最近レコードって見ないね
向かいのお爺さんの家が好きだった。何百年も前に建てられたかのような古い木造の屋敷なのに中は妙に洋館のようになっていて、今思い出してみると千と千尋の神隠しに出てきた温泉に似ている。何の関係も無いただのご近所さんなのに、まだ小学生で遠慮を知らなかった僕は毎日のようにお爺さんの家に行っては古いレコードを聞かせてもらっていた。すると何故かいつもその音に釣られるように近所の猫が集まってきて、僕はそんな小さな訪問者たちと一緒になって縁側に座り、子供のくせにどこか不思議と懐かしくなる音色に聴き入っていた。猫が来たのはきっとお爺さんが餌付けしていたからなのだろうけど、今でもその猫たちが音楽に聴き入っていたと僕は思う。でも本当に好きだったのは音楽ではなかった。古い家の匂いとか、それに合った音楽とか、冷えた蜜柑ジュースとか、猫とか。そういったもののノスタルジックな雰囲気に、子供ながら心惹かれたのだ。そして何よりも音楽を説明してくれるお爺さんの笑顔が本当に好きだった。少し前までは顔も声も思い出せないでいたが、いつでも残像のようにボーッとした記憶の遠くでいつもお爺さんが笑っていた。
「あのお爺さんのようになりたい」
僕の中に大学合格とか就職とか、そういうものとは違う本物の人生の目標のようなものを与えてくれたのはあのお爺さんだった。でもだからこそ歳を重ねるごとに僕は世界に絶望してきたのかもしれない。僕の心の中の理想の人間はいつもあのお爺さんだった。だからニュースで意地汚い大人を見るといつもお爺さんと比べてしまって、誰もが優しさの無い下品な大人に見えてしまったのだ。
そして僕は成長を続け、淡々とした日常の中で輪郭の無いぼんやりとしたお爺さんの影を追うようになっていた頃に、お爺さんが死んだという知らせが来た。
僕の知らない間にお爺さんはどんな10年を過ごしてきたのだろうか。僕が小さかった頃には既にお婆さんに先立たれていたから、きっと一人でいたに違いない。毎日レコードを聞いていたのか、それとも本を読んでいたのか。頭の中に様々なお爺さんの人生が思い浮かんで止まらなくなった。すると突然懐かしい音色を思い出して、僕はそれを頭の中で繰り返しながらお爺さんの思い出を遡った。自分の道を生きろと言われてもそれはできそうにない。きっと僕はこれからもあのお爺さんの後を追って生きていくのだろう。