1.汚されたドレスと見える嘘
「エマのドレスの汚れはブリジット様が原因よ」
親友のエマの淡い色のドレスの背中に、べったりと濃い赤い染みが広がっている。エマは動揺して泣きそうである。
「さっきまで何ともなかったのに……」
ブリジットは茫然とエマのドレスの汚れた箇所をみた。
エマのドレスについた汚れ…
落ち着いて私。犯人は誰…?
エマの友達のリリーはなぜ私を疑うの?
*
「ねえ、ブリジット」
友人エマの声は、いつもより少しだけ硬い。
今日の茶会に呼ばれ、彼女が家の玄関で迎えてくれた。その際エマに声をかけられた。
「あなたは私の一番の友達なの。だからこの茶会であなたを私の一番の親友と紹介したいの」
彼女の言葉に嘘はない。
私は人が嘘をついたとき、その『嘘の部分だけ』が、まるで文字のように浮かび上がって見える。
ブリジットの家系は古くからの貴族である。友人のエマは生粋の貴族ではない。彼女の会話には嘘が少なく過ごしやすい。
ただ、たまに嘘をつく。ブリジットが自虐気味に答えた。
「こんな変わった私を親友なんていってくれるのはあなただけよ」
エマが慌てて手を振る。
「そんな?!ブリジットは変わってないわ。周りが見る目がおかしいのよ」
その言葉に、文字が浮かぶ。
『変わってない』
浮かぶ言葉。嘘。
ブリジットは静かに嘆息した。
「私があなたと友達と紹介したらあなたを見る目が変わるものね」
「わたしそんなつもりじゃないの。あなたの良さをもっと伝えたいの」
『そんなつもりじゃない』
浮かぶ言葉。嘘。
ブリジットはエマに視線を向けた。
エマは商人の家でもある、名門とつながりがあることを吹聴したいわよね。
「私なんとも思ってないから。
ぜひこんなわたしだけどあなたの親友と紹介して」
ブリジットはにっこりと笑う。すこしだけ嫌味をいれて。
エマは少し顔を顰め頬を膨らます。
「もう、ブリジットはわかってないんだから」
ブリジットは訝しげにエマを見た。
何がわかっていないんだろう。ちゃんと打算が関与していることはわかっている…
*
玄関で話し込んでいたせいか、庭園にいた令嬢がエマを呼びに来た。
「エマ、なにしてるの。早くみんな待ってるわよ」
「リリー、わかった、すぐ行く」
ブリジットはリリーの強い視線を感じた。
エマを呼びにきたはずなのに、なぜ私を見るの….?
エマが庭園に向かおうと背中を向けた瞬間、ブリジットは気づいてしまった。指差して恐る恐る聞く。
「それ……どうしたの」
淡い色のドレス。その背中に、べったりと濃い赤い染みが広がっている。ひだになったフリルの内側にもしみが付いている。
長い金髪で隠れている箇所もあるが、ひどいしみだ。
慌ててメイドが鏡を持ってきて染みを確認した。
「分からない。さっきまで何ともなかったのに……」
エマの泣きそうな顔。
ブリジットはもう一度、汚れた箇所に視線をむけた。
ただの汚れではない。にじみ方が不自然だ。
液体が垂れたなら、下へ筋ができるはず。
だがこれは違う。
「エマ、どこかに背中を預けたりしていない?」
「いいえ……してないわ。ずっと立っていたもの」
嘘ではない。つまり本当。
「どうしよう…」
エマの声は動揺で震えている。ブリジットはドレスの汚れを見た。
こんなの、貴族社会じゃ致命的なミスだわ。
ブリジットはすぐに着替えてくるようにエマに促そうとした。
今回はまだ誰も気づいてない。急いで着替えをお色直ししたふうにすれば…。
「大丈夫、エマ。すぐに」
「……大丈夫ですの?エマ。さっき一番ちかくにいたのは」
リリーは心配そうに近づきブリジットを指差した。
「ブリジット様よ」
「え?」
「犯人は彼女しか考えられないわ」
リリーの言葉に、文字が浮かぶ。
『彼女しか考えられない』
嘘。
「違う!ブリジットはそんなことしない!」
エマの声だ。声が浮かんで無い。心から思ってくれているのだ…。
ブリジットはエマの強い口調に励まされる。
リリーはやわらかく微笑み「ですが、事実は事実ですもの」と言った。
「…私ではない」
ブリジットは否定した。
「では着替えを手伝ったメイドではなくて?」リリーがつまらなそうに嘆息する。
「そ、そんな……!」
声を上げたのは、鏡を持ってきてくれたエマのお気に入りのメイドだ。
確か最近エマのボランティアと慈悲により孤児院から雇ったメイドだ。
この話は美談として最近噂になっていた。メイドが声を震わせながら叫ぶ。
「私は何もしておりません!」
『何も』
言葉だけが視界に残る。嘘。
ブリジットはメイドを見つめる。
動揺はしている。必死に無実を訴える姿に偽りは感じられない。
犯人はメイドなのかしら?エマのドレスの汚れは先に雇い主に言ってたら大事にはならない。内々で処理するはず。彼女は違う気がする。
「……本当に、何もしてないの?」
ブリジットがメイドに問いかけた。
現状、一番怪しいけど可能性は低い。
メイドの視線が揺れ「…っ、私は…」数秒の沈黙の後腰を曲げてガバリと謝った。
「……ごめんなさい」
「あなたが!」
エマが驚愕して見開いた目でメイドを見た。エマが近づいてといただそうとしたが、ブリジットはエマを制す。メイドがエマにおそるおそる話す。
「着替えのとき、少しだけ…触れてしまいました…でも汚してはいないです」
言葉が浮かばない。嘘でない。真実。
ブリジットは確信を持ってエマとリリーにはっきりと告げた。
「この人じゃない」
「どうだか…」
リリーはため息を吐く。
「エマ、どちらにしても縁がなかったとし、こういう方は置いておかない方がいいわ。友人として忠告いたします」
リリーがエマに視線をむける。
『友人として』
浮かぶ声。嘘。
ブリジットはリリーを見てふと思いついた。
そもそもリリー様は血統至上主義の家柄。エマと仲良くしているなんて不自然…本来は私との仲を重要視するのに私を犯人扱い。そして次にこの人は、メイドを疑わせようとしている。…私とメイド、両方を排除したい?
