報告書28-契約は慎重に
不動産屋の男性はすぐに条件に近い物件があると言って、現地を案内してくれた。
「こちらの物件が、ご要望にかなり近いかと思います。少し広めではありますが……冒険者ギルドの方で、お客様くらいのご年齢ですと、だいたいこのくらいを借りられる方が多いですね」
案内された家は確かに広かった。
正門から小さな庭を抜けて玄関。
玄関を入ると右手にリビングダイニングキッチン。反対側には来客用の部屋がある。
個室がいくつもあり、裏庭まで付いている。
正直に言えば、俺の感覚では豪邸の部類である。
かつて見たクロノ男爵の屋敷と比べれば控えめだが、庶民基準なら十分すぎる。
「……流石に広すぎませんか?」
俺が率直に尋ねると不動産屋の男性はこれが当たり前であると返してきた。
「この辺りではこれが普通ですね。特にギルド本部の方ですと仕事柄、来客も多く、仕事道具や書類もかさばります。結局、広いほうが楽だと、これくらいの家に落ち着くことが多いんです」
そうは言うが、現時点で俺には特に来客の予定など思い当たらないが、確かに言われてみれば、ある程度の役職に就いているギルド関係者が、手狭な家で暮らしている印象もない。
周囲が結局これくらいの家で落ち着くのであれば、最初からこれぐらいの家でも問題はないのだろう。
日本人の悪い癖だ。
一般的な標準を示されると、どうしてもそれを前提として考えてしまう。
俺が不動産屋の男性と話している間、エミーナとリーネは楽しそうに家の中を歩き回っていた。
エミーナはリビングに入った途端、窓のほうに視線を向けたまま足を止めた。
「……あれ?」
そして何かを見つけたのか慎重に窓へ近づいた。
俺もそれを目で追っていたのだが、なぜか外の景色がくっきり見える。
こちらの世界の一般的な建物でよく見る分厚い油紙越しの柔らかく滲んだ光とは違うものが差し込んできている。
そして窓の手前で立ち止まるとエミーナは指先をそっと伸ばした。
「これガラス……ですよね?」
その声にリーネが首を傾げた。
「え?」
近づいてきたリーネも改めて窓を見て、少し困ったように言った。
「……私、てっきり窓が開いているんだと思ってました……ガラスの窓って、お店とか……貴族様のお屋敷にしかないものだと」
そう言いながらもどこか信じきれない様子で、リーネは透明な面をじっと見つめていた。
エミーナは一度だけこちらを振り返り、不動産屋の男性に目配せをしてから頷き、留め具に手をかけ、慎重に音を立てないよう押す。
気持ちの良い初夏の空気が室内へと流れ込んでくる。
「……やっぱり、ガラスですね」
その様子を見て俺も改めて窓を見る。
確かに言われてみればガラスだ。
この世界においてはまだ厚手の油紙を張り、採光をする事が多く、開閉が必要な部分は木窓が当たり前なのだ。
商業地区や貴族の屋敷などは少し曇ってはいるがガラスが使われているが一般庶民の家の窓がガラスというのは、まだまだ手が出にくいものだった。
しかし、外の景色が妙にくっきりしているとは思っていたが、俺としては特別だとも不自然だとも感じていなかった。
あまりに自然すぎたせいで違和感がなかったようだ。
そんな様子を見守っていた不動産屋の男性が待っていましたとばかりに口を開く。
「ええ。こちらはすべてガラス窓になっております」
「貴族街に近い区画ですからね。最近建て直された家でして、そこが一番の売りなんですよ」
エミーナは開いた窓から外気を確かめながらそっと窓を閉めた。
「風もちゃんと通りますし……これなら洗濯物も乾きやすそうです」
俺も窓の外に目を向ける。
透明なガラスの向こうに庭と街の景色がそのまま広がっていた。
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二階を確認したときリーネは個室のひとつに入るなり、くるりと回った。
「いいなぁ~こういうのが、私の部屋だったらな~!」
「木窓を開けなくても、外が見えるだけでこんなに明るいんですね」
口々に感想を言いながら家の中を見て回っている様子を見て、なぜか胸の奥が落ち着いた。
住む場所というのは結局住む人が落ち着けるかどうかだ。
二人が悪くない顔をしているなら、この家で問題ないだろう。
……とはいえ、家賃はやはり高い。さすがリフォームされた家。
1ヶ月で5,000リル、つまり銀貨50枚だ
すでに俺の収入を上回っている。
クロノ男爵に頂いた金貨がまだ残っているから、しばらく住むことはできるだろうがそれだけだ。
その先が見えない状態で首を縦に振るのは難しい。
思えば、この世界で働き始めた時の日給は標準額の16リルだった。
それがすぐに70リルとなり、あの事件のあとには130リルに昇給した。
つまり今の給料は月給に換算すれば3,600リルで、役職手当を含めると4100リルほどだ。
一般的な会社員的な庶民が月に稼ぐのが500~700リルであることを考えれば、かなりの高給取りだという自覚はある。
それでも……給料より家賃のほうが高い事実は変わらない。
やはり安い買い物ではない、という判断は変わらなかった。
「……家賃ですが」
そんな悩みを読んだのか、不動産屋の男性がこちらの様子をうかがうように言った。
「ギルドの職員様でしたら、住宅補助も出るかと思いますが」
