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報告書17-魔力と妖精と契約と

 眠気が波のように引いては戻ってくる。

 立っていられなくなるほどではないが、意識を張り続けるのが少しずつつらくなってきた。


「……大丈夫ですか」


 エミーナが、こちらの顔を覗き込む。


「ああ。気絶するほどじゃない。ただ、やたらと頭が重い」


 二日酔いっぽく頑張れば起きていられるという感じだが、俺の様子を見たエミーナは一瞬考え込み、外套を広げ、床に座った。


「念のためです。横になってください」


 そういって自分の太ももをぽんぽんと叩く。

 普段ならお断りするところなのだが、お言葉に甘えることにする。


 彼女は壁に背を預けて、太ももに俺の頭を乗せると額に手を当ててくる。

 手のひらと首から伝わってくるエミーナの体温とかすかに聞こえる心音。

 それだけで、意識が安定していくのが分かった。



「……眠らないでくださいね」

「努力はする」



 冗談めかして返すと、彼女は小さく息を吐いた。




 果実はまだ入口に置いたままだった。

 十分ほど経ち、眠気が少し引いてきたのでゆっくりと身体を起こした。





「……食べてみよう」

「本気ですか? あっ、その……慎重に、少しだけ」


「ああ」


 エミーナの忠告どおり、一口……本当に、ほんの少しだけ齧ってみた。


 真っ赤な果実は甘すぎず酸味も控えめだが、野生にしては出来が良すぎる。


 だが果肉を噛みしめた瞬間だった。

 身体の奥で、何かが弾けた感じがした。


 疲労がはっきりと引いていき、重かった頭が驚くほど冴えていった。

 



