報告書01-上はいつも無茶振りをする
皆さんは「根回し」や「暗躍」は好きですか?
私は大好きです!!!
「――であるから、我々は冒険者の皆様が怪我なく戻ってこれるように……」
俺が今いるのはプロイセニア王国に属する都市ミュンセオン。
その中でもスラムに最も近く、治安が良くないことで知られている地域に建てられた冒険者ギルド・ヒルトレア支部。その1階フロアだ。
今の時間は朝の鐘が鳴った直後……感覚的には午前8時ごろだろうか。
珍しく朝早くから冒険者ギルドの職員一同が1階フロアに集められ、責任者によるありがたい訓示を拝聴させられている。
内容は薄く、時間だけが長い。
同じようなことを何度も、言葉を変え何度も話し続ける。
どこかで見たことのある光景だった。
「支部長、ほんと話長いよね……」
「ねー……普段はいないくせに、こういう時ばっかり張り切るのよね」
俺の背後で窓口業務を担当している女性職員が小声で愚痴をこぼしている。
控えめに言って丸聞こえだ。
なぜ俺が今こんなところで、こんなことをしているのか。
このような前置きをしておかないと、俺の状況は理解できないだろう。
逆に混乱させてしまうかもしれない。
その時は謝ろうと思う。
**********
宇佐木四郎。35歳。ビジネスマン。
彼女は居たこともあるが今は独り身
両親はすでに他界。
運よく新卒で上場企業に入社し、気がつけば10年以上が経っていた。
ありがたいことに会社からは『人を育ててきた』という評価をもらっている。
少なくとも部署をまたいで社内では、そういう扱いだった。
もっとも人事部にいたことはないし、若手向けの研修をやった覚えもない。
俺が役職を上げるためにやってきたのは、人材育成ではない。
それにもかかわらず俺への評価は『若手育成なら宇佐木に投げろ』と言われることが多い。
俺が特化してきたのは社内政治である。
社内営業とも呼ばれるアレだ。
良く言えば根回し。
悪く言えばゴマすりと揶揄される、あの手のやり方である。
稟議の通し方。
上司の不安の潰し方。
敵を作らない反対意見の出し方。
そういうことを理解していない若手社員ほど『自分は優秀で市場価値がある』『社内政治とか昭和かよ』と声高に言う。
悪いがそれは俺に言わせてみれば、一般論における片方の見方だ。
もしくは美談として語られているだけの幻想に過ぎない。
少なくとも俺の所属している会社の中ではそんな主張はほぼ意味をなさない。
そもそもビジネスマンにおける成功とはなんだろうか。
多くの報酬を得ることか?
素晴らしい成果を出すことか?
鶏が先か卵が先か。
成果を出すから報酬を得るのか、報酬があるから成果を出すのか。
社内政治があるから会社がうまく回るのか、会社がうまく回るから社内政治が発生するのか。
そういう因果関係を延々と議論するのも、だいたい時間の無駄だ。
答えはもっと単純なのだ。
悲しいが、会社における正解は、決裁者が納得しているかどうかである。
どれだけプロセスを可視化し、ガバナンスを敷いて、稟議書をロジカルに組み上げたとしても、最終承認を行うのは人間である。
判断基準が数値とロジックだけで完結するなら、そもそも役職者は必要ない。
感情が入り込むのが嫌なら、裁量を排した評価制度を作ればいい。
組織で評価されるのは、成果そのものじゃない。
この人なら任せても大丈夫だと、上に思わせられるかどうかだ。
成果はその上に乗っかるオマケである。
俺はそのルールを先輩のおかげでわりと早い段階で理解できた。
人を育てるというのは、スキルを教えることじゃない。
どう振る舞えば生き残れるのか。
その視座を持たせることだと俺は思っている。
そして俺自身が一番わかりやすい成功例だったというだけだ。
2ヶ月前までは……これ以上の詳細については改めて説明をさせてもらえれば助かる。
そう言い訳をしながら俺は思考の海から意識を現実に戻した。
