4.高級ワインと見える嘘
アレクはブリジットをエスコートしてレストランに連れてきた。
「さすがです。顔がいい人はエスコートも完璧です」
「ほめているのか」
「もちろん」
ブリジットの独特な褒めに困惑しながらアレクは礼を返す。
「ありがとう」
アレクが予約してくれたレストランは高級店らしく、客同士の距離もゆったりととられていた。
観葉植物がさりげなく配置され、視線を遮っている。圧迫感はなく、まるで半個室のようだ。
ブリジットはエスコートされた席についた。
半個室のようでも客の一部は目に入る。
一番大きいテーブル席にはアレクの知り合いの家族と秘書が座っていた。
年配の男。
その妻。
秘書らしき女性。
若い娘と、その婿。
アレクの知り合いは年配の男だった。店に入る前の扉で軽く挨拶をかわしていた。
「今日は家族総出で娘の出産祝いだ」
「おめでとうございます。ではラザフォード家はますますさかえるしょうね」
「当然だ。わしの血筋だからな」
アレクがそつなく返事をする。
「まあ、一時期はわしが病気だのなんだの騒がれてな。周りが大げさで困ったわ」
「ジェフ様が病だったんですか、それは初耳です」
「あなた、そういうことはあまり……」
妻のリサが小さく口を挟む。
「黙ってろ。お前はすぐ余計なことを言う」ぴしゃり、とジェフが言い放つ。
「発作予防薬を飲んでる。だから問題ない。医者も大げさなんだ。いちいち心配するな」
「……はい」リサは無表情のままうなずいた。
「まったく、女は騒ぎすぎる。ああ、アレク殿、あとで席に来い。他の家族に挨拶させてやる」
ジェフ夫妻が去ったあと、アレクはポツリと漏らす。
「相変わらずいやなじーさん」
「こちらが、お持ち込みの白ワインでございます」
店員が恭しくテーブルに座る五人に向けてボトルを掲げた。
「白ワイン、私はお酒をよく知らないけどいいワインなのかしら?」
「はい、私が持ち込みました。社長のお眼鏡にあいそうなお酒選びました。社長はお酒がお好きだから」
ワイン素人の妻リサに対して秘書の女性が勝ち誇ったように言う。
「あら、メーガン。主人は病もちなのよ。お酒は避けた方がいいわ」
リサは主人の健康に気を配る。
「がはははは、病はむかしから持ってる。酒を飲んだからと言って今までわしは倒れたことがない。酒は百薬の長というし今日ぐらいはいいだろう」
ジェフはお酒好きなのか、酒を飲む理論を並べたて、リサの言葉を一蹴した。
「でも――」
「いい加減にしろ。祝いの席だぞ。お前はすぐ水を差す」ジェフがぴしゃりと言い放つ。
リサが口を閉じた。
「私も奥様がお酒を好きでないのが残念なんです。この白ワインは飲みやすいので奥様にも是非飲んでもらいたいんです」
(残念)浮かぶ声。
「まあ、メーガン。あなたがそういうなら是非とも飲んでみたいわ」
(飲んでみたいわ)浮かぶ声。
「無理に飲ませなくていい。こいつは味も分からん」
ジェフは笑いながら言う。
「社長、奥様も味のわかる素晴らしい方ですよ。私社長のために素晴らしい逸品を探したんですよ。」
メーガンは甘えた声をだしてジェフと目を合わせた。
(味のわかる素晴らしい方)浮かぶ声
「ああ、お前はさすがだ。わしの好みをよくわかってるからな」ジェフは上機嫌で答えるが、妻はおそるおそる問いただす。
「……あなた、本当に飲むの?」
「しつこいな。医者でもないくせに口出しするな。飲んでも問題ないと言ってるだろう!」
ジェフの声が強くなり、テーブルの空気が凍る。
「家にいるだけのやつに何がわかる。今日は飲むからな」その言葉にリサの表情がわずかに曇った。
これだから貴族は苦手だ。
ブリジットはこそこそとアレクに問う。
「あの秘書と妻仲悪いですね」
「メーガンだろ、性格悪いよな」
「あの旦那の傲慢さがうつったんですかね。あの二人親密そうです」
テーブルにしばし沈黙が落ちた。
「この短い間でよくわかったな。あの秘書メーガンとジェフは不倫している」
「やっぱり」
気まずい空気の中、店員がグラスをセッティングする。
それは、白ワインにしては少し大きく、丸みのある形だった。店員は手元の白ワインのコルクを抜いた。
白ワインがグラスに注がれる。淡い黄金色が光を受けて揺れた。
その時だった。
「うわ、すげぇ」
少し離れたテーブルの若者が、大きな声を上げた。
「それ幻の超高級白ワインだ。初めて見た」
もう一人の若者も立ち上がる。
二人は遠慮なく家族のテーブルに近づいた。
「すげー、いくらするん?」
「俺らもいっぱいくれません?」
「あ、あなた…」若者の一人が奥さんにおねだりしにいいよる。
「ボトルだからあげても…」
リサは勢いに負けて若者にも白ワインを譲ろうとする。
「何言ってる。やらんやらん。貧乏人は帰った帰った」
