑強そうな体つきのおじさん熊と言ったところなのじゃ。
この熊の一族は体格的に恵まれた血筋なのじゃ。
わらわと共に入室したハトコさんも美人なのじゃが華奢さとは縁遠い、うむ大美人というやつなのじゃ。
とりあえず老熊の怒声は黙殺することにしたらしい組合長による紹介と挨拶の交換なのじゃ。
正客の席には老リーディンが悠然と座っておるのじゃ。神殿と縁遠かったもの等がどういう対応を見せたのか少し興味があるのじゃが、まあ寛ぎ具合からして問題はなかったのであろうの。
と言うか老熊の怒鳴り声を浴びせられるわらわをにやにやと眺めておったのじゃ。全く。
「わらわが紹介に与ったミチカ=アーネヴァルト、そしてこちらが助手のモリエなのじゃ。今日は試食と言うことなのじゃが楽しんで行かれると良いのじゃ」
わらわの横に控えておったモリエが一歩進んで慎み深く礼をしたのじゃ。こう言った所作は最近メイドさん等によく仕込まれておるのじゃ。
更に逆サイドからハトコさんが進み、こちらは自分で挨拶するのじゃ。
「本日の給仕を任されました『鳥籠と熊』亭のリリエレです。店主はこの会の後に指導する予定の調理師匠合のほうに参っております」
こちらは参加者と概ね面識がある様子なのじゃ。
「はんッ 実際調理してるのはそっちの娘か。それでもそんな小娘じゃ大した腕がある訳ねえんだよっ!」
老熊が吠えておるのじゃが、他の参加者等もとりあえずスルーすることに決めたらしゅうそれぞれ挨拶して来たのじゃ。
「いろいろな衣裳や飾りを作らせていると聞いてはいましたが今日の衣裳もまた変わったものですな。いや、お可愛らしい」
「『鳥籠と熊』亭で修道会風チーズ焼きは頂きましたが他にもいろいろとお噂を聞いておりますよ。今日は楽しみにして参りました」
参加者等は口々に賞賛やら噂話やらを囀るのじゃ。わらわとよしみを結びたいという面と情報収集に関する能力を他の参加者と競うと言う面があるのじゃろ。タンクトップおじさんを初めとしたわらわの元々の知己勢は無論参加せずに人の様子を眺めておるのじゃ。
その中で情報収集が足りておらなんだ様でしきりに感心をしておる総督府の役人は兎も角、不審と猜疑を潜ませた目で睨めつけて来ておる行政府の小役人には注意が必要そうなのじゃ。
正面から睨んでおるのならばむしろ気持ちがよいのじゃが伏せ目がちに視線を逸らしながら伺うように下から睨め上げてくる様がなんとも不愉快なのじゃ。
中央集権化が進み貴族や士族が領主ではのうて高級官僚や国軍の軍人と言う立場へと変化しておるこの国の事情を鑑みると元々この土地に根付いたおった地方貴族や騎士の後裔が城市の行政府の要職を占め、この小役人なぞもその類縁の筈なのじゃ。なのじゃがそれに相応しき品格も精悍さもあらぬ貧相な中年でそこも好感を抱けぬ部分なのじゃ。立場に見合った巻き毛の鬘をかぶっておるゆえ判らぬのじゃがきっと薄毛か禿なのじゃ。
ちなみに総督府の役人のほうは恰幅の良い壮年で、商業に関する許認可から徴税業務までのほとんどを商業組合に委託しておる立場ゆえ珍しい酒食を饗応してもらうためだけに来た所謂役得だ、と鷹揚に笑うておったのじゃ。口先では不真面目そうなことを言いつつ実は出来そうな男で少し好感を持ったのじゃ。
こちらは現地雇いではのうて王都から来ておる人員の筈なのじゃ。
何はともあれほとんどのものがわらわをちやほやしておることに怒気を募らせておるのが老熊なのじゃ。必死におじさん熊が抑えようとしておるのじゃが火にかけすぎた圧力釜のように感情の圧力が高まっておるのが外から見てもよくわかるのじゃ。
「手前等ッ 誇りはねえのか! そんな小娘に媚なんぞ売りやがって」
あ、爆発したのじゃ。お歳ゆえ多少血管が心配なのじゃ。
「我が家には『黄金の枝角』の誇りがあらあッ! うちと調理師匠合は」
「いい加減にしてお爺ちゃん!」
ハトコさんがキレて老熊へ向かって進み出たのじゃ。声の強さも負けておらぬのじゃ。しかし怒りだけでのうて幾分かの悲しみもその声に含まれておるのじゃ。
「リ、リリエレ? なんで、いや」
