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報告書22-三人寄れば、いい案より、丸い案

 山間の村(ネーベルドルフ)を離れてからの下り道は想像していたよりも静かだった。


 出発直後にあった張り詰めたような空気は、歩く距離に比例して少しずつ薄れていくのがわかった。


 リーネも最初こそ元気に歩いていたが、半日経つころには歩幅が乱れ始めた。


 本人は気づかれまいとしているが足の運びがたまに微妙に遅れるのがわかる。


「……リーネの靴、合っていないですね」


 唐突にエミーナが後ろから声をかけると、リーネが驚いたように振り返った。


「え、そうですか? ずっとこれだったので……」

「だからですね。村の中と山道は結構違いますから」


 エミーナはそう言って歩みを止め、リーネの足元を指差した。


「紐をもうすこし締めて、歩くときはつま先からじゃなくて、かかとから歩くと楽になります」


「……そんな細かいところまで見られているんですね」


「当然です。特に女の人は、無理をすると後から響くし回復しづらいので」


 お互いが嫌味でもなんでもなく、ごく自然に必要な情報をやり取りしているような感じだった。



 俺は一番後ろからそれを眺めていたが、正直口を出す余地はない。

 理屈では分かっても俺自身が実感としては分からない領域だ。


「あと……」


 エミーナは少し声を落とした。


「夜営のときは冷えると思ったら我慢しないで言ってください。寒さは体力を削りますし……それと、着替えも遠慮しなくていいです」


「遠慮……ですか?」


「ええ。他人に見られるとか、見られないとかじゃなくて、落ち着かない状態で居ると判断力も落ちてしまい危険です。気にしすぎるというのは意外と体力をすり減らします」


 リーネは一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑った。


「……なるほど。そういうことですね、ありがとうございます」

「そうですね」


「ちなみにエミーナさんは今まで夜とかはどうやって寝ていたんですか?」


 話の流れから、リーネがぶっ込んできた。


「今までというと……?」

「えー……当然、村に来るまでですけど~?」


「そ……うですね、すこし体調が良くない時期でしたので、お兄さんの外套に潜り込んで寝ていました」

「そっ……そうなんですね……はえ……」


「慣れですよ」


 エミーナが淡々と説明していて、その表情は見えないが、時折振り返るリーナは明らかに耳まで赤くなっているのが見えた。


 **********


 その日の夜は念の為に山道から逸れて奥まった場所へと入り、そこで野営することにした。

 万が一、村と向かう旅人と一緒になってリーネのことが知れたら面倒だと考えたからだ。


 火もなるべく小さくしておく。

 リーネは焚き火のそばで落ち着かない様子で座っていた。


「……こういう夜は初めてです」

「そうでしょうね」


 夜番の配置を決めながら、俺は二人を横目で見る。


「慣れないうちは、全部が不安になりますので、分からないことは分からないって言ってくださいね」」


 リーネはそれを黙って聞いていた。


「旅の途中で体調を崩すと判断が遅れます。それは本人だけじゃなく、周りも巻き込み事故につながります」


「……はい」


 その忠告は説教でも気遣いでもなく経験則としての事実だった。


 **********


 翌朝、山道に戻るとリーネが周囲を見回して何かに気づいたようだった。


「確かこの先……少し下って道を逸れた先に水場があった記憶があります」

「水場?」


 リーネとエミーナの声が露骨に明るくなった


「はい、水浴びできる程度にはいい感じの水場です」


 リーネはここまで文句ひとつ言わずについてきていたが、疲労が溜まっているのは明らかだった。

 特に村を出てからは3人ともまともに身体を洗えていない。


 俺とエミーナは慣れてきたこともあるが、旅に慣れていないと、細かな不快が積み重なり事故につながるのだ。


「水浴びが出来るのは……助かります。お兄さん、せっかくですし服とかも洗いたいのですが、いいですか?」


 振り返ったエミーナが切実に呟いた。


「そうだな……俺は焚き火の番をしているからスッキリしてこい」


 **********


 結果的にちょうどよい場所に水場があった。


 岩に囲まれ、上流側は木立が多く視線が遮られている。

 水は冷たいと思うが、澄んでいるし流れも穏やかだ。


「ここ……久しぶり……」


 リーネが思わずという調子で漏らしたが、その横でエミーナはすぐに行動に移った。


 エミーナと手分けして沢の周囲を一回りして足跡や人の痕跡がないかを確認したが、獣道が下流側に一本あるだけで、人の出入りはなさそうだった。


「問題ありませんね」


 そう言ってから視線を俺に向けた。


「あの……お兄さん、焚き木はこの辺にお願いしてもいいですか? 少し距離がありますが」

「了解」


 理由を聞く必要はない。


 俺は上流側へ少し移動し、視界と音の届きにくい位置を選んで腰を下ろすと、焚き火の用意を始めた。


 沢を流れる水流以外の水音も思ったよりもはっきりと耳に届く。

 衣擦れの音と、濡れた布を絞る音。


 意識するなと言われるほうが無理な状況だが、意識を向ける理由もない。


 しばらくしてリーネの声が聞こえた。


