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お題その3 馬車について

手抜き感溢れてます

お世話になっております。

ネタに詰まった時ほど細かい設定を気にしてしまい、結局何も書けずに一日が過ぎるブービーです。

今回は中世の馬車に関するあれこれについて考えてみたいと思います。


馬車と言えば、中世チックな世界では大人数で移動する際の定番ともいえる乗り物ですね。

行商人にとっても必須ともいえるアイテムです。

町から町に行商人が行き交い、ちょっとお金に余裕がある人は駅馬車を利用して旅をする、ありがちな光景ですね。

では実際は馬車とはどのように運用されていたのでしょうか。




「馬車の種類」


一口に馬車と言ってもその形態は様々です。

一人乗り、二人乗り、それ以上のもの、貨物車、はたまた戦車など

要するに馬で引く車輪がついた乗り物は全て馬車と呼ぶことができるのです。

それでは一般的に、馬車にはどのような区分があったのか調べてみます。


「馬車の種類」(括弧内はおおよその乗車人数)


・主に乗用

バギー - 1頭立ての小型の2輪もしくは4輪馬車(1名)

カブリオレ - 1頭立ての2輪幌馬車(2名、内1名は後部に立ち乗り)

キャリッジ - 2頭または4頭立ての4輪箱型馬車で乗車専用、サスペンションや装飾などが特徴、主に富裕層が使用(2~6名)

キャリオル - 1頭立ての小型2輪馬車(1~2名)

クーペ - 2人乗りの4輪箱型馬車(2名)


・主に荷物運搬用

キャラバン - 大型の4輪幌馬車(8~16名程度)

コーチ - 4頭立ての4輪大型馬車、箱型(4~6程度、天井にも乗れる)

ワゴン - 通常2頭立て以上の4輪荷馬車、箱型もあり、サスペンションや装飾などは無し、庶民用(4~10名)

カート - 1頭立ての2輪または4輪荷馬車(1~2名)

コネストーガ幌馬車 - 18世紀後半から19世紀に北米で使用された、河川の横断なども考慮された幌馬車(底部が船のような作りになっているようです)(6名~12名程度)


・主に戦車、競技などにも使用

チャリオット - 古代の2輪戦車(1名)


『以上、wikiからの引用(少々改変)』



並べてみると思った以上に種類があります。

一部は現代の自動車の種別にも利用されているものがありますね。


種類分けする際に分かりやすい特徴としては

・2輪か4輪か

・屋根が幌か、箱型か、フルオープンか

・引く馬は1頭か、2頭か、4頭か

という点が挙げられると思います。


この中で様々な作品の中で、よく見かける馬車としては、以下の4種類くらいが挙げられるのではないでしょうか。

個人用途の箱型4輪馬車でサス付き高級車である「キャリッジ」

大規模輸送の定番「キャラバン」

駆け出しの行商人に大人気「カート」

駅馬車と言えばこれ「コーチ」


キャリッジは富裕層向けの乗車専用馬車です。

現代で言うところの高級車といったようなものでしょうか。

お値段も、恐らく幅はあると思いますが3000万円程度するものだったという事です。

ものすごいお金持ちしか所有できないものだったのですね。


キャラバンは大型の幌馬車です。

積載量が多く、大量輸送を行う際はこういったものを運用します。

人が乗ることもでき、最大積載量は6トン程度、けん引力の強い馬を複数使って引くのが一般的らしいです。

ただし整備されていない道を通る場合、荷物を満載しているとぬかるみにはまって抜け出せなくなるような事が良くあったようです。


カートは小型の荷馬車で、要するにリヤカーのようなものです。

2輪のものと4輪のものがあり、構造によっても積載量は変わりますが、概ね1~2トン程度だったようです。

賢い狼さんの相方が使っているのがこれですね。


コーチは箱型の馬車で、荷馬車としても人間の運搬用としても活躍しました。

主に駅馬車などに利用され、馬車の天井にも人が乗れるような設計になっているらしいです。


馬車の価格については、なかなか導き出せるような記述が見当たりませんでした。(相変わらず無能)

