File01願いを叶えるモノ
この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
実在している市町村名などの固有名詞も出ますが、あくまでも架空として捉えて頂きたいです。
宜しくお願い致します。
第一章:思いと想い
-1-
「あやちゃんの嘘つき」
「鳥が喋るわけないだろ」
「そこに何もいないじゃん」
見えるから見えると言っただけなのに。
見たくて見ている訳ではないのに。
みんなが見えているものと見えていないものの違いなんて分からないのに。
「気味が悪い…化け物め」
ぶつけられる悪意にただただ泣き続けるしかない幼い頃の私。
どうしようもなく悲しくて、どうしていいか分からなくて。
そんな私を抱きしめてくれる温かい腕の中。
その温もりに安心して目を閉じて、再び開く。
その場面は唐突に変わっていた。
冷気が体を包み込み、目の前には銀世界が広がっている。
一瞬この世界には自分だけしか存在していないのではないか。
そう錯覚してしまうような静寂さだけがそこを支配していた。
足が冷たいと気づき、足元を見下ろす。
裸足の足は汚れを知らない真っ白な雪を踏みしめている。
そしてじわじわとその白が紅く紅く染まっていく。
それが何なのかとかそんなのどうでも良くなるくらい。
それは息を飲む程の現実離れした圧倒的な美しいコントラストで。
凍えそうな程の寒さでかじかむ右手が強く握り締めている事に漸く気づく。
―それは鮮やかな紅を纏った鋭い刃物。
「嫌っ!」少女は眠っていたベッドから勢いよく体を起こした。
ドキドキと激しく鳴る胸の鼓動、呼吸は走った後のように息苦しい。荒い呼吸を繰り返しながら徐々に現実に引き戻されていくのを感じる。
それは何だかすごく懐かしいような記憶の欠片のようで、大切な何かを思い出したような感覚を一瞬覚えたが、すぐにそれすら曖昧に心の中に溶けて消えていった。ただ何かを掴めたような感覚と同時に、突き抜けるような激しい痛みが頭の中を駆け巡る。白宮絢愛は思わず右手でこめかみを押さえた。
『おい、大丈夫か?』
下から声がする。
暗闇の中でもはっきりと分かる白猫が、起き上がったまま固まっている彼女の顔を下から心配そうに見上げていた。
『大分うなされていたぞ』白猫は更に言葉を続ける。
「そう…だったの」何とか言葉が出てきた。
今更になって汗でじっとりとした体に服が纏わりついているのに気づく。大分汗をかいたみたいで気持ち悪い。
時間、そう思い絢愛はベッドサイドに手を伸ばしてライトのスイッチを押した。光に照らし出された時計の文字盤の針は五時を指していた。
「…五時…か…」思わず呟く。
起きるのにはまだ流石に早いような気もする。まとまらない頭でどうしようか考えたが答えは出なかった。
頭痛は一瞬ですぐに収まったが、眠気は完全に吹き飛ばされていた。
『俺はもう起きるぞー。絢愛も起きるだろ?』
そんな気持ちを知ってか知らずか、白猫は気持ちよさそうに伸びをしてまた見上げて言ってきた。ライトに照らされた金色と青色の瞳が美しく輝いている。
確かにこのまま眠りにつくような気持ちにもなれない。それに肌に張り付いた服が冷たくなり、体温を奪いつつあった。
「うん…とりあえずシャワー浴びてくる」言いながら掛布団をはいだ。
まだ少し肌寒いのかもしれない。
毛づくろいを始めた白猫の姿を視界に捉えながら、絢愛はバスルームにゆっくりと向かって行った。
心に引っかかる記憶の蓋を今は静かに閉じながら。
-2-
白宮絢愛は人ならざる者達の世界、つまり分かりやすく言えば妖や付喪神、精霊、神様のような、自然と共に共存している異世界である神々の世界の者達を見る事ができた。
