報告書18-線引とその結果に起こる現象と
結局その日も一日雨は上がらなかったため、この小屋に足止めだった。
ただ昨日までとは違うのは、妖精からもらった果物のおかげで、空腹の心配がすっかりなくなっていることだ。
日中、やることがないのでエミーナから魔法というものについて、彼女の知っている範囲で講義をうけた――講義だ。
大学の先生が生徒に教えるような説明のおかげで、ある程度の……少なくともこの世界において魔法というものがどういう位置づけで認識されているのかというのが理解できた。
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そしてこの山小屋で3たび迎えた夜……。
雨音は続いているが荒さはなく、静かな音が続いている。
俺は焚き火の前へ座り、意識を入口の闇に向けた。
呼びかける言葉はない。
呪文も知らない。
だから考えのほうを整理する。
条件、時間、対価……。
契約というのは相手に『何をしてほしいか』を伝える行為じゃない。
自分がどこまで責任を引き受けるかを示す行為だ。
「……」
声には出さないが、意識の中できっちりと線を引く。
必要な分以上は渡さない。
無制限の対価は必要ない。
欲しいのは渡した分に見合うだけの交換だ。
その瞬間……空気がわずかに歪んだ。
入口の闇がさっきよりも近く、隣にいるエミーナが息を呑むのがわかった。
そして影が現れた。
昨夜と同じ……だが昨夜とは違う。
俺と距離を保っていた。
俺に勝手に触れてこない。
「……来た」
小さな影は焚き火の光の外側で揺れていた。
こちらをうかがうように……そして不意に果実が2つだけ床に転がった。
昨夜より少なく2つだけだった。
「……減ったな」
そう言ったその瞬間、頭がわずかに重くなったのを感じた。
急に襲ってくる眠気――だが明らかに昨日ほどじゃない。
持っていかれ方が違う。これはただ少し眠いだけだ。
影はそれ以上近づかず指に触れもしない。
ただ置くものを置いて、何かを待っているようだった。
俺は果実を手に取り、身体の感覚を意識的に観察しながら口にした。
回復が起きるが昨日ほど急激ではない。
じんわりと体の芯が暖かくなるような、必要十分で過不足がない。
「……なるほど」
成功とは言い難いが失敗でもない。
俺が希望した条件が一部だけ通ったような感じだ。
その理解が浮かんだ瞬間、影はふっと小さく跳ねるような動きをして消えた。
その夜に起こったのはそれだけだった。
静寂が戻ると俺は深く息を吐いた。
「…完全には縛れない……だったか」
「ええ……でも好き放題にされていません。これはすごいことです……お兄さんすごいです」
「条件を作ったつもりだったが、“枠”だけ作った感じかな……」
そう言ってから気づいた。
……なぜ俺はそんなことが分かる?
魔法は知らないし、呪文も使っていない。
それでも結果の差というものが感覚で分かったのだった。
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朝になると雨は止んでいた。
空は高く雲はまだ残っているが、山を閉じ込めていた重い雰囲気は消えていた。
「……動けそうだな」
身体が軽かった。
疲労がないわけではなく、残っていない感じだった。
まるで足止め中に消費した体力が帳消しになったような感覚だった。
あの果実のせいだと頭では理解している。
体力と魔力の回復。
歩き出しても息が上がらなず、足取りが妙に軽いのだ。
「……元気ですね」
「やたらと元気だなんだよな……エミーナは?」
エミーナも同じぐらいの量の果実を食べている。
おそらく俺と同じような感覚を得ていると思うのだが……。
「そう……ですね。確かにいつもより血が足りている感じがします。いつもはしっかりとお肉を食べないと回復しないのですが」
どうやら、貧血という意味で血が足りたらしい。
俺たちはそんな話をしながら……魔法や妖精、精霊の話をしながら山道を進む。
話しながらでも無理なく進めてしまうのだった。
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結局四日の遅れは取り戻せなかったが崩れもしなかった。
途中に二度ほど山小屋に泊まったが、雨に祟られることもなく人に絡まれることもない。
山は何もなかったかのように俺達を通してくれるようだ。
そしてこの日……シュタインフォルトを出発してからちょうど10日目の昼下がり。
突然視界が開け、畑と小さな牧草地が見え始めた。
「あれが……」
「はい、この峠にある村ネーベルドルフです。やっと補給ができますね」
小さな村だが、人の営みの匂いがある。
家から立ち上る煙や人の気配だ。
俺は村へ向かいながら自分の手を見る。
疲労はなく空腹も感じにくい。
果たして、俺はもう代償を支払い済みなのか、まだ請求されていないのか。
山を抜けた安堵よりそんな心配が先に浮かぶあたり、かなりこの世界に馴染んできたらしい。
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やっぱり偶然なんかじゃじゃない。
山間の村に到着してからも私は最初の山小屋のことを考えていた。
あのゴロツキが消えた朝……争った痕跡はなく魔道具の反応もない。
魔道具で結界が張られたという残滓も感じなかった。
それなのに……結果だけがあまりに私たちに都合が良すぎた。
お兄さんと妖精とのやり取りを見て、点と点が繋がってしまった。
お兄さんは何もしていない。
少なくとも自分では何もしていないつもりだ。
でも――
最初の夜、お兄さんは境界線を意識して横になった。
妖精との夜も、取引の線引をしたと言っていた。
自分の立ち位置を決め、越えていい境界と許されない境界を無意識に定義した。
(魔法を使っていないんじゃなく、魔法と認識していないだけ……)
私は静かに結論を修正した。
魔法を知らないからこそ『外側』で考えている。
呪文ではなく、その前提条件を無意識に考えているのだ。
魔法の操作ではなく、効果が及ぶ責任範囲を。
それが結果として魔法になるというのに。
呪文も媒介も使わない。
お互いが何を成して、どこまで責任を引き受けるのか。
その線引をし、契約相手に正しく示す。
それは本来……高度な契約術を行うために必要な行為だ。
お兄さんはそれを『生活感覚』でやれてしまっている。
ゴロツキが去った理由。
次の朝、突然雨が止み道が開けた理由。
妖精が条件を調整した理由。
人ならざるものが、お兄さんのことを無視できない存在と判断した結果ではないのだろうか。
私はお兄さんの横で、同じ視点で世界を見て、その結論に辿り着きたい。
私は空を見上げた。
雨季はまだ終わっていない……。
次はもっと分かりやすい形で結果が出そうだという予感とともに。
『契約は守ってもらえるものだと思っていた
破られた理由だけが丁寧に説明された』
引用
空気で決まる安全、書類で消える責任41
~先に信頼が消え、次に担当が消える~
(著:宇佐木九郎)




