報告書00-プロローグ
異世界での徒歩での旅……険しい山脈を越える山道。
実際問題、35歳のビジネスマンのおっさんとしては少々体に来るものがある。
乗合馬車を降りてからの山道は基本的に明るいうちに歩き、暗くなる前に山小屋で夜を明かすの繰り返しだ。
それを何度か繰り返し、山頂も近くなってきた山小屋で迎える何回目かの夜。
俺は……俺たちは雨に降られ足止めを喰らっていた。
外から聞こえる雨音とは対象的に、寝袋代わりにしている外套の内側から少女の規則正しい寝息が聞こえてくる。
正直、当初の想定より寒いと思ったが、外套の内側はやたらと暖かった。
兎人族の少女エミーナは、俺の腕を枕にして完全に安心しきった様子で寝入っていた。
ぺたっと垂れた兎の耳が、外套からはみ出して見える。
たまにモゾモゾと動くたびに、黒い髪が頬に触れ少しくすぐったい。
エミーナは完全に安心しているようすで、そこに警戒心も緊張感も感じられない。
もしかして俺の外套の内側を巣穴と認定しているのか?などと失礼なことを考えてしまうのも無理はないと思う。
この世界に来てギルドで職を得て、 ようやく安定したと思った矢先に事件が起きて左遷。
俺は今、その赴任先に向かっている旅の途中。
本来なら一人旅のはずなのに何故か、冒険者ギルド前にある『よろず屋』の店主である兎人族のエミーナという美少女と2人旅。
俺はそんな一回りも若い女の子と2人で、山小屋で添い寝状態になっていた。
最初は不可抗力だから……と、仕方ない理由でこうやって彼女を抱きかかえるように寝たのだが、翌日は体調が良くないという理由で外套へ潜り込んできて、最近では寝るとなれば何も言わずこのポジションだった。
おかげで、ぎゅっと抱きつかれている俺は毎晩眠りにつくのが遅くなる。
不思議なことに……自分はこんなに旅の臭いがするのに、彼女からはそれがまったくしない。
ここまでの1週間程度、2人ともまともに風呂に入った記憶はない。
雨に振られて山小屋に閉じ込められているせいで、せいぜい湯で顔を拭く程度だ。
防水のため油を引いている外套からは皮の匂いがするし、山小屋そのものも長雨のためか少々カビ臭い。
それなのに外套の内側からは、かすかに甘い匂いがする。
香料ではなく、花の香りでもない。
山の中で、日なたに干した布のような香りがする。
(……体臭、なのか?)
不快ではなく単純に落ち着く。
巣穴として認識されているという考えがますます現実味を帯びてくる。
エミーナは俺の上着の端を掴んだまま無意識に少しだけ体を寄せてきた。
その拍子にぺたっと伏せた兎耳が顎に触れる。
柔らかい。
耳もだがそれ以上に色々と柔らかい。
「……」
俺は無意識に息を止める。
起こすわけにもいかないし、この状態で動くのもまずい。
第三者が見ると“不可抗力”では済まされない気もしてくるが、それを考え始めると、眠れなくなる。
結局、俺はいつも通り、どうでもいいことを考えようと天井を見上げた。
そしてこの世界に――プロイセニア王国に来て今までの……なにがどうなってこうなっているのかを思い返すのだった。