そしてそれは彼女にとって当たり前のようにに見えて話せる存在であり、周りの人間たちにとってそれが異なるものだという事を幼い頃の彼女は理解していなかった。初めの頃は一緒に妖たちと遊べた周りの子供たちも、大きくなるに連れて見えなくなっていき、次第に見えるという彼女を大人たちと同様に気味悪がるようになっていった。
ここの頃の記憶だけは嫌でも鮮明に刻まれている。幼い彼女にとっては自分の全てを世界から否定されたような、それくらいの衝撃であったから。
ただ八歳以降の記憶は全くなく、目を覚ますと白い病室のベッドの上であった。意識を取り戻した絢愛の元には、母の妹を名乗る女性が現れた。
その叔母から二年近くも意識不明で眠り続けていた事、そしてその発端となった事件で両親は亡くなっているという事実を聞かされた。
突然突き付けられた現実を十歳の彼女が受け止めるのはまだ早すぎた。彼女は全ての思考を一度停止した。事件に関する事も、自分の親についてもそれ以上聞く事を全てを放棄して拒絶してしまった。なぜなら聞かなければそれは真実にはならないから。子供染みた発想ではあったが、それが唯一の彼女にとっての心の防御方法でもあった。
その後も叔母は何度も彼女の病室に足を運び、彼女を献身的に励まし続けた。それに応えるように懸命にリハビリを続けた。二年近くのブランクは『歩く』といった日常の当たり前の行為ですら容易に出来ずになるのには十分な時間であった。
そこから日常生活を取り戻すための彼女の戦いが始まった。体を動かせるようにするトレーニング、学校に通うための勉強、たくさんの前の前の課題をただがむしゃらに取り組んでいった。
そうする事で失った記憶について何も考えずに済んだ。その内にタイミングも失ってしまい、自分の過去自体触れる事をやめてしまった。
そしてそんな入院生活の中で現在の同居人であり猫又でもある彼、流賀琥太郎と出会った。気づいたら彼は病室に現れ、徐々に絢愛との距離を縮めていき、それ以来家族のように今でもずっと傍に寄り添ってくれている存在である。人間よりも偏見のない彼の存在が絢愛にとっては有難かった。
一年近くに及んだリハビリの成果が出てきた頃、彼女に無事退院許可が下りた。そのまま叔母家族である橘家に琥太郎と共に優しく迎えられ、そこでの生活が始まった。
叔母には一人息子である昴がおり、彼は絢愛の四歳下で小学生であった。いつもニコニコと笑い無邪気に懐いてくる彼は、まるで可愛い弟ができたようで、次第にもその生活に慣れていった。
ただいつまでも温かく優しい橘家にお世話になる訳にもいかず、この春、高校生になるのを機に心機一転、一人+妖一匹の不思議な共同生活をスタートさせた。
結局そのまま叔母には自分の過去や事件、両親については聞けないまま家を出る事になった。何より何か思い出そうと記憶を辿ると、先程のような頭痛に襲われる。それが何だか酷く不安を掻き立てられ、怖気づいてしまう。
しかし、今朝見た夢はその失った記憶の欠片であるような、妙な既視感があった。
-3-
「なー、牛乳切れているぞー」
バスルームから出てリビングに戻ると、先程の白猫の姿から一転、人の姿で冷蔵庫を漁る琥太郎がいた。青色と金色のオッドアイは変わらないが、短い金髪の男性の姿をしている。外ではオッドアイを隠すために青色のカラーコンタクトをわざわざ入れて誤魔化している。
この春から同じ学園で高校生として通う事になり、以前よりも人の姿でいる機会が増えてはいるがまだまだ長く化けるのは苦手そうである。
「あ!!ごめん、昨日買い忘れちゃったかも」
昨夜の買い物で牛乳を入れた記憶が残念な事に全くなかった。
琥太郎は少しの間膨れていたが、冷蔵庫を閉めた。まだ諦めきれないようで「コンビニ行くかなー…」と冷蔵庫の前で呟いている。
その横から絢愛は麦茶を取り出し、グラスに注いだ。それを一気に飲み干しながら、今朝の夢について思い出す。
