報告書16-雨の夜と等価交換
雲はまだ低いが、切れ間から光が差し込んでおり、しばらく降りそうにない空模様が広がっている。
「……行けそうだな」
地面はぬかるんでいるが危険というほどではないだろう。
この程度なら許容範囲だろう。
「この小屋に留まるより次を目指そう……どれくらいだったか」
俺が地図を確認するよりも早くエミーナが答えた。
「一日歩いたところに避難小屋があります。でも屋根しかありませんので、山小屋なら更に歩いて一日半ほどかと」
「あと、道はここからもう少し細くなります」
今夜は屋根だけの場所で野宿し、本格的な山小屋はその次の夜。
一応それなら予定通りのスケジュールだが、雨に降られれば一気に体力を削られるため、ある意味覚悟が必要な行程だ。
荷袋の干し肉、堅パン、塩は当然ながら数は減っている。
7日の行程に対し10日分をもっているので、万が一足止めをされても、3日……我慢をすれば5日程度なら問題は無いはずだ。
「……余裕を見て進もうか。今夜は雨に降られないように祈るしかないな」
「はい」
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山小屋を離れると道は確実に人の手で管理されている道とは言い難く、街道というより使われ続けてきただけの登り道が続く。
この日は順調だった。
空は持ち直して足元も安定しているが、進むほどに周囲の音が減っていく。
鳥の声が遠ざかり、風の音が一定になり、否応にも山深くへと進んでいることがわかる。
「……静かすぎるな」
「ええ」
結局、この夜は東屋のような避難所に到着し、辛うじて積み上げられていた焚き木に火を起こすと、身を寄せ合って横になったのだった。
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翌朝、足の重さが昨日より顕著だった。
疲労ではなく、回復しきっていないという感覚だ。
重い足で山道を踏みしめ、お互い口数も少ないまま前へと進み、太陽が稜線に隠れ始める前に山小屋が見えたときには胸を撫で下ろした。
だが――
「……明かりがないな」
近づいて気付いたが、山小屋には人の気配がない。
中は簡素で人の気配は無く、物資は何も残っていない。
泊まることはできるが、それだけだ。
すこし外に出て空を見上げると、すでに雨雲が集まり始めていた。
「足止めされるか……なるべく補給ができる村に近づくという手もあるが」
選択肢は二つ。どちらも安全とは言い切れない。
エミーナは少し考えてから言った。
「例えば次の山小屋を目指すと……到着はおそらく明け方……つまり雨の中を一晩歩くことになります」
「だろうな。危険すぎるな」
「でも、ここに留まって雨に閉じ込められると、今度は食料が怖いですね」
食料の残りを考えると、なるべく山間部にある集落に近づきたい。
せめて徒歩で1日か2日ぐらいの距離なら、雨が降っていても強行するという選択肢も取れるが、この場所からだとまだ4日以上かかる計算だ。
「今夜はここで朝を待とう」
その判断が後で何を呼ぶのか、まだ分からないまま俺達は山小屋で二人。降りしきる雨音を聞きながら眠るのだった。
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「土砂降りだな」
「土砂……なかなか面白い表現ですね」
降りしきる雨を見ながら、今日はこの山小屋で過ごすことがほぼ確定したなと、朝の時点で諦めた。
「今日は……何をしましょうか」
次の日の明け方、雨は完全に本気を出していた。
雨をやり過ごすのはその通りなのだが、暇なのだ。すでに2週間近く一緒にいると話のネタも尽きてくる。そして同じ場所で止まっていると、新しいネタも生まれないのだ。
屋根を叩く音が、一定の間隔を失う。
風向きが変わるたびに、板の継ぎ目から水が落ち、床に小さな溜まりができる。
「……暇だな」
「ええ。今日はどうしようもないですね」
判断に迷いはなかった。
結局その日は小屋の中で過ごした。
焚き火をなるべく小さく保ち、濡れた装備を少しずつ乾かす。
食料は減らしたくないが、体力の維持も重要なので必要最低限だけ口に入れるだけなので腹は満たされない。
夕方になっても雨は止まない。
夜になっても同じだった。
「明日、動けるだろう」
「……そうですね。寝ましょうか」
希望というより判断として、そう言うしかなかった。
俺達はなるべく体力を消耗させず、雨水をためた水を暖炉の火で沸騰させて体を温め、そのまま何も食べず眠ることにした。
俺はすっかりエミーナと身を寄せ合って眠ることに慣れてしまっていた。
「こうして眠ると安心するんです」
そう言われたら流石に断れない。
しばらく目を閉じても眠りに落ちることが出来ず、腹が鳴るのを無視していると一瞬意識が途切れた。
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何かの気配に気づいたのは、夜中でも朝方でもない頃。
目を開けても暗闇が広がっているだけだが小屋の入口のあたりに、何かが居る。
見えてはいない……見えないが、そんな気配がした。
音は雨音だけで足音もない。
ただ最初からそこに居たような、違和感だけがある。
俺は身体を起こさず呼吸を浅くする。
気配が近づいてくる様子はない。
代わりに何かが置かれたという事実だけが残った。
いつの間にか俺の意識は再び落ちていた。
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次に目を開けたのは、薄明かりが小屋に入り始めた頃だった。
夢現にぼーっとした頭を振り、ハッとして入口を見ると大きな葉の上に果実がいくつも置かれていた。
どれも傷がなく雨に濡れた様子もない。
「……夢じゃないな」
声に出して確認する。
俺が動いたためエミーナも目を覚ました。
果実を見てすぐに事情を察したのか、表情を険しくした。
「触らない方がいいです」
「理由は?」
「理由が……理由が分からないからです」
もっともだ。だが腹は正直だった。
果実を手に取った瞬間、身体の奥が急に重くなるのを感じた。
ただの空腹による目眩とは明らかに違う。
引きずり込まれるような深い眠気が襲ってきた。
「……これは、眠気が……」
俺が頭を抑えて呟くと、何かに気付いたエミーナが俺を支えてくれた。
「お兄さん、これ多分ですが魔力が持っていかれています」
果実……眠気……対価?
これは偶然でも施しでもなく、交換だと認識した。
名前も名乗らず姿も見せず、条件だけを置いていく。
この山にいる『何か』は俺達を助けたいわけではなく、取引を求めているのだろうと何となく感じてしまったのだった。
『成果はチームのもの
失敗は個人のもの
これは一種の等価交換だ』
引用
空気で決まる安全、書類で消える責任2
~支給されるのは残業代ではなくやりがい~
(著:宇佐木九郎)




