カレーに至る予兆なのじゃ
こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
「おい、来客中だぞ」
「そう伝えたんですが」
非常に困った顔で店員がやって来て店主に何事か伝えたのじゃ。そして店主も困った顔でこちらを見て薄い頭巾を被った禿頭を掻きながら申し訳なさそうに口を開いたのじゃ。
「申し訳ないんだが少し中座させてくれんかな。すぐ戻って来るからよ」
「構わぬゆえ行ってくるが良いのじゃ」
「感謝する。では少し失礼」
そう言って店主が下がり、替わりに店員がお茶を入れてくれたのじゃ。今回はドクダミ茶ではなく普通のお茶なのじゃ。
「しかし沢山買いましたね」
「うむ。なのじゃが、これでやると言うておった試食会で義理を欠くことはあるまいと思うのじゃ。家に厨房を作ってからの話ではあるのじゃがの」
「それは良かったです。組合長も喜ぶでしょう」
買い物がほぼ済んだ気楽さでのんびり喫茶タイムなのじゃ。
「ミチカ嬉しそうだね」
「うむ。見つからんかったものも多いのじゃが見つかったものも多いことを素直に喜ぶのじゃ。特にクミンがあったことは望外の喜びなのじゃ」
残念ながらバニラやカカオは見あたらんかったゆえスイーツの歴史を大幅に進めるには至らぬのじゃ。しかしクミンの発見は中々重要なのじゃ。
カレーのカレーっぽい香味の大きな部分を占めておるのがクミンなのじゃ。そしてカレーっぽい色は染料商であがのうた鬱金が担当しており、辛さは唐辛子で調整が効くのじゃ。無論それだけにあらず、胡椒や生姜、大蒜と言うた辛み担当やら丁子やカルダモンと言った香辛料類がそこそこに揃ったゆえ万全とは行かずともカレーを作れるのじゃ。
まあライスはないのじゃがの。スープ感を強くしてパンと食すかあるいは平焼きパンをもっとナンっぽくしてインドカリー感を出すかなのじゃ。
ふんふんふふんカレーラーイスー♪ ライスはないけどカレーラーイスー♪
はっ。何か生温かい目で二人から見られておるのじゃ。
「は、鼻歌が漏れておったのじゃ」
「本当に楽しそう」
「良い買い物におつき合いできてこちらも満足です」
二人からクスクスと笑われたのじゃ。
そう言うまったりした空気も店主が戻ってきたゆえおしまいなのじゃ。残念なのじゃ。
「なんか調合師錬金術師匠合の使いがこっちじゃなくて嬢ちゃんたちに会わせろって言ってきてるんだが」
困り顔で店主がそう言うて来たのじゃ。何事なのじゃ、とミルケさんと顔を見合わせたのじゃ。
「ミルケさん、心当たりはあるかえ? そして調合師錬金術師匠合がどう言うところか教えてくりゃれ」
「ええっと、名前から判る通り似通った業種と言うことで合併した合同匠合ですけど下部にここのような薬種問屋の匠合とさっき行きましたお店のような薬草店の匠合を置いてるのでかなり力のある匠合ですね。医官や薬師の匠合との繋がりも深いですし」
「そう言った有力な匠合の頭越しに薬種取引用の鑑札を振り出した結果気分を害しておるとかは」
「あると思います」
余りにもきっぱりと言われたゆえツッコミづらいのじゃ。流石ミルケさんなのじゃ。
「まあ苦情であらば聴くのも面倒ゆえやりかけの取引をちゃんと終わらせてからにするのじゃ。使いには茶でも出しておくが良いのじゃ」
「そうですね。少し待ってもらってちゃんと済ませておきましょう。お使いと言うならきっとすぐそばの匠合の建物への呼び出しですし、そっちに行くとわざわざ戻ってくるのが面倒です」
わらわ等の言葉に店主はなぜか青い顔をして頷くと店員になにやら指示を出して発注書なぞを出してきたのじゃ。
「ミチカもミルケさんも肝が据わりすぎ」
「そうかの? 約束もしておらぬ呼び出しなぞこの程度の扱いで普通なのじゃ」
「普通どころか商業組合に面会依頼を出して数日待て、と言わないだけ優しいと褒めてもらうべきだと思います」
わらわとミルケさんは涼しい顔でそう言うてペンとインク壷、そして印章なぞを取り出したのじゃ。
これまでの買い物と同じく一旦商業組合の倉庫で預かってもらうゆえそこに送ってもらう発送の手続きまで終えてまた分厚い発注票が手元に残ったのじゃ。まあこれは一旦ミルケさん預かりなのじゃがの。
「うむ。良い取引だったのじゃ。天秤と契約の神の加護があるよう」
「商業組合としても感謝を」
「お、おう。ありがとよ。で、調合師錬金術師匠合の使いを呼んでいいかい?」
「うむ、構わぬのじゃ。と言うよりむしろ場所を借りるような形になってこちらこそ済まぬのじゃ」
「そりゃ構わねえよ。じゃあ呼んでくるな」
主人が離席する場面にはあらぬのじゃが、顔に関わり合いになりとうないと書いてあったゆえ仕方あらぬのじゃ。
替わりに入ってきたのは黄色い長衣を纏った引っ詰め髪の女性なのじゃ。長衣には緑の手の紋章が刺繍されておるゆえ調合師錬金術師匠合の制服のようなものなのじゃろう。信仰の絶えた地であるジープラント王国ではただの模様なのであろうが薬師や調合師の守護神とされる草木の神の神印なのじゃ。植物の母とも呼ばれ農村でも祀られておるのじゃ、無論ジープラント王国以外では、なのじゃが。
その若い女性は少しおどおどとミルケさんの方を見ながら口を開いたのじゃ。
「あ、あの。調合師錬金術師匠合のアイラメと申します。ええ、えっと薬草店で商業組合の鑑札の許可で薬草を大量に買われたのはそちらでしょうか」
「私は見ての通り商業組合の職員です。現在は仕事として付き添いをしているところです」
ミルケさんは少し厳しめに返しておるのじゃ。アイラメさんとやらはオロオロとしつつこちらを見ておるのじゃ。
因みにさっきまで座っておったモリエはよくわからない来客という時点でわらわの椅子の後ろに護衛として立っておるのじゃ。故におどおどと窺っておる先はわらわなのじゃ。
「ええっと、ではそちらが」
「うむ、それはおそらくわらわのことであるのじゃ。して不躾に何用なのじゃ」
「えっとあのそのことで質したいことがあるので匠合に出頭するようにと匠合長から言付かって来てるんですけど」
「その要請に強制力どころか正当性もないですよね」
ミルケさんが皆まで言わせることもなくばっさり切って捨てたのじゃ。アイラメさんは「ひゃうっ」なぞと変な声を上げて怯えておるのじゃ。
「使い走りに言うても詮無きことなのじゃ。面倒ごとを持ち越すのも更に面倒ゆえ話を聞きに行くことにするのじゃ。其方はわらわの先触れとして匠合に戻ると良いのじゃ」
怯えて可哀想ゆえ助け船を出してあげるのじゃ。わらわは優しいゆえの。
そしてアイラメさんは「はい! 判りました」と叫ぶように言うと脱兎のごとく逃げていったのじゃ。いやさ、帰って行ったというより逃げていったと言うべき退出ぶりだったのじゃ。
お読みいただきありがとうございました。