あれは冬。
もしかしたら亡くなっている両親に関係があるのだろうか?事故の詳細も知らなければ、死因も知らないし、いつ起こった事であるかすら聞いたことがなかった。
せめてそれくらいは聞いたほうがよかったのかもしれないと彼女は思った。
それでも真っ赤な血と、鋭そうな刃物を持っていたという事実を思い出すと不穏な気配が拭えない。
過去の記憶を思い出そうとすると襲ってくる頭痛も、思い出さない方が幸せだからではないのだろうか、考えたくないから体が自然に拒否反応を起こすのではないか、いつもの堂々巡りの考えに陥り、結局考えるのが怖くなり思考を止めてしまう。
ただじっとしているとまた思い出してしまいそうだ。そんな気持ちを振り払うために、冷蔵庫の前でまだ唸っている琥太郎に話しかける。
「ねぇ、コンビニついでに散歩しない?」
琥太郎の顔がパッと明るくなる。
「おう!どうせまだまだ時間あるしな!」彼は嬉しそうにあっさりと了承した。
お互い部屋着から、外出できるような格好に着替えてからすぐに家を後にした。
-4-
外は少しずつ太陽の柔らかい光が地面を照らし始めていた。先月まで桃色に染まっていた木々も、青々と緑の生い茂る季節に移り変わろうとしている。
そのまま二人は近くの公園へ入っていく。既にジョギングや犬の散歩をしている人々にすれ違いながらあてもなくブラブラと歩き続ける。
普段なら学園でもないのに、人の姿のまま外出するのが流賀琥太郎にとっては珍しかった。この姿は体力消費が著しく、まだまだ妖として若い彼にとっては辛かった。
今は学園でも着ているお気に入りの赤いパーカーを着て、ジーンズを履いている。目立つ赤色が好きだった。これを着ていれば彼女がすぐに見つけてくれるから。
今朝の白宮絢愛の様子がどうしても引っかかり、彼女はそういった事を全く気にしないだろうが、この姿のまま付き合うことにした。
「まだちょっと寒いね…」絢愛が呟く。
それに同意しながら、並んで歩いている絢愛の横顔を見る。
彼女の色素の薄い柔らかな長い髪が風に揺られている。贔屓目を差し引いても今まで出会った人間の中で白宮絢愛は美しい方であると彼は思う。透き通るような色白の肌に、長い睫毛、髪色と同様に色素の薄い大きな瞳は彼女の儚げな印象をより助長させている。彼女は薄手の白いニットにジーンズを履いていた。
先程、絢愛はどんな悪夢を見ていたのだろう…うなされている彼女を見るのは久しぶりだった。入院中はよくうなされており、可哀想で見ていられず放っておけなかった。何だか妙な胸騒ぎがする。
「ねぇ、こた。何かついている?」
不思議そうな絢愛の声にハッとする。絢愛の顔を見つめながら考え込みすぎていた。
彼女は不審がった様子で首を傾げて見つめ返している。
「あ…悪い。まだ寝ぼけていて…そういえば部活は決まった?」
流石に彼女の夢の内容に踏み込む勇気もなく、琥太郎は無難に学園生活の話題を思い出して振った。
二人の通っている学園、私立明成学園は都下の西方にある武蔵市内に建っている。高大一貫校であり、広いキャンパスを有している。
ここの最大の特色として、高等部の生徒に限り、一人暮らしをすると授業料など一部免除されるといった制度がある。しかも学園内と外の近くに激安の寮も複数保有している。その為都心からのアクセスの悪さもあるが、ここの高等部の生徒は七割近くが一人暮らしをしている。例に漏れず琥太郎たちがここを選んだ理由は、学園寮には住んでいないがその制度の為である。
絢愛の叔母家族である橘家はとても優しく自分たちを迎え入れてくれてはいたが、彼女がそれを許さなかった。自分に相談はしてくれなかったが、きっと色々な複雑な想いがあるのだろう。
