伴侶 -水上戦闘機『強風』(後編)
後編です。
「全員揃ったな」
司令は一同を眺め、言った。
「では、作戦を発表する」
……まずこの島には、大量の白金が極秘裏に隠されていた。
幕僚たちが日本が劣勢に陥った時のため、このような小島に隠しておいたのだという。
もう十分劣勢じゃないか、阿呆 ! ……と、中山は心の中で叫んだが、何にしろそのことが米軍に知られてしまったのだ。
あえて配備する戦闘機を少なくし、米軍の目をかわすつもりだったようだが、何処からか情報が漏れたらしい。
先ほどの夜襲は、この島の戦力がどの程度か確認するためのものであり、敵本隊は明朝には攻撃を仕掛けてくるものと予想された。
「今夜中に、全ての白金を『晴空』に積み込み、明日夜明け前に脱出、本土へ向かう ! 私は連絡用の二式大艇に乗り、戦闘機隊は無論護衛をしてもらうが……」
脂ぎった顔の司令官は、三田村をじろりと見た。
「三田村一飛曹 ! 」
「はっ」
三田村が静かに返事をすると、司令官はにやりと笑って続けた。
「貴様とその部下二名は、時間稼ぎとして黎明期に敵機動部隊を攻撃せよ ! 」
それを聞いて中山は驚愕したが、三田村は無表情のままだった。
「以上 ! 直ちに準備にかかれ」とだけ言って、司令は去ろうとする。
その背中を追って、中山は叫んだ。
「司令 ! 」
「何だね、少尉 ? 」
「司令は三田村一飛曹を、捨て駒にするおつもりですか ! ? 」
「捨て駒ではない。日本勝利のため、天皇陛下のための尊い犠牲だ」
平然とそう言い放つ司令に、中山は詰め寄る。
「水上戦闘機三機で、米軍の機動部隊相手に時間稼ぎなど、無意味です ! 」
「これは決定事項である ! 下がれ ! 」
「どうしてもと言うのなら、三田村一飛曹の代わりに自分を ! 」
司令は鬱陶しそうな目で、中山を睨んだ。
「何故に奴の肩を持つ ! ? 」
「三田村の操縦技術は相当なものです ! 事実彼は今日の戦闘でも重爆を撃墜し、彼を失うことは大きな損失……」
「黙れ ! 決定事項だと何度言えばわかる ! ? 」
司令は一喝した。
「大体これからは特攻の時代だ ! 時間稼ぎ程度で何を言うか ! そして三田村 ! 」
今度は、相変わらず無表情の三田村に怒鳴る。
「貴様もだぞ ! もし逃げ出したりしてみろ、その場で撃ち落とすからなぁ ! 」
司令は足早に歩き去っていく。
三田村が中山に近寄る。
「ありがとうございます、少尉。そのお気持ちだけで十分です」
「三田村…… ! 」
「では、自分は奈津江の所へ戻ります」
三田村は手短に敬礼をすると、自機の方へ歩いていった。
「はん、馬鹿な奴だ」
嘲笑うように、そう言う者がいた。
八谷の言っていた、二式飛行艇の野口中尉だ。
「あいつ、司令からいつも嫌われてましたからねぇ」
「当たり前だ、戦闘機を女だと思ってるような阿呆だぜ」
「頭がおかしくなってるんだろうよ。あんな野郎がこれ以上生きてても、お国のためにはならねぇよ」
野口の部下達は口々に言う。
中山の手が腰の拳銃に伸びたが、ぴたりと止まった。
(……二式大艇は『晴空』二機を除けば、こいつらの機体だけだ。ということは司令もそれに乗る……)
中山は数秒間躊躇ったが、すぐに決心がついた。
そして、怒りの炎を燃やしながら八谷の元へ向かった。
……白金が、輸送型の二式飛行艇『晴空』へと積み込まれていく。
自機……奈津江の操縦席から、三田村はそれを眺めていた。
「……奈津江、今度は生きて還れない」
三田村は語りかける。
「俺もお前も……けどな………うん、そうさ。悔いは無い」
ふと微笑み、三田村は星空を見上げた。
「……お前に、争いの無いを飛ばせてやりたかったけどな。ごめんよ……」
……翌日……
まだ陽は昇っていない。
司令はすでに二式大艇に乗り込み、中山たちも準備をほぼ終えていた。