「……エミーナさん……旅って大変なんですね」

「そうでもありませんよ、慣れれば」



 淡々とした返事。



「でも……こういうのって……教えてもらわないと分からないですね」


「そうですね……でも分からないままにするよりずっといいです」


 少し間が空いて水音だけが聞こえる。

 水をすくう音がして、リーネが続けた。


「お父さんとか……こういうこと、誰も教えてくれなかったので」

「そう……でしょうね」


 エミーナの声は否定も同情も含んでいない淡々としたものだった。


「村や街では必要なことが最小限で足ります。でも外では違います。特に女の人は……」


「……女の人は?」

「体調も安心できる基準も、人によって違います。でも旅程はそれを待ってくれません」


 水の中で2人が動く気配が伝わってくるのを感じながら、俺は焚き火の近くに服を乾かす場所を作った。

 木枝をナイフで削り、折って蔓で縛っただけのトライポッドのようなものだ。


 2人はまだ水浴びをしながら話している。


「服でも下着でも洗えるときに洗う。乾かせるときに乾かす。寒いと感じたら無理をしない」


 一つひとつが経験から来る言葉だった。


「身なりが整っているだけで判断は驚くほど安定します」


 **********


 やがて外套に包まった状態で戻ってきた二人は、まだ髪から水が滴り落ちていた。


 俺は視線を外したまま火の管理を引き受けた。

 2人は洗った衣類を焚き火のそばの枝に掛けていく。


 水を含んだ布から徐々に湯気が立ち上り、火に近づけすぎないようにエミーナが位置を調整している。


 焚き火の強さを保って煙が立たないようにする。



 リーネが少し声を落として遠慮気味に声をかけてきた。


「こういうところ、意外と男の人に見られるの恥ずかしいですね〜」


「分かります。でも隠しすぎるのも逆に不安が増えるので、必要な距離を自分で決められるようになるといいと思いますよ」


「すぐには難しいですね〜」


「慣れです。さっきも言いましたが」



 少し間があって、リーネが笑う。



「エミーナさんって……お姉さんですね」

「そうですか?」



「はい、すごく! お姉ちゃんって呼んでもいいですか?」

「お姉ちゃん……べつに構いませんが……」


 否定の声が上がらなかったので、安心したようなリーネが今度は俺の方へと視線を向けた。


「私もお兄さんって呼んだほうがいいですか? それともお兄ちゃん?」

「任せる……好きにしてくれ」


「えー……いや、そもそもお姉ちゃんもなんで、お兄さん呼びなんですか? 2人で旅をしてたんですよね? シロウって呼ばないんですか〜?」


 確かにそう言われればそうなのだが、店主と客という立場で、お兄さんと呼ばれていたのが続いているだけだ。今さら他の呼び名と言われてもむず痒い。


 **********


 服が乾き始める頃には空気が少し暖まっていた。

 2人は焚き火のそばに腰を下ろし体を温めている。

 俺は少し視線を上げ、火の様子を見てからすぐに逸らす。


 そこに特別な感情はない。

 少なくとも、自分ではそう思っている。


「でも久しぶりに、さっぱりしました」

「ほんと……生き返りました」


 そのまま俺達は焚き火で干し肉を炙り、簡単な食事を取ってから、今夜を過ごすための山小屋へ向かい移動を再開した。


 **********


 その先の山小屋で一泊した。

 当然ながら部屋は一つしかないし他に誰の姿もない。


「お兄ちゃん、同じ部屋ですね!」


 リーネがどこか楽しそうに言う。


 結局俺の呼び方に関しては「お兄ちゃん」になってしまった。その流れもあってエミーナに対しては俺のことを「シロウ」と呼びましょうよと説得を試み続けていた。



「おに……シ、シロ…………はこっちの壁際でいいですよね?」



 その結果がこれだが、エミーナは前の呼び名が長過ぎたのか、度々詰まるのだが、それはそれで味がある。


(むしろ、リーネに怒るのかと思ったんだけどな……)


「リーネが気になるなら、俺は外で寝るぞ?」


 反射的にそう言ってから、言葉の軽さに自分で驚いた。


 以前なら、もっと身構えていたはずだが、いつの間にか俺自身が気にしなくなって居ることに気づき危機感を覚える。主に紳士として――ハラスメント的な意味で。


「えー、今さらじゃないですか~? 一緒に旅してる仲間なんですし」


「……そうだな」


「それに今のはお姉ちゃんの発言について問い詰める場面ですよ、お兄ちゃん」


 リーネが笑うが、エミーナは何も言わず黙々と荷を下ろしている。

 意味がわからなかった俺はエミーナへ視線を向けると、ちらりとこちらを見たエミーナと視線が交わった。


「も、問題ありません。今まで通りです」


 今まで通り。


 その言葉が、やけに自然に胸に落ちた。

 そしてリーナだけが若干不満そうな顔をしていた。


 **********



 横になりながら、ふと思う。

 あれほど気にしていたことを気にしなくなっている。


 慣れは時に判断を鈍らせる。

 だが――信頼を作るのもまた慣れだ。


『大丈夫だった回数だけ、油断が積み上がる。

 そして積み上がった油断は減ることはない』


引用

空気で決まる安全、書類で消える責任74

~最後に残っていたのは創業者一族~

(著:宇佐木九郎)

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