外伝『アーリーデイズ』(15)
「おい! 嬢ちゃん! 水だ!」
「あ、ありがとう……」
キャッチマンが水のペットボトルを手にして事務所に飛び込んできた。
美奈はそれを受け取ると、持っていたハンドバックから薬ケースを乱暴に取り出して、開く……そして1日分薬を全て取り出そうとする……が。
キャッチマンがその手を掴む。
「待て……嬢ちゃん。それ……全部飲むつもりか……?」
「や、やめてください……義孝君以外に……ふ、触れられたくない……」
美奈が苦し気ながらもキャッチマンのことを拒絶した。ここに義孝が居れば「気にするところそこか!?」と、ツッコムところだが……キャッチマンの顔は真剣だった。
ジッと美奈が手持つ薬ケースに視線をそそぐ。
「…………嬢ちゃん。お前ーー心臓やってるな……だけど……まだ初期症状で薬での治療をしているのか……なるほど。今……眩暈と頭痛が酷くて……もしかして呼吸も苦しいのか?」
「なっ、なんで……あ、あなたは……」
「――貸してみろ」
「あっ……」
キャッチマンは美奈から薬ケースを取り上げると……中身を調べ始めた。
(な、なんでこの人……)
美奈は動揺を隠せなかった……なぜなら美奈は一言も自分の症状を説明していない。キャッチマンは薬を見ただけで言い当てたのだ……まるで専門知識をもっているよだ……。
「これとこれ……必要だな。これは痛み止めか……それに血圧をおさえるやつ……。おい嬢ちゃん、この薬を最後に服用したのはいつだ?」
「け、今朝……10時……ぐらい」
「なるほど……なら、嬢ちゃんの症状から判断すると、この薬は服用しない方がいい。これは熱止めか……これも今はいらないな……嬢ちゃん。今はこれだけ飲め」
キャッチマンは手際よく薬を分けると美奈の前に差し出した。
その様子は医者のようだ……。
「わ、わかりました……ごくごくっ……ん」
美奈は差し出された薬を受け取ると……それを口に放り込み、水を一気に飲む。
「水は多めに飲めよ」
「あ、あなたは一体……」
美奈はキャッチマンを不思議そうに見据える……。
すると――。
「わいは医大を出てる。失効したが医師免許も持っていた」
「…………」
(それが風俗のキャッチ……人の人生ってわからないなぁ……)
美奈はゆっくり立ち上がり、そばにあったソファーに深く腰掛けた。美奈が服用したのは即効性の薬なので症状は少しずつ落ち着いてくる。
しかし、まだ眩暈や頭痛、心臓の痛みがある……。
(だけど……歩くことぐらいならできるかな……? はぁ……そろそろこの『自由』も終わりかな……)
そんな考えが美奈の頭に浮かぶ……そうなると気持ちが暗くなり、心臓の痛みが強くなった気がした。義孝と『会えなく』なる。そう考えるだけで……。
「おい、嬢ちゃん……」
その時、傍で心配そうに美奈の様子を見ていたキャッチマンが話しかけてきた。
「もう大丈夫です……」
「大丈夫なはずがねぇだろ……それは普通の人間が飲む薬じゃねぇ……だけど出歩けるってことはまだ初期症状か……」
「…………」
「お前まさか――」
「やめてください。義孝君にも話したことないことを他人に話したくないです」
美奈は拒絶した――。
キャッチマンが好意から心配してくれているのは理解できるし、自分の拒絶が酷い言い草なのも理解している……だけど、今は『病気』のことは話したくない。
なぜなら――キャッチマンから義孝に伝わるのが絶対に嫌だからだ……そんな子供みたいな理由……だけど美奈にとってはそれが全てだ。
「そうか……はっ、あの坊主も愛されてるこって。たいした奴だよ嬢ちゃんも……あの坊主も。なんでそこまで他人のために必死になれるのか……歳を取ったわいには眩しすぎる」
キャッチマンは美奈を見て鼻で笑う。その笑いは馬鹿にするものではなく……感心したようなニュアンスが含まれていた。
「義孝君はすごいと思う……だって見ず知らずの人を簡単に泊めてその人ために一生懸命になれるんだもん。……簡単そうに聞こえるけど、これはとても難しいよね……」
「ふっ、まったくだ」
キャッチマンは楽しそうに笑い、再び真剣な顔で美奈のことを見た。
「いいか……嬢ちゃん。特に若いうちは無茶なことをいくらでもしていい。生きるとはそういうことだ。だけど……無意味に命を削る真似だけはするな。それは生きているとは言えない」
「くすっ、お説教ですか?」
「いや、年寄りの戯言だ」
「そうですか。では私は死にたくないので大丈夫です。義孝君の前では特に……『大切な人』が目の前で死ぬのは辛いですから」
美奈は笑う……楽しそうに笑う。
(まだ私は大丈夫……まだ夢の時間を楽しめる。義孝君と一緒に居られる……)
それを心に刻み―コンビニに行った義孝の帰りを心待ちにした。
会えばまた楽しい時間が始まるのだから――。
◇◇◇
俺はコンビニでオレンジジュースを買うと、なんだかやるせない気持ちで店を出た。
はぁ……これがパシリの味か……苦みしかねぇ。
俺……絶対ドラゴンボールを見つけたらこの世から差別を無くすんだ……。
「さっさと、店に戻るか……美奈をあまりソープで待たせるのも悪いし」
どんな放置プレーだよ……さっさとむかえにいって家に帰るか……アヤメもあまり1人にしてるのも心配だしな……。
『あっ、川島君。こんばんは……』
「……ん?」
俺が店に向かって歩き始めて30秒。
その時背後から女性の声で名前を呼ばれる……それに反応して振り向くと――。
「えっ……そ、ソープさん」
「あ、あははは……先日はどうも……」
ソープさん気まずそうに微笑む。
その様子から昨日のことを覚えていることが何となくわかった。
言いたいことはたくさんある……今一番会いたかった人と言っても過言じゃない。
「俺話たいことが――」
「ごめんなさい!!!!!」
ソープさんはあっちから話しかけたくせに、踵を返して、全力疾走で走って逃げだした。
「はっ!? ちょ、ちょっと待って!」
俺は「ここで見逃してたまるか!」という気持ちで追いかけた。
ここで話すことができれば……アヤメのために何かしてやれるかもしれない……そんな気持でいっぱいになる。
だが、ソープさんの足は予想以上に速く、昨日と同じようなドレス姿なのに器用に走る。だが俺も一応は現役高校生男子なので、体力には自信がある?が……運悪く信号に捕まってしまった。
(くっ、これ以上は追いかけられないか)
ソープさんは一度こちらを振り返り、そのまま走り去ろうとした。
「アヤメはあなたを待っているぞ!!! アヤメの母親はあなただけだ!!!」
俺は叫んだ。言いたいことを、伝えたいことを感情のままに叫んだ。アヤメが想ってる気持ちを――。
ソープさんは足を一瞬止めるが……そのまま走り去っていった。




