グレムリン -四式戦闘機『疾風』-(前編)
第二章は陸軍の四式戦闘機、通称『疾風』です。
中島 キ84 四式戦闘機『疾風』
乗員一名
最大速度624km/h
武装 20mm機関砲×2、12.7mm機関砲×2
中島飛行機製戦闘機の最高傑作とされる機体。
海軍の『紫電改』と比べると保守的な設計ではあるが、高性能エンジン『ハ45』(海軍名『誉』)の搭載により、日本陸軍機としてはなかなかの重武装が実現している。
速度も陸軍最速であり、航続力・格闘戦能力・上昇力も兼ね備え、米軍からも『日本最優良戦闘機』と評された。
ハ45発動機は不調が多いことで知られたが、苦戦を強いられていた中国戦線では制空権を一時的とはいえ回復させ、フィリピン戦でも戦果を挙げた。
本土防空戦や沖縄戦にも投入されたが、ベテランの搭乗員を多く失っていたこともあって戦果ははかどらず、多くが特攻機として散っていった。
なお、海軍の『紫電改』などは正式名称であるが、陸軍の場合『疾風』や『隼』などの名は愛称である。
… … … … …
「やっちゃんは、大きくなったら飛行機乗りになるの ? 」
「そうさ。世界中を飛び回るんだ」
少年は言う。
「じゃあ、あたしも乗せてよ ! いいでしょ ! ? 」
「ああ ! 二人で一緒に飛ぼうな ! アメリカやイギリス、全部の国に行くんだ ! 」
「約束だよ、ねっ ! 」
… … … … …
1945年 日本
米空軍の司令官がヘイウッド=ハンセルからカーチス=ルメイに変わり、B-29『スーパーフォートレス』による都市部への無差別絨毯爆撃が行われるようになった。
陸・海軍共に、総力を挙げて迎撃戦を行うものの、B-29に追いつくのも至難の業であり、さらに重装甲を誇るB-29を撃墜するのは難しい。
日本がレーダーの開発に後れを取っていたことも、この状況に繋がったと言える。
そして、ルメイの『日本焦土化作戦』が進んでいった。
「畜生、また故障だぞ ! 何回目だ ! ? 」
戦闘機の前で、操縦士が悪態をついた。
若い整備員と、中年の整備班長がエンジンを眺めていた。
「ね、俺の整備不良じゃないスよ」
「わかってるさ小石川、今回は儂もチェックしたからな」
整備班長が唸る。
「いつも出撃直前でエンジンがかからなかったり、タービンが割れてたり……」
「グレムリンでもいるんですかね」
小石川整備伍長が言った。
「ぐれむりん ? 何だそりゃ ? 」
「先の大戦のとき、英国の軍隊に出たらしいんスけどね。飛行機とかに悪戯して、不調を起こさせる妖怪っすよ」
「物知りだな、お前。その訳のわからん妖怪が、英国から日本まで来やがったのかなあ」
「馬鹿馬鹿しい ! 」
操縦士は怒鳴った。
「整備不良ではないのなら、原因をしっかり明らかにしろ ! 妖怪のせいにして誤魔化すなんて許さないからな ! 」
そう言って彼が格納庫から出て行くと、小石川はため息をつく。
「片倉少尉、怒り狂ってますね」
「そりゃ、B公の迎撃に出ようとしたら、自分だけ故障で居残り、なんてことが三回もあればな……」
「……四式戦のハ45発動機……問題が多いのは確かスけど……」
小石川は、四式戦闘機を見上げた。
「俺にはどうも、こいつが出撃するのを嫌がっているような気がします」
「そりゃあ儂も同意見だ」
班長が頷く。
「片倉少尉は、妙に死に急いでる気がするな」
「震天制空隊にいたんらしいんスよ、前まで」
B-29迎撃のため、武装を排除した機体による体当たり……即ち空対空特攻を行う部隊まで組織された。
それが震天制空隊である。
