番外編 『そこ』に至るまでのお話(アルジーン視点) 前編
「ロンダルの神殿に神託があっただと? それは事実か?」
「残念ながらその様です。『世界の危機を救うために、異世界から浄化の能力を持った者を召喚せよ』とね。しかし、よりによってあそこでとは……」
ここはアーセンティアのジーモルト皇国。そこの第二皇子に与えられた宮の一室である。
そこで、この部屋の主であるアルジーン皇子と向かい合っているのは、隣国であるカゼルトリ公国の第六公子ヘイノルト。共に王族であり年も近いこの二人は、互いの国が非常に良い関係を保っていることもあり、幼いころから友誼を結び、今では親友と呼べるほどの仲になっていた。
「あの爺様、どれだけ長生きすれば気が済むのだ」
「さっさと死んでくれていれば、次はウチか、ここの神殿が最高神殿になっていたでしょうに」
アーセンティアの宗教――というか、神殿のありかたは少し特殊だ。
そもそもが、この世界の創造主にして唯一の存在である神(名はない、他に神様がいないので必要がない)に仕え、その偉大さと慈悲を民衆に正しく伝える為に自然発生的に生まれたものだ。政治的な思惑からは完全に距離を取り、ひたすらに神に仕え、この世界の安寧を祈る姿勢が長い時間の間に評価され、今では各国の首都に巨大な神殿を構えている。そして、そこに所属する神官たちの中から、最も高い神力と信仰心を持った者が最高神官として選び出されるのだ。
余談ではあるが、当代の最高神官は今の地位について四十年以上になる。若いころからその能力を高く評価されていた人物ではあるのだが、生憎とその能力は『神に仕える』という分野のみに限定されたものだった。おかげで、この四十年と言うもの、自国に最高神官と神殿を抱える大義名分のもと、ロンダル国王は周辺の国々に様々な要求を強いてた。しかも『最高神殿と神官』の名でそれが行われるので、断るにも断り辛いと言う訳だ。
「あそこの国王……あの爺様に全く政治的な才能がないのをいいことに、今までもかなり好き放題にやっていたが、それに今回の事が輪をかける事になるな」
そして、アーセンティアは、現在、未曽有の危機に見舞われていた。至る所で正体不明の『穢れ』が発生し、人は勿論、動植物や大地までまでもが侵食され変質しているのだ。
『穢れ』に侵されると、人は心身ともに衰弱し、動植物は凶暴化するか枯れるかで、土地も瘴気を発するようになる。無論、それに対して全く何の対策もしなかったわけではないが、高位の聖職者が行う『浄化』以外には効果がない上に、同時多発的なその数が多すぎた。このままではいずれ、世界中に安心して住める土地がなくなってしまう。
そこで、最後の手段として、人々はこの世界を創りたもうた神の慈悲にすがった。具体的には、各国の神官がこぞって祈りを捧げ、この苦難を切り抜ける方法を神に問うたのだ。祈りの期間はすでに数か月に及ぶと聞いているが、それがやっと神の御許に届いたらしい。
そのこと自体は喜ばしい事だが、その場所が悪かった。
「全くその通りですよ。神託があったのは『最高神官』にですのに、早速、それを自分の手柄のようにして周辺に触れ回っているそうですよ。しかも、『王として姫巫女を召喚することを命ずる』とご老人に向かって言い放ったとか……」
「は? なんだそれは? そんなことをせずとも、神託があったのならさっさと召喚するものだろうが?」
「ええ。ですが、それをわざわざ命令することにより、己の功績にしようという腹積もりの様ですね」
「……阿呆か、あのおっさんは……」
仮にも一国の主に対しての、ひどい言いぐさである。しかしアルジーンは知らぬことだが、この話を聞いた各国の首脳部陣も、ほとんどがそれと似たような感想を漏らすことになるのだから、ロンダルの国王への正当な評価と言っていいのかもしれない。
「しかし、阿呆ながらもそこそこ悪知恵は働くとみえます。最高神官は姫巫女召喚の為に、一か月の潔斎に入ったと聞きますが、召喚の儀には国王も立ち会うつもりの様です。で、そのまま、現れた姫巫女を己の手駒にしようとでも考えているのでしょう」
「……そうさせるわけにはいかないな」
「ええ。勿論です」
「ところで、その神託、何時あったのだ? ロンダルからは勿論だが、神殿からもまだ知らせは来ていなかったはずだが……」
ロンダルからジーモルトまでは、早馬を飛ばしても五日はかかる。そのジーモルトから更に一日進んだ位置にカゼルトリが存在するのだが、アルジーンの知る限り、まだどこからもそのような連絡は来ていなかった。
「一昨日の夜ですね」
「……相変わらずの早耳だな。流石はカゼルトリだ」
「ウチの連中も、私が教えるまでは知りませんでしたよ」
カゼルトリ公国の隠れた産業は『情報』だ。
領土そのものはさして広くはないのだが、風光明媚な土地を多く有し、首都は『麗しき白亜の都』として名高い。国の方針として芸術に力を入れており、絵画や音楽、詩作などの国営の学舎もある。大公家のものもそこに通い、幾人もの名高い詩人や画家が生まれているといえば、その教育レベルの高さが分かるだろう。
当然、各国の有力者に召し抱えられるものも多い。
つまりは、表向きは『芸術』を売り物とし、更にその陰で、それらの人々のそば近くに侍る事により得られる情報を売りさばいている、という事である。
この第六公子自身も、吟遊詩人の資格を持っている。カゼルトリでは歴とした国家資格である。しかもそれとは別に『テイマー』という特殊な技能を持っており、これは動物を――時には魔物すらも――自由に操ることが出来る。己の耳目の代わりとする事もでき、情報収集の役に立っていた。