そして、今の職場である冒険者ギルドにおいて、今日に限って早朝から全員が集められ、ありがたくも長ったらしい朝の挨拶を聞いているわけだ。
ただ、この日に限ってギルド支部長がここまで張り切っている理由は単純だった。
体感20分にも及ぶ話の内容を1行でまとめると『冒険者ギルド本部から視察が入る』ということらしい。
――要するに「上」が現場に来るそうだ。
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「失礼します」
ギルド2階の一番奥。
大木から削り出したのだろう、無骨で分厚い扉をノックし入室の許可をもらう。
朝礼のあと『ギルド支部長室まで来るように』と呼び出された俺は、予定していた朝食と書類整理のタスクを入れ替え、朝一でアポが入っていた冒険者パーティーの対応を先輩に任せ、筆記用具だけを手にここへ来た。
俺がここで働き始めて58日……ほぼ2ヶ月。
そんな新人が朝礼直後にギルド支部長室へ呼ばれる理由は多くない。
そして……その理由にもだいたい見当がついていた。
「君を呼んだのは、理由がある」
ギルド支部長は前置きを省き、単刀直入にそう言った。
無駄な愛想も形式的な労いもなかったが……。
「本部から視察が来る」
その言葉で察しがついた。
……ああ、やっぱり。
試されている。
いや、この人の性格を考えると『丸投げされた』と考えるのが正解だ。
ギルド支部長は俺の反応を確かめるように一瞬だけ視線を向けてから、書類に目を落とした。
どうやら丁寧に理由を説明をする気はないらしい。
「視察は今日だ。本部の連中は3人。午前中に1階を一通り見て回る」
余計な感情も前置きもなく、必要な情報だけを箇条書きで投げてくる。
「特別な準備はしなくていい。……いや、正確には『余計なことはするな』だな」
なるほど『やるな』ではなく『問題を起こすな』か。
「現場がうまく回っているように見えれば、それでいい」
ギルド支部長はそう言って、ようやくこちらを見た。
「君なら分かるだろう?」
分かる。分かりすぎるほどだ。
今回の視察とやらで本部が見に来るのは成果じゃない。
数字でも、実態でもない。
安心材料だ。
「……了解しました」
俺はそれだけ答えた。
それ以上、確認する必要はない。
役割は明確だ。現場を整える。
つまり問題のないよういい感じに対応する。
ただし、自分は目立たないように。
「頼むぞ」
ギルド支部長はそれだけ言うと、もう俺に興味を失ったように視線を逸らした。
話は終わりらしい。
部屋を出る直前、ふと背中越しに声がかかる。
「何かあったら、判断をした現場の責任だ」
ああ。
そこは、ちゃんと明言するんですね。
廊下に出て、静かに息を吐く。
ミッションは単純だ。
視察団が見たいのは、「ちゃんと回っている支部」という絵。
なら、俺はその絵を用意するだけだ。
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「……で、こちらが受付業務の導線になります」
ギルドの1階フロアで、本部から派遣されてきた視察団の前に立ち、壁際の掲示板とその正面に設えられたカウンターの配置関係を示しながら、業務の流れを簡潔に説明していた。
今回の視察に訪れたのは全部で3人である。
ひと目で事務方だと分かる顔ぶれで、現場の空気や実務の細部にはあまり触れてこなかったのだろう、という印象だった。
3人とも似通った仕立ての服を着ており、手には揃いも揃って同じようなメモ帳を持っている。
「なるほど……」
「ふむ……」
彼らはそう口にしながら形式的にうなずいてはいたが、その視線はどこか定まらず、宙を泳ぐように漂っていた。
実際に内容を理解しているというよりも、理解した体裁を整えているだけだと、見ていてすぐに分かる表情だった。
そのときだった。
「こちらの本部通達の掲示内容ですが」
視察団のうちの1人が壁に貼られている注意書きへと指を伸ばし、問題点を示すように言葉を続けた。
