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報告書12-契約書とは「聞いていない」を無効化する武器

「いてて……」


 次の朝……俺は体の節々の痛みで目が覚めた。


 ベッドと反対の壁際に荷物を並べ、壁の方を向いて床に転がって眠ったのだが、やはりあまり寝れなかった。


 身体がギシギシと悲鳴を上げているようだ。

 俺ももう若くないなとこういうときに感じてしまう。


 木窓から僅かに感じる朝の空気を感じながら、ベッドの方に視線を向けるとエミーナがあられもない格好で眠っていた。


 エミーナは随分遅くまでゴロゴロと寝付けていない気配がしていたが、無事に眠れたらしい。あどけなさが残る寝顔をちらりと見て――なるべくそれ以外に視線を向けないようにし、ずり落ちている毛布を掛けてからエミーナを起こした。



**********



 昨夜ご馳走になった『ロートハイン風赤葡萄酒煮込み』は実に美味かった。


 猪肉のような大きな塊の肉がゴロゴロと入ったビーフシチューのようなもの。鉄製の鍋で提供されたのは2人前だと聞いたが、明らかに食べすぎた感がある。


 朝食は馬車で食べられるようにと、シチューをソースにした黒パン挟みを持たせてくれた。


 気になることといえば……宿から乗合馬車まで向かう道中、朝から口数が少ないエミーナに今日の旅程について確認しようと声をかけたのだが。


「エミーナ」

「……」


「何かあったのか?」

「むぅ……お兄さんのばーか」

「いてぇ」


 そういって突然、足を蹴られたことだろうか。

 兎人族(ラピス)の蹴りはなかなか痛いという教訓を得てしまった。


**********


 朝日が完全に地平線の向こうから姿を見せた頃、乗合馬車が出発する頃になるとエミーナの機嫌はすっかり良くなっていた。


 それどころかキンシップが増えた気がするが、俺はもう気にしないことにした。


 蔑ろにする気はないし流される気もない。

 その時その時の現場判断で進めようと腹を括っただけだが。



 馬車は今日から3日ほどかけて次の街……というか村であるグライツェンへ到着し、そこで1泊してから更に2日ほどかけると複数の街道が接続している大きな街シュタインフォルトに着くらしい。



