報告書23-泡銭は使うときは軽いが思い出すときは重い
三日かけて山を下りるとすぐに街が見えた。
岩肌と森に囲まれていた視界が開け、石造りの建物が連なっているのが分かる。街道が幾筋も交差しており人の往来が絶えない。
アイゼンマルク。
山を挟んだ北側にある最初の街だ。
この街から乗合馬車にのり、途中でもう一度乗り換えればいよいよ到着だ。
「……大きい」
リーネが思わずという様子で息を漏らした。
山の中では聞かなかった音が……馬車の軋む音、人の声、金属が触れ合う音などがあちこちから聞こえる。
街に入って最初にやったのは、宿探しだった。
夕方前とはいえ人の流れは多い。山越えの旅人も、東西を貫く街道を行く商人も、ここを中継地にする。
結果として空いていたのは二人部屋だけだった。
「……2人部屋だけですか……」
「今日はどこも似たようなものでして」
宿の主人が、申し訳なさそうに言う。
俺は一瞬考えたが、女性2人から声が上がった。
「私は大丈夫ですよ〜?」
「私も問題ありません」
言葉に詰まるような空気はなかった。
山道を越えてきたあとだしいまさら部屋割りで神経をすり減らす理由もないかと考える。
俺は床で寝ればそれで事足りるのだから。
部屋に荷物を置いたあと、買い物の役割分担をした。
「食料と道具の補充を終わらせようか。2人は日用品の補充を頼めるか?」
「その方がいいですね。リーネの日用品も揃えないといけないので」
「……いいんですか?」
リーネが少し驚いた顔をする。
「ええ。私が出しますので気にしなくていいですよ。こういうのは女同士のほうが話が早いので」
「あー、エミーナ。必要なものがあるなら、これで揃えてきてくれ」
懐から金貨を一枚取り出し、エミーナに差し出した。
その瞬間、エミーナの動きが目に見えて止まった。
「……シロウ」
「ん?」
「金貨が……1枚あるように見えます」
「あるな」
エミーナは、ゆっくりと視線を金貨から俺の顔へ上げた。
「金貨が1枚……ですね」
「1枚だが……足らないか? 女性は色々と入り用だしな」
「……お兄さん」
エミーナの声が、静かに低くなる。呼び方が昔に戻っている。
「多すぎます」
「そうか?」
「はい。かなり」
横でリーネが首を傾げる。
「えっと……金貨って、そんなにすごいんですか?」
エミーナは一度だけ深呼吸をしてから答えた。
「リーネ、金貨を見たことありますか?」
「ないです」
即答だった。
エミーナは俺を見た。
「シロウ。一応ですが……金貨1枚は1000リルではありませんよ?」
「……え?」
嫌な予感が、確信に変わった。
「金貨1枚は……1万リルです」
「…………」
リーネの目が、はっきりと丸くなる。
「い、いちまん……?」
「はい。1万です」
エミーナは容赦なく続けた。
「銀貨1枚が100リル。金貨1枚は、銀貨100枚分です」
「……待て」
俺は額を押さえ、リーネが真顔で聞く。
「……それ……盗られません?」
ぐっさり刺さった。
「……強盗に会う金額です」
「……」
エミーナが、すっと金貨を俺の手に戻した。
「しまってください」
「……ああ」
「今すぐ」
「分かった」
「ちゃんと奥にしまってください」
「はい……」
2回言われた。
(ポケットにあと9枚も雑に入っているんだが……今ここで出したら確実に怒られるな)
そんな空気だった。
「シロウ……金貨は日用品を揃えるために出す金額ではありません」
「……だよな」
俺は素直に銀貨を取り出す。
「じゃあ、これでいいか?」
「銀貨10枚の1000リル……十分です。ありがとうございます」
やりとりを見ていたリーネが小さく息を吐いた。
「……街って怖いですね」
「だから、私が一緒に行きます」
エミーナの言い方に妙な安心感があった。
『臨時だったはずの売上は
何故か翌年には前提になる』
引用
正論が通じない職場でのサバイバル術
(著:宇佐木九郎)