「この文言を変更した判断はどなたが?」
その一言で場の空気が張り詰める。
視界の端でギルド長の肩がわずかに揺れたのが分かった。そして、ほんの一拍置いてから――。
「ええと……その……」
ギルド支部長は短く咳払いをして間をつくってから、こう答えた。
「現場判断、ですね」
――出た。
『現場判断』という、あまりにも都合のいい万能ワードが。
誰か一人が責任を負うこともなく、かといって明確な嘘をつくわけでもない。
責任の所在を曖昧にしたまま、その場をやり過ごすための、実に便利な言葉だ。
視察団の視線がゆっくりとギルド支部長からフロア全体へ移り、そして最後に――俺のほうへと集まってくるのを感じる。
「現場……というと?」
問いかけ自体は柔らかい口調だった。
だがこれは単なる確認ではない。
誰がその判断を下したのかを特定するための、明確な確認だ。
俺は一歩だけ前に出て、視線を正面から受け止めた。
「私が対応しました」
最初の返答は迷いなく即答する。
ただし、そこから先の言葉は慎重に選ばなければならない。
「正確には業務上認められている裁量の範囲内で、現場として最も混乱が生じにくい形になるよう調整を行ったという認識です」
判断したとは言わない。その判断を下す役職ではない。
決めたとも言わない。俺には決裁権がない。
あくまで、調整。
あくまで、既存ルールの解釈と運用の範囲内だ。
視察団の男性は、俺の言葉を聞きながら、ほんのわずかに眉を上げた。
「あなたは……?」
「先々月から、こちらの支部で勤務させていただいている職員です」
肩書は口にしない。
言う必要がないし、言わないほうがいい。
「なるほど……」
視察団は一度だけ手元のメモ帳に何かを書き留め、それ以上この話題を掘り下げることはなかった。
――よし。
余計な言質は取らせていない。
視界の端で、ギルド支部長が腕を組むのが見えた。
表情は平静を装っているが、内心の動きは分かりやすい。
なるほど。
この人は社内政治の構図を理解してはいるが、自分から矢面に立つつもりはないらしい。
ならばやることは一つだ。
最後まで俺が前に出る。
ただし名前は出さず、目立たない位置で。
それがこの状況における最適解だった。
**********
その日の夕方、視察団は最後まで満足そうな表情を崩すことなく、ギルドの建物を後にしていった。
「いやあ……今日は助かったよ」
執務室に戻ったギルド支部長は腕を組んだまま、どこか感慨深げな様子でそう呟く。
「本部からもすでに連絡があった。“現場の雰囲気が良く、安心して任せられる支部だ”という評価だ」
雰囲気……か。
その言葉を聞いた俺は、胸の内で小さく息を吐き、わずかに笑みをこぼした。
「職員同士の連携が取れている点や、掲示物が分かりやすく整理されている点などが、高く評価されているらしい」
なるほど。
結局のところ、肝心な部分は最初から最後まで一切触れられていない。
「やはりな……」
ギルド支部長はそう言いながら、満足そうに一度だけ大きく頷いた。
「細かいことは現場に任せる。それが最も効率よく仕事を回すやり方だな」
いやそれは効率ではなく、責任を現場にぶん投げてるだけだ。
だがその考えを俺は口には出さない。
この人は今、成功体験の最中にいる。
その流れをこのタイミングでわざわざ遮る必要はない。
「ふむ……やはり、この案件も君に任せるとしよう。明日から新人が2名、この支部に配属される予定だ。新人教育を頼む」
ああ……これは間違いなく、さきほどまでの立ち回りの結果、担当業務が増えたというやつだ。
それでも……。
上長がこの状況に納得して前向きに受け止めているのであれば、それがこのタイミングにおける正解なのだ。
『現場判断とは、状況に応じた柔軟な意思決定という意味だと思われがちだが、
実際は”上が決めないので、下が腹を括る行為”である』
引用
正論が通じない職場でのサバイバル術
(著:宇佐木九郎)




