サウナ風呂もよいものなのじゃ
ハッピーひな祭りです(挨拶)。
しかし別段ひな祭りで語ることはないのです。
今日もよく動き回ったのじゃ。疲れ自体はさして感じぬのじゃが振り返ると精神的疲労感は大きいのじゃ。
風呂に入りたいのじゃ。無尽庵にも風呂場用のスペースを作ったまま空っぽなのじゃ。
ここではたと気が付いたのじゃ。マインキョルトにはサウナ風呂があるという話だったのじゃ。<洗浄>があれば要らぬと言えば要らぬのじゃがサウナであっても風呂に入りたい気持ちがあるのじゃ。
早速部屋付きのメイドさんに訊いてみるとなんと宿の施設にあったのじゃ。高い宿泊費だけのことはあるのじゃ。
一応混浴でないことは確認なのじゃ。うむ、ちゃんと男女の別があるのじゃな。
サウナの浴室は小さい石の竈が据えられた木製の部屋なのじゃ。前世で考えるサウナと大差はないのじゃ。竈のそばに水を入れた桶があるゆえ熱した石にかけて蒸気浴を行うのじゃろう。あるいは石の方を水に入れるのかや。
他に客がおればそのあたりの作法を見て理解するのじゃが生憎利用客はわらわ一人なのじゃ。まあそれは貸し切り状態でのびのび使えると言うことゆえよいのじゃがの。
ふう、よい熱さなのじゃ。汗を流すのは気持ちの良いことなのじゃ。
前世の十歳ではとてもサウナの良さなぞ感じなかったような気もするのじゃ。不思議な感覚じゃの。
サウナもこれはこれで良いものなのじゃが、やはり湯を張った風呂はどうにかしたいものじゃの。<創水>と<加熱>と相応しい器材を準備すれば何とかなる気がするのじゃ。つまり場所が必要よの。
そう考えながらしばしサウナを堪能するのじゃ。
倉庫か家を借りた後そこに風呂を設置するべきか、無尽庵に設置してこっそり森の中なぞで使うことにすべきかなのじゃ。いやどちらともにかや。どちらにしてもその浴場にはサウナも設置すべきであろうの。
サウナの熱の中で朦朧とまとまらない考えを弄んだ後サウナ室を出るのじゃ。無理はせぬつもりじゃったのじゃが、案外長くとどまってしまったのじゃ。
水浴ではなく<洗浄>で汗を流すのじゃ。まこと便利で快適なのじゃ。ただ、今日の髪の手入れはいつもよりしっかりやってもらうとするのじゃ。
メイドさんにサウナ後の髪の手入れを頼んだのじゃが、髪の手入れだけでなくマッサージもされたのじゃ。極楽はここにあったのじゃ。しかし、十歳児にはさして必要のないサービスである気がするのじゃ。
いや、至極スムースに眠りに落ちて安眠できたゆえ意味があったと見るべきかの。
お陰で気持ちの良い目覚めを迎えたのじゃ。
今日は神殿ゆえ法服なのじゃ。メイドさんが上に熾した炭を入れるタイプのアイロンでアイロン掛けをしてくれたのでぴしっとよい気分で着れるのじゃ。
<加熱>を利用した魔法具でアイロンが出来る気もするのじゃ。火力を上げるのが難しいか逆に低く押さえるのが難しいかの問題があるのかの。
今度訊いてみるのじゃ。
今日は海の日ゆえ神殿では港湾協会相手の祈祷治療の日なのじゃ。ガントとベルゾも修道会運営とお手伝い依頼について話すために来るはずなのじゃ。
ちなみに週の曜日は日の日、海の日、竜の日、巨人の日、剣の日、卵の日の六日で成り立っておるのじゃ。神殿では卵の日に特別な礼拝があり、その翌日の日の日が休日なのじゃ。他は職業や店で休みがあったりなかったりするようなのじゃ。なかったりするのはブラックに過ぎると思わぬでもないのじゃが、前世でも江戸時代の奉公人は藪入りの二日しか年休がなかったゆえあり得ないというわけでもないのじゃ。聖祝期は祭りに携わる職以外は休みになるしの。
基準の暦では各季節十五週の九十日で四季節に加えて年の始めの聖祝期、始まりの週と呼ばれる祝祭の期間が六日あり一年が三六六日なのじゃ。これは基準の暦で、地域や国それぞれの神殿の暦法所で実際の暦が作られておるのじゃ。ここ北方諸国群の実際の暦では夏が短く冬が長い、と言う案配じゃの。ただ、年の始まりのは全土で共通ゆえ春の前半はまだ寒い、と言うことと相成るのじゃ。
そして聖祝期の日数を増減することで閏年の調整も行っておるのじゃ。