人間の中に溶け込めず、人間以外の者ばかりに話しかける彼女は傍から見れば奇妙に映っているだろう。でもそんな彼女だからこそ未だ傍から離れられない。それにより彼女が一層他者との交流を失ってしまったとしても。
退院後の中学生活も、彼女は他者を拒み保健室登校を貫いた。今回高校を進学するに辺り、自分も一緒に通う事で少しでも学生生活を謳歌してほしいという願いがあった。彼女には学生としてたくさんの思い出を作り、普通の人間として幸せになって欲しいから。
「うーん…六月末までに、だよね。困ったね…」絢愛は言いながらため息をついている。
憂鬱そうな顔になり、下を向いてしまった。
「俺は体動かせるものがいいんだけど…絢愛は苦手だもんな」琥太郎が笑って言う。
彼女は唇を突き出して考え込んでいる。
この学園の高等部の生徒は全員六月末までに必ず何かしらの部活やサークルに所属しなければならない。勿論兼部もいくらでも可能である。一人暮らしの生徒が多いからか、課外活動には力が入っているようであった。
考えるのは苦手だし単純に体を動かせる運動部を琥太郎は希望しているが、運動嫌いの絢愛には恐らく無理だろう。
「…一緒がいいのにー…」絢愛が唸りながら言う。
それを聞きながら部活くらい別々でも、とは言えずに苦笑する。
「まぁ、まだ時間あるしギリギリに提出しよーぜ」ニカっと笑って言うと、「そうよね」と彼女も納得したように呟きながら少し微笑んだ。
やっと少し笑ったなとホッとする。
頭の後ろで手を組みながら、足元の石ころを軽く蹴飛ばす。コロコロと小石は転がっていく。
「今日ね、英語小テストあるの。こたのクラスはやった?」
思い出したように絢愛が話しかけてくる。確かに今日あったような気もするなとぼんやり思い出す。
「俺も今日だったような…それより体育が楽しみ!まだルールよくわかんないけどサッカー面白いんだー」
授業を思い出してワクワクしてきた。考えるのは苦手で体を動かすのが一番楽しい。専ら今の楽しみは体育の授業しかない。
そんな二人の前の前に一羽の真っ黒な烏が飛んできた。
「かっちゃん、おはよう」その烏を見つけると絢愛は嬉しそうに声を掛けた。
『お早う御座います、絢愛さん。今朝は随分と早いですね』
丁寧な口調で目の前の烏、烏天狗の薫月が返事した。
彼は琥太郎よりも遥かに年齢が高く、同じ市内であるがここから少し離れた髙尾根山に住んでいる。ここも行動範囲に含まれているのかたまにこうして会う事がある。
「早起きしちゃって暇だからお散歩中なの。かっちゃんも久しぶりにお喋りしない?」
彼女が嬉しそうに薫月に話しかけている姿に内心ため息が漏れる。人間には自ら積極的に話しかけにいかないのに、妖など相手には積極的に話しかける彼女の姿に。
『そうですね。それでは少しだけお相手致しましょう』
薫月は彼女を近くのベンチに誘導し、ちょっと面白い最近の近況話を披露し始める。
傍から見れば烏相手に独り言を言っているようにしか見えないだろうがそれを彼女は気にする素振りもない。琥太郎も慌ててその輪に加わった。
楽しそうにはしゃぐ彼女を見ているうちに、今朝の妙な胸騒ぎも少しずつ薄れていくのであった。
-5-
賑やかな1Aの教室に入っていく。何人かが白宮絢愛に気付き、挨拶してくるので返しながら席に着いた。
彼女は指定のフォーマルスタイルであるリボンとチェックスカート、ブレザーをきちんと着用している。制服については自由である為、きちんと着用している生徒は意外に少ない。
新学期が始まり一ヶ月間が過ぎ、初めは探り探りだった教室内の人間関係模様も少しずつ固まりつつあった。ただ絢愛は未だどこにも所属していなかった。別クラスではあるが休憩時間や登下校を琥太郎とだけ一緒に過ごしている、というのも大きいが実際は絢愛自身が友達を作るということに消極的であった。
