視線を感じるのじゃ
こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
なんというか場当たり的に新章扱いです。
宿の近くを軽く巡るロードワークを終え、<洗浄>して朝餉、と朝の日課をパタパタとこなし、今日の予定を考えるのじゃ。
冒険者協会に顔を出して商業組合に行き、物件探しとついでに香辛料探しや買い物も出来ればよいのじゃ。着実にタスクをこなして行くのじゃ。
っと、この宿に最初に払うた宿代が今晩宿泊分までなのじゃ。延長しておかねばの。家や倉庫となる物件探しはするのじゃが宿探しまではする気がないのじゃ。
と言うわけで出かける前にフロントに寄るのじゃ。
「なんと!」
初老の渋いおじさまホテルマンからの返答に思わずわらわは声を上げたのじゃ。
「はい。商業組合から組合長の署名入りで明日からの延長分に関しては組合が支払う旨連絡がありましたので追加の支払いはご不要です。今まで通りご自分のお家のように寛いでお過ごしください」
家が見つかっていないのは組合の方の不手際だから、と言う説明が入った書状を見せられたのじゃ。ちょっとこれは気楽に過ごしにくいのじゃ。
「うーむ、筋としては己で払って泊まるべきなのじゃが、其方に言うても詮無きことよな。あと何泊滞在するかは判らぬがよろしく頼むのじゃ」
「はい。今日は馬車のご用命はよろしいのでしょうか」
「うむ、今日はよいのじゃ。あ、しかし頼めば書状を届けてもらったりは出来るのかや?」
「はい。承っております」
このおじさまは先ず「はい」とこちらを肯定してから話すのじゃな。癖であるのかここの方針であるのか、どっちかの。
どうでも良いゆえ、モリエへ暇なら商業組合で合流しようと言う書状を託すのじゃ。物件探しにつき合わせるのは悪いのじゃが、香辛料探しはどうせなら一緒にやるのじゃ。
ついでに買ったものを配送してもらえばこの宿の倉庫に預かってもらえることも確認したのじゃ。
「では、でかけてくるのじゃ」
「はい。いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
恭しい礼を背に徒歩でお出かけなのじゃ。
冒険者協会は馬車で乗り付けることも出来るのじゃが、悪目立ちするのじゃ。いや、悪目立ちしても今更であったかの。
こう悠長に考えておられるのも昨日神殿の書庫で修得した<防寒>のおかげなのじゃ。この祈祷はなかなかに魔力の消費が大きいのじゃが、己にかけるとうっすら暖かい空気の膜に覆われ寒さを防いでくれるというなんとも便利な魔法なのじゃ。寒いゆえ馬車に、と言う必要はないというわけじゃの。無論馬車の有り難みは寒風を防ぐのみではあらぬのじゃが、道を行き交う馬車にも慣れてきたゆえ格好を付ける以外でなら荷馬車の方が有用なのじゃ。
うむ、馬車で乗り付けぬでもロビーに入るとわらわに視線が集まるのじゃ。今日も皆で港へ働きに行くらしく集合しておる子ども等に手を振ってメーレさんの待つカウンターに向かうのじゃ。
なにかメーレさんからの視線の圧が強いのじゃ。
「おはようございます、ミチカちゃん」
「おはようなのじゃ、メーレさん。どうかしたのかや?」
小首を傾げて訊いてみるのじゃ。
「ロージェから差し入れの自慢話を聴いただけですぅ」
メーレさんは拗ねておることを前面に押し出してきたのじゃ。ロージェさんはあのギルマスの執務室の控えの間におったうさ耳じゃの。
「それはギルマスへの差し入れじゃの。今日はメーレさん等に差し入れを持ってきておるのじゃが」
そう言いながら包みを出すとぱっと表情が変わるのじゃ。
「まあ!」
「ありがとうございます。皆で頂かせてもらいますね」
メーレさんが、まあ! と顔を輝かせた瞬間にそれを継ぐように言うて少し偉そうな事務のお姉さんが受け取ったのじゃ。
ぱっと花開いたような顔をしたメーレさんの顔があんぐりと口を開けたものになったのじゃ。くるくると表情が変わって面白いことなのじゃ。
ちなみに事務のお姉さんはわらわがカウンターに来た時点で音もなくメーレさんの背後に移動しておったのじゃ。まあ気配を読めなかったメーレさんが悪いのじゃ。
