古い建物には信仰の残滓があるのじゃ
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「わらわはこの城市の正神殿つきの修道会総長でもあるゆえの、正式に神殿が祀った神像があるのであらば祈るのは仕事のうちであるのじゃ」
職務上スルーして良いものかどうか、正直分からぬのじゃ。まあ魔力に余力があるときであらば祈って悪いことはないのじゃがの。
「ほ、ほう。そうかい。で、なんで光ってるんだい?」
匠合長の婆さまは気を取り直してそう訊いてきたのじゃ。
「祈りで魔力が流れたゆえ魔法陣が充ちたのじゃ。こちらの女神像は草木の神のもので、薬師や調合師の守護神であると同時に植物の母とも呼ばれておる女神なのじゃ。光っておる間は多少薬草の育ちが良くなるはずなのじゃ」
そう言うて植え込みを示すと婆さまは頷いたのじゃ。
「そこはもとより育ちがいい場所なんだよ。土を移してもそうはならんし理由が分かっておらんかったが、その女神様のおかげなのかい」
「ほう。おそらくそうなのじゃ。きちんとした祈りになっておらぬにしろ神に届く気持ちがあったのじゃろう。良きことなのじゃ」
疑問符を頭の上に乗せて調合師等がわらわを見ておるのじゃが、そう難しい話にはあらぬのじゃ。
「うむ、祈りとは喜びであり感謝なのじゃ。薬草が育って伸びることに対する喜び、癒しや慰めのあることに対する感謝、そう言う其方等の己の仕事に対する感情が自然と祈りになっておったのじゃろう。美しきことなのじゃ」
感銘を受けておる様子の調合師等ににっこりと微笑みかけておくのじゃ。ドヤ顔にならぬよう注意なのじゃ。
「ほう。確かに婆たちの知らんことを語る娘っこじゃ。婆はジーヴェと言う。少しこの女神様のことを教えてくれるかい」
「わらわはミチカ。ミチカ=アーネヴァルトなのじゃ。祝祷師としてマーティエと呼んでも構わぬのじゃ」
挨拶しつつも互いに名乗っておらんかったのじゃが、婆さまのほうから名乗ったのじゃ。判定有利と言う奴なのじゃ。
草木の神や癒しと慰めの神は言うて分かり易い神格ゆえ語ることも容易いのじゃ。調合師が着ておる長衣の緑の手の紋章が草木の神の神印であることが少し驚きのようであったのじゃ。
逆にこちらのほうが如何にして信仰が絶えていったのであろうかと不思議を感じるのじゃ。前世と違い祈祷に実際の力があるというのにの。
「この女神像は格式が高いものゆえ元は神殿からリーディンを招いて季節ごとに儀式を行っておったはずなのじゃ。そこまでせずとも自分等で祀ることが出来るよう祭文を学ぶのは良きことじゃと提案はしておくのじゃ」
「ふむ。そうかい。確かに薬草の出来がよくなるなら悪いことじゃないね。アイラメ、後で昔の書類を調べて当時の予算の資料をまとめといで」
「ひえ。は、はいわかりました」
アイラメさんはわらわを呼び出しに来た使いっぱしりの人なのじゃ。若手の修業時代というものは大変なものなのじゃ。
そしておそらく先例があることは世を問わず予算編成上重視される要素なのじゃ。たとえ百年前の予算でも神殿への支払いの実績があったほうがまるっきり新規の予算より通りやすいという風にの。
「婆が子どもの頃でさえそんな儀式を見た記憶はないからね。だいぶ昔の話だよ」
「はい、わかりましたー」
アイラメさんが素直に応えておるのじゃが、少し気になったのじゃ。
「そんな昔の書類がちゃんと残っておるのかや?」
「病気の流行や毒を持った虫や魔物の発生って奴はさね、だいぶ長い時間をおいて同じものがやってくることがあるのさね」
「と言うことで処方箋は城市に調合師の匠合が最初に出来たとき以来のものが時を止める魔道具のある倉庫に納められてるんです! すごいですよね! あ、貴重な薬効の薬も一緒にですね」
「お前さんが自慢げに言うことでもないさね。ついでに言うと完璧な<停時>の道具じゃありゃせんぞ。完璧じゃない代わりに広い範囲に効くんで書類の木札を納めた箱なんぞも山と積んでおるのさね」