ハトコさんと入室前に打ち合わせをしたときに確認したのじゃがほんの四日前にハトコさんが話をしたときには普通であったというのじゃ。ここ二三日のうちに突然変化があったと考えると自然なものにはあらぬ、と言う確認が取れたわけなのじゃ。
仁王立ちするハトコさんに怒りだけでのうて悲しみもまとっておるのは当然であるのじゃ。老熊の状態を聞いてハトコさんは給仕開始の時に入室してきてそのとき挨拶するつもりであったのを前倒しにわらわと一緒に入ることにしておったのじゃ。
理性があらばわらわがかわいい孫娘を伴っておる以上、孫娘に恥をかかせぬよう口をつぐむであろうと言う判断なのじゃ。しかし現実にはわらわへの怒りで視界が狭まりハトコさんがおることすら認識しておらんかった様なのじゃ。
「『黄金の枝角』の誇りは戦争が終わって平和な世が来ると思うや騎士を廃業して西方域から料理人を呼んで新しい事業を興した曾お爺さまの先見の明。そしてそれまで騎士の子弟であったにも関わらず積極的にその料理人を師と仰いで修行したお爺ちゃんや大叔父さんといった一族の進取の気性。そう言ったのはお爺ちゃんだよ!」
四日前にはわらわに料理を習う熊さんの進取の気性を褒めておったのに、とハトコさんは感情を爆発させておるのじゃ。
老熊ははっとした表情を見せるも呆けたような表情で脱力し、しかし何か沸き上がるような感情に苛まれるのか苦悶をその顔に刻んだのじゃ。百面相の具合が忙しゅうて余りよくあらぬ状態なのじゃ。
「先ほど渡した魔漿石を祖父殿に握らせるのじゃ」
治療系の魔法が必要になる場合を見越して打ち合わせの時にハトコさんへ渡しておいたのじゃ。治療系は術者だけでのうて被術者も魔力を使うのが問題なのじゃ。
また治療に抵抗される場合はその抵抗を抜く必要があることも面倒なのじゃが今は抵抗する意志もあらぬようなのじゃ。
老熊に駆け寄るハトコさんを見て、わらわも近づこうと思うたのじゃが老リーディンに手で制されたのじゃ。
老リーディンが治療するつもりのようなのじゃ。立ち上がった老リーディンはわらわにしか判らぬ祭文を唱える前に普通に北方諸国語で話をしながらゆっくりと老熊に近づいていくのじゃ。
「癒しと慰めの神は心の平穏もまた司る。神の御料地である慰めの園には穏やかな平安が満ちそしてその野とわれわれの心の奥は地続きで繋がっておって、ゆえに皆いつの日にか俗世の苦悶から離れ穏やかに暮らせる日が来ると言われておる」
ハトコさんとおじさん熊にがっちりと捕まれぽかんとした表情をしておる老熊の頭に手をかざし老リーディンは今度こそ祈祷を紡ぐのじゃ。
「癒智慧し園暉慰め知り」
と思うたらなにやらごちゃごちゃしておる上に圧縮された謎の祭文なのじゃ。ちと意表を突かれ老リーディンの手元を見やると魔法陣が二つ浮かんでおるのじゃ。
片方は<平穏>なのじゃがもう一方は知らぬ陣なのじゃ。陣立てからすると魔法の神、あるいは智慧の神にまつわる陣なのじゃ。
とりあえず吃驚はしたのじゃが判ったのじゃ。
器用にも二つの祈祷を同時に行使しておるのじゃ。祭文から<平穏>の要素を取り除きつつ再構成していくと恐らくはかかっておる魔法や魔法の残滓から情報を読みとるための<解析>の祈祷であろうと推測できたのじゃ。
なんとも器用な使い方、と言うより奥義級の技術ではあらぬかや。これを見せてくれようと言う心遣いには深く感謝なのじゃ。
「このものの心に平穏を。<解析><平穏>」
最後にはまた余のものに判るよう北方諸国語で祈りを締め、<解析>のほうは気付かれぬよう小さく発動したのじゃ。
平行行使とでも言うのかの。魔法の技術も奥が深いものなのじゃ。
老リーディンがさらっとやって見せた高等技術は判らんかったであろうが祈祷の光が穏やかに降り注いだ光景に参加者等は皆ほうっと感嘆の表情を見せておるのじゃ。
肝心の老熊もなんだこれは、なぞと言いながらハトコさんとおじさん熊に抑えられるのではのうて肩を借りながら姿勢を正して座り直しておるのじゃ。
「うむ、手応えからして術のかかりも軽かった様子じゃわい。後遺症もあるまい。神の加護に感謝を」
老リーディンは重々しくそう告げると席へ戻ったのじゃ。
わらわも一応問うておくのじゃ。