想像するとなると、高級車であるキャリッジが3000万円クラスだとして、大型貨物車であるキャラバンは1000万円くらいでしょうか

そして小型貨物であるカートは300万円程度なのかな……

同じクラスであっても、大きさや構造が違えば価格も違ってくるでしょうし、なかなか難しいですね。



「馬車の移動速度」


馬車の移動速度を調べてみますと、大体4km/h~14km/h程度だったようです。

なんだかだいぶ開きがありますね、これは馬車を引く馬の頭数に影響されます。

馬車を引く馬は数が多いほど大きな力を出せ、早く移動できます。

逆に1頭引きの場合は、普通に馬に乗って歩いているのとそう変わらないばかりか

馬車という重荷まで引かせないといけなくなるため、馬単体で移動している場合よりも速度が落ちてしまうのです。


ところで馬車を引く馬の頭数についてですが、主に聞くのは1頭、2頭、4頭引きくらいで、それ以上の数ってあまり聞きません。

それは何故なのかというと、理由があるのです。

馬車を引く馬の数は、基本的に増えれば増えるほど、馬1頭当たりの負担が軽くなっていきますが

馬4頭以上からは、馬を増やした際に増加するけん引力がどんどん低くなってしまい

馬を増やすコストと割が合わなくなってしまうのです。

馬を5頭、6頭と増やしても、増えたコスト分程の見返りが無いのですね。


けん引する動物の頭数と、増加する力の関係は以下のようになるようです。


人畜の数12345678

力の割合1.001.922.613.203.653.843.853.92

『wikiより引用』



「馬車の乗り心地」


さて馬車に乗って快適な旅……と行きたいところですが、実際のところ馬車はどのくらい快適な乗り物だったのでしょうか。

色々な記述を見てみると、どうも乗り心地は良いとは言えないものだったようです。


まず道の整備がろくにされていなかった14世紀以前、馬車にもサスペンションといった機構などなく、その乗り心地は最悪であったようです。

また、道のぬかるみなどにはまると、乗っている人間が下りて馬車を押して脱出させるなどしなくてはいけませんでした。

道幅も狭く、主要道路と言われる道であっても馬車2台がぎりぎりすれ違える程度で、そのほかの道ともなれば、獣道と大差ないものであったようです。

また、少し大きい石などを踏んでしまうとわりと簡単に横転してしまい、事故も非常に多かったようですね。


駅馬車のような乗合馬車でも、地獄の責め苦と揶揄されるような乗り心地だったようです。

さらに冬場に外に出ている人たちの中には、寒さで凍死してしまうようなケースもあったとか。

道路の整備がわりとされ始まるのが15世紀になってからですので、それまで馬車というのは快適とは無縁の乗り物だったのですね。


馬車の乗り心地を改善するための機構として、サスペンションがあります。

これは板サスと呼ばれる、合板を使ったばね機構が導入されたのが15世紀後半

金属のコイルばねによるサスペンションが導入されだしたのが18世紀になってからという事のようです。

馬車が様々な面から快適性を得だしてきたのは、15世紀ごろからのようですね。



「馬車での旅」


それでは最後に、馬車での旅の仕方のあれこれについて、思いつくままにまとめてみたいと思います。


まず馬車での旅は、馬単体の場合よりも積載量があるので、積み込む資材の量を調節することにより

より遠くまで無補給で進むことができました。

ですが基本的には、町から町、宿場などを経由しながら進んだようです。

何せ馬も馬車も高級品です、途中に補給所があるのなら、無駄に無補給長距離の旅なんて危険を冒す必要はないのです。


馬車での旅は馬単体の場合に比べ、トラブルが多く発生しました。

道路事情の良くない中世ですので、車輪がぬかるみに挟まって立ち往生なんて事は日常茶飯事。

石に乗り上げ横転したり、盗賊に襲われたり。

客車であれば乗り逃げが発生したり、馬車から転落してケガをしたり。

馬が暴走して落馬し、そのまま亡くなってしまうなどの事故もあったようです。


特に盗賊対策は貨物、客車ともに重要課題でした。

貨物馬車は言うまでもなく、客車であっても、中世では馬車を利用できる人間というのは貧乏人ではありえないので、盗賊のターゲットになりやすかったのです。

そのため、馬車を運用する人間が護衛を雇ったり、客自身が武装するのは当然の事でした。

客車の場合は専用の護衛人が付き、盗賊の襲撃などから馬車を護衛したようです。

ただしこの護衛人、扱いがかなり雑で、客車の中には入らず、ずっと外で待機するという過酷な任務であったといいます。

なので、寒冷期には旅の途中で凍死してしまう護衛人もいたとか……


中世の道路というのは、馬車がすれ違える道というのは立派な道の部類に入ったようです。

多くはすれ違うのも苦労するような細道であった為、すれ違い時のトラブルなども多かったようですね。

現代でも対向車にパッシングされて腹が立って殺人にまで発展してしまうという事件がたまに起きますが、そういう感じだったのでしょうか。

中世は喧嘩即殺し合いみたいなイメージがありますよね(偏見)


遠征の際は、その行程に合わせ、必要となる物資を運ぶ輸送馬車が用意されました。

当然、輸送隊自体も物資を消費しますので、日程が増えれば増えるほど、必要な輸送隊と物資は加速度的に増加する事になります。

輸送隊が増えればそれだけトラブルが発生する可能性も高くなりますので、大遠征と呼ばれるような超長距離移動の際はトラブルによる資材の損失分も考慮され、大量の馬車が必要となりました。

また、戦争の場合は基本的に現地での略奪で物資を補給していたので、初めから全行程分の物資を用意するといった事はあまり無かったようです。

なので、焦土作戦といった防御戦術が大変有効だったのですね。

焼かれる町の住民はたまったものではないですが、どちらにしろ敵が来れば蹂躙されるので同じです、究極の選択ですね。



さてここまで取り留めのない事をグダグダと書いてきましたが、馬車に関しては不確定な部分が多すぎて、具体的な数字をあまり書くことができませんでした。(主にぼくが無能なせいですが)

分かる事と言えば、馬車は高い! 馬車は壊れやすい! 馬車は乗り心地最悪!

といった事くらいでしょうか……

馬もそれなりにお値段が張るものですので、馬車で交易とか始める場合は結構な準備資金が必要だったのでしょう。

馬車を運用できている時点で、ある程度成功している商人って事なのでしょうね。


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[良い点] 参考になりました。 欲しい情報がまとめられていて、大変勉強になりました。 ありがとうございます。
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