リリーの視線にメイドへのわずかな嫌悪をブリジットはきづく。
メイドはエマに救われた存在。それを快く思っていない?触れた者、そして犯人を誘導した者…もしかして…
「リリー様、あなたが犯人なんじゃないかしら?」
エマが不安そうにブリジットを見た。
ブリジットはリリーと視線を合わせ、浮かんだ疑問をリリーに問いかけた。
一瞬。ほんの一瞬、リリーの顔に喜色がうかぶ。が、すぐに表情の読めない笑顔をはりつけた。
「……何のことでしょう?私はエマの素晴らしい行いに感動して友達になったのですよ。エマ、私達は友達ですわよね」
その言葉に、いくつもの文字が浮かぶ。
『エマの素晴らしい行い』『感動』『友達』
嘘。
ブリジットはリリーに視線を向けた。リリーの手を見た。リリーの手は白い手袋をしている。
「エマの善意の行いがあなたの勘にさわったのでは?」
ブリジットは視線をエマのドレスへむけた。フリルのついた可愛らしいデザインのドレスだ。
この汚れ…ずっと引っかかっていた。
「このよごれはただの汚れじゃない」
ブリジットはエマの汚れの箇所を指差す。
「この汚れは押し付けた形の汚れ。軽く触れただけではフリルのドレスの内側にも汚れはつかない」
「あなたの手…その手袋を、外していただけますか」
リリーは一瞬だけブリジットを見たあと、ふっと笑った。
「…どうして?」
余裕のある声。
しかし言葉が浮かぶ。
『どうして』
ブリジットはリリーに近づいた。
わかっているのだ…彼女はわかっていて外さない。ならば、外させる。
「理由が分からないなら、なおさら外せるはずです。強く押しつければ、外側だけでなく、内側にも染料が付着する」
ブリジットはリリーの手首を掴んだ。
「犯人でないなら、手袋を外すことに、問題はないでしょう?」
そして、そのまま手袋を強引に引き抜いた。
「なっ…!」
外れ露わになったリリーの指先には赤がついていた。
「あなたが犯人です。リリー様。その指先があなたが、証拠です」
ブリジットはリリーの目を見てはっきりと告げた。リリーは、小さく息を吐きだした。
「…本当に、するどい方」
リリーが肩をすくめる。
「善意ごっことエマの勘違いが癇に障っただけですわ。成り上がりが善意を誇るなんて、見ていられないもの。善意なんて、見せつけるものじゃないでしょう?」
リリーがエマの顔を見て嫌そうな顔をした。
「……興醒め。私は帰ります。ふさわしくないものがふさわしくないところにいるのをアピールするなんて…」
「ふさわしくない?」
ブリジットの目にリリーが映る。リリーが満足そうにうなずきはっきりと述べた。
「ブリジット様は私のような高貴なものがふさわしいのです」
ブリジットはいきなりのリリーの発言に驚く。
リリーはブリジットを視界にとらえ
「いいこと。私が一番ブリジット様のことを知っているんですからね。ブリジット様またあいましょう」
と言って去った。
リリーがさった後、急いでエマは着替えてことなきを得た。
一応、エマとブリジットの方からもリリーの家に苦情の手紙を送るが、リリーにとって痛手ではないだろう。公にできる証拠はないのだから。
結局、ほかのどの令嬢にもエマのドレスが汚れていたことは知られていない。
ブリジットにはリリーが社会的制裁を受けないこと以外に納得できないことがあった。
なんでかな。リリー様になんであんな好かれているのかな?好かれるようなこと特にしてないんだけど。
*
帰り際、他の令嬢がみんな去ったあとエマがぎゅっと私の手を掴んだ。
「……ブリジット」その声は、少し震えていた。
「私、ブリジットにわかってないっていったのは、打算だけでブリジットに親友って言ったんじゃない。
打算もあるけど私、ブリジットのことがすっごくすっごく好きってことが伝わってないとおもったことよ。」
「それは…」
ブリジットは意外なことを言われた驚きに言葉が詰まる。
「……そう」
やっと出たのは、たった一言だけだった。
全く思いつかなかったというブリジットの態度にエマは嘆息する。
「やっぱりわかってない。
でも、私並みにすきなブリジットのファンの人に私すごく嫌われたみたい。
どんどん出てくるファンに私勝てるかしら」
ブリジットは少しだけ笑った。そんな奇特な人はもう現れないことがわかっているから。
「でもブリジットの一番の親友の座は誰にも譲る気はしないわ」
エマは自分を奮い立たせるようにいい、ブリジットに抱きついた。
その言葉に嘘はなかった。
「私も好きよ、エマ」
ブリジットはエマに答えた。
嘘か本当かだけで判断する自分は浅い。人の心は深い。嘘は見えるのに、本当の気持ちは見えない。難しいわ…。
けれど。さっき、ひとつだけ。リリーの言葉に嘘が見えなかった言葉があった。あれは本当に、本当だったのかしら。
ブリジットは、わずかに眉をひそめた。




