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紅葉絵師

相も変わらず低品質。手直しはいつかの日に。

 紅葉絵を作るためには、まず猟銃の具合を確認しなければならない。

 もっとも、必ず猟銃を使うわけではない。できる人ならば、石や弓や短剣、あるいは生身でだってかまわない。私の先祖には、生きた魚や動物の骨を使うものまであった。ただ私は、銃を使わないとやりにくいというだけ。紅葉は紅か黄色と決まっているが、それを描く方法はまさしく十人十色なのだ。

 銃の状態を確認して、私は家を出る。すらりと細く簡素な愛銃は、刀を思わせる機能美を持つ。腰にさしたら武者気分だ。私は銃が万全なのと秋晴れが清々しいのとで、上機嫌で山を登っていった。

 山を登ってしばらくすると、きれいな紅葉林が現れる。極彩色の霞を思わせる風景は、風に揺れども頑固にとどまる。その鮮やかさは涼しい気候と青い空に彩られ、少しずつ落ちていく木の葉にいっそうの寂寥を感じさせる。

 林の中のどこか、全方向の木とほぼ同距離という都合のいい位置に立ち、私は銃を腰からぬいて構えた。周りは木しかないのだが、精神には決闘同様の緊張感。これを失敗すれば私の実入りは越冬を不可能にさせるほどになりうるのだから、命がけの仕合と変わらないかもしれない。

 引き金に指をかけ、目を細めて辺りを見回す。今日は風が少ない。環境としては良好だ。しかし、それが故に焦る。的が少ないのはいい。だが、その的を捉え切れねば、次の機会がいつくるかもわからない。それにそもそも、当てても当たらなければ意味がないのだ。できれば今日中に、三枚から四枚は欲しいところだが・・・・・・。

 ひゅう。

 風が吹いた。弱い風だ。緊張が最高点へ。心が高ぶる。体が強ばる。漲る気力が震えを起こす。

 瞬間。

 目の前で、木の葉が、

 はらり

 はらり

 と、

 銃声。

 連射可能な愛銃を、木の葉が幹から離れると同時に私は撃った。銃身から勢いよく飛び出す弾丸は、視界の数枚の点へ線を描く。一枚目、貫通。二枚目、貫通。三枚目、弾丸停止

 知覚した瞬間、私は全速力でその紅葉へ駆け寄る。弾丸を受け止めた紅葉は、まるで驚いて固まったかのように、わずかの間中空で止まっている。私はその機会を逃さずに、見事捉えて手に納めた。

 安堵と悦楽で、私の顔はゆるんだ。少し手を広げて中を見れば、一個の生きた宝石細工がそこにある。夕日を凝縮したような色と、生物らしい瑞々しさ。ますます顔が笑みを深める。最初にすんなりとれるとは、幸先良好もいいところだ。

 私はその紅葉を腰の袋に大切にしまって、厳重に封をする。目標はあと三つ。この分なら、すんなり終わってしまうかもしれない。



 夕方には山を下りる必要がある。夕方になると、色々と都合が悪いからだ。夜の山道を帰る羽目になると言うのもあるが、紅葉がいなくなるのが一番の原因だ。夕方の茜の日に当たると、紅葉は明かりに溶けて見えなくなってしまう。夜には攻撃性が現れるので、やはり朝早く向かって夕方に帰るのが一番いい。

 橙の世界を過ぎて家に帰ったら、まず猟銃を手入れする。軽く分解して、文様や効力を確認。傷や汚れを細かくチェックし、整備を行う。それから必要な弾を用意しておいて、きれいな布で丁寧に磨いてやる。あとは明日、出かける前に点検すればそれでいい。

 それが終わったら、今度は紅葉絵の作業に入る。依頼がきているのは、盆が一枚と椀が三つ。椀はまだ期間があるから、今日は盆を完成させてしまおう。

 今日とってきた紅葉を、黒土製の壷に優しく入れて、別の黒土壷から紅葉を二枚取り出す。一枚は夕焼け色の、もう一枚は黄昏色の。状態を確認して大丈夫とわかれば、次は白い気体のたまった升に紅葉を入れる。靄の中にうっすらと見える色彩は、幽玄な印象を私に与える。私はその美麗さと儚さに身を震わせ、緊張とともに作業台へ向かった。

 作業台の上には、すでに漆塗りの盆が用意されている。わたしはその正面に座り、卓上の秘密の戸棚を開いた。中には瓶がいくつも入っている。白色朱色と紫色、青黒緑に枯れ葉色。その中から、私は金色を選んで手に取った。

 瓶を開いて、大きく深い盃に回しながら中身を落とす。落とされた金の滴は、くるくると渦を巻いて盃の中を漂っている。私はその速度や調子を確認してから、すう、と深呼吸をして、筆をとる。

