烏賊の予兆なのじゃ
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中央神殿の定める祈祷礼拝の作法は極めてシンプルで基本的なものになるのじゃ。それが本質的、と言う話ではのうて元々が各地それぞれの信仰を取り込んで行くのが神殿のそもそものあり方であったのじゃ。
今、わらわは神像の前に置かれた水盤に水を注いで行くのじゃが、これは北方諸国群ではそうしておると言うだけの話なのじゃ。
香を焚く地方や土器に塩を盛る地方なぞもマーリィの話で聞いたことがあるのじゃ。
ガントは中央の神学校へ行くゆえ知っておいて良かろうと話をしたのじゃが、タンクトップおじさんのほうが感心しておったのじゃ。
確かにこの国は信仰の絶えた地であるゆえガントにとっては水盤に水を張ることも神殿で初めて見た風習で余所の土地では違うと言われても逆にピンと来ぬのじゃな。
「リーディンは本来は冬の大神と氷雪の神の前のどちらかが水盤を置く場所であって、他の神像の前に置くのは後代の誤解じゃろうと言うておったのじゃ」
「そうなのですか?」
「古い文書では占い盤とされておるのじゃ。それもどうやら水盤の水が凍る凍りかたや罅の入りかたで占っておったようでの、水を凍らせるような神でのうては水盤を置いても意味はなかろうと推測しておったのじゃ」
とは言うても逆に古代で行われておった占いの祭儀もわからぬゆえ、本来の形なぞは気にせず全ての神の像の足下に大理石の八角水盤が置かれておるのじゃ。
「古代、蛮族と呼ばれていた頃の祭祀は屋外で行われていたんでしょうかね」
まあ屋内では凍りにくいのじゃ。しかし、それだけではあらぬと思うておるのじゃ。
「それだけではのうて、おそらく昔のほうが今より寒かったのじゃろうと思うておるのじゃ。戦記のたぐいからの推測であるのじゃがの」
気候の厳しさが北方蛮族が帝国に簡単に征服されなかった理由のひとつなのじゃ。
未来の考古学者が地層調査を行って検証してくれるやも知れぬのじゃが、今はまだただの推測なのじゃ。
考古学と言えば掘り出した石櫃とその中身は今ここで祭壇に使っておるわけであるのじゃが、考古学的価値もあると思うておるのじゃ。
文化財保護を言うても理解される土壌があらぬゆえわらわも叫んだりせぬのじゃが、未来の人に託すため発掘の状況や出土品のリストと図解を出来得る限り詳細に記し礼拝所の開神縁起と称して保管することにしたのじゃ。写しを神殿の書庫にも置いておいたゆえ運が良ければどちらかが後世の学者の役に立つのじゃ。
出土品の現物が散逸して、謎の偽書扱いになる可能性もあるのじゃが、それはそれで面白いゆえ良いのじゃ。
「では改めてこの新しき礼拝所で初めての祈りを捧げるのじゃ」
中央に配された祭具は草木の神のものと思われる樹木を模した燭台なのじゃが、礼拝所自体は諸神に捧げる形式になっておるゆえ唱える祭文も諸神礼讃の祝詞なのじゃ。
こう言った祈祷において魔力を使う必要はあらぬのじゃが、わらわは魔力が零れ出易き質であるゆえ燭台の魔漿石に光が灯り、取り巻く神像もうっすらと光ったのじゃ。
「マーティエの祈りは霊妙ですなあ」
「褒めるものではあらぬのじゃ。ただ単純に魔力の制御が出来ておらぬと言うだけのことなのじゃ」
この部分を真似する必要はあらぬ、とガントに伝えつつも、全くの無意味ではあらぬのじゃ。
「草木の神の祭具の魔法陣が魔力で満たされると周辺の植物の生育が促進されることになるのじゃ。そして本来、春を言祝ぐ新年の祭儀は王族や貴族が魔力を注いで祈り国中の豊作を祈願するものであるのじゃ」
逆に祈らずともこの国の農業は問題のう運営されておるゆえ祭の効果は気休め程度と言うことでもあるのじゃ。他の国でどれだけ真面目に魔力を注いでおるのかは知らぬのじゃがの。
効果が広くあるようならばズークさんの甜菜畑や作るやも知れぬ実験農場には祠の類を建てるとするのじゃ。わらわが育ったストールベリ王国では普通に祭儀が執り行われておった筈ではあるのじゃが深闇の森に囲まれた城市育ちで農村の風習なぞはマーリィも教えてはくれんかったのじゃ。
何にせよ礼拝所もこれで立ち上がったのじゃ。
「さて、祈りの場を整えた後は生活の場なのじゃが、その前に昼餉の時間なのじゃ」
「そうですね、サーデとマーセが出掛けに時間を取ってしまいましたから」
「なにか作るとするかの。出来合いのものより時間は掛かるのじゃが」
昼餉の話をしながら礼拝所を後にしたのじゃ。
「興味を持たれていたクラーケンの身を少しばかり持ってこさせておりますよ。すぐ荷に運びに掛からせたので説明が遅れましたが」
引っ越し荷物を運ぶお手伝いに下働きの人等を連れてきておったが来るときにはそんなものを持たせておったのじゃな。
ちょっとばかり面白そうなのじゃ。
でっかい烏賊の処遇をわくわくと考えながら戻ると倉庫に住み着いておった子ども等が興奮気味に寄ってきたのじゃ。
「あ、あの。ありがとう御座います」
「いいんですか。俺たちがあんなところに住んでも」
「お、お布団が柔らかかったです」
正直寝具なぞは最低限で揃えたつもりであるのに礼を言われても困るのじゃ。まあ、感謝してくれるならばその分働いてくれるはずなのじゃ。
甘い見方なのじゃが。
「前にも言うたのじゃが、その分働いて貰うゆえ構わぬのじゃ」
「えっ、でも港湾協会で働いて、貰ったお金をオルンさんに渡そうとしたら怒られて俺たち自身で貯めたり使ったりしろって言われたんですが」
ちらちらと港湾協会の偉い人であるタンクトップおじさんを見ながらリーダー格の、えっとルッテの兄の、あれじゃ、コーズであったかの、そのコーズがそう言うたのじゃ。
「それは其方等が真っ当に働いた正当な報酬ゆえ至極当たり前のことなのじゃ。そう言う金を巻き上げようとするようなチンピラには気をつけるが良いのじゃ」
「え、え。はい」
おそらく倉庫に入り込むよう言うた地回りであるとかはそう言う子供の小遣い程度の稼ぎから更にピンハネしておったのであろうの。
「オルンが戻れば馬の世話や馬車の扱いを学ぶが良いのじゃ。それに関してはわらわから賃金が出るし御者の鑑札を取るにあたってはその費用の負担もするのじゃ」
「え、ええ?」
なにやら困惑した声を出しておるのじゃが、説明するのも面倒なのじゃ。
そのわらわの気持ちを汲んだのかタンクトップおじさんが進み出て口を開いたのじゃ。
「訳が分からないと思ってもそう言うものだともって受け入れておけ」
タンクトップおじさんはそう言いながらぽんっとコーズの頭の上に手を置いたのじゃ。
「はいっ、わかりました!」
タンクトップおじさんには歯切れのいい返答を返すのじゃ。うむ、男の子は難しいのじゃ。
「とりあえず今日は其方等の分の食事も作るとするのじゃ」
さて、烏賊。ではのうてクラーケンなのじゃ。
お読み頂きありがとうございました。
ちょっと本気で余裕がないですすす。