今回のこの情報も、それらの力を駆使して、いち早く入手したという事だろう。
「流石に、一番最初はうちの父に教えましたが、二番目は貴方ですよ、アル」
「ありがたい話だが、その料金がいくらになるか、少々怖いな」
「今回に限っては、お代は頂くつもりはありませんので、安心してください」
「……というと? 金以外の何が欲しい?」
ヘイノルトの言葉を受け、アルジーンの口調がわずかに変化する。たったそれだけの事で、抜身の剣を首筋に突き付けられたような、ヒヤリとした殺気が感じられ――しかしヘイノルトは、かすかに笑ってそれを受け流す。伊達に長い付き合いではない。
「別に難しいことをお願いする気はありませんよ。私と一緒に、少し遠出をしていただきたいだけです」
「――なるほどな。行き先は、ロンダルか」
そして、やはり彼と付き合いが長いアルジーンは、たったそれだけでヘイノルドの思惑を見破る。
「事と次第によれば、その先まで。ああ、帰りは本気で何時になるかわかりませんので、別れを惜しむ相手がいるのなら、さっさと済ませておいてくださいね」
「そんなものがいないのは、お前も知っているだろうに――ところで、この話、父と兄にも教えて構わないのだろう?」
「ええ、勿論です。ちなみにこの後、ミリアとロジノヴァ、それからムランにも寄りますので、そのつもりでお願いします」
「とっくに計画は立てているという事か」
「いくら速く情報を掴んでも、それを使いこなせなければ意味がありませんから」
男にしては華奢に見える体つきと、甘い顔と声。しかし、それらだけを見て侮れば痛い目を見るのが、このヘイノルドという男だった。
そして、それからほぼ一か月の後。
アルジーンとヘイノルド、そしてその彼らから『仲間』として認められた三名の姿は、ロンダル王国の首都ロンダルキア。その中央に位置する王宮の謁見の間にあった。その他大勢の各国からの使者たちに交じって。
「……あれが、本当に『異界の姫巫女』なのか? 確かに見慣れぬ服装はしているが、そこらにいる娘らと変わりなく見えるぞ」
「あの美貌を見て『そこらにいる娘と同じ』と言えるのは、貴方位だと思いますよ」
隣り合って立つ彼らの視線の先にいるのは、まだ学校の制服を着たままのまどかだった。
王の座る玉座から、階を二つほど下がった場所に立っている。
通常であれば王太子か、この国の宰相くらいしか占めることのできない位置ではあるのだが、『神が遣わした姫巫女』をそこに立たせることの意味が分からぬアルジーンたちではない。
「すでに取り込まれた後、ということか」
「召喚の儀に立ち合いを拒絶されたのが痛かったですねぇ」
「そう言いながらも、聞き耳は立てていたのだろう?」
「神聖結界のある儀式の場所は無理でしたが――こちらに場所を移してからの事であれば、凡そは」
「流石だな」
「どんな立派な宮殿でもネズミくらいはいますからね」
だからと言って、ヘイノルトも毎回こんなことをしているわけではない。今回はこの世界の未来を左右する、特級の特別の最重要事項だからだ。その事をアルジーンも分かっているので、それを咎めだてるようなことはしない。
「『世界の浄化を果たした暁には、元いた場所に戻してやる』と、そう言って釣ったようですよ」
「……どういうことだ? 元いた場所?」
ヘイノルトのもたらした情報に、アルジーンは眉を顰める。異世界というのは、神々のおわす天上界のことではないのか?
「つい先ほど仕入れたばかりの情報ですよ。いくら何でもそこまではわかりません。ですが、どうやらあの娘――姫巫女は、納得したうえでここに連れてこられたのではないようです」
「それではまるで……まるで誘拐か、拉致ではないか」
「姫巫女ご本人も、同じことをここの国王に叫んでいましたよ。『これって、誘拐じゃないんですか』と」
「何という事だ……」
『異界の姫巫女』――それは、神が自身の御許から遣わした聖なる存在である。
いつの間にか、何の根拠もなくそう信じ込んでいた自分にアルジーンは気が付いた。だからこそ、最初に見た時に『どこにでもいる普通の娘の様だ』と思い、それに些か失望すら抱いていた。しかし、今聞いたヘイノルトの言葉を信じるならば、あれは本当に『どこにでもいる普通の娘』であり――無論、召喚の儀により現れたのであれば、浄化の力はもっているのだろうが――その意に反して、無理やりここへ連れてこられた……?
新しくもたらされた情報に驚きつつ、改めてアルジーンは『姫巫女』へと視線を向ける。
先ほどとは違い、偏見という名の目隠しを取り払われたその目に映ったのは、何所か不安そうにしながらも、しかし何事かの硬い決意を秘めた娘の姿だった。
艶があり真っ直ぐに背に落ちかかる髪は、こちらでは珍しい漆黒。肌の色は月明かりに照らされた雪花石膏(アラバスタ―)の様だ。顔立ちは非常に整っており、ヘイノルトが『類まれな美貌』と評したのもうなずける。そして、その青みがかった黒曜石のような目――『姫巫女の召喚』が叶ったことを、己の手柄のように得意げに垂れ流す王の言葉を他所に、所在無げに彷徨わせていたその視線が、確かにアルジーンのそれを正面から捕らえ、絡み合う。
その一瞬――何か、得体のしれない衝動にも似た物が、アルジーンの体内に湧き上がる。
言葉を交わすこともなく、ただ一瞬の視線の交差。
それがアルジーンと、『異界の救世の姫巫女』まどかの出会いであった。