 そこから徒歩で街道を北へ向かい、山を超えるとネーベルドルフという村だそうだ。予定ではその村で少し長い目に休む予定だ。


 山越えも1日ほど歩くごとに小さな山小屋や避難小屋、集落があるらしく食糧の心配はそんなにない。



 そんなことを考えながら眼の前を流れていく牧歌的な景色を眺めていると、前に座っている冒険者の男が馬車の揺れに合わせるように身体を動かした。


「……この道、地味に腰に来るな」

「慣れだよ」


 女がそう言って荷物の位置を直した。


 ミュンセオンから一緒に乗っている男女ペアの冒険者だ。

 乗合馬車の中で繰り広げられるのは基本的にどうでもいい会話だが、移動中にはこういう話しか出てこないのだから仕方がない。



 天気の話に次の街の酒の値段。最近減った依頼と増えた雑務やらなんやら。

 その流れの中で男がふと思い出したようにこちらを見た。




「そういえばさ」



 男がセリフを一拍置いた。

 この“間”がある時の話は大体ろくでもないと過去の経験が警鐘を鳴らす。



「兄ちゃんはギルドの人だったよな」



 俺が身につけているギルド支給の外套を改めて確認するまでもない。というか初日にもうバレているらしかったので、簡単な自己紹介の時に自分から伝えた。


「ええ。ただの職員ですが」

「ちょっと聞いてもいい?」


 そういって冒険者の女が革袋を探って折り畳まれた紙を取り出した。

 端が少し擦れており、持ち歩いて何度も見返したような紙だった。



「実は支部で依頼を受けてて移動中なんだけどさ。二つほど乗り継いだ街からミュンゼオンまて護衛付きの輸送で、危険度はCの依頼だ」


 俺が黙って続きを促すと、冒険者の男が続ける。


「報酬も悪くない……悪くないんだが……」



 男の言葉がそこで止まる。

 馬車がまた一度大きく揺れた。



「判断の根拠は?」


 そう口に出してから少しだけ早すぎたかと思ったのだがが、引っ込めるほどの話でもない。


「え?」

「危険度Cという部分です。誰の判断でした?」


 男が女を見ると、女が依頼書に視線を送り確かめる。


「……依頼者から依頼を受けるほうの受付窓口だね」

「支部の?」

「ああ、オストライン支部だ」



 オストライン支部は周りが商店街で、商人やいろいろな国から来た人たちで賑わう。人種が増えれば諍いも増える。諍いが増えれば本来の仕事以外の工数が増える。


 そうなれば当然、一人の職員が一つの依頼の処理に費やすことが出来る時間がすり減らされるのだ。本来ならばあってはいけない。



 危険度の設定に失敗すると、依頼を受託する冒険者の命に関わることもある。



 だが、現実問題……『現場の状況』としては仕方ない部分もわかる。

 そしてそんな多忙を極めるオストライン支部の依頼受付担当が設定した、という時点でだいたい察しはつく。



 でもまだ言葉にはしない。




「同じ依頼って、知り合いとか誰か受けたことはありますか?」

「いや……知り合いにもいないし、支部の記録にも残ってなかった」


 馬車の中に短い沈黙が落ちた。


「……これが依頼書よ」


 冒険者の女が依頼書を差し出してきたので目を通してみると、形式は整っているし署名もある、日付も問題ない。



 しかし問題は文言だった。



「……この部分」



 気になる箇所を見せながら指でなぞる。



「備考にある『現地判断で柔軟に対応すること』」


 女が頷いた。


「受けた時の説明もそんな感じだった。細かいことは現地で、って」




 嫌な言葉ほど耳触りがいい。

 『柔軟に』『任せる』『信頼してる』




「それって依頼主から直接説明されました?」


 二人ともすぐには答えなかった。


「……いや、窓口職員から口頭で……依頼主からそう聞いていると」


 女が思い出すように話、それに男が頷いた。


「でも、悪い依頼主じゃなさそうだった」

「それは契約に関係ありません」


 悪い人かどうかは契約には関係ないときっぱり言い切ると、二人だけでなく他の乗客の視線も集まってくるのがわかった。


「それは責任を後日にずらすための言い訳です」


 少し言い過ぎたかもしれないと思うが、引っ込めるほどでもない。


「本当に誠実に仕事を任せる気がある依頼人は『やること』より先に『やらなくていいこと』を書きます」


 女が依頼書を見返す。


「中断条件は……書いていないな」

「これだと追加の危険が出た時の扱いも、失敗した場合の責任範囲も曖昧です」



 俺の言葉に男は苦笑した。



「地雷……ってやつか」

「ええ」



 馬車の揺れに合わせて視線を外した。


「踏んだ瞬間に爆発するのではなく、家に帰ってから爆発する系です」


 笑いが一度だけ起きて……すぐに消えた。

 女が依頼書を畳み、膝の上に置く。


「でもさ……これ、もう受けちゃってるんだよね」

「移動中だしなぁ……しゃーねーか」



 男が諦めたように呟きながら、念のためといった素振りで聞いてきた。



「契約って今更見直せるもんなのか?」


 俺は街道の先に視線を向けながら考える素振りをしたが、答えは決まっている。


「可能です。ただしやり方を間違えると、全てが冒険者側の都合による拒否となります」



 二人の表情が少し硬くなった。



「いいですか? 依頼契約は紙よりも()()()()()()()()です」

「合意の更新?」


「はい。条件は受けた瞬間に固定されるわけではなく、実行に入る前なら条件の再確認を行うことは正当に認められた行為です」


 依頼書を軽く叩く。


「特に『危険度』『作業範囲』『中断条件』の三つは移動中でも確認できます」

「戻って聞きに行くのか?」


「いえ。正規の手順は面倒ですが、もっとも安全です」


 二人は顔を見合わせる。


「他の街でも構いませんので、冒険者ギルド経由で『()()()()()()()』を依頼してください」

「再交渉じゃなくて?」


「はい『この条件で認識は合っているか』を聞くだけです」


 そのタイミングで馬車が段差を越え、その振動で言葉が一瞬揺れた。




「再交渉と言うと相手は構えます。でも確認なら答えない方が不誠実になる」

「……なるほど」




「半日ほどで返答が書面で来ると思います。それが最新版の条件として扱われます」


 実際、ギルド間であれば書面のやり取りはもっと早い。FAXというよりその場の景色を転送する魔道具……写真をやり取りすると言えばわかりやすいだろうか。


 どういう仕組みなのか聞いたことがないため知らないのだが、ギルドにある通信室と呼ばれている部屋に、鏡台のような物が置かれており、そこに送られてくる情報を分析する専門官も常時配置されている。


 文章に依頼内容を記し、それを映像にしてオストライン支部に送る。受け取った支部は返事を文章に記し、上長が確認後にサインをいれて戻す。

 依頼書に記されていない内容の問い合わせであれば、ギルドは依頼主に確認を行う義務があるのだ。




「じゃあさ。依頼主から『細かい条件は信用して任せる』って言われたら?」


 ああ、それはよくある。


「その場合は、改めてこう返答してください」


 少し言葉を選びながら続きを口にする。


「『ありがとうございます。ではどこまでを任されていて、どこからは確認が必要かを書面に記すので線引をしてください』」


 男が小さく「なるほど」とこぼし、女が頷く。




「『前は同じ依頼書で問題なかった』って言われたら?」


「その時は『ではその時と同じ条件を、改めて書面で確認させてください』と返してください」


 男が笑った。


「逃げ道を全部潰すんだな」

「潰してません、開けてるだけです」


 男は少し真面目な顔になる。




「『嫌なら断ってくれていい』って言われたら?」


 それは冒険者としても依頼を斡旋するギルド側としても一番厄介な言葉だった。


 誰もが疑われるのは癪に障り、気分次第では依頼を無かったことにする性格の依頼者は一定数存在する。

 しかしこれについても一応は対応方法はある。


「その場合は『断るかどうかは、条件を確認してから決めさせてください』と、なるべく感情を乗せずに返事を書いてください」


 女が息を吐く。


「……なるほどねぇ」




「決断を急がせる言葉には、急いで決断しないのが一番です」




「……もし最初の条件でやれ、って言われたら?」

「その場合は二択です」


 一つ、指を立てる。


「危険度の引き上げと報酬と条件を組み直しを依頼してください」


 二つ目。


「それを拒否されたら、依頼着手前に辞退してください」


「途中で投げるのか? 罰金喰らうのはちょっとなぁ……」

「まだ『着手前』ですから、契約違反になりません」


 女が小さく笑った。


「……あなた依頼者側から嫌われれない?」

「ええ」


 肩をすくめる。


「でも嫌われない契約というのは、だいたい現場が……冒険者側が泣くことになります。命が関わっている場合もあるんです」



 しばらく誰も喋らず、馬車の音だけがガラガラと響く。


「要はこういうことです」


 俺は最後に少しだけ言葉を崩して伝えた、


「依頼書……つまり契約書は自分を守るための紙じゃないんです。揉めたときに『誰が何の責任を負うか』を先に決めておく紙だと思ってください」


 少し分かりづらいかなと思ったが、冒険者の男が深く息を吐いた。


「……すぐに照会を入れてみる」

「それがいいです」




 俺はそれだけ言い視線を景色へと向けると、エミーナがボソリと呟いた。




「お兄さんって本当に――そういう感じで生きてきた人なんですね」



 そういえばエミーナの前でこういう話しをしたのは初めてだったかもしれないと思って視線を向けると、彼女がしっかり俺の方を見ていた。




「そういう人は心から信頼できます」




 そこまで聞いたところで、後方に座っていた商人風の男が遠慮がちに声をかけてきた。


「すみません……今のお話……少し聞こえてしまって」


 嫌な予感がした。


「私も……実は明日から動く契約がありまして。よろしければ一度契約内容。見ていただけませんでしょうか」


 仕方がない。仕方がないし、特に断る理由はない。

 この人は困っているのだ。そして自分にはある程度それを解決することが出来る経験があるだけだ。



「構いませんが専門家じゃありませんよ」

「それでも」



 そう言って差し出された紙を受け取り目を通すと商人ギルドが発行している依頼書のようだった。


 そしてその様子を見ていた別の客も「うちも……」と便乗してくる。


 さらにその様子を見ていた別の冒険者が「迷惑でなければこれも、確認だけでも」と続いた。


 そして気がつけば野営地で馬車を降りてから、即席の相談会が始まっていた。


 焚き火を囲いながら契約書が行ったり来たりし、質問が飛び、また別の依頼書が出てくる。

 これは剣も魔法も使わない戦いだった。


 


 夜も更けて人が散った頃、やっと一段落ついた俺は、エミーナに白湯を受け取り、頭のクールダウンに取り掛かった。


「……今日は忙しかったですね」

「野営というより、会議だったな」


 彼女は小さく笑いこちらを見た。


「でも、私は好きですよ」

「何が?」


「誰も傷つかないように、一番面倒な役を引き受けるところです。お兄さんが一緒ならどんな旅でも大丈夫だって思えます」




 遠回しだが、最大限の評価だった。

 この日は野営も含めてかなり忙しかったが、みんなの不安も仕方がないと思う。


 契約というのはだいたいが安心するための道具だ。

 少なくとも書いた側はそう思っている。



 特に個人が受ける契約というのは『信頼』や『善意』『常識的』という『書かなくていいこと』を前提にして作られる。民法でいうなら『信義誠実の原則』が近いだろうか。



 つまり『契約当事者としての誠実な対応』というやつだが、これが実務ではじつに厄介なのだ。

 この『書かれていない部分』は何かあったときに、一番守られなくてはいけない相手に対して襲いかかってくる。



 会社ならまだ逃げ道がある。

 部署だの、規程だの、最悪でも組織を盾にすればいいが、個人契約は違う。


 最後に立っているのは、剣を握った本人か、ペンを持たされた本人だ。


 だから契約書には夢も希望もいらない。

 必要なのは『揉めたとき、誰が殴られるか』をはっきりさせておくことだけだ。



 はっきりと書いてない契約ほど、こちらが声を出せないタイミングで大声で叫び出すのは嫌と言うほど経験してきている。


『契約書に書いていないことは、

 やらなくていいことではなく

 やらされる可能性があること』


引用

ビジネスマンが『もうダメだ』と思ったときに開く本6

~成長できる環境とは、誰も守ってくれない場所の別名~

(著:宇佐木九郎)

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