報告書07-管理職としての責任
ミュンセオン冒険者ギルド本部2階に設けられた査問委員会の部屋は、やけに静かだった。
広くも狭くもない会議室。
壁際には記録用の書類棚が並び、中央には長机が一本置かれている。
その向こう側に数名の委員が等間隔で腰掛けていた。
誰も怒ってはいない。
だが誰一人として擁護もしない。
感情を排した視線が俺に向けられている。
そこにあるのは非難ではなく確認だ。
何が起きたのか。
なぜ起きたのか。
誰がどこまで責任を負うべきなのか。
この場は裁きの場ではない。
少なくとも建前上は。
「では、経緯を説明してもらおう」
年嵩の委員が淡々とそう告げた。
責める口調でも諭す口調でもない。
ただ事実を並べることを求める声音だった。
俺は一度、短く息を吐いた。
頭の中で順序立てて説明することは出来る。
どこから話し、何を省き、何を強調すべきかも分かっている。
俺は当時の状況を客観的に整理しながら話すことにした。
**********
細かった雨粒はいつの間にかはっきりとした線になり、地面を叩いていた。
俺は馬車が止まったという場所の近くで店を構えている知り合いを訪ねた。
ここは俺がギルドで働き初めた日に日用品を買いに来たよろず屋だ。それからずっとここを使わせてもらっており、店主のエミーナとは気軽に雑談をする程度の仲ではある。
エミーナが同じ黒髪だったため、妙な親近感を感じたからかもしれない。
ロップイヤーのような垂れ耳がなければ、同郷の人間かと勘違いしていたかも知れない。
そのエミーナは店に飛び込んできた俺の顔を見るなり、すぐに何かがあったと察してくれたため、俺も余計な前置きもなく質問だけぶつけた。
「馬車は来ました。確かに。でも今日は止まりませんでした」
胸の奥が、嫌な音を立てる。
「減速はしたけど、人を降ろす様子はありませんでした。そのまま走り去りました」
つまり、降ろしたのはここではない。
クロノ家の御者が二人をそのまま連れて行ったということになる。
「どっちへ?」
「南門のほう。城壁に沿って、そのままスラム街の西のほうへ向かったかと……」
俺は礼を言う間もなく、踵を返した。
一秒でも惜しい。
今この瞬間にも、二人は遠ざかっているかもしれない。
「おーい! お兄さん、待って!」
背後から慌てたような声が飛んでくる。
「これをっ! きっと何かの役に立ちます!」
放られた何かに反射的に手を伸ばして受け止めた。
それは古びて擦り切れた背嚢だった。
布はところどころ色褪せ、留め具も心許ない。
中身を確かめる余裕はないが、軽くはない。
「……ありがとう」
それだけを吐き出すように言って、俺は店を飛び出した。
**********
俺は南門へ向かい走り出した。
通りを進み城壁に突き当たると西に曲がり、壁に沿ってただひたすらに走る。
久しぶりの全力疾走のせいで、息が切れるのも早かった。
足が重く、肺が焼けるように痛み始める。
水を吸ったブーツが、地面に吸いつくように感じられる。
視界が狭くなり頭の奥がじんと痺れ始めると、今にも足が止まりそうになる。
だが足がもつれて倒れそうになっても辛うじて踏みとどまり、前へ前へと足を踏み出す。胸の奥で何かが弾け、妙に思考が冴えていき、鼻の奥がつんとしてくるのがわかった。
温かいものが垂れ落ちる感覚があり、鼻血だと分かったが気にする余裕はなかった。それどころか、不思議とどうでもよくなっていた。
視界の先にスラム街の輪郭が浮かび上がる。
崩れかけた建物、狭い路地、暗く沈んだ空気。
あっという間に、到着していた。
だが――立ち止まった瞬間、現実が追いつく。
「……どこだ?」
ここから次に探すべき場所が分からない。
人の気配も痕跡も見当たらない。雨音だけが耳を打ち続けていた。
**********
「リーナ! ミレイ! どこだ―!」
俺は名前を叫びながら、スラム街の中を無秩序に走り回った。
声は雨に打たれ、建物の壁にぶつかって歪み、すぐにかき消えていく。
それでも構わず、何度も、喉が痛くなるほど繰り返した。
「リーナ! ミレイ!」
返事はない。
足音と荒い息遣いだけが自分の耳に戻ってくる。
時折崩れかけた建物の奥や路地の陰から、こちらを窺うような視線を感じた。
暗がりの中で人影がわずかに動く気配もあるが、近づいてくる様子はない。