しかしB-29に接近することすら困難であり、さらには二回連続で体当たりを受けながらも、硫黄島まで帰還したB-29もいた。
やがて昼間の爆撃にはP-51『ムスタング』などの護衛機が同伴するようになり、次第に空対空特攻は行われなくなってきたのだ。
「運良く生き残れた……とは思えないのでしょうね、片倉少尉」
「まあな、仲間が死んで自分一人残ったとなれば……」
班長はため息を一つ吐いた。
「戦闘機乗りの命ってのは、こんなに軽いもんなのかねぇ……」
… … … … …
翌日。
先日に出撃した四式戦闘機『疾風』は十六機。
還ってきたのは十二機。
すでに旧式化している一式戦闘機『隼』や、上向き砲を装備した二式複座戦闘機『屠竜』も出撃したが、数機が撃墜されている。
撃墜したB-29は二機。
爆弾を投下して身軽になったB-29は、西風に乗って飛び去るため、追撃が困難なのだ。
「……いつも俺一人だけ、生き残っている」
格納庫へと歩きながら、片倉泰志少尉は呟いた。
両親。
幼馴染み。
戦友。
みな、彼一人を残して死んでいった。
「みんな死んでいったのに……何故俺だけが生かされているんだ…… ! ? 」
噛みしめた唇から、血がにじみ出る。
次こそは必ず出撃し、B-29に突っ込む。
それだけを考えていた。
搭乗機の様子を見ておこうと、格納庫に入る。
彼の四式戦闘機は、静かに彼を待っていた。
しかし……
「……ん ? 」
飛行機の上で、何かが動いている。
十歳くらいの子供が、エンジンの上に乗っていた。
「おい、何をしている ! ? 」
片倉が叫ぶと、子供は四式戦から飛び降りた。
そして一直線に、片倉のいる出口の方へ駆け出す。
片倉が捕まえようと手を伸ばすが、子供は脇をすり抜けて、外へと逃げた。
「待て ! 」
片倉も外へ出る。
しかし、子供の姿は何処にもなかった。
「……何処へ行きやがった…… ? 」
辺りをきょろきょろと見回していると、横から声をかけられた。
「少尉、誰かお探しっスか ? 」
「おっ、小石川か。今ここに、子供がいなかったか ? 」
「子供っスか ? そんなもんがこの基地に来るわけないっしょ」
小石川が当然のように答えると、片倉は唸った。
「確かにいたんだ。俺の四式戦に何かしてやがったんだよ」
「子供が、っスか ? 」
「ああ……待てよ ! 」
片倉はポンと手を打つ。
「お前が言ってた、グレ何とかって妖怪だ ! 」
「グレムリン、っスか ? 」
「そうだ ! あの餓鬼がその妖怪グレムリンに違いねぇ ! 見つけ出して成敗してやる ! 」
小石川は「この人とうとう、頭がどうにかなったか ? 」などと思ったが、無論口には出せない。
「小石川 ! お前も探せ ! 」
「俺もっスか ! ? 」
「当たり前だ ! お前が整備した飛行機を、あの妖怪が故障させてるんだぞ ! 悔しくないのか ! ? 」
「いや、あの……そもそも本当に妖怪なんスか ? 少尉が見たのは……」
「見つけたら知らせろ ! いいな ! 」
そう言うと、片倉は滑走路の方へ走っていった。
「………何処を探すつもりなんだろう…… ? 」
……基地内に、飛行機を故障させる妖怪が出る。
話を聞いた者は面白がるか、「アホか」と呆れるかのどちらかだった。
しかし、格納庫近くで子供の泣き声を聞いたとか、朝起きたら頭と足の位置が入れ替わっていたとか(寝相が悪いだけ)、夜に階段を昇ると、降りるとき段数が一段減っているとか(降りるときに一番上の段を数え忘れているだけ)、一日に三回カラスの糞を脳天に喰らったとか(運が悪かっただけ)、次第に怪現象(勘違い)に遭ったという整備員・搭乗員たちが増えてきた。