そして、三田村も……
「中山少尉、短い間でしたが、ありがとうございました」
「三田村……」
三田村は笑っていたが、中山は言葉が見つからなかった。
これから死ぬ人間に、なんと言えば良いのだろうか。
「悔いはないです。どうかお元気で」
「……靖国で会おう」
中山は手を差し出す。
しかし三田村は、その手を握ろうとはしなかった。
「……自分は、靖国へは参りません」
三田村は言い放った。
「自分の意思で海軍に入ったのですから、国のために戦うのは当たり前だと思っています。ですが……死んだ後、英霊とか何とか言って祭り上げられるの、嫌なんですよ。要するに、死んだ後も戦に協力させられるということでしょう」
「……お前……」
「死んだ後は、自由になりたい……ですから靖国へは行かず……」
子供のような笑顔で、頭を掻いた。
「……カモメにでもなって、還ります」
そう言って、三田村は中山の手を握った。
中山の目から、一滴の雫がこぼれ落ちる。
「中山少尉、出発時刻です」
「……ああ」
中山と三田村、そしてその部下は、向かい合って互いに敬礼をした。
そのまま無言で、中山は自機に向かい、乗り込む。
三田村は部下二人に向き直った。
「俺の部下になったばかりに、貧乏くじ引かせてしまった。申し訳ない」
「何も言わないでください、小隊長」
部下の沢村二飛曹が、笑っていった。
「カモメになろうとスズメになろうと、小隊長について行きます」
「ちもろん、俺たちの女房も一緒にね」
そう言って、自分たちの強風を指さす。
「……ありがとう。もうそれしか言えない」
三人は操縦席に乗り込む。
他の強風や、二式大艇が飛び立つのと同時に、三人の機体も逆方向へ離水した。
「お元気で、中山少尉……」
三田村達は事前に打ち合わせた通り、水面近くを飛行し、空を見上げる。
太陽が昇り始め、海を紅く照らす。
「……奈津江、敵機だ。行くぞ」
三田村の目には、遙か遠方を飛ぶF6Fの姿が見えていた。
徐々に高度を上げ、後方の僚機もそれに倣う。
相手はまだ気づいていない。
機首を上げていき、やがて三田村達は、F6F六機の下腹目がけて奇襲を仕掛けた。
「大丈夫だ、奈津江……お前と一緒なら、怖くない……」
敵は気づいたようだが、すでに射程圏内に入っていた。
三田村はトリガーを引く。
合計四門の機銃が火を噴き、一機のF6Fの主翼が真っ二つに折れた。
重装甲と言えど、20mm弾の直撃を、それも大量に受けたのだ。
三田村の射撃能力の高さが表れていた。
僚機の川本も、一機を撃墜する。
沢村が攻撃した機体は墜ちなかったが、機関部に傷を追う。
F6Fも散開し、反撃体勢をとった。
沢村が損傷させた敵機は母艦の方向へ機首を向け、離脱。
残る三機のF6Fが包囲するように襲いかかる。
同じ数とはいえ、水上戦闘機と艦上戦闘機がまともに戦っては話にならない。
F6Fの圧勝だろう。
だが三田村たちには、逃げる場所も燃料も、残されていないのだ。
戦っても勝っても、還れはしない。
最早自棄になっていると言ってもいいだろう。
それでも、三田村は冷静に操縦桿を握る。
「頑張ってくれ……奈津江 ! 」
巧みにF6Fの攻撃をかわしながら、相手の後ろを取ろうとする。
巴戦の始まりだ。
沢村、川本も、自動空戦フラップの機能を生かして空戦を展開する。
だがやはり、大型のフロートを装備した水上機では、旋回能力では零戦に劣るとはいえある程度の格闘戦もこなせるF6Fには、完全に不利だ。
三田村の近くで、川本の強風が直撃弾を受け、散華する。
「くそっ……この化け猫が ! 」
川本を撃墜した機に向けて、機銃を撃つ。
しかし7.7 mm弾が数発当たったのみで、F6Fはびくともしない。
その時さらに、沢村が被弾した。
煙を噴く沢村機が見えたが、三田村も後ろに付かれた。