ジェフは犬を払うようにしっしっと手で若者二人を払いのける。
一人はカチンときたのかジェフをにらみ、もうひとりは急いで逃げ走り去った。
「ふん、なんだよ。傲慢じじぃが」
睨んでいた若者は腐れ文句を呟きながら店員に促され席に戻った。
「ではラザフォード家の繁栄を祝して乾杯」
そう言ってジェフはグラスの杯を高々とあげた。そして一口、飲み……眉が寄せた。
「……ん?」
確かめるように、もう一度飲み、明らかに顔色が変わる。
「違う」
妻リサが首を傾げる。
「どうしたの?」
「この味じゃない。こんな軽いワインじゃない」
「そう。わたしは味の違いはわからないけど」
ジェフの響きわたる声に店員が慌てて近づく。
「何が問題がありましたでしょうか」
ジェフが店員に問いただす。
「これは本当にこのボトルのものかね?」
「はい、このボトルのものを注ぎました」
声が浮かない。嘘ではない。
じゃあ、あのおじさんの舌がおかしいのかしら。
ブリジットは首を傾げた。
空気がざわめく。
先ほど騒いでいた若者が楽しそうに声を上げる。
「何々あのおっさん、あのワインに文句言ってる」
「金だけもってて味がわからないおっさんなんじゃない」
(味がわからない)浮かぶ声。
「ああ、なら俺らに飲ませたらいいのに」
「ほんと、ほんと。俺らは自分らに合った安酒を飲もうぜ」若者二人はグビリと自分のグラスの酒を味わうように飲んでいく。
(飲ませたら)
(安酒)浮かぶ声
ブリジットは気づいた。
彼ら二人がジェフのお酒を取ったのだ。
だが、証拠はない。
浮かぶ声ではダメだ。どうすれば…
ブリジットが考え込んでいると呼ぶ声がした。
「ブリジット、やっぱりあのテーブルが気になるか」
「ええ」
ブリジットが顔を上げ、あの五人のテーブルのグラスを見たとき閃いた。
あの二人がお酒を取った犯人として証明できる決定的な証拠があることを。
アレクには断ってから席を立ちジェフ夫妻に向かった。
「……失礼ですが」
ブリジットが声をかけた。
全員の視線が向く。
彼女はゆっくりと、若者たちのテーブルを指差した。
彼らのテーブルには同じ淡い黄金色のワインが入ったグラスがあった。
「そのワイン、本来はこちらのものです」
若者の一人が、ぴくりと固まった。
「え?なにを…」
「グラスの形が違います」
ブリジットは静かにはっきりと告げた。
「この持ち込んだワインは高級な白ワインです。本来は、香りを広げるために少し大きめの丸いグラスで提供されます」
視線が集まる。
娘、娘婿、秘書の三人のグラスは、大きく丸い。
しかし――夫妻のグラスだけ、小さく細い形だった。
「あちらのテーブルをご覧ください」
若者たちのグラスは、大きく丸い形だった。
視線が移る。
「あちらのテーブルのグラスは……この三人のこちらグラスと同じものです。だから入れ替えられたのです」
沈黙。
若者の額に汗が浮かぶ。
「……さっき、近づいたときにグラスを入れ替えたのではありませんか」
ブリジットの言葉に、空気が凍った。
若者の肩がびくりと揺れた。
ブリジットの静かな声に、店内の空気が止まる。
「奥様に一人が絡んで視界が一瞬、遮られる。
その間にもう一人がグラスを交換した」
「な、なに言ってんだよ」
若者は笑おうとしたが、声が上ずった。
隣の相方は視線を逸らしている。
「……申し訳ございません」
若者の一人が、観念したように息を吐いた。
「……あんたのせいで俺らはそんな高いワイン、一生飲めないから」
ざわり、と空気が動いた。
「俺らはあんたのせいで潰された会社の息子だよ。俺らが最後の晩餐の気持ちで飯食べにきたのに。なんなんだよ」
「俺らの親父の会社を潰した金で買った高級ワインなんか飲ませたくなかったんだよ」
「だからって勝手に入れ替えるとは何事だ!」
ジェフが声を荒げた。
若者は肩をすくめた。
「別に減ってないだろ? グラスだけだし」
若者は文句を言ってレストランを去った。
店員がすぐにグラスを戻し、改めて注ぎ直す。
騒ぎは収まったが、ジェフの怒りはまだおさまっていない。
「まったく……台無しだ」
リサはおびえながらもジェフをとりなす。
「あなたいいじゃない。やっぱりあなたの舌は一流なのよ。すぐ気づいたじゃない」
「まあ、そうだな。わしは一流を知っているからな」リサのおだてで少し気分を良くしたジェフが
ブリジットへ向き直った。
「君、よく気づいた」
「いえ……偶然です」
「いや、助かった。さすがアレク殿の連れだ」
ジェフは少し考え、言った。
「お礼にこちらで一緒に食事をしよう。人数も多いし、構わないだろう?」
妻が微笑む。娘も頷く。
ブリジットはアレクを見る。
アレクは静かに頷いた。
彼女は少し迷ったが、了承した。
「……では、お言葉に甘えて」