そう言えばマインキョルトでは年始めの聖祝期にどのようなことをするのか訊いておいた方がよいかも知れぬの。春を言祝ぐ祭ゆえ本来なら神殿は大忙しなのじゃが、おそらくそういう風ではないのじゃ。
祭自体が全くないと寂しいゆえ、あって欲しいものなのじゃ。あれは今年の始まりの週であったか、イセンキョーの祭の屋台でトフィーアップルめいたものを見たことがあるのじゃ。買うお金はなかったのじゃがの。いやお祭り用のお小遣いは少しは貰っておったのじゃがトフィーアップルっぽいものは多少高かったのじゃ。うむ。
あまりお小遣いの貰えぬ孤児院の子にとってすら見ていて楽しいものであったのじゃ、祭というものはの。
思い出に耽溺しておっても仕方がないゆえとっとと出掛けるのじゃ。宿のフロントで訊いてみると馬車は直ぐに準備できるのじゃそうな。別料金は掛かるそうなのじゃがまあそれは今更なのじゃ。
高級な宿の指し回しの馬車だけあってなかなかに上等な箱馬車なのじゃ。街路を馬車が大量に走っておって子どもの一人歩きには怖いのじゃ、まだそう雪も降っておらぬが跳ねてくるドロ混じりの雪で衣裳を汚す可能性があるのじゃ、そして寒いのじゃ。この三つの要件から判断するになるべくこの様に馬車を使っていこうと思うのじゃ。
御者の人に頼んでまずはズークさんのお茶問屋に寄って、茶菓子を差し入れし暇がありそうなら少し話していくとするのじゃ。馬車は神殿に着いたら帰すつもりゆえ神殿の帰り道に寄るよりわらわが楽出来るのじゃ。
交通量が少ない旧市街地ゆえ到着も早いのじゃ。交通量の少ない、と言うのは飽くまでもマインキョルト内での比較的基準なのじゃがの。
御者の人に訊くと交通量の少ないここらであれば店の前に停めていて大丈夫なのじゃが、もし混んできたら街区を周回しながら待つのでもし店を出ておらんかったらそのまま店の前で待っておって欲しいとのことなのじゃ。うむ、了解なのじゃ。
御者の人がわらわが馬車から降りるのを手伝ってくれた後、お店の扉も開けてくれるのじゃ。
前回と同じくズークさんとお嫁さんがおるのじゃが、今回は入り口の側でお嫁さんが立ち奥のズークさんも立ち上がっておって来店を迎える挨拶をしてくるのじゃ。うむ、前回はズークさんたちはこれでも慌てておったのじゃな。歩いて来店するのではなく馬車で来るのが正解なのじゃ。
「おお! ようこそいらっしゃいました。マーティエ」
歓迎の声を上げ丁寧に挨拶するズークさんの裏で、御者の人がお嫁さんに店の前に馬車を停めておるが動かさなければならなくなったらそこいらを流しておる、と言うわらわに言ったのと同じ説明をしておるのじゃ。これは店の前にいない場合、わらわではなくお嫁さんが外で待機して馬車を停める役割をするよう、って意味なのじゃ。
さてまあ前回お茶を戴いた卓に案内されてお話なのじゃ。まずはお土産のお茶菓子を渡すのじゃ。持ってきたものを出せと言うのもなんなのではあるのじゃが、ズークさんが一種類ずつ味見できるよう持ってきて貰うのじゃ。
「おや、マード。いやさ法服を着ておらぬゆえ呼び方を改めねばならぬのかの」
「ふふ。マードでよろしいですよ、マーティエ。今日は午から神殿に向かう予定でこちらにおりましたの」
お嫁さんの押すお茶のワゴンとともにマードが出てきたのじゃ。しかし私服なのじゃ。私服であれば品の良い商会の御内儀と言った風なのじゃ。
いや風ではなくて事実なのじゃ。
「ではわらわの馬車で一緒に行くかえ?」
「まあ。そのときは着替える時間を頂戴しますね」
「当然じゃな。うむ、やはりここで喫するお茶は美味しいのじゃ」
「まあ、お褒めいただきありがとく存じます。うちの息子には出来すぎた自慢の嫁なのですよ」
マードとお嫁さん、どちらが淹れたのかは知らぬのじゃが、と思ったのじゃがどうやらお嫁さんの方だったようなのじゃ。
「ちょっと菓子を作ったとき思いつきで茶を入れたものも作ったゆえズークさんにも味見をして貰おうと思っての。こちらが色で分かるように緑茶入り、こちらは西方茶入りなのじゃ。茶入りでないものもの」
出してくれたお菓子を勧めながらお茶とお話なのじゃ。
お読みいただきありがとうございました。
今更曜日の説明とかでした。