それはどうしても自分の過去、今朝の夢のような過去の周りの言葉や態度をどうしても思い出してしまうから。過去の記憶はそれ程大きく立ちはだかり、邪魔をしていた。勿論、もうその頃のような幼い頃とは違う。それでも自分の全てを否定されたような感覚、あの不信感をどう足掻いても拭えなかった。
常識を盲信して、そのルールに外れる異物を人間は絶対に許そうとしない。徹底的に排除して、決して交わることがない。そんな人間の世界が怖い、と絢愛は思っている。
クラスメイトを決して意図的に避けているつもりはないが、積極的に話しかけることもなかった。その為、未だにクラスでは浮いた存在となっているのは少し自覚している。
英語の小テストは勉強していた範囲が出て、思ったよりも早く解けてしまった。まだ時間は十分に余っている。
ふと窓の外を見ると男子生徒たちがサッカーをしていた。よくよく見ると琥太郎の姿があった。彼のクラスである1Cが体育の授業中みたいである。今朝彼が言っていたなとぼんやり思い出す。
琥太郎はゴールに向けてサッカーボールを蹴り上げて、そのシュートは見事に決まり、集まったチームメンバーらしき男子生徒たちと楽しそうにハイタッチをしている。彼は既にクラスに溶け込んでいるようだ。
そんな姿にどこかチクチクと小さな棘が刺さるような胸の痛みを覚える。
妖でありながら人間界に溶け込める彼と、
人間であるのに人間界に溶け込めない私。
私は羨ましいの?分からなくて絢愛は自問自答する。
この胸の痛みは何だろう、ただ考えても答えは出なかった。
「ねぇ、ねぇ!白宮さんっていつも琥太郎君といるよね?もしかして付き合っているの?」
急に名前を呼ばれて絢愛は我に返った。周りを見回すと授業は既に終わっていたようで、クラスメイトたちはそれぞれお弁当などを食べ始めていたり、席を立ち教室を出入りている。
絢愛を取り囲むように目の前には三人の少女が立っていた。見覚えのある顔ぶれから同じクラスメイトのようだ。
「違うよ、ただの幼馴染なの」ニッコリ笑いながら否定する。
変に誤解されてもややこしそうだ。絢愛の答えに彼女たちはきゃっきゃっと喜びの声を上げている。
「いつも一緒にいるから付き合っていると思ってたー」
「でもでもあんな格好いい幼馴染よくない?」
「てか彼女は?好きな人とか。何か聞いてない?」
「私もそれ知りたいー!」
彼女たちは興味津々のようで、次々と聞いてくる。絢愛はその反応に少し戸惑ってしまう。
もしかしてと思いつつ、最近琥太郎と一緒にいる時に感じる女子生徒たちの敵意に近い視線の謎が少し解けたような気がした。
「うーん…彼女はいないけど…好きな人は聞いたことない」言いながら、そもそも彼の恋愛対象が人間であるのかという根本的な疑問が浮かんでくる。
今までそういった事に興味がなく、また琥太郎を異性と認識した事がなかったからこそ今まで考えもしなかった。一緒にいる時の琥太郎が大抵猫の姿であるから仕方ないだろう。
そんな絢愛のモヤモヤした気持ちを知らない彼女たちは目の前で楽しそうに盛り上がっている。
「やったー!私頑張ろっかなー」
「えー?あゆって琥太郎君タイプだったの?私は断然倉橋先輩!」
「それはもち!でも理想と現実は違うんですー」
「わかるわー。倉橋先輩イケメンだけど怖すぎ。やっぱ颯斗先輩推しだわ」
「いやいや、あれはファンクラブが過激すぎて近づけないでしょ…」
「あれはガチ。まじヤバい」
既に絢愛の事は置いてきぼりで彼女たちは楽しそうに会話を弾ませている。
よく知らない先輩たちの名前にますますどう話題に入っていっていいのか分からずに閉口してしまう。
「絢愛―?」
教室の前の方の入り口から噂の張本人である琥太郎の声がした。声の先に視線を向けると目立つ赤いパーカーが目に入りすぐに分かる。