「気分はどうかや? 大事ないと良いのじゃが」
「ああ、すまねえ。夢、いや悪夢を見ていた気分だ」
額の汗を拭いながら老熊はそう答えたのじゃ。参加者等も興味津々で見ておるのじゃ。
ハトコさんの牽制で試食会を乗り切った後に対処する心づもりであったのじゃが予想を超えた状態であったゆえこう衆人環視の中でのやりとりとなってしもうたのじゃ。
祈祷に関して老リーディンが派手にやってくれたお陰で視線は分散しておるゆえまあ良いのじゃ。行政府の小役人もわらわではのうて老リーディンを上目遣いに窺っておるのじゃ。
老リーディンには後で礼を言うてついでに<解析>の結果も教えてもらわねばの。
「まだ本調子ではあらぬところ済まぬのじゃが、訊いておきたいのじゃ。ここ三日の間に不審なら客かなんぞあったのではあらぬかや?」
わらわのその問いにはおじさん熊のほうが答えたのじゃ。
「はい、珍しく貴族のお客さまがご来店されまして、今考えるとそこに挨拶に行った後から父の様子がおかしくなっていたように思います」
ハトコさんに視線を向けると貴族は自分等の屋敷や城館で饗応しあうのが通常で、料理店から料理人を雇ったり宴の前に臨時に派遣してもらったりと言うつき合いはあるものの店に直接来るというのは余りあらぬことと注釈を入れてくれたのじゃ。
ただ、『鳥籠と熊』亭は修道会風チーズ焼きことグラタンをお忍びで食しにくる貴族もいるそうなのじゃ。これはちゃんと作れる料理人が少のうて派遣できないと言う現実的な理由によるものじゃと言う話なのじゃ。
「その点で今回の試食会後の指導が待たれているわけです。結構せっつかれているのですよ。おそらく調理師匠合の方にも同様ですね」
組合長が今回の試食会の意義を補足してくれたのじゃ。グラタンを食べに行ったとか言うておったものは深く頷いておるの。
なんにせよとりあえず術をかけられた流れは判ったのじゃ。お貴族さまの名前を怪しいからと口に出すことは避けたようであるゆえ後で詳しくは訊かねばならぬのじゃが、そこらあたりもなんなら組合長任せで構わぬ気がするのじゃ。
「どうするかや。体の調子が厳しければ休んでおいてもらって構わぬのじゃが」
「心遣いは感謝するが、食べるぞ。うん、食べたいと思っておるんだ。と言うか、そちらこそ良いのか。さっきまでさんざん口汚く叫んでおった爺に食わせて」
老熊は少し気恥ずかしげに、しかしそれを打ち払うようにかぶっきらぼうにそう言うたのじゃ。
「術にかけられておったことで気を悪くしたりはせぬのじゃ。何よりわらわは其方に敬意と感謝の念を持っておるのじゃ」
わらわがそう軽く答えると首を捻って問い返してきたのじゃ。
「敬意とか感謝とかはなんぞ。こちらに覚えはないが」
「わらわは冒険者なのじゃ。全然冒険できておらぬのじゃがの」
鑑札上は冒険者が本業なのじゃ。本当なのじゃ。
「調理師匠合は協会に付属の冒険者酒場を目こぼししてくれておるであろう。あんなところで飯を食らう貧乏人は商売にならぬと言うだけの判断かも知れぬのじゃが、それでもお陰を持って冒険者協会が面倒を見ておる親を持たぬ子ども等や素寒貧の駆け出しどもが最低限食事を摂ることが出来ておるのじゃ。これには冒険者として感謝しかあらぬのじゃ」
「か、過分な評価ですぞ。しかしそれが良いように役立っているなら喜ばしい」
予想外のことを言われた、と言う顔の老熊に頷き返し少しだけ補足を入れておくのじゃ。
「わらわは良きもの等の助けを得てそう言った子ども等の身の立て方なぞをいろいろ施策しようとしておるのじゃ。炊き出しなぞが必要と判じた場合には其方等の許しも得ねばならぬであろうゆえそのときはよろしく頼むのじゃ」
行政府の小役人の反応をこちらからも伺いながらついでのこととして街の子ども等の問題にも触れておくのじゃ。撒き餌なのじゃ。
「ちょっとばかりごたごたとして皆待ちわびておるであろ。改めて試食会を始めるとするかや」
さて、予定は変わったりしたのじゃがやることは変わらぬゆえしっかり務めるとするのじゃ。そう決意と言うほどではあらぬが気を引き締めたところで老リーディンに意気を挫かれたのじゃ。
お読み頂きありがとうございました。