「ちっ……」
逃げ切れないか……そう思ったとき、手傷を負った沢村の強風が突如反転し、三田村とすれ違う。
沢村が三田村の方を見て、敬礼をしたのが、一瞬だけ見えた。
「沢村…… ! ! 」
次の瞬間、沢村機は三田村を狙っていたF6Fに、真正面から体当たりした。
轟音と共に、両機飛散する。
これで、一対二の戦いとなった。
「川本、沢村……」
三田村は呟いた。
そして、F6F一機目がけて背面急降下した。
「文字通り、格闘戦って奴だ ! 」
操縦桿を引き、敵機と接触寸前で斜めに旋回。
強風下部のフロートが、F6Fの垂直尾翼を打ち砕いた。
急速にバランスを失い、F6Fは墜ちていく。
一対一。
最後のF6Fが、背後に付く。
「奈津江、お前ならできるよな」
三田村は機体を水平にする。
そこへF6Fが食らいついた瞬間、ラダーペダルを蹴った。
F6Fのパイロットは驚愕しただろう。
いきなり目の前から、敵機が消えていたのである。
そして次の瞬間には、下部から20mm弾を受けて墜ちていった。
「よし、『木の葉落とし』成功だ……」
零戦乗りが使ったと言われている、高等空戦技術・『木の葉落とし』。
敵を後ろにつかせ、ラダーを蹴って機体を失速・沈下させる。
そして敵に自分の頭上を通過させ、素早く立て直して下方から攻撃するのだ。
相手の目からは、敵機が突然消えたように見えるのだ。
燃料系を見ると、殆どゼロに近づいていた。
「腹減ったか ? 俺もだ」
三田村は高度を下げる。
そしてゆっくりと、着水する。
「奈津江……俺の奈津江……」
ゆっくりと、愛機に語りかける。
彼は空を愛していた。
彼は海を愛していた。
そして、飛行機を……掛け替えのない伴侶を愛していた。
「ありがとな……お前は俺の、最高の女房だ……」
三田村は拳銃を抜き、自分の頭へ銃口を付けた。
「なあ……また一緒に飛ぼう。飛ぼうな……」
三田村は引き金を引いた。
……………
中山たちは本土に到着した。
白金を積んだ晴空は無事だったが、司令官の乗っていた二式飛行艇の姿は無い。
途中、エンジンが突然火を噴いて墜落したのである。
晴空から降りてきた八谷と、中山は顔を見合わせ、頷きあった。
「……軍人の階級なんて所詮、空に上がってしまえば意味ないのさ」
「儚いもんですね」
八谷にしてみれば、日頃整備員に当たり散らす野口中尉とその部下に思い知らせてやることができたわけだが、気分は晴れない。
「もう二度と戻らない、三田村一飛曹たちのことを思うと……」
「戻ってくるさ」
中山は言った。
「……そう言っていた」
……中山はその後、強風の系譜である局地戦闘機『紫電改』を駆り、撃墜記録を重ねた。
そして1945年8月15日。
玉音放送により、終戦が国民に伝えられた。
そして、日本は新たなる苦難の道を歩むこととなる。
中山はGHQへの召喚を受けるが、戦犯逮捕は免れ、八谷と共に鉄道技師の仕事に就いた。
やがて彼にも子供が生まれ、日本も少しずつ光を取り戻してきた。
それから中山は暇を見つけては、近所の港へと足を運んだ。
海には沢山のカモメが飛んでいる。
どれが三田村や奈津江たちかは、中山にも分からなかった。
読んでくださってありがとうございます。
強風は、戦闘機としての設計自体は悪くなかったと言えます。
『紫電』『紫電改』の元となったことも、その根拠の一つです。
しかし「下駄履き」の水上機では、敵戦闘機に対抗できない時代に実戦投入されることとなってしまいました。
全ては、軍上層部の見通しの甘さが原因でしょう。
ですが、この機体には何か惹かれるところがあるような気がします。
さて、次回は四式戦闘機『疾風』。
敵であるアメリカ軍からも称えられた、日本陸軍最強の戦闘機です。
できあがるまで時間はかかるかと思いますが(汗)、どうかお楽しみに。