やっとこの場から解放される事に内心胸を撫で下ろしながら、手を振っている彼に手を上げて応える。
「ごめんね、もう行くから」言いながら、机の横に掛けている通学バックから財布だけ取り出して席を立つ。
彼女たちは「またあとでね」と口々に声を掛けてくれたが、既に話題は学園内で誰が一番イケメンかという話題で盛り上がっていた。
「もしかして友達?」
近くまで行くと琥太郎は明らかに嬉しそうに聞いてきた。
「ううん、ちょっと話掛けられただけ」
琥太郎の事で、という言葉を飲み込み、あっさりと否定する。何となく彼とは恋愛話をしたくなかった。
「そっかー」琥太郎が残念そうに言う。
「お昼どうする?学食?」話題を変える為に絢愛は聞いた。
「特盛チャーシューラーメンの気分―」琥太郎が即答する。
嬉しそうにニコニコしている彼は恐らく今の会話をもうどうでもよくなっているだろう。いつだって彼は単純だ。
「分かった、学食ね」
絢愛はそう言いながらカレーでも食べようかなと思った。そしてそのまま食堂へと向かっていった。
学園内の食堂は大学・高等部共通利用である為非常に広い。学校説明会時に1,500席と聞いた覚えがある。
中は巨大なフードコードのように和洋折衷様々な店舗が入っており、安い上に豊富なメニューが用意されている。
十二時半過ぎというちょうど良い時間は大分席が埋まっていた。二席分だけ確保してそれぞれ食券を買いに行った。
散々悩んだ挙句、絢愛は結局カレーライスを選び、席に戻った。
そこには既に特盛チャーシューラーメンを頬張っている琥太郎がいた。どうやらセットにしたのか大盛りのチャーハンも隣に置かれている。
猫の姿の時はこういった物を食べないのに、体に合わせて食べる物が変わるのかなといつも不思議に思うが聞いた事はない。
「いただきます」
絢愛は軽く手を合わせながら、スプーンを持ちカレーを掬って口に運んだ。丁度いい辛みが口の中に広がっていく。
賑やかな食堂内は高等部の制服を着ている生徒たちと、私服を着ている大学生たちが入り混じっている。席同士も密集している為に周りの会話が嫌でも耳に入ってくる。
そんなたくさんの雑音に混じりながらも、絢愛の後ろから一際大きな声で話す少女たちの声がする。席に着く時に高等部の女子生徒グループが座っていたなと思い出す。
「やばくない?あの噂」
「あれって?ソーネ様?」
「それそれ。まじ叶えてくれるんだって」
「うそー、ないでしょ」
「いやいや、昨日マオちゃんがやったんだって」
「まじー?それで?」
ソーネ様…確か教室内でも最近その単語を聞いた気がする。クラスメイトたちが話していたはずだ。
「どうした?もうお腹いっぱいなのか?」手が止まっている絢愛に目の前の琥太郎が不思議そうに聞く。
彼は既にチャーハンを食べ始めていた。暫くの間ぼんやりしていたみたいである。
「いや…」口ごもりながらカレーライスを再び食べ始める。既に冷めてしまったようで冷たかった。
「ソーネ様って知ってる?」絢愛は食べながら聞く。
琥太郎はチャーハンを食べながら首を傾げて、思い出そうと考え込んでいる。
彼は考えるのが苦手で、物覚えも悪い。それなのに変な事だけはよく覚えている。もしかしたら記憶の仕方が違うのかもしれない。
暫くして「あ!」と短く声を上げて、彼は閃いたという顔をした。
「真弓たちが言ってたやつだな!願い事を叶えてくれる神様だろ?」
彼のクラスメイトだろうか、知らない女子生徒の名前であった。彼の交友関係は広すぎるし、たまにしか学園の事を話さないためお互いあまり把握していない。
「うん、それ。クラスの女の子たちもとく話してるんだよね…」
言いよどみながらどうして今気になったんだろうと引っかかる。
この時の白宮絢愛にはまだよく分かっていなかった。
初めまして。
五章まで続きます。