テンション高く説明を横からかっさらったアイラメさんなのじゃが、婆さまにばっさり斬られたのじゃ。
「アイラメが調べたいと言っておった処方箋もあるから頼んだのじゃが、頼んだ仕事の方もちゃんとしてくれるか心配さね」
「処方箋はちゃんと整理されてるんですけど、書類は適当に積んであるんですよ。大変なんです」
がんばってくりゃれとしか言いようがないのじゃ。貴重なものが保管されておる倉庫だけあって出入りにも決まり事があるらしくアイラメさんでは調べたいことがあっても自由には入れぬ訳なのじゃの。そこでお仕事を与えて入れるようにしてやる、と言う師匠心なのじゃ。ブラックなパワハラを疑っておったことを心の中でだけ謝罪しておくのじゃ。
玄関で思わぬ時間を取ったのじゃ。
入った建物の中にも正門の左右ほど立派なものではないにしろ大地の神であったり生命の神であったりの神像が壁面に刻まれておってその説明をしたり祈ったりしつつ移動して応接の間なのじゃ。
「アイラメ、お客さんに茶を淹れて来な」
「この匠合であらば薬草茶かえ」
「そっちのほうがよいならね。普通の茶葉もあるよ」
ふむ、ちょっと試したいことがあるゆえ良い機会なのじゃ。
「アイラメさん。わらわはシナモン、ローズマリー、菩提樹の花、それと生姜と蜂蜜で頼むのじゃ。蜂蜜はマロニエが良いのじゃが、なければアカシアでも構わぬのじゃ」
「えっええと」
アイラメさんがまた驚いた顔で固まっておるのじゃ。最前からよく見る光景であることなのじゃ。
「リューズセーグとはまた高いものを注文するもんだよ。構わないから注文通りに作ってやんな。客人分と婆の分もな」
うむ、実験成功なのじゃ。慌てて下がるアイラメさんの姿は相変わらず逃げ出しておるように見えるのじゃ。そう思いつつ、内心で頷くのじゃ。
ちゃんと認識した上でなら翻訳機能をある程度使えるのじゃ。林檎程度でもこの辺りの呼び名のオージと前世の林檎呼びとで混線しておるのじゃが、数多ある香辛料なぞはなるべく翻訳機能に頼りたいところなのじゃ。
「蜂蜜に種類あるの?」
モリエが袖を引いて小声で訊ねてきたのじゃ。なるほど、確かにきちんと区別された蜂蜜は市場で見かけたことはなかったのじゃ。ただ、今日行った食材店では何種類かあったのじゃが、そこまでモリエの目は行き届いておらなんだのじゃな。
「蜜を集める花によって香りや味は変わるのじゃ。香味だけでなくアカシアやマロニエであれば冬でも固まりにくいなぞと言った違いもあるのじゃ」
溜息混じりに婆さまが付け足してくれたのじゃ。
「その分高くなるから普通は使わないね。最高級品さね。ここでは薬の一部として使うからあるんだよ」
「アカシアの蜂蜜なら熱冷ましや腹の調子を整えて通じをよくする、とかじゃの。わらわの所望したマロニエの蜂蜜は甘みが柔らこうて後味がすっきりしておるゆえ茶に合うのじゃ。うむ、薬効ではなく味で選んだ蜂蜜なのじゃ」
「ちなみにこの辺りでは白詰草の蜂蜜が上品な味で人気ですね。勿論蜂蜜を選んで買うような人たちに、ですが」
お値段や人気の筋に関してはミルケさんが詳しいのじゃ。
「蜂蜜に種類があるって知らなかったよ」
「今度幾つか味見をしてみるのじゃ」
そんな話をしておるとアイラメさんが淹れたお茶と共に戻ってきたのじゃ。
「ほう、先ほどの反応じゃとやったことのない配合じゃろうに美味しく淹れておるものなのじゃ」
「えへへ」
アイラメさんが照れておるのじゃ。
「この娘は薬草茶を淹れることには才能があるんだよ。一番美味しく淹れてくるね。正直調合師じゃなくそっちのほうで身を立てるべきじゃないかと思ってんだがね」
「ひ、ひどいです。お師匠さま」
言外に調合師としての才能を否定されてアイラメさんが涙目なのじゃ。途中まではお茶を淹れる才能を褒められてニコニコじゃったのじゃがの。
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