 す、と筆を盃の中へ。焦ってはならない。しかし遅れてもいけない。微妙かつ繊細な速度で円を一つ描き、すぐに取り出して盆に一線。・・・・・・よし。悪くない。そのまま勢い数本描く。

 濃密な集中。息苦しさ。心の空白。そんなものを感じられるのは、筆の金色がなくなって、息荒く後ろに倒れるときだ。それまで、いっそすべてが無に思える。自分はない。他人はない。世界はない。視界の中の黒い闇、それを切り裂くように筆を振る。助かりたいからではない。逃げ出したいからでもない。ただ、それが義務だからだ。極限の中のこの苦しさ、あるいは快楽は、人に伝えることが難しい点が残念である。そのおかげで、同業者が少なくてすむのも事実だけれど。

 さて、いつまでも倒れていられない。私は事前に用意しておいた水差しから八分目ほどまで水を飲み、一息ついて向き直る。盆の上に描かれた、数本の線で成される受け皿は、その身の主役を欲するように輝いていた。私は苦笑する。すぐにやるさ。とびっきりの主役たちを。

 ゆったりと呼吸をしながら、盆を凝視する。数本の線を綿密に眺め、頭の中で紅葉を乗せてみる。下すぎる。バランスが悪い。趣がでない。構図を試行錯誤して、その中からもっとも紅葉が映えるものを選ぶ。

 絵が決まったら、やることは一つ。息を一のみ肺で溜めたら、升から紅葉を一枚取りだす。す、と素早く引き抜いて、紅葉が靄を脱がないうちに手早く受け皿上へと乗せる。構図通りの場所へ、寸分の狂いもないように。置く瞬間は体が強ばる。わずかであれど、ここでいいのかと迷いは生じる。コツは、この迷いを越えられるかどうかだ。

 決意を固め、指を離す。葉はふわりと落ちて、盆の上へ。面へ着き、沈み、その下の金の器に受け止められる。実体であった紅葉は、その存在を盆の中に完全に埋め込んで、完全な絵と化した。

 ・・・・・・息をつく。よし。赤い葉は成功した。次は黄色い葉だ。赤はその根本を右向きに置かれている。次の黄色は、その上に根を左にして置く。それが私の決めた構図だ。

 息を潜める。勝負は一瞬。風より早く、川より滑らかに。吹き抜くように止まらずに、流れるようによどみなく。場所を、動きを、明確にイメージ。手元の葉の向きを確認。・・・・・・充分。

 ぐ、

 と、体に強く力を入れる。

 そして、

 ふ、

 と力を抜く

 その途中でーー

 腕が流れる。

 盆へと注ぐ。

 場所はどこだ。

 そこだ。

 決まっている。

 けれど、やはり迷いは消えない。

 強い。

 さっきよりずっと。

 しかし時間はない。

 流れは止まらない。

 構わない。

 そのまま。

 そのまま。

 そのままーー



 ぐったりと床に伏す。力が尽きた。指の先までしびれている。頭はくらくらとして働かない。気だるさと心地よさが同居して、おかしな悦に私を入れる。

 ふらつく体を何とか起こし、卓上の盆を眺めてみた。深淵のような漆黒に、数本の金糸に支えられた紅葉がきれいに輝く。はらはらと落ちるその瞬間を捉えたような、切なさと美の結晶。ああ、上出来だ。

 私はこみ上げてくる笑いを、弱々しい気力の最大限で表し、丁寧に風呂敷で包んでしまっておく。しばらくすれば取りにくるだろう。発注した人間は、はたしてどれほど感心するだろう。それを思うと、やはり笑みは止まらない。

 私はゆらゆらと部屋を出た。月のきれいな空模様で、何とも言えぬいい気温。私は上等の酒とつまみを用意して、縁側に腰を下ろした。

 月見て一杯。盃見て二杯。盆見て三杯、といきたいところだが、商品に何かあると困るので止めておいた。代わりに山の静かな紅葉を見て楽しむ。青白い月光の下で、色は一層の儚さを増していた。あの中で野生動物がどうなるかと考えると少し嫌だけれど、みる分には問題ない。

 夜は深まる。月は沈み出す。時刻はどれほど経ったろうか。私は酒やら何やらを片づけて、軽く体を洗って寝床に入る。

 疲れているからだろうか。眠りがずいぶんと滑らかだった。ゆるゆると、沈むように眠っていく。落ちていく紅葉のようだった。

 私はもしかしたら、紅葉なのかもしれない。

 そんなことを思ったからか、その日の夢は、盆についた紅葉になる夢だった。

 私は大層褒められた。

 純粋に嬉しかった。

 でも。

 見られるより作る方が、やっぱりいいな、と思った。

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