「回復……した?」


 感覚としてそれ以外に言いようがない。

 エミーナもこちらを見て頷いた。



「ええ。顔色が明らかに良くなっています。恐らく、魔力も回復したのでは?」



 魔力というものをまだ理解出来ていないが、彼女ががそう言うならそうなのだろう。




 しかしこれは、冒険者ギルドで扱っている高級な『回復薬』以上の効果だった。


 もっとも『回復薬』と言っても、物語に出てくる飲めば一瞬で傷が治る魔法薬ではない。

 そんな都合のいい代物は、この世界ではまだ見かけたことがない。

 何処かにあるかも知れないが、冒険者ギルドでは聞いたことがない。



 ギルドで売られている『回復薬』というのは、高価な滋養強壮用の薬草や薬をとにかくぶち込んで混ぜて作ったものだと聞いている。




「……魔力量を測定する魔道具を持っていればよかったです」


 そんな便利なものがあるのか……。

 魔力という存在そのものがますます気になってきた。



**********



 残りの果実は二人で分け合うことにした。

 エミーナは最初こそ躊躇していたが、一口齧った途端、まるで堰を切ったように食べ始めた。


 量は少ないがが、体力と気力を取り戻すには十分だった。


 ====


 その夜。

 腕の中で眠るエミーナを眺めながら、俺は意識的に眠らずにいた。


 昨夜と同じ時間帯に差し掛かった頃、雨音の向こうで再び気配が現れた。

 今度は入口付近に、小さな影が浮かんでいるのがはっきりわかった。


 光でも闇でもない。

 輪郭だけがふわふわとそこに存在していた。

 何気なく俺はその『影』に指を伸ばしてみると、向こうから少し近づいてくるのが気配で分かった。




 止める間もなく――

 影が俺の手に触れ……指先に、ちくりとした痛み。




 噛まれた。

 咄嗟にそう思った。


 血が出た感じはしない。

 だが『何か』に噛まれたという感触だけが残っている。


 そして次の瞬間『何か』は霧のように消えた。

 いつの間にか目を覚ましていたエミーナが、息を潜めて口にした。




「……妖精です」




「妖精?」

「ええ。魔力を食べて生きる存在の一種です。私も出会ったのは二度目です」


 噛まれた指を見るが傷は見当たらない。


「……で、これは?」

「契約です」


 エミーナははっきりと言い切ったが、逆にその言葉が妙に重かった。


「妖精は基本的に、私たちの言うことを聞きません。でも……」


「妖精にとって契約してもいい条件が噛み合った?」

「そういうことだと思います」



 約束ではなく、契約。

 それは後始末の担当表だ。



 若手に何度も伝えてきた言葉が頭をよぎる。


 俺たちを助けたいわけじゃない。

 ただ、俺を取引相手として認識しただけだろう。



**********



 指先に残ったかすかな違和感を見つめながら、俺は息を吐いた。


「……これで終わり、って感じじゃないよな」


 入口付近を警戒していたエミーナは、やがてこちらに視線を戻した。


「ええ。妖精との契約は、本来もっと複雑だと学びました」

「複雑?」


「はい。例えば条件や時間、与える対価、それから、呼び出し方や別れる条件……色々だそうです」



 淡々とした口調だが、内容は軽くない。



「今のは……たぶん“たまたま一部の条件が噛み合った”だけなのかと」

「噛み合った?」



「お兄さんが魔力を持っていた。空腹だった。この場所に留まっていた。この状況を改善したいと思っていた……そういう要素です」



 エミーナは指を折りながら数えていく。


「妖精にとっては、近くにいて対価を取りやすくて、無理をしなくていい状況でした」



 なるほど。

 向こうの都合が良かっただけ……というわけか。



「……つまり今の関係は、契約というより“勝手に始められた取引”だな」

「そうかもしれませんが、妖精相手にこちらの要望は通りません」



「でも、果実はくれた」

「それは、向こうが『そうした方が得』だったからかと思います」


 なるほど実に分かりやすい。


「エミーナはやたら詳しいけど、妖精と契約したことが?」



 噛まれた指を見せながら尋ねると、エミーナは少し意外そうに目を瞬いた。


「……ああ、知らなかったんですか?」

「何を?」



「妖精が欲しがる魔力……つまり魔法を使えるのは、基本的に人族の一部と、古くからの種族だけです」



「一部?」

「魔力を外に流せる体質の種族だけです。獣人は内側で完結する性質なので、外に魔力を出せません」



「なるほど。だから獣人の冒険者は、身体能力が突出してるのか」

「ええ。役割が違う、と考えた方が正しいです」


 これは優劣ではなく分業だ。


 そこまで聞いてようやく全体像が見えてきた。

 俺は噛まれた指を軽く振った。




「じゃあ……契約条件を修正すればいいってことだな」


「……えっ?」




 エミーナが、一瞬固まった。


「だってこれは向こうの都合で始まった取引だろ? なら次はこちらの条件を明示する。期間と対価を決めて、契約を更新する」




 彼女はしばらく俺を見つめていた。

 驚きと困惑そして、理解。




「あー……それは……理論上は、正しいですね」

「理論上、か」

「昔は本当にそうしていた、という記述を読んだことがあります」



 ――昔。



「国境線ができるより遥か昔は、長い呪文で条件を一つずつ定義し、相互に縛っていたそうです。火を灯す魔法も、攻撃魔法も、相手が精霊であれば同様でした」



「今は?」

「簡略化された、というのが歴史研究者の共通見解です。誰でも使えるように、徐々に削ぎ落としてきたと」



 エミーナは静かに続けた。


「その結果、“細かい条件を詰める”という発想自体が残らなかったのだと」


 便利になった代わりに考えなくなったらしい。



「……なら、尚更だな」

「え?」

「新しく考えればいい。契約は双方の合意があれば成立する。本来定型である必要はない」


 俺はそう言ってから少し笑った。




「得意分野だ」




 エミーナはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑って頷いた。



「……分かりました」



 その目は完全に“観察する側”のものだった。


「ただ失敗した場合に何が起きるかは……保証できません」

「契約なんて、だいたいそんなもんだ」


 俺がそう返すと彼女は困ったように笑った。

 その表情を見て、ひとつ確信した。


 俺はいま、この世界の魔法に足を踏み入れようとしている。

 呪文ではなく『構造』のほうに。


『成立したのは契約であって、信頼ではない』


引用

空気で決まる安全、書類で消える責任21

~対等な合意だが対等な立場とは言っていない~

(著:宇佐木九郎)



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