住宅補助……今まで宿屋暮らしだった俺は縁がなかった言葉だったが、それを聞いて俺は鞄からギルド規約手帳を取り出した。
職員向けの色々とした規約が書かれたものだが、俺はページをめくると役職に対する福利厚生に該当する項目を探した。
今の役職は副監督官だが、次からは『監督官』の部分になるのだろう。
本部と支部全体の職員を管理監督する立場で、現場の実務に直接口は出さないが、「正常に回っているか」を見る役だと考えてる。
その役職に該当する行には、はっきりと数字が書かれていた。
1ヶ月あたり……住宅補助2,000リル。
逆に考えると、俺の役職でこれぐらいの補助が設定されているということは、それが必要な家屋に住むのが普通なのだと改めて認識した。
「……なるほど」
これで家賃5,000リルのうち、実質の持ち出しは3,000リルになる。
しかも今回の昇給に合わせて日給も上がるらしいという話も思い出した。
確か出発前に軽く聞いたときは日当160リルと言っていた。
ここで働き始めた頃の10倍だが、これは月給にすれば4,800リル
そこに役職手当が月1,200リル、住宅補助が2,000リル付く。
つまり合計すれば月給と補助で8,000リルになる。
家賃を差し引いても、手元には3,000リル残るなら食費や日用品、細かな出費を含めても、3人で暮らす分には十分だろう。
贅沢はできないが困ることもない。
少なくともお金の心配を抱えたまま仕事をする状況ではなくなる。
数字を並べてみれば、答えは出てしまっていた。
高いが、無茶ではなく無駄ではない。
来客対応もできるし業務の延長として使うこともできる。
補助が出るのもその前提があるからだろう。
ここで渋る理由が見つからなくなってしまった。
「――じゃあ、これでいきましょう」
そう言って俺は契約書に目を落とした。
**********
そこからは早かった。
商業ギルドが用意している一般的な賃貸契約書で、不動産屋の説明もわかりやすかった。
俺は一通り目を通し、そのままサインをすると3ヶ月分の家賃を前払いをして契約を終わらせた。
最後に不動産屋の男性はにこやかに言った。
「では、こちらが鍵です。3人分」
そう言って鍵を3つ、俺の手に乗せた。
金属の冷たさが掌に残る。
……3つ?
その瞬間、エミーナの表情がピシッと固まったように止まり、リーネも同じ顔をして、鍵と俺の顔を見比べている。
2人の表情が揃っている。
今まで見たことがない種類の“揃い方”だ。
(……?)
俺は鍵を見た。
確かに3つある。
不動産屋の男は何事もない顔で続けた。
「仲のよいご家族で何よりです。奥様方も安心でしょう」
「……奥様方?」
俺が聞き返したのはそこだった。
不動産屋の男性は一瞬だけ首を傾げたが、すぐに笑顔を戻す。
「ああ、失礼。伴侶の方、と言ったほうがよろしいですか」
「いや、そうじゃなくて……」
言いかけて俺は止まった。
鍵が3つ。
俺が二人に聞いた借りる家の希望。
そしてそのまま伝えた条件。
部屋が複数。
そして人数分の鍵。
全部、ひとつの前提に繋がる。
(3人で住む……前提?)
思考が追いつくより先にエミーナの視線が俺に刺さった。
刺さるが、その表情は怒ってはいない。
困っている表情なのか、照れている時の表情なのか分からないが、少なくとも俺は見たことがない表情だった。もちもちの兎耳がぴくぴくしており、完全に混乱している。
リーネは口を開けたまま、頬を赤くして固まっていた。
**********
不動産屋を出て通りに出ると、一気に人の声が戻ってきた。
俺は鍵を握り直し、ようやく言葉にした。
「……3人で住むんだっけ?」
その一言で2人が同時に目を逸らした。
エミーナは一度だけ咳払いをして、平然を装いながら口にした。
「……シロウ、確認しますが」
「うん」
「さっき聞かれた住みたい家の条件というのは、私とリーネ“の家”の話ではありませんでしたか」
エミーナの隣でリーネもこくこくと頷く。
「私もそう思ってました」
「私はシロウの家が決まったら、近くにリーネと過ごせる家を借りようと思っていました」
確かに……居場所が無くなったリーナは、まだこれからどうするか、どうやって生きていくか、全く決まっておらず俺とエミーナしか頼れる知り合いがいない。
とすれば、エミーナがそういう事を考えるであろうことは用意に納得ができた。
俺は息を吐いた。
「俺は3人で住む前提で家を探してた……完全に宿屋を探すときと同じ前提だった」
沈黙が落ちた。
終わりの沈黙ではなく始まりの沈黙だった。
しばらくしてエミーナはゆっくり瞬きをしてから、俺に視線を向けてくる。
「……そうですか」
淡々としている声なのに首まで赤い。
リーネはなぜか勝ち誇った顔をして、俺の袖を軽く引いた。
「じゃあそういうことで決まりですか? お兄ちゃん」
「決まりって……」
俺が言い返す前に、エミーナがはっきりと言った。
「……せ、せっかくシロウが選んだ家ですし、ここで辞めるのは大家さんにも迷惑です」
そのエミーナらしいセリフにリーネは満足そうに笑い、俺は鍵を見下ろした。
なるほど、家を借りるというのは生活が始まるということ。
俺は今さらになってその重みを知った。
そして心のどこかで思う。
(……このまま、しばらくは3人で普通に暮らし始めるんだろうな)
それが一番厄介で、一番安心できる未来だということを、俺だけがまだ理解しきれていなかった。