「多めには包んだのじゃが、この階の皆に行き渡るほどではないゆえ仲良く分けてくりゃれ」
「はい、勿論」
「菓子工房を作る話は進んでおるゆえ、味を見た感想や要望があれば聴いておきたいのじゃ」
「まあ、菓子工房を建てるのですか」
お姉さんが持って行く包みに届かぬ手を伸ばして突っ伏しておったメーレさんが起きあがり興味を示したのじゃ。宣伝は大事じゃの。
「うむ。早ければ春には売り出すのじゃ。一応砂糖を使っておるにしては安めの値段で提供できる予定なのじゃ」
まあお値段は甜菜糖の供給量次第ではあるのじゃ。
「それは兎も角用件なのじゃが」
「はい。あ、子供たちの教室についての準備部会の初回を開く日程が決まりましたよ」
「ほう、それはギルマスが協会の会議でおらぬ間かの」
「はい、そうなりますね。正式な要請書はまだですが」
そう言いながら日時なぞを書いた紙を出してくるメーレさんを見つつ、わらわはちょっぴり悪い笑みを浮かべるのじゃ。ギルマスがおる間の会合であればギルマスの牽制で協議が進むのじゃが、おらぬ間であれば妨害して来おる連中が炙り出されることとなるのじゃ。
「神殿の神殿長と港湾協会の理事の一人がその会合にそれぞれ代理を送ってくるのじゃ。おそらく商業組合からも来るゆえ要請書だか招待状だかを三通出しておくよう頼むのじゃ」
「ええっ! は、はい。判りました、お送りしますね」
そ、そんなおおごとなの? なぞと小声で言いながらメーレさんはカリカリと書類を書き出したのじゃ。
「わらわも一応ギルマスに話を通すために書状でも書いておくのじゃ。今日は他にも行くところがあるゆえ会いに行く暇はないのじゃ」
「もう出発直前だから、会ってくれたら秘書さんたちが怖いわよ」
「そうじゃの」
素直に同意なのじゃ。ギルマスへの文は参加者が増えることと、炙り出された愚か者が予想以上にやらかしたときに抑える体制は出来ておるのかという確認なのじゃ。理知的な者がよくやらかす失策は、相手も理知的に物事を考える、と言う前提で計画を立てることなのじゃ。
簡単に言えば弁や論を争わせるつもりのところに剣を抜いて踏み込まれる、なぞと言った事態じゃの。わらわやジーダルが員数に入っておるゆえ対処は容易なのじゃが、その段階になっておるとその後の対応をギルマスが帰ってくるまで待つと言うわけにはいかぬのじゃ。
その後一旦神殿に回って戻ってきた書類なぞに署名したり押印したりと言った事務仕事を処理するのじゃ。この書類のいくつかはわらわがここで書き、神殿へ送られた後神殿でわらわが裁可し、そして今協会に差し戻されてわらわが署名しておるのじゃ。書類仕事の不思議を感じつつ、署名をし終わればお暇なのじゃ。
「ではちょっと資料室に顔を出して行くかの。ギルマスへの書状を頼むのじゃ。次に来たときには菓子の感想をよろしくなのじゃ、メーレさん」
「はい! まかせてください。ではまたね、ミチカちゃん」
満面の笑みのメーレさんと挨拶を交わし資料室へ向かうのじゃ。
用件であった神殿で借りてきた三冊の子ども向けの神話の本の写本依頼は快く受けてもらえたのじゃ。礼代わりに菓子の小さい包みを渡したのじゃ、無論宣伝込みなのじゃ。
しかし、考えてみるとなのじゃ。ロビーで菓子の大きな包みを出し、資料室で本を出し、とまたやってしまっておるのじゃ。いや、一緒に出したわけではないゆえ気付かれておらぬと言う希望的観測くらいは持っても許されるのじゃ。うむ。
資料室での用も済んだゆえ、商業組合に向かうとするかの。協会内でも解体場なぞを見物してみたいのじゃが、それはまあまた今度なのじゃ。
カウンターには寄らず、手だけ振ってロビーを通り表に出たのじゃが、なんとなく首筋にチリチリとする感触があるのじゃ。まだ<防寒>は切れておらぬゆえ視線、と言う奴なのじゃ。
今生のわらわはとびきりの美少女なのじゃが、前世のわらわもなかなかの美人さんであったゆえよく粘っこい視線に晒されたものなのじゃ。しかし、これはそう言う粘っこさもありはするのじゃが、むしろ女子から感じた鋭い敵意の視線に近いのじゃ。
うむ、ちょっと楽しくなってきたのじゃ。
お読みいただきありがとうございました。