片倉の機体は相変わらず故障を頻発している。
戦隊長からも「妖怪の話はひとまず別として、片倉少尉搭乗機故障の原因を究明するように ! 」とのお達しが出た。
結果、隊員総出で妖怪探しが始まり、片倉の四式戦闘機には24時間体勢で見張りがつくことになった。
「……戦闘機も妖怪には適わねえか」
「……俺も、まさかこんな大事になるとは思わなかったっスよ」
整備班長と小石川が、ボロの椅子に座って見張りをしていた。
片倉の四式戦の機首や風防には、「妖怪退散」などと書かれた札が大量に貼られている。
それを見て、二人は深くため息を吐いた。
「こんなもん貼り付けただけで、妖怪が来なくなるんスかね ? 」
「俺に聞くな。第一その妖怪ぐれむりんとかいうのには、お前の方が詳しいんだろ ? 」
「いや、詳しくはないっスよ。ただ聞いただけで」
「しっかしこの札、下手くそな字だな。誰が書いたんだ ? 」
「小隊長が面白がって書いたみたいっスよ。軍人がこんな呑気でいいんスかね ? しかもこの戦況で……」
「まあ、いつ死ぬか分からない身だからな。笑える思い出が欲しいんだろうよ」
班長は立ち上がって、四式戦の主脚を撫でた。
「……この四式戦は確かに陸軍最速だが、上の連中が中島に無茶な量産命令を出したせいで、できが粗い。しかも人手不足で学生が組み立ててるもんだから、尚更故障も多い。B公を何機撃墜してもキリがねぇ。負け戦だ」
小石川は黙ってそれを聞いていたが、ふと格納庫の入り口辺りを見た。
何かの気配を感じたのだ。
小さな影が、そこにあった。
「……子供…… ! ? 」
小石川が呟いた瞬間、その影は消えた。
目を擦ってもう一回そこを見るが、もうそこには何もいない。
「どうした ? 」
班長が尋ねる。
「いえ……気のせいかな……」
………次の夜。
B-29の編隊が来襲した。
「小石川、まわせ ! 」
片倉が四式戦の操縦席に乗り込み、小石川がエンジンをかける。
「……今回は大丈夫そうだな」
片倉は言った。
小石川が離れ、片倉の四式戦は滑走路を走っていく。
「……還ってはこない、だろうな……」
四式戦が離陸する。
他の機体も次々と夜空へと飛翔した。
「片倉少尉……俺は死なせるために整備してるんじゃないってのに……」
……日本軍戦闘機隊は、B-29のいる高度まで上昇するだけで精一杯だ。
そして、攻撃のチャンスは少ない。
「墜ちろーッ ! 」
B-29の巨大な胴体に、20mm弾を発射する。
しかし、B-29からの射撃も激しく、簡単には接近できない。
護衛戦闘機がいないのが、せめてもの救いだった。
この高空では電熱服を着ていても、凍えるような寒さだ。
B-29の機内には暖房が完備され、コーヒーを飲みながら爆撃できるのに対し、日本軍の戦闘機戦闘機乗りたちにはかなりの悪条件下での戦闘が強要されたのである。
「クソが……クソがーッ ! ! 」
爆弾倉が開き、速度が落ちた瞬間を狙い、片倉はエンジンを全開にして突入する。
機銃の弾が数発、風防に穴を開けた。
B-29の腹目がけて、機体ごと突っ込もうとした、その瞬間。
「 ! 」
目の前に、あの子供が立っていた。
否、宙に浮いていた。
両手を広げ、片倉の眼前に立ちはだかっていたのだ。
片倉は反射的に操縦桿を引く。
体当たりのコースからは外れたが、次の瞬間には機体が激しい震動に襲われた。
B-29のプロペラの後流に巻き込まれたのだ。
操縦不能になり、B-29の胴体へ衝突する寸前、殆ど割れていた風防が音を立てて外れた。
伸びてきた小さな手を無意識に掴み、片倉の意識は闇へと沈んだ。
続きは後編です。