声をかけてくる者もいなければ、敵意を向けてくる者もいない。
石を投げられることもなく、罵声が飛んでくることもない。
ただ、遠巻きに見られているだけだ。
――ここでは、それが普通なのだ。
俺はそんな視線を気に留めることもなく、足を止めなかった。
立ち止まる理由がなかったし、立ち止まる余裕もなかった。
路地を曲がりさらに奥へ。
濡れた地面を蹴り崩れた壁の脇をすり抜け、スラム街の中心へと進んでいく。
「……くそっ」
何も掴めない。名前を呼ぶ以外にできることが思いつかない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
俺はただひたすらに、
スラム街の奥へと進んでいった。
**********
「……!?」
雨音に混じり微かに子供の泣き声が聞こえた……気がした。
「ミレイ! リーナ!」
俺はかすかに声が聞こえた気がした建物へ向かい、並んだ扉を片っ端から開けて中の様子を探った。
申し訳ないという意識はあったが、ノックをしている余裕はない。
一瞬でも遅れれば手遅れになるかもしれなかった。
そして数件目だった。
――いる。
階上からはっきりと人の気配が伝わってくる。
息を押し殺しているような、妙に重たい沈黙。
人数は多くない。
男と……子供だ。
理由は分からないが直感で感じた。
俺は呼吸を整えて足音を殺す。
石を辛うじて四角く切り出し、積み上げただけの粗末な建物だった。
階段が軋むのを覚悟で、その階段を一段ずつ静かに上がっていった。
**********
二階へ上がると扉すら付いていない部屋が見えた。
俺は壁に身を寄せるようにして忍び寄り、慎重に中の様子をうかがう。
そこにあったのは――
手術台のような台に縛り付けられた、リーナの姿。
ミレイはすぐ横の石壁に無骨な鎖で繋がれ、逃げ場を奪われていた。
二人とも涙と鼻水、それに泥で顔はひどく汚れ、口には襤褸切れがねじ込まれている。
リーナは身動き一つしないその様子に、一瞬最悪の想像が頭をよぎった。
だが胸がわずかに上下しているのが見えた。
――まだ生きている。
台の周囲にはいくつものランタンが無造作に並べられている。
揺れる光に照らされて無骨なナイフや、ノコギリのような刃物がいくつも転がっていた。
用途を考えるまでもない。考えたくもない。
その光景が視界に飛び込んだ瞬間、考えるより先に走り出していた。
「――ッ!」
助けに来た誰かを迎え撃つつもりだったのだろう。
短剣を構えた男たちが、数人、進路に立ちはだかる。
だが俺の意識は彼らには向かなかった。
視界の中心にあるのは、ただ一つ。
俺は何も気に留めずそのまま踏み込み、一直線に彼女のもとへと駆け出した。
「てめぇ!」「死ね!」
入口に一番近い位置にいたごろつきが、吐き捨てるように叫びながら短剣を振りかぶり、一直線に突っ込んでくる。
刃が空気を裂く音がやけに大きく耳に残った。
「うるせぇ!」
俺は反射的に身をひねり、振り下ろされる短剣を紙一重でかわす。
刃先が頬をかすめ冷たい風だけが残った。
そのまま勢いを殺さず、踏み込み――辛うじて、ミレイのそばへとたどり着いた。
「――――!」
ミレイは一瞬、何が起きたのか分からないという表情を浮かべていた。
だが飛び込んできたのが俺だと認識した途端、目を見開き必死に身をよじる。
口には猿轡が噛まされている。
声にはならないが助けを求める必死な訴えが、痛いほど伝わってきた。
だがそれに応じている暇はない。
俺は視線を走らせて状況を把握する。
部屋の中にいるのは――ごろつきが4人。
そしてその奥に1人。
他とは明らかに違う。
妙に身なりの整った男が少し距離を取って立っていた。
ごろつきたちは入口と木窓の近くに陣取り、じりじりと間合いを詰めてくる。
逃げ道を塞ぐ動きだ。逃がす気は最初からないようだ。
俺はミレイのすぐ前に立ち、無意識に庇うように構えを取った。
(さて……こっちは丸腰だ、どうすれば)
そう考えた俺はエミーナから預かった古びた背嚢を思い出し、ゴロツキの動きを横目で確認しながら背嚢を開いたのだった。
『査問委員会とは ”事実を調べる会議” ではない。
査問委員会とは ”責任の形を整える会議” である』
引用
ビジネスマンが『もうダメだ』と思ったときに開く本
(著:宇佐木九郎)




