十の巻『コンスゥー』
十の巻『コンスゥー』
一つの木箱が雷丸の前に置かれる。置かれた時に中からガシャガシャと金属がすれ合うような音がしていた。
「雷丸様、こちらに御着替えを」
箱の中には細い鎖で編まれたTシャツ型の鎖帷子が入っていた。
「かなり重たい、肩がギシギシいってやがる」
重さが何キロあるか雷丸には分からないが、小学生ぐらいの子どもが前と後ろからぶら下がっているように感じられた。
「お似合いですよ」
満面の笑みの緋桜さん。
「遊んでないよな、いつもの仕返しに」
「長で遊ぶなどとんでもない、それに雷丸様はいつも仕返しをされるようなことを私にしているのですか?」
「そ、そんなわけないだろう」
対策本部で雷丸と緋桜が戯れている間に、御傍衆たちがカタカナのキの字のように組まれた木材を運び込んできた。
「緋桜、あの丸太の組み合わされた物はなんだ」
「雷丸様の移動手段です」
移動手段、作戦が開始されてから一切の電子機器を使っていない忍たち、背中に電流が走るようないやな予感が雷丸を襲う。
「移動手段ってタクシーとかか?」
「そんな経費かかる方法を使うわけがありません」
雷丸もわかってはいた、しかし、聞かずにはいられなかったのだ。運び込まれた丸太に、縄でできたカゴを吊るしているのは錯覚だと思わせてほしかった。
「馬も都会だと飼育がたいへんなので隠れ里から連れてきてはいませんし」
「馬かいいな、冒険者ギルドなんだから馬車の一つくらいは所有してたいな」
「そうですね、余裕ができたら検討だけでもいたしましょう。ただ、すぐには用意できないので、本日はこちらを使用ください」
カゴが掛け終わると、最後に薄い座布団がひかれた。時代劇でたまに目にする早籠だ。
街中をゆっくり進む普通のカゴではない、早籠。カタカナの『キ』の字に組まれた丸太の四つの端を四人で持ち上げ全力疾走するというとんでもないクセモノ的乗り物。
そんなクセモノは当然乗り手にも優しくなく、つり革のように垂らされた紐を握りしめ振り落とされないようにしがみ付かなければならないし、舌を噛まないように乗車中は布をくわえていないといけない。
「これでいくのか」
「ほかに方法はございません」
ついて行くと言ったことを雷丸は後悔してしまった。だが――。
「俺も伊古代の人間だ、吐いたツバは飲み込まない」
伊古代家、唯一無二の家訓『自分の言葉に責任を持て』家が没落しようとこの家訓を守り通した父親のバカでかい背中に憧れを持つ雷丸は籠に乗りこんだ。
「さすがは雷丸様です」
あなたを信じていましたと、信頼一二〇パーセントの笑顔で称賛する緋桜、称賛された側の雷丸はなぜか自分が汚れた存在ではないかと自問させられた。
「今しがた合図がありました、これより下手人の隠れ家に向かいます。これをくわえて到着まで放さないでください」
くださいと丁寧な口調の緋桜であったが、なかば押し込む形でタオルを咥えさせられた。
「放しと舌を噛みますよ」
「お、おう」
くわえたタオル越しにくぐもった返事をする。
「雷丸様以下、御傍衆出陣します」
錯覚か、一瞬前まで対策室にいた筈の雷丸の体が空を飛んできた。
正確には雷丸の乗った早籠が建物の屋根から屋根へと激走していた。車でもないのに背景が横にスライドしていく。
「ウオオオオオオ―――!」
恐怖による悲鳴でくわえていたタオルを落としてしまったが。
「ちょんとくわえていてください、舌を噛みますよ」
平然と涼しい顔で早籠に並走していた緋桜が風に飛ばされたタオルと掴み雷丸の口へ戻した。
ジェットコースターなど目じゃない恐怖、安全装置など一切ない乗り物、丸太がギシギシと軋み、縄からはミシミシと嫌な擬音が伝わってくる。
「すこし曲がります」
「……」
悲鳴をあげる余裕すらなかった、荷重が前から横から後ろからありとあらゆる方向で襲ってくる。雷丸は生まれてから一六年、最大の恐怖を味わった。
「次は少し高いビルを飛び越えます」
「……え、ビル?」
前横後ろに加えて今度は上下運動がくわえられた。
上から押しつぶされそうな重力を感じたかと思えば、フワリ浮く無重力、それから続いて急降下。雷丸は股間がスーと涼しくなって気を失った。
「…………まるさま、雷丸様、雷丸様」
「どうした緋桜」
揺り起こされる雷丸。風圧で聴覚までおかしくなっていたようだ。緋桜の呼びかけでようやく正常に戻っていく。
「目的の場所へ到着しました」
腰くだけになり、まともに立つことができない雷丸は早籠から這い出すように降りると緋桜へ詰め寄る。
「すっげー股間がスゥーとしたよ!! 股間スゥー、コンスゥー!!」
あまりの恐怖に精神が錯乱していた。
「雷丸様が耐えられるよう、安全運転できたのですが」
「あれでかコンスゥー!」
「お静かに、隠れ家がすぐそこにありますので」
本来の目的を完全に忘れていた。なぜこんな怖い思いまでしてここまでやってきたのか、到着した場所を見回す雷丸。そこは同系の大きな建物が並ぶ工場地帯であった。
「あれ、ここ見覚えがあるぞ」
小学生のころ親戚の叔父さんの車に乗った時、スピードがのって坂道の頂上でふわりと車体が浮かび、股間がスーとした記憶があります。男性なら一度は経験があるのでは。
雷丸はこの現象を『コンスゥー現象』と名付けました。