報告書15-夜明けと謎の失踪
俺は夜が明けるまで眠らないようにしていた。
酒盛りを続けるゴロツキの気配と、その下世話な話を聞き流しながら、外套の内側でエミーナの呼吸を感じつつ意識だけを張りつめさせていた。
横になったまま、こちらへと近づく足音や兆しを逃さないため、背後に神経を集中させる。
ゴロツキどもは相変わらず騒がしかったが、一線だけは越えてこないという状態が明け方まで続いていた。
だから油断したのだろう。
雨音が一定になり、声が途切れ山小屋全体がシーンと静まり返った瞬間だった。
ほんの一瞬だけ意識が落ちたのだった。
俺はハッとして目を開いた。
「……まずい」
山小屋の中が妙に静かだった。
昨夜あれほど強かった酒の匂いがほとんどしなかった。
俺は一気に覚醒した意識を背後に向けながら、違和感の正体に気づく。
奴らが……いない?
あちこちに転がっていた酒袋もや濡れた外套、乱雑に脱ぎ捨てられていた靴も見当たらない。
まるで最初から誰もいなかったかのように、きれいに消えていた。
「……出ていった、のか」
まだ雨が残る夜明け前にわざわざ動いたのだろうか。
ゴロツキが酒盛りをしていた床を見ると、湿ってはいるが争った形跡などは見られなかった。
血があるとか、壊れた物が散らばっているなども無く忽然と姿を消している。
そのとき外套の内側でエミーナが身じろぎ、静かに目を覚ました。
どうやら問題なく睡眠を取れたようだ。
「……朝ですか」
「ああ……でも奴らが居ない。いつの間にか出ていったのか」
俺はそれだけ答え、もう一度山小屋の中を見回した。
同じように室内を見回したエミーナは一瞬だけ言葉を止め、ゆっくりと起き上がった。
そのまま木窓を開けて外を見てからポツリとこぼした。
「……不思議ですね……まるで旅人に伝わる伝承ですね……”山に選ばれる夜”がある……というやつです」
「選ばれる夜?」
「はい。殺生をした人や騒ぎすぎた人、境界を踏み越えた人、そういう人は明け方前にこつ然と姿を消すというものです」
原因も主体もはっきりしない、曖昧な話だった。
「夢を見ているように自分から去っていく姿を見た、とも聞いたことがあります」
「……便利な話だな」
説明になっているようで何も説明していない。
だが、旅人の伝承というのは大抵こんなものだろう。
例えば、諍いを起こした結果、相手を手にかけてしまい、それを『なにか』のせいにした……伝承なんてものは所詮そんな話がスタートで、尾ひれが付き、主語が曖昧になり広がっていくのだ。
そんな考えを俺なりに噛み砕きながらも、エミーナの話に沿った答えを出す。
「空気を読めない連中は、山に拒否されるという感じか?」
エミーナははっきりとは否定しなかった。
「そう解釈する人が、多いですね」
多い……か。
確かに昨夜の連中は騒がしかった。
酒に溺れて他人との距離感を誤り、踏み越えてはいけないラインを踏み越えかけていた。
山小屋というのは一時的に他人同士が共存する場所であり、セーフティーゾーンであるべきだ。
たとえそれが伝承や伝説、ただの噂やこじつけだったとしても、現に事実が眼の前に横たわっている。
「納得はできる。逃げたというより、酔いが冷めて居づらくなったんだろう」
これで理屈としては通る……それでいいと自分を納得させることにした。
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俺達は荷物を片付け、保存食を口に放り込んだ。
雨はそろそろ上がりそうだが、まだ外へ出る気にはならない天候だ。
「もう少し動けそうにないな」
「ええ……」
そう言いながらエミーナは一瞬だけ床に残った『何もない場所』に視線を落とした。
ほんの一瞬だが妙に気になった。
「何か気になることでもあるか」
「……いいえ」
即答だったが、珍しく間があった。
「ただ、伝承というのは真実を知らなくても通用する形で残ります」
「つまり?」
「理由を知っている人が、その必ず真実を語るとは限らない……ということです」
含みのある言い方だが、それ以上踏み込まない方がいいと感じた。
額面通り受け取るならば、俺が想像した通りの話だ。
だが……そうではないのであれば『真実』は伏せられたまま『結果』だけが噂として――旅人への警告として残っているということだった。
「そんなことよりお兄さんは大丈夫ですか? 眠れました?」
「眠れた……とは言い難い」
「少し眠りませんか? 私はお兄さんのおかげで眠ることが出来たので、雨が上るまで添い寝してあげますよ」
外套を被り直して手招きをするエミーナに、負けそうになったが踏みとどまる。このタイミングで寝ると、昼過ぎまで起きられないような気がしたのだ。
俺は次の休憩の時に頼むと言って断り、濡れた外套を整えたのだった。
『その人は”空気が読めない”のではない。
読む必要のある”立場”を与えられていないだけ』
引用
空気で決まる安全、書類で消える責任1
~安全第一は一番危ない場所に書いてある~
(